編集部ブログ
2018年1月10日 16:50
『日本のメイドカルチャー史』上・下巻刊行記念 久我真樹・嵯峨景子対談(2/3)
【ゴシック&ロリータとメイド】
嵯峨: 下巻のほうでは、ゴシック&ロリータファッションのことを書かれていたんですけど、ここは、個人的には慎重になったほうがいいかな、と思っています。というのも、ある時期までのゴスロリやロリータたちは、コスプレと同一視されるのをものすごく嫌がっていましたよね。『下妻物語』などで、ゴスロリに人気があった時期、彼女たちは「ゴスロリを着るのが私のアイデンティティ」というふうに思っていて、精神の貴族のような自負がすごく強かったので、コスプレといわれるのが一番嫌だったと思います。
久我: はい。参考文献を読んでいる限りでも、皆さん、それですごく傷ついて、着るのをやめてしまった、心ない言葉をかけられたとの話も読みましたので、すごく気をつけて書いたつもりです。
嵯峨: でも、おそらく今の状況は当時とはまた異なると思います。2010年くらいから変わってきたな、と。私自身はゴシック&ロリータファッションはしていませんが、近い領域にいたので、その様子を見ていました。
私が「あ、新しい文化が出てきたな」と思ったのは、2013年にラフォーレ原宿に、「Maison de Julietta」というお店ができたときです。ここは、ゴシック&ロリータのお洋服を着て記念撮影ができるという写真館なんですよ。これは変身願望を叶えるサービスで、コスプレに近いものではないかと感じました。
確かにある時期から、カジュアルに「ゴスロリも1つのファッションとして着るよ」という子たちが出てきて、精神性と強く結び付いていたゴスロリファッションの流れが変わってきました。そして2013年にこういうお店ができたことで、ある種の非日常体験、1回着てみて写真を撮る、ということができるようになりました。Maison de Juliettaは今でも盛況のようです。
久我: 確かに。『ゴシック&ロリータバイブル』を創刊号から全部買って読みましたが、表紙のカラーがどんどん変わっているんですね。最初はゴシック色が強かったものが、どんどんカラフルに、可愛い系にシフトしていっていると感じました。
あと、カルチャーとして面白いと思ったのは、とても "濃い"人たちがライターとかクリエイターとかの方にいて、その世界観を読者に「教えよう」という感じが伝わってくるんです。ファッションとして着るだけじゃなく、内面もその世界に浸ろう、という感じですね。
嵯峨: 西洋的な、歴史や文学についての文化的なコラムなどが、たくさん載っていますよね。
久我: ああいうのはすごく面白いと思いました。でも、純粋にファッションとして楽しみたいという人も増えていっているな、という気がします。
嵯峨: 以前は、ゴシック&ロリータの世界と、雑誌『ゴシック&ロリータバイブル』の世界は、ほぼ同一だったと思うんですけれど、ある時期から離れていってしまったんです。ゴスロリがカジュアル化して、中国や韓国といった海外のブランドも人気が出てきて。特に中国ブランドは、ワンピースが1万円以下と安価なんですよ。でも、そういうブランドは、『ゴシック&ロリータバイブル』には絶対に載らないんです。韓国ブランドの1着2〜3万円するワンピースなら載るけど......。ある意味、『ゴシック&ロリータバイブル』は、小さな世界になっているなって思いました。
久我: それはちょっと「英国メイド」っぽいですね(笑)
嵯峨: あと、「(不思議の国の)アリス」という表象は、ロリータの中で1つのアイコンではあるんですけれど、アリスの着ている「エプロンドレス」はそこまでではないんですね。ブルーのワンピースとかはでていますけれど。
エプロンドレスに類似のもので、「タブリエ」というアイテムがあるんですけれど、これはメイドとか労働とかではなくて、少女性と結びつけられているように思います。
久我:『世界名作劇場』の子供たちが着ていた服とも結びつくのでしょうか。
嵯峨: そうですね。だから、仮に形が似ていたとしても、背景にあるものが違うということです。久我さんはもちろんわかっていらっしゃるんですけれど、これを乱暴に同一視してしまっている方もいるような気がします。
久我: メイドというのもまさにそうで、みんなが言う「メイド」が、コスプレなのか、職業なのか、喫茶の店員なのか、よくわからない。イメージとして切り離されてしまっていると、全部を理解できるわけではないので。しかし、そのイメージを流通させたのがコスプレであったり、ネット上のイラストであったりしたのかな、とは思います。
実は、ゴシック系の本を色々読んでいたら、「メイドブームの原点はゴシックだ」というような言説があったんですね。
嵯峨: そうなんですか。
久我: ところが、その根拠となっている本を読むと、少しニュアンスが違う。その根拠となっている小谷真理さんの『テクノゴシック』(ホーム社、2005年)では、MALICE MIZERのMana様の映像を見て、「メイド服がメイドから乖離して流行したのは、Mana様の影響では?」と疑問形で書かれていましたが、その言及だけが独り歩きしてしまったように思えました。
そもそも、メイドブーム全体を見ている私からすると、「全然違うじゃん」というところもありましたが、この時代にメイド服を着ているのはどういう影響か、興味がありました。たまたま、新聞でメイド記事を検索しているときに、1997年のビジュアル系が取り上げられている記事に、Mana様が日比谷野外音楽堂のコンサートでメイド服を着ていたって記事を見つけました。では、どのコンサートかなってDVDとか写真集とかを色々探したんです。そしたら写真集でようやくメイド姿を見つけました。
嵯峨: どんなメイド服だったんですか? ロング?
