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2017年10月26日 18:04

大塚英志インタビュー 工学知と人文知:新著『日本がバカだから戦争に負けた』&『まんがでわかるまんがの歴史』をめぐって(1/4)

【聞き手】 碇本学
【提供・制作】 大塚八坂堂

・80年代以降の角川書店のプラットフォームがメインで書かれなかった理由とは

---- 新刊の星海社新書『日本がバカだから戦争に負けた 角川書店の教養の運命』とKADOKAWAから発売になる『まんがでわかるまんがの歴史』についてお話を聞かせていただきます。
最初に『日本がバカだから戦争に負けた 角川書店の教養の運命』は先日まで『角川書店と「教養」の運命 プラットフォームから工学知へ』というタイトルでしたが発売前になって急遽変更になりました。これはやはり今回の選挙と関係がありますか?

大塚 うん、選挙は直接には関係ないけれど、ああ、何で、こんなになっちゃったんだろうね、っていう文脈に本を置き直したってのはある。読んでもらったらわかると思うし、星海社のサイトで言うのはどうかと思うんだけどさ、今回の本って企画がブレてるわけよ。もともと星海社が期待していたのは三部作(『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』)の完結編で角川の回想録的なもの。プラス星海社の編集長の太田くんの関心である「角川からニコ動」みたいな業界の転換なんかの話を書いて欲しかったはずなのね。

---- そうですね。太田さんはツイッターでもこの本の7章「『コンプティーク』と世界観のあるまんが」は誰にも読ませたくないと書かれていました。

大塚 3章(ブロック)に分けてあるけど、それは2章目『TRPGからプラットフォームへ』の部分にちまっとまとめちゃった。

---- 太田さんの関心はそこにあったということですよね。

大塚 うん、当初の意図ではあったんだけどさ、まあ、ぶっちゃけそんな話、今更、誰が読みたいんだっていうね。校了したあとでそう思った。

---- その2章は「教養」をテーマにしたブロックに挟まれてます。

大塚 そう。2章は「コンプティーク」とか、角川メディアオフィスの時代なわけです。その前後の流れを入れようという事です。「コンプティーク」の時代に関しては、マーク・スタインバーグが、『なぜ日本は<メディアミックスする国>なのか』という本を出しているのね。

---- 大塚さんが資料を全部お渡ししたという。

大塚 そう。僕の友達のマーク・スタインバーグが英語で書いた博士論文の「アニメ・メディアミックス」という本がカナダで出ていて、その日本語版を作るときに、少し角川の資料が足りないっていうかケーススタディ、モデルケースが少ないっていうことだったので、じゃあ俺がなるよって、渡しちゃった。『マダラ』関連は全部あげたから、何一つ手許に残ってない。だから、マークの本、手伝って、もうやりつくしちゃったということもあるし、そしてもう一つは、実はこの本の下地になっている調査やヒアリングがあるのね。この時の角川の証言っていうのは、この本を編集している時点ではまったく刊行の目処が立っていなかった。東京大学の若い子たちと4年ぐらい前にやっている関係者のインタビューで資料的価値が高い。いろんな事情で表に出すことができなかったんだけど、この本を校了している途中で出せることになっちゃったんだよね。

---- え、そうなんですか。

大塚 そう。だから、そっち読んでもらった方がいい。角川で『マダラ』始めた頃は『ロードス島戦記』の雑誌連載が始まった頃でもあって、当時はゲームから小説ができあがっていく、そういう転換期だった。東浩紀が「ゲーム的リアリズム」って言っちゃったのでそういう言い方になれちゃって、却って、ビックリしなくなってるんだけど、僕にはゲームによって文学みたいなものの枠組みが組み替えられていくってことを目の前で見たっていう衝撃は大きかったし、それは良くも悪くも一個の転換期なんだろうなって感じた。
そういうことをこの本の中で自明のこととして書いているけど、その裏打ちは全部一次資料としてインタビューが手元にあったわけ。かといって、その時点では、公開を了承してもらってないインタビューだから引用できないっていう。
でも、めでたく出せることになったので、それを読んでくれれば太田くんが知りたかったものが書かれているわけ。だから二章はもうあんまり意味がない。
刊行するヒアリング集は僕の主観で書かれたものではなく、水野良さんや安田均さんや当時の角川の編集者たち何人かの視点が錯綜する形で当時の東大の若い院生たちがインタビューしているもので、僕は脇で口を出しているけど彼らはニュートラルだし、知らないことだから一生懸命調べてきてインタビューに臨んでいるのでそういう意味では「届きやすい」インタビュー集になってる。

---- そのインタビュー集はいつ頃出るんですか?

