2013年のゲーム・キッズ
第十八回 10人調査
渡辺浩弐 Illustration/竹
それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。
第18話 10人調査
TEN COUNT
「あなたのことを大切に思っている人を[10名]あげて下さい」
……これは18歳以上の全国民に対して送られてくる調査票だ。
10名は家族でも、友人でも、誰でもいい。
ただしあなたが名を掲げたその人達には、あなたの名が告げられる。そして逆に、その人にとってあなたが、必要か不要か、○か×で答えるように求められる。どちらを選択したかは、もちろん知らされない。あなたにも、誰にも。
もし10人のうち5人以上が×をつけたら、あなたは削除される。すなわち、薬品投与によって、殺処分される。
大切と思っている相手から、不要と思われているとしたら、そんな人間に生きる価値などはない。この判断基準により、本当に役に立たない人、嫌われている人を、公正に判定して、排除する。世の中を良くするために、これはとても効率的な方法なのだ。
オンライン民主主義という題目のもと、様々な施策が生まれた。例えば全ての犯罪者の顔写真をネットで公開し、高額の懸賞金をつけることにより、警察の仕事が大幅に減った。全国民が刑事になったのだ。あるいは裁判を生公開し、判決に対してリアルタイムで投票できる仕組みが運用された。これで、全国民が陪審員になった。
この「10人調査」も、そうした流れの一環として、デジタル版の国勢調査のようなものとして、ひっそりと始まった。当初は大した話題にもならなかった。政治家や裁判官だって不信任投票で職を失うことはありえる。それくらいの認識だった。そもそも、自分のことを選んでくれた知り合いに対して×をつけるような人間がいるはずがないと、皆そう思っていた。
僕には身よりがないし友達もいないけど、それでも大丈夫だった。ネットのSNSで募集がかかっていた「11人会」というものに入ったのだ。その名の通り11人単位のコミュニティーで、必ず○をつけるという約束のもと、お互いに指名し合っていた。
この仕組みは、僕のようなひきこもり以外にも、普及していた。殺処分される人々についての噂が流れ始めると、むしろ身近な人の名を挙げるべきではない、家族や友人は最も信用すべきではないということを、多くの人々が知るようになったからだ。親友だと思っている相手が、陰ではひどい悪口を言っていることは多い。同じ屋根の下の家族が、密かに憎み合っていることもある。従来、殺人事件は親密な間柄で最も多く起こっていたではないか。
しかし、変化は突然、起きた。11人会に参加している人の中からたくさんの不合格者が出ている、つまり処分されている、という情報が流れたのだ。そういうところでも裏切りが発生し得るということがわかり、大パニックとなった。ほどなく、この形式は崩壊した。
それから、殺処分者の数がいきなり数十倍に跳ね上がった。
実のところ本当の理由はコミュニティーの崩壊などではない。誰かに×をつける快感を、誰もが知ってしまったからだと僕は思っている。
僕も忘れられない。知らない人の名前が初めて送られてきた時のことを。○をつけて送り返そうとしたが、ふと、×にしたらと考えた。その瞬間、心が激しくひりついた。こいつはきっとリアルな人間関係の全てを信じられなくなって、わらにもすがる思いで僕の名を書き込んだのだろう。僕は今この人間の生殺与奪権を握っている。そうだ、僕が裁けるのだ。
同時期に多くの人々がそんな快感を知ったはずだ。そして、欲望にあらがえず、片端から×をつけはじめた。見えない殺戮の開始だった。
他人の名に×をつけながら、人々は、自分だけは×をつけられない方法を、生き残る方法を、それぞれに、模索し始めた。例えば。僕なんかのところにも、毎年、お金を送ってくる人がいた。見ず知らずの人だったが、まさに、見ず知らずだからこそ、だったのだ。全くしがらみがない。ただお金をくれる。そういう人に×をつける理由はない。これはいい方法だ。
ところが、その金額が、ある年から激減した。資金が足りなくなってきたのだろう。僕はむっとして、×をつけることにした。すぐにその人は処分された。
近所に住むとある老人は、近隣を毎朝、掃除していた。あたりの人々はその行為に感謝していた。老人は毎回その一角の住民10人を選んで、当然のように○をもらっていた。正攻法だと僕は思った。マネをしてみようかとも。
しかしながらその老人は、ゴミを分別するふりをしながら各家庭のプライバシーを調べているという噂が流れた年に、殺処分された。
「私は誰に選ばれても○を返します」そんな宣言をする人が一時期は結構、いた。僕も当時はその人達の名前を使わせてもらっていた。
特に政治家やタレントの間で流行っていた。人気を得るための作戦だろう。ところがそういう人達が次々と殺処分されていることが報道された。そんなことをしたせいで、身近な人にも、見ず知らずの人にも、嫌われたのだ。すぐに、宣言をする人はいなくなった。
ネットは、人と人を直接つなげるものだ。そこで行われることは、従来の選挙や人気投票とは違うものだったのだ。
誰も彼もが、他人のことを調べるようになった。イヤな奴は、チェックしておく必要がある。そういう奴を選んでしまわないように。その作業は、ネットを活用し、他人と協力した方が効率的だ。街で、仕事場で、学校で、少しでもおかしなことをした奴を見かけたら、すぐさま掲示板に書き込む。そういう情報が蓄積され、イヤな奴リストが公開されるようになった。そこに名前がある人物から指名された場合は、躊躇せずに×をつける。つまりリストに入ったら、死刑を宣告されたも同然なのだ。
誰も彼もが、他人の目を気にしてびくびくしながら暮らすようになった。見知らぬ人にも、親切にする必要がある。街でちょっと肩が触れあっただけでも、土下座をするほど謝る。どこで誰が見ているか、どんなふうに書かれるか、わからないのだ。もちろん犯罪率は劇的に下降した。多くの人々が疲れ果て、部屋にひきこもるようになった。そして掲示板や投稿サイトをたんねんに調べ、他人のあら探しをし、何か発見があるたびにその事実をさらに誇張して投稿した。
処分者の数は増え続け、ついに全年齢において死亡理由の第1位となった。
そういえばこの「10人調査」を最初に提案した国会議員や、運用開始に関わった官僚は、既に全員、殺処分されてしまっている。このシステムに異議をとなえた人達の多くも、処分されている。今の時代、何か目立ったことをしてしまったら、それでもうおしまいなのである。
そして世界は、ずいぶん良くなった。みんな、幸せになった。僕にはそうとしか言えない、あたりさわりない言い方しか、できない。
その理由は、わかるよね?