2013年のゲーム・キッズ

第十七回 ひきよせるマシン

渡辺浩弐 Illustration/竹

それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。

第17話 ひきよせるマシン

CONVENIENT

「おいで」

そんな声を聞いた。と思った瞬間、体が激しく前に倒れかけて、目が覚めた。

急ブレーキのせいだ。文句を言おうとしたが、運転席の彼女は凍りついたように静止してフロントガラスの先を見ている。その視線をたどり、俺はあっと声を出した。

確かここは駐車場だったはずの場所だ。そこに、見上げるほどに巨大な物体が出現していた。

こんなものを見たのは生まれて初めてだ。

崩れかけたデコレーション・ケーキのように歪んだ、極彩色ごくさいしきの物体だった。頂上部分にはミラーボールのようなドームがぎらぎらと輝いていた。表面はたえずうねうねと色を変え、点滅し、ところどころに宇宙空間のような光景を映し出しては消していた。

それは道路幅よりずっと大きかった。トラックやトレーラーで運んで来ることができるものではない。空から降りてきたとしか考えられない。宇宙船だ。と、俺は本気でそう思った。

幻覚げんかくではない。通行人もみな、珍しそうにそれを見上げていた。わざわざ足を止める人もいた。停車しているクルマも俺たちだけではなかった。

「おいで、おいで」

彼女の肩がびくんと揺れた。俺の幻聴げんちょうではなかった。彼女にも聞こえているのだ。

よく見るとその物体の脇腹に、ぽっかりと黒い穴が空いている。

「おいで、おいで」

声はそこから聞こえてくるようだ。そして、なんと、通行人のうち何人かが、そこにふらふらと入って行く様子が見えた。

「あれ、なんだろう

彼女は歌うような口調でそう言った。

「ちょっと、私、行ってみる行かなくちゃ」

待て、と、言う間もなく、彼女はドアを開けた。

この女は普段は俺のいいなりだ。こんな行動をとったのは初めてのことだ。好奇心をかきたてられるのはわかる。しかし、あんなものに近づいていくなんて普通ではない。遠巻きにやり過ごして、その正体はあとでローカルニュースかネットで調べればいいではないか。

道路に降り立つと彼女は振り返った。

「大事なことなのよ。ごめんなさい」

言葉ははっきりしている。しかし、なんだかおかしい。俺は彼女の目を見た。眼球が、わずかにゆらゆら揺れていた。

俺はおどろいた。違う。これは彼女ではない。別の誰かの目だ。

あの光のせいではないか。彼女は、今、あの物体を見つめているほんの数分のうちに、変わってしまった。もしかしたら彼女の肉体が、別の何者かに乗っ取られた、そんなことがあったのではないか。

「危」(危ないぞ、あそこに行ってはいけない、行くんじゃない!)

俺は手を伸ばしたが、彼女はさっと逃げ、ばたんとドアを閉めた。

後を追おうとも思ったが、あっという間に彼女はその物体に吸い込まれていった。

そこで俺は猛烈もうれつ睡魔すいまに襲われた。あきらめて力を抜き、シートに体を預けた。とりあえず、ここで待ってみる。そうするしかないだろう。

そして俺は眠ってしまったのだ。目覚めたのは、異変に気づいたからだ。

暑い。とても暑いのだ。そして息が苦しい。

彼女は、帰ってきていない。巨大物体はくっきりとその存在を際だたせていた。その全体から発散される光が、クルマの窓をつきぬけて入ってくる。まぶしい、と思った。こちらに向かって、俺を狙って放射されているようにも思えた。

クソ、と、俺はつぶやいた。大変なことに気づいた。

体が、動かないのだ。

やばい。そう思った瞬間、全身からどっと汗が噴き出してきた。

ものすごいスピードで、温度は上がっていく。

動きがとれない体がじりじりと熱くなっていく。

何かが起こっている。

彼女はどうなってしまったのか。そして俺は、どうなるのか。

暑い。熱い。息が詰まる。このままでは死んでしまう。頭が痛い。破裂しそうだ。目を見開く。これは現実だ。しかし、窓の外にはあの異様な、不思議ふしぎな物体。

俺は突然、理解した。やはり、宇宙人だ。これが、奴らのやり口なのだ。奴らは、そっと、気づかれずに、この世界に入り込もうとしている。誰にも警戒されず、一切の軋轢あつれきを起こさずに。

そのために奴らが使うのは、魔法まほうではない。テクノロジーだ。世界を破壊したり変化させたりするのではなく、その「意味」を変えるのだ。そして、自分たちがあたかも、最初から存在したように、装うのだ。

そこまで考えたところで、限界がきた。フロントガラスを這っていた虫がぽとりと落ちた。それほどの温度になっていた。酸素も、足りない。

白くかすんでいく視界の端で人影がゆらめいた。「おい、このクルマ見てみろよ、そこ、誰かいるんじゃないか」通行人が覗き込んでいるようだ。俺は助けを求めようとしたが、声が出なかった。

「おい、やばいぞ。口から泡を吹いている。すぐに救急車だ」「ドアを開けてやらなくちゃ。中は灼熱地獄しゃくねつじごくだぞ」「開かない。鍵がないと」「くそっ、運転手はどこだ」「きっとほら、そこに新しくできたパーラーに入って、時間を忘れて」「馬鹿ばか親が子どもを車内に置き去りにしてパチンコに熱中かよ」「ああ、かわいそうに赤ちゃん、けいれんしてる。119番したけど、もう手遅れかも」

視覚だけでなく聴覚も、意識も薄れ、やがて人々の声もわからなくなっていく。ああ、なんということだ。この俺が赤ん坊だというのか。いつのまにかそんなことに、そんな世界にされてしまったということなのか。

そんなはずはない。俺は、

俺は、俺は 

          ばぶー。