大塚 年明けですね。だから、太田くんの関心に寄り添う部分はそっちになっちゃったんで、ちょっと、文脈はシフトしていいんじゃないのっていう。

---- 僕は1982年生まれで先ほどの東大の院生の人たちよりも少し上だと思います。そんな僕でも物心ついた時には『MADARA』が雑誌に連載されていました。だから、角川というともうメディアミックスをしている会社というイメージだったんです。太田さんは『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』の最後の章で書かれている「そしてみんな角川に行った...わけではなかった」の延長として角川書店について大塚さんに書いて欲しかったんだと思うのですが。

大塚 まあ、そうだろうね。もともと続きの角川編もジブリの『熱風』でやるやらないっていう話があって。でも、角川の話は僕から見るとつまらないんだよ(笑)。

---- 僕とか知らない世代からみると読んでいて面白かったですが。

大塚 マーク・スタインバーグは面白がって人を研究材料にしたりとかしたんだけどね。

---- 大塚さんはモデルケースであり当事者ですからね。

大塚 うん。当事者でも『二階の住人〜』の方はノスタルジックな思い出だけどさ、角川に関しては分裂劇の内部犯行に関わった一人だから、立ち位置がめんどくさいんだよね。

---- ええ、大塚さんは当事者であり分裂劇に関わった一人ですし、知らない人やなんとなく知っている人が読むとその当時の裏側を知ることができるじゃないかって期待しますよね。

大塚 まあ、ある程度真ん中の章に関しては太田くんの期待に応えられるような形で、うちわ話というか秘話というか身も蓋もない部分を含めて話してはいますが。

---- 『二階の住人〜』の最後に徳間書店の二階からジブリとガンダムの二つの流れができたという話があります。ガンダムはサブカルになり今やメインカルチャーになっている。そして旧「教養」を持っている宮崎さんたちのジブリという日本のアニメーションの二つの大きな流れができたというのが今回の「教養」の話と繋がっていると思うのですが。

大塚 そう思うよね。鈴木敏夫っていう人は脇で見ていてわかったけども、オタク文化というものに対してマーケティングという意味の価値を強く見出していたと思う。だけど、彼の思想信条から言うと、なにも価値を見出していない。

---- 本書にもそう書かれていました。

大塚 僕はそう思う。それこそアイロニーとして「見えない文化革命」って言うけどさ、おたく世代を近衛兵として使って、彼らが嫌がっていたヒエラルキーをひっくり返した。コマとして僕たちは使われたのね。まあ、使われる方が悪いわけで。
ただ、「ひっくり返す」というのはビジネス的な形でヒエラルキーをひっくり返す必要があったのであって、イデオロギー的に彼らは旧体制の「教養」みたいなものを最終的にはひっくり返したくはなかったしそれを維持したかった。そこの矛盾みたいなものがあって、非正規雇用のおたくたちが角川に行き、もう一方で「教養派」のジブリが生まれていった。

---- 『二階の住人〜』での鈴木さんのことと尾形さんの『Hanako』については旧体制で変えたくなかったっていう話ですよね。この本を読んだ人がその続きに期待して読みたいと思う本になる予定だったわけですよね。

大塚 尾形さんはヒエラルキーとかそういうことは頭にない人だったから、ちょっと違うかな。尾形さんは最大の破壊者だよ、リスペクトの意味でね。

---- 鈴木さんと尾形さんはそういう部分で違う立ち位置だったんですね。本書の方に話を戻しますが、タイトルが変更前とはまったく違うものになりました。

大塚 うん、急遽ね(笑)。表紙を太田くんがデザイナーに発注した後に気が変わって。

---- タイトルがまったく違うものになったのを見て爆笑しました。こんなにも変わるのかって。

大塚 『見えない文化革命の正体』と『日本がバカだから戦争に負けた』のどっちがいいって聞いたら最終的に太田くんがしぶしぶこっちを選んできたっていう。

---- 今回一緒にお話を聞かせていただく新刊『まんがでわかるまんがの歴史』とこの新書の通じている部分は、大塚さんがいつも言われている「あなたたちが見たり読んだりしているアニメやまんが表現は戦争の前後にできたんだよ」という自明のことであるのにみんなが実は知らないことだと思ったのですが。

大塚 偉そうに言うわけじゃないけど80年代に僕たちが出てきたときにね、「お前たちは歴史を知らない」ってさんざん団塊世代から言われたわけですよ。ただ、団塊の世代の人たちはある意味でその歴史みたいなものを壊す方に加担したまま、再構築しなかったんだよ。破壊するだけ。で、老人になって、愛国化するだけで。
ジブリなんか旧「教養」を守っているけどそれはあくまで彼らの城の中の話であって、宮崎吾朗が監督した『コクリコ坂から』の中では一瞬、朝鮮戦争が出てきたりはするわけだよね。シナリオ、宮崎駿だから。そうやって歴史みたいなものをチラつかせたり、それについて説教したりするけど、歴史全体を正面から描くかっていうとそこをジブリは回避するでしょう。『風立ちぬ』だって、正面から太平洋戦争描けばよかったしさ、重慶の爆撃を全面的に描けばよかったのにね。

---- その辺りは『まんがでわかるまんがの歴史』で書かれている宮崎駿さんが戦中、戦後に生まれ育ったのでアヴァンギャルドの人たちが描いていた機械の精密図に影響を受けていて、爆撃機の機体としての美しさには憧れていた部分ですよね。しかし、戦争についての描写は回避してしまうという。