久我: はい、ロングです。エプロンは白でした。でもそのイメージはどこからもってきたんだろうって、すごく疑問でした。
嵯峨: 私はマリスをそんなに見ていたわけではないんですけど、Mana様がメイド服を着ていたというのは、全然イメージになかったのですごくレアですね。びっくりしました。
久我: そのコンサート限りだったのか、映像は私が入手できる範囲ではありませんでした。
嵯峨: これはあくまで推測ですけど、ゴスロリ界にメイドブームの流れがきていたということでしょうか?
久我: ゴシックの盛り上がりと、メイドの盛り上がりの時期が重なっていたということがあったのかな、と思います。衣装ですから、その時に屋敷や何かがコンセプトとして取り上げられていたのかもしれません。しかし、ライブ全体を見られていないので、詳しく検証ができないのが残念です。Mana様自身はヴィクトリア朝の『吸血鬼ドラキュラ』などの吸血鬼モチーフでの表現もされているので、その流れとは思います。
嵯峨: ゴスロリブームの方からのアプローチがあれば、もっといろいろ分かるかもしれませんね。
久我: そうですね。私のメイド研究はまだまだ断片的ではありますが、今回「メイド通史」という形を取ったのは、こういった研究の叩き台のようなものになればいいな、と思ったからです。
今、メイドについていろいろ参照しようとしても、領域が広すぎるために分散していて、難しいです。でも個々の人が1から全部やれというのもおかしな話です。なので、この本をベースにして、広げたり、積み上げていったりしてもらえればな、と思っています。
【「執事」について】
嵯峨: 久我さんは、次は執事の本を書かれるということなんですが、ぜひ調べていただきたいな、と思っていることがあるんです。
実は少女小説には、執事ものってあまりないんですよ。でも、女性向けのコンテンツ全体では、執事ってすごく人気ですよね。『メイちゃんの執事』や『黒執事』などです。でも、活字の少女小説で執事というのは、全然思い浮かびません。執事が相手役というのが、全くないわけではないと思うんですけど......、そんなにヒットしてない。
なんでだろうと考えたときに、執事というのは、必ずもっと身分の高い人に仕えているわけじゃないですか。やっぱりその構造が、今の少女小説の人気ジャンルとして描きにくいからだと思うんです。
少女小説では、一番身分の高いヒーローとヒロインの恋愛、というのが、ストーリーとして好まれるのだと思います。
久我: 調べてみてわかったのは、執事は、作品数は少ないけれど巨大な作品が多いということです。『黒執事』『メイちゃんの執事』『謎解きはディナーのあとで』この3本が、大ベストセラーなんです。でもメイドはそれに匹敵する作品がないんですね。
嵯峨: 執事はたしかに、その3つが鉄板ですね。
久我: この3つはすべて、映像化していますよ。盛り上がりの要因には作品の魅力と、演じた執事役の男性がはまっていて、人気が高かったというのもありますね。『黒執事』は、声優の小野大輔さん、『メイちゃんの執事』の水嶋ヒロさん、『謎解き』は櫻井翔さんなどですね。
嵯峨: たしかに執事作品はメディアミックスがうまくいってますね。『メイちゃん』は、宝塚でもミュージカル化されました。私、観に行ったんですよ。宝塚ファンなので! 最初に情報が出たときは宝塚ファン的にはかなりびっくりという感じだったんですけど......。
久我: そうなんですか! 実は、宝塚も調べたかったんです。西洋の暮らしとかを表現する中で、劇はすごく大事なメディアだと思っています。宝塚の劇では、少女漫画と同じように脇役でメイドがちょこちょこ出ていたんじゃないかなって。
嵯峨: ああ、出てます出てます! で、衣装もやっぱりクラシカルな感じで。
久我: やっぱりそうなんですね。
嵯峨: 私も、今言われて、色々作品を思い出しながら、結構(メイドが)いるということに気づきました。
久我: 宝塚の本も、いくつか買ってみたんですけれど、ちょっとよくわからなくて......。
嵯峨: 宝塚のメイドは基本的に脇役ですからね。中心人物ではないので、どうしても主要キャストからこぼれ落ちてしまい、それを調べるのはかなり大変だと思います。
でも、久我さんにはありとあらゆるメイドの表現を集めたい、という欲望を感じます。
久我: はい。劇でも、漫画でも、小説でも、色々並べてみてわかることがあります。でも、やってみてわかったのは、1人では限界があるということです。そうなると、もうあとは人をどう巻きこむかということになります。
嵯峨: そうですね。私もそれに巻きこまれたいな、と思っています。
久我: ぜひ。人を巻きこむのは大切だと思います。そういう意味で、Twitterは面白いですね。本の中で、ある新聞のリストを載せました。「ある時期にこのメイド喫茶がこの新聞記事で取り上げられていた......」という感じのものですね。その時に、本当は2つ載っているべきところを間違えてひとつ落としてしまってたんです。そうしたら、それを指摘する人がいて。やっぱり自分が知っているものについては、そういう「言及されないこと」に気づくことが、読者の数だけあるんだろうなと思いました。
読者が知っていて私が知らないものが「5%」でも、それが積み重なっていったらすごいのだろうなって。
(第3回へ続く)
【対談者プロフィール】
ーーー久我真樹(クガマサキ)【@kuga_spqr】ーーーーーーーーーーー
1976年生まれ、東京都出身。広範な領域のメイドイメージをテーマとするメイド研究者(
ーーー嵯峨景子(サガケイコ)【@k_saga】ーーーーーーーーーーーーー
1979年生まれ。
東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。
専門は社会学、文化研究。現在明治学院大学非常勤講師、
単著に『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』(彩流社、