大塚 少し捕捉すると、宮崎さんは子供の時にお兄さんの影響で戦時下のアヴァンギャルドとか機械芸術論に出自がある、「航空機の美学」とかを継承しているわけだよね。これ、わかり易く言うと「飛行機は戦闘機を含め美しい」っていう感覚。でも兵器が美しいって、イデオロギー的に言えば戦後民主主義と矛盾する。それはいったいなんなのかっていうと、彼は戦時下のアヴァンギャルドの無自覚な継承者だからで、ジブリ的な表現は戦争的な表現を回避はしないけど、最終的には色々な理由をつけて正面からは描かないわけでしょ。矛盾の意味を描けない。
最後に重慶への爆撃だけを申し訳程度に描いて、中国の人たちのエクスキューズ、言い訳にする。だったら主人公が、自分が作った戦闘機が重慶に行って爆撃をしたっていう葛藤なりなんなりを描けばいいのに、描かなかった。ジブリが結局、歴史をチラつかせながら歴史を描かないっていうのは村上春樹とそっくりなんだよね。ノモンハン事件をチラつかせたり、今回の『騎士団長殺し』も南京虐殺を書いて非難轟々だけどさ、あんなの書いたうちに入らないじゃんっていう。もっと書くのであれば歴史小説として正面から書けばいいのに書かない。
でも、俺たちは歴史を知ってる。お前たちは知らないだろ、というのがちょうど徳間書店にいたときの鈴木敏夫だったり、例えば、団塊世代の思想家や研究者の僕たちに対する彼らの批判的な視線だったわけ。だとしたら彼らこそ歴史を書かないといけないはずだったのにそこには行かなかったという話なんだよね。
まあ、今更、そんなこと言っても仕方ないし、自分で書くけど、って話。だから80年代っていう一個の時代の話に留まらない。当然遡って、戦時下、そして、今の所僕の勉強の範囲では大正アヴァンギャルドまでは遡れる。まだまだ明治までのパースペクティブまでは遡れないみたいな所はあるけどね。それは今回の2つの本に限らず、若手研究者と一緒にまとめた『動員のメディアミックス』(思文閣)も同じ考えです。

・初代・角川源義からKADOKAWAのことを書くとどうしても「教養」の話になってしまう

---- 「教養」についての話になりますが角川書店の初代の角川源義が折口信夫や柳田國男の門下生であったとか、二代目の春樹の名前が島崎藤村の本名から取られているなど、現在のKODAKAWAで働いていても知らないだろうなってことも書かれてます。

大塚 知ってて欲しいと思うけど。

---- 三代目になる角川歴彦に大塚さんが呼ばれたときに売り言葉に買い言葉みたいになったことから、大塚さんは徳間書店から若い漫画家を連れて角川書店に仕事場を移しメディアミックスに関わる作品を手がけるようになります。

大塚 徳間書店からいらないって言われた新人を三人だけ、連れて行った。

---- その辺りのお話も書かれていますが、柳田國男から繋がるものが角川書店と大塚さんに巡り巡っているようにも読めますよね。

大塚 だって最初から僕にとっては源義の出版社だったから。源義っていうのは柳田の門下生であり折口信夫の門下生であり、学術的に言ったら国文学だから折口の門下だけど、柳田の門下の一番末流である僕ですら先生たちから柳田と源義の関係については色々と聞いてるわけよ。だからけっこう身近だった。

---- そうやって伝えられていたんですね。

大塚 そう、その角川かって。春樹さんの角川とかじゃなくて国文学をやっていた源義の角川でまんがのことをやるのは面白そうだなみたいなね。ぼくの先生、どんな顔するか、とか。そういう感覚はあったよね。

---- 二代目と三代目の線引きというよりは入れ替わっていくグラデーションがある時代ですよね。

大塚 まあ、源義、春樹、歴彦の3つの角川がパラレルにあった時期。だから、新興企業でメディアミックスから始めたみたいなとこだったら、興味がなかったけど、角川でまんがとかゲームつくるっていう面白さがあったよね。当時はまだ若くてやんちゃだったからそういうことでなにかひっくり返したかったりいじくりまわしてみたいというのは明らかにあったから角川に行ったわけだよね。

---- 80年代の頃はそういう自由な感じだったんですか?

大塚 少なくとも春樹さんの頃は「あの」角川がって言われたんだから。その「あの」っていう感じは80年代にはみんな共有していて、春樹が、なんかやらかしちゃったよみたいなことがね。そのやらかしちゃったのも、それ見たことかっていうんじゃない方に、転がっていった。

---- 会社がメディアミックスをどんどん仕掛けながら大きくなっていくわけですね。

大塚 春樹さんがまず、めちゃくちゃなことを始めて、それとは違うものを今度は弟の歴彦が始めているっていうのがわかってそれを含めて面白かった。

---- 兄弟の対比についても書かれていますが、まず最初のところで「角川くん」と「岩波くん」というキャラクターの話が出てきます。そのことをまったく知らなかったので、角川書店って当初はそういうポジションだったのかって思いました。大塚さんと僕らぐらいでもそこでかなりの世代間ギャップがありますよね。

大塚 そう、そこから書かないといけなかった。だから源義から書くと結局「教養」の話になっていくわけよ。それで、いつか書こうと思っていた「教養の工学化」とか「webの時代の教養」に話が転がっていっちゃったので、それもあって、太田くんが期待した真ん中の部分がちっちゃくなってしまった。

---- 初代の源義から大塚さんが書かれたのを読むと角川書店がどういう会社なのかわかりました。また、「教養の時代」「大衆の時代」、そして今はメインになった「サブカルチャーの時代」「工学知の時代」と角川の「四代」について書かれています。

大塚 角川の社史を書いてどうするんだっていう。

---- しかも、星海社で書いてますからね。

大塚 まあ、角川も新しい社史を作ってるらしいから、まるで嫌がらせみたいだよね。

---- これを読むと角川書店の遍歴がわかりやすく書かれていて、僕が幼い頃ぐらいが角川のお家騒動があって春樹から歴彦へと移り変わっていく時期だったと思います。そして歴彦が社長だったらドワンゴが来るのは当然だよねって話になってます。

大塚 ここにも書いているけど源義の経営は商社型です。源義の頃のパブリックイメージは古典の会社なんだけど、自社では本の中身をあまり作らないで、戦前や大正の教養主義の時代の円本なんかの出版物だったり、戦争でどさくさに紛れて絶版になった岩波の本とか、潰れてしまった会社の組版自体を買い取って辞書を出しちゃうとか、意外とそういう「仕入れて出す」みたいなことをやっている。

---- それを初めて知ってびっくりしました。コンテンツをリユースして、例えば春樹時代にも『犬神家の一族』とか横溝正史の作品などのパッケージを変えて映像化したりしてメディアミックスをして売っていた会社ですが、最初からそういう会社だったんですね。

大塚 今、君がさりげなくリユースとかパッケージとか言ったじゃない、その言葉がない段階で源義は、やってたんです。リユースとかパッケージとかプラットフォームみたいな言葉がなかったから、源義時代の角川のもう一つの本質が見えなかったんだよね。つまり岩波書店は戦前の段階で良くも悪く「教養」を作った。角川はその、戦前の「教養」をパッケージしてリユースして戦後に販売しようとした会社だった。

---- 『まんがでわかるまんがの歴史』の方にも大塚さんは「角川書店といえば良くも悪くも「メディアミックス」の会社ですっていうかそれしかない」って書かれています。

大塚 でも、それしかないじゃん。

---- そういうものは延々と続いているんだなって思いました。

大塚 会社の本質っていうのは意外と整理してみても変わってなかったんだなって、再確認できたよね。

---- 途中で書かれていましたが春樹の時代に『野性時代』を出して文学を、コンテンツを自らの会社でも作ろうとしたというのが興味深かったです。

大塚 春樹さんが角川的「教養」や「文化」を破壊したと当時は言われていたけど、少なくとも先代があっちこっちから戦前の「教養」をリユースしていたのに対して、春樹さんは春樹さんなりに考えていた大衆に向けた新しい教養文化みたいものを作ろうとしていたんだよね。それが一群の角川映画だし『野性時代』のいくつかの作品。一方ではリユースみたいなこともちゃんとやったけど、『犬神家の一族』とか映画化したり次の展開に持っていった。それも含めて春樹は「作る人」だったんだよね。

---- はい、角川春樹は「教養」の最後の庇護者だった、と書かれていました。

大塚 春樹さんを慕っていた人としては、死んじゃった中上健次だとか、僕と年が近い人だと福田和也とか、けっこう春樹さんのこと好きだけどそれはわかるんだよね。作り手みたいなものにシンパシーを感じてしまうパトロンだから。それがビジネスじゃなくて、作り手の心情にシンクロしちゃって金を出すという古いタイプのパトロンなんだよ。角川映画なんかまさにそれで、角川文庫原作にしているけれど、監督はやりたい放題。薬師丸ひろ子だって原田知世だって、監督なら絶対使いたい「女優」だったんだよ。

---- パトロンでありながらも作り手の監督に自分の思いだとある種の性的な趣向でもいいのですが託すみたいな部分があったのかなといろんな証言を聞いて思うのですが、 春樹さんが作った映画は彼の出自を匂わせるものがあると書かれていましたよね。

大塚 うん、彼は歌も詠むけどさ、映画を見りゃあわかるんだよね。この本の中でもさすがに、歴彦を知ってるんで書けないところがたくさんあるわけですよ。それを隠蔽したって言われると困るんだけど。

---- 確かに知ってるから書けないってことはありますよね。

大塚 まあ、ネットを調べればボロボロ出てくるからアレだけど、源義と息子たちを巡ってはいろんなことがあるわけ。その一族の中で起きたことを踏まえているとしか思えないようなものを春樹さんは作るんだよ。
『人間の証明』でさ、お母さんをひたすら恋しがってジョー山中が「Mama,Do you remember」って歌うテーマソングがヒットしたんだけど、「母恋」っていうモチーフにしたって最初のお母さんを源義が離縁したので本当のお母さんの行方がリアルにわからないみたいなね。そういうことを踏まえたときに、ある種あれは生々しさがあるわけで。

---- それを知っているとあの映画の見え方もだいぶ変わってきます。

大塚 だから、いい意味で通俗的なんだよ。通俗的っていうのは俗にちゃんと通じてないといけないわけでしょ。俗っぽい、人間の中の情念だとかありふれたものとかすごく単純なものでしょ、その俗のところに春樹さんは通じるわけよ。それは何かといったら彼の中の俗な部分がものを作らせている。高尚なものじゃなくてね。

---- だからこそ大衆に届いてヒットしたんですね。

大塚 本人は神がかってるつもりだったらしいんだけどね。

---- 春樹さん本人が世間と通じるものをきちんと持っていたわけですよね。

大塚 そうだね、そういう意味では春樹さんは菊池寛に近い才能だったと思う。あっ、過去形にしちゃったけど。

---- ああ、まだ生きてらっしゃるんですよね。すみません、どうしてか僕の中で亡くなった方のイメージになってしまっていて。

大塚 そこ面白いから活かしておいた方がいいな。まだ、春樹、ちゃんと生きているから。

---- 死んだイメージになってるんですよね、この本の中で。

大塚 死んだとは一言も書いてないんだけどね。

・言葉がないときに直感で動いていた三代目・角川歴彦

---- 二代目の春樹さんは活字、音楽、映画の三位一体の菊池寛が目指したメディアミックスを成し遂げましたが、それは「教養」の最後の人だったという部分が大きいんでしょうか?

大塚 ええ、岩波的な教養はマルクス主義的に言えば前衛みたいな知識人がいて引っ張るという「教養」でしょ。菊池寛の「教養」というのは良くも悪くも国民の「教養」なんだよね。ネガティブな部分も含めて。たぶん、春樹さんも国民の「教養」を狙ったんだよ。みんなが知ってる「教養」をメディアミックスでつくろうとした。映画やレコードっていう、戦前の菊池寛や大映が活用していたツールをもう一回大がかりに使った。春樹さんがあの時使ったツールって、実は耐用年数がほとんどある意味で尽き欠けているものだったでしょ。
レコードはCDになる寸前でレコードっていう文化が死んでいくし、映画だと日活がロマンポルノに転じてさ、いわゆるスタジオ制の大手の体制が崩壊していく。文学も江藤淳が「サブカルチャー」だって嘆き、吉本隆明がタレント本と文学は同価だって言い切ってしまう。そういう中で、古き良きメディアみたいなものに依存していく。そこを最大限に活用しながら、テレビとか使っているけど、戦前だったらラジオがメディアミックスに使われているから、ラジオがテレビに変わっただけなんだよね。

---- 春樹さんが逮捕されて歴彦さんが社長として角川に復帰する形になりました。新書の中で女性社員の人が「うちのつぐ(ヽヽ)と遊んでくれてありがとう」って言っていたと書かれていてトップなのに不思議なキャラクターだなと思ったのですが。

大塚 少なくともあの頃はそうだったんだよね。

---- お家騒動の分裂劇のときに角川を辞めていく人たちから「あのおっさんも連れていくか」みたいなことも言われていたとも。

大塚 うん、その感覚ではあったよ。リアルにね。

---- 社長っぽい社長ではなかったんですか?

大塚 慕われてはいたし、経営的な直感とかセンスはあったけど、戦略があってメディアワークスを作ったわけでも、社員が歴彦に対する忠誠心があったわけでもなく、せっかく面白いことを始めたのに春樹が邪魔してできないから外に出て会社を作ってしまえっていうそんだけの話だよね。

---- そのときに担ぐ人が欲しいなって感じだったんですか?

大塚 まあ、一部そういうひとがいたのかも知れないけど、連れて行ってやるかみたいな。それに担がなきゃ、人としてどうよって感じだったし。かわいそうだし。

---- 当時のそのノリと歴彦さんとの関係性が聞かせてもらうと面白いですね、。

大塚 歴彦が春樹に解任されるときにさ、クリスタルのドラゴンを箱に詰めて会社、出ていったというのを聞いたらなんかかわいそうやん、あのおっさんっていう。春樹さんの方だって社員が大量にいなくなったら困るから、メディアオフィスの連中だってさ、うまく立ち回って春樹派の方に寝返ることもできた。春樹派に寝返った編集者も別のセクションでは当然、いたわけ。寝返り工作も色々あったよ。でも、それってカッコよくないじゃんていう妙に青臭い部分もあった。

---- 『二階の住人〜』から続く二階という「遊び場」という共通点もあります。

大塚 うん、メディアオフィスは子会社だったから、所詮、寄せ集め部隊。要するに角川の正規採用じゃないわけよ。いろんなところでフリーランスとか天井桟敷にいたやつとか。

---- ちょっとアヴァンギャルドを引きずっているような、今でいうとアンダーグランドの人たちみたいな感じですか。

大塚 そう、今でいうサブカルとかアングラなんだよね。それにおたく第一世代の混成部隊。どっちにしろ、正規雇用をされた経験がない人たちなんだよね。だから非正規が恐くない。ましてぼくら、フリーのライターは、会社なんか信じてないし。

---- そこは大塚さんがいた徳間書店の二階の時代と通じるところがあります。『アニメージュ』を読んで正社員として入ってくる人たちが来る前の感じと近いようなものを感じますね。でも、徳間では正社員が増えてきて大塚さんたちが嫌になってきて出ていくことになるわけですが。

大塚 そうそうそう。でも、徳間とメディアオフィスが違うところは、徳間の二階は自分たちの望むアニメや特撮の雑誌を作りたかったわけよ。だけど、メディアオフィスの連中はただ遊びたかっただけなのね。面白いことがしたかったの。
今すごい嫌われている、フジテレビの80年代のノリみたいなもの。『めちゃイケ』見てるとみんなムカつくみたいだけど、あの悪ノリみたいなものがあの時の根本にあった。だからこういうことを言うと怒られるかもしれないけど、ぶっちゃけて言えばみんなゲームなんかどうでもよかったわけ。

---- ゲーム雑誌作ってたのに(笑)。

大塚 フォローすると、安田さんたちSNEの人たちは一生懸命RPGを世の中に広めようとしていたし、例えばゲームクリエイターの黒田幸弘さんたちはゲームをやろうとしていた。水野良も真摯に小説書いていたよ。この人たちは本当に正しい。
でも、編集者たちは面白ければどうでもいいじゃんっていうところがどこかあった。ぼくみたいなライターもね。面白いイタズラやお祭りをしていた延長で、メディアオフィスをみんなで辞めちゃうってことを誰が言い出したかわからないけどやったんだよね。そして、それを誰も止めなかったっていうね。

---- 止めないってすごくいいですよね。

大塚 だから残ったのは正規採用のやつが一人か二人だけじゃないかな。

---- フリーの人たちは遊び場がなくなるなら遊び場移動しちゃえって感じなんですよね。

大塚 元々は別段給料の保証もない人生だったから、もらえるだけラッキーって感じだったからなくなってもいいじゃんっていう。それよりは遊びたいしっていう。

---- その辺の自由さが素晴らしいです。

大塚 まあ、読者からすれば裏切られたっていうね。この間ネット見てたら、Yahoo!ニュースかなんかで引っかかったコラムで、あのとき突然、雑誌の中身が変わって裏切られてその恨みは忘れないって書いてあったんだけど、そりゃあ、悪かったとは思うけどさ。ごめんな。

---- まあ、大塚さんは裏で手を引いてましたもんね。

大塚 引いてないよ。おもしろがって参加したけど。でもね、あの時こういうことを言うと怒られるのかもしれないけど、読者のことなんか考えてなかったんだよ。

---- でしょうね!

大塚 つまりね、今、ユーザーって言葉があるでしょ。何でもかんでもお客さんのことを第一に考えないといけないってことになってるけど、そうじゃなくて、自分たちが楽しいものを作るっていうのが少なくてもあの時代の考え方だった。

---- 自分たちが楽しいというのが優先順位の一位だったんですね。

大塚 その面白いことをしてるところに「わあ、面白いね」って人が集まってくる。たぶん、それが正しいサブカルチャーのメディアのあり方だった。

---- TRPGとか参加型のものはそういうものだったのに今はそのことがズレてしまったわけですよね。

大塚 うん、70年代ぐらいからある深夜放送のラジオみたいなものとか、それこそ村上春樹さん的な時代を含めたジャズ喫茶みたいなものみたいな。そういうアンダーグランドな文化ってやりたいことをやっていた連中の周りにいろんなものが集まって文化が更新していくみたいなことがあった。だからその時は読者のことは考えてなかった。

---- やはりユーザーという言葉が上位に来てしまったせいで、ユーザーに対してどうこうしないといけないっていうことがあって作り手が自由にできなくなってコンテンツをつまらなくしてしまうという。

大塚 そういう側面はあると思うよ。

---- 少し話がズレるかもしれませんが、大塚さんツイッターをされていて、使っていくとその枠の中に入っていくという言われ方をしていましたよね。

大塚 そうそう、病気の時に試しに二ヶ月ぐらいいじくったのかな。そしたら「いいね」がつくと嬉しくなって、心の中でなぜ「いいね」が付くんだろうと分析し始めて、それに応じたものを書こうとする意識がふっと芽生えるわけよ。ああ、これはまずいよなって。

---- SNSをしているとこういうトゲのある言葉は書かないほうがいいなとか、勝手に自制のようなものが入ってきます。ごく一部の人は書きたいことを書いて炎上するっていうことがあって、それで知名度が上がったりパワーバランスが変わったりもします。

大塚 そうね、炎上するとフォロワー数が増えてパワーバランスが変わったりしてそれが炎上商法だって言うけど、ネット上の言葉自体がユーザー本位でユーザー自体がマーケティングとして見ている。炎上商法って炎上した人のことを見ているその一方では、ツイッターやインスタグラムでは「いいね」をもらうために自らマーケティングをしている。これだけみんながマーケティングをしている時代は何なのだろうっていう問いは、この本のテーマとしては入っている。

---- 「みんながマーケティングをしている時代」と「工学化」のことが重なっているのはこの本を読むとわかりますね。
歴彦さんは「インテリジェンス」と「コンテンツ」は同義だと思っていたと書かれています。大塚さんは彼の一番の才覚は「言語化される以前の概念以前のものを把握する能力」だったと分析されています。

大塚 そういう勘所はあるよ。

---- その部分に関連して批評家の素養はそういうものだよとも書かれています。ということは彼には批評家的な感覚があったということでしょうか?

大塚 工学的なものの方にあったと思うよ。批評っていうものは実は、工学化みたいなものと互換性があるわけ。現代思想なんかを見ていくと80年代の思想は数学の方程式みたいなものを使いだしたり、要するに現代思想って工学的な側面があってさ、批評っていうものはある種ロジックだから工学的なものに足をすくわれやすいみたいな所がある。それと直感の相互作用みたいなところがあるわけね。僕は優れた批評家じゃないから詩を書かないけど、だいたい文学をやってる一番頭のいい仲間内のやつは詩と批評の両方書くわけよ。

---- 『ユリイカ』がそうですよね、詩と批評の雑誌ですもんね。

大塚 だから、高橋源一郎なんか詩と批評の両方書いて小説はつまんないじゃん。彼はそういう意味では詩と批評を書くみたいな。共産党の不破哲三なんかもあれってペンネームじゃん。

---- そうなんですか。

大塚 みんなそうだよ、共産党の幹部はみんな文学と批評を書いてる。そういう直感的なロジックみたいなものを併せ持つみたいな。文系で頭のいい批評家は工学的なものも得意なのね。

---- 詩は書かないかもしれないけど、歴彦さんは工学的なものの方への批評性があったわけですよね。

大塚 歴彦は高校生の時に近所に住んでいたまったく無名の文芸批評家がいて、その人が文学だか批評の私塾みたいなことをしていてそこに通って批評の手ほどきを受けたっていうのは本人から聞いたことがある。

---- やはりその素養は若い頃からあったわけですね。

大塚 うん、直感的な素養はあったと思うよ。RPGを見た瞬間に理屈じゃなくて、これが彼のビジネスを組み替えていくなにかなんだろうっていう異様なフライングをする。You Tubeを見て提携しに行ったら先にGoogleに買われてましたっていうような。

---- あの時にYou Tubeと提携できてたらすごいことになってたんでしょうね。

大塚 うん、買い損なったからニコ動を間違えて買っちゃうんだけどさ。

---- そしたら川上さんが来ちゃうっていうことになってようやく彼は工学化の話ができるわけですよね。

大塚 川上は理系というか情報系の「工学知」。IT系の連中はヤンキー出身者はともかく、批評系工学知じゃない。東浩紀が最近まともに見えるのは、そういう理由。はなしもどすと、だから春樹さんは工学的な人じゃないから弟の歴彦と話が合わない。それに、批評系の人っていうのはある種冷徹な経営者になりやすいわけよ。

---- 工学的だとそうなっていきやすいんですかね。

大塚 歴彦のパブリックイメージの一方で数字に厳しい冷徹な経営者で文学の中身がわからないという批判はあるわけよ、確かにそういうところもある。

---- 歴彦さんはコンテンツの中身には興味ないんですよね?

大塚 と僕は思う。あったとしてもすごくどうでもいい部分でね。『MADARA』でお母さん(サクヤ姫)が兄弟仲良くしなさいって言ったシーンで泣くとかね。

---- ええ! 最後の方のシーンですよね。

大塚 あれは良かったって電話してきた。

---- いい人なのかどうかよくわからない話ですね。

大塚 でも、角川一族の母親との関係を見たら泣くってわかるツボなんだけど、そこで感動しちゃう歴彦ってさ、ネットなんかで感動するいい話で泣ける人たちがいる感覚と同じで。春樹さんはもうちょっと自分の情念を出さないとダメな人なんだよね。まあ、両方、社員にしてみれば、迷惑な人なんだけどね。これは君らの年代だとピンとこない人だろうけど、西武セゾンの堤清二っていう人がいて。

---- 去年、大塚さんにお話を聞かせていただいた時にお話してもらいました。大塚さんを日本文藝家協会入れようって、江藤淳さんから手が回ってきて堤さんが推薦状を書いて送ってきたという。セゾン文化の代表する方ですよね。

大塚 そう、東大出身の左翼学生で詩人だった。一方ではセゾングループの経営者で西武鉄道グループという本体は引き継げなかったけど、流通の方のボロボロだった西武百貨店デパートを引き継いでセゾングループっていう巨大なグループにしたわけでしょ。今はロフトや西武デパートも無印もパルコもバラバラになってるけど、80年代はセゾングループっていうのは、それは巨大な流通産業だったんだから。

---- そういう意味では近いんですかね。

大塚 そういう形でけっこう詩人の経営者っているのよ。あと、戦前は、詩人系の官僚とかね。さっきの話に飛ぶわけではないけど戦争中にまんがの思想統制なんかやった内務省官僚の佐伯郁朗って人も詩人なんだよね。詩人と官僚みたいなものと経営者ってものはかなり一致するからね。

---- 柳田國男もそうですしね。

大塚 まさにね。最終的には詩人が経営者になっていって詩人的な批評的な側面は消えていくんだろうね。でも、なんだかんだ言っても歴彦は経営論と文化論の中間みたいな本を一生懸命書こうとするじゃない。どこか批評的なことをしたんだよね。文化面的なとこに入っていきたいんだよね。

---- 角川メディアオフィスがTRPGを中核にしたのは80年代ですよね。

大塚 うん、角川メディアオフィスができあがって86年に安田均を歴彦が訪ねる少し前、その前段としてアメリカのTRPGの会社に歴彦が乗り込んで行って提携を申し入れた。そこの段階ぐらいで RPGみたいなものに対する転換みたいなことが角川メディアオフィスの上層部の中で起きていたっていう感じだね。

---- それがあったからこそIT企業の道を進むというかプラットフォーム企業化していくわけですよね。

大塚 まあね、TRPG自体そのものがプラットフォームなんだって、今だったら説明しやすいけど当時はその言葉がなかったから。歴彦の感覚のいいところはそういうわかり易い言葉がある前にそこに行くところだよね。

---- しかもフライングして行動しちゃってるんですよね。

大塚 角川騒動の時もね、僕がよくネタで言うんだけど、ワイドショーに追っかけられているのに、『MADARA』のオンリーイベントに普通に来てさ「あっ、ワイドショーのおじさんだ」ってツッコまれるみたいなね。それは「コモンズ」って言葉をレッシグが言いだす前に「コモンズ」っていうものに関心があったからウロウロしてるわけよ。そこの勘は悪くないし、彼にある種の人を引っ張る力があったとするならそこだと思う。勘の良さに関してはいつも納得がいったからね。

---- ウェブ以前にそれに反応していたのが彼だけだったという。

大塚 だからTRPGというものに関しては先行していた企業はいくつかあったけど角川が違ったのは、一種の経営戦略みたいなものの中にTRPGを入れたことでしょ。つまり一個の世界観の中からいっぱい商品が出てくる、いわゆるメディアミックスができるっていう。それはメディアミックスっていいながら、春樹さん型のヒエラルキーがあるような、頂点に原作があって、その中から二次商品三次商品が出ていって大量宣伝で国民全体に売っていく枠組みと違う。
世界観をシェアしておいてそこからいろんなものがシステマティックにできあがるというメディアミックスというのが歴彦のメディアミックス。それはRPGを経営戦略に据えることでメディアオフィスはメディアミックス企業になったわけで、そこがこっちから見ると面白かったんだよね。

---- 例えば『ザ・テレビジョン』などそれぞれのデバイス毎に作っていくということですよね。

大塚 本人がよく言うことだし社史にも書いてあるけど、アメリカに行ったらテレビにテーブルテレビの端末が繋げてあって、テレビの周りにいろんな端末がこれから繋がれていくんだろうなって彼は予見したって言っている。実際本当に予見したかどうかはともかく、テレビの周りに端末がいろいろあるイメージ。ケーブルテレビ、アニメを見るためのビデオデッキやゲーム機なんかのその一個一個の端末、つまり、デバイスごとに対応する雑誌を創刊していく。そのデバイスとしての雑誌が一通り、揃った段階でプラットフォームとしてTRPGを置くわけよ。そうすると、プラットフォームから出てきたTRPGからいろんな商品が各デバイスに出ていくっていうイメージでね。でも、雑誌をデバイスとして考えるってことと、TRPGをプラットフォームとして考えていたと説明すると、彼がやろうとしていたことをはっきりと説明ができるんだよね。

---- ただ言葉がなかったっていうことですよね。それが今だとスマートフォンになったので、それが「テレビの終わり」に繋がるわけですね。

大塚 それが今や彼が予見していたことが現実になったんだよ。そうすると今度は、彼は今まで言語化できないものをなんとなく直感で語っていたけど、それを語る言語ができあがってしまってるでしょ。そうすると彼がやってきたことが言語で説明できるようになってしまったからそこで、自己撞着を起こしてるというのかな。
だから川上っていう、もっと工学的な、違う言語の方に飛躍しようとしてると思うんだけどね。

---- 工学化で話ができる人を呼んだっていう。あれって合併なんですよね。

大塚 合併って書くと角川では赤字が入る。経営統合って、でもウィキペディアには経営統合も合併も同じだって書いているんだけど(笑)。そう言うとまた怒っちゃうんだよなあ。

---- そんなんでいちいち赤入れられるんですね。

大塚 入れて来る。角川の現場は未だにドワンゴとの合併を快く思っていないひともいるしね。最初は角川がニコニコに救われた側面もあったけど、ドワンゴがニコニコ動画の有料会員の伸びで行き詰まってる間に、角川に何年かに一度必ず吹く神風で、今は『けものフレンズ』が大ヒットしてるからね。そうすると収益のパワーバランスが変わっていくから。お互いに経営統合しない、心は一つになっていないっていう。

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『日本がバカだから戦争に負けた 角川書店と教養の運命』
著者:大塚英志 
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大塚英志インタビュー 工学知と人文知:新著『日本がバカだから戦争に負けた』&『まんがでわかるまんがの歴史』をめぐって(2/4)に続く】