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カテゴリ: 編集部より

記事カテゴリ:作品

51年間のエスケープ

 午後六時になり、野球を観ようとテレビをつけると、歌が聞こえた。

「朝昼晩と頑張る、私たちのーーー」

 放送視聴予約をしていたので、そのまま画面は野球放送に切りかわった。いつものように君が代が流れ、球審が試合の始まりを告げる。二回裏が終わり、点差が2×1に開いた頃、私はふと気づく。

 朝昼晩と私、頑張ってないーーー。

 私は51歳。無職だ。夫がいる。だから主婦と言ってもいいのだが、子どもがいない。子どもがいない夫婦は友だちの延長のようで、家事も遊戯みたいだ。井戸で水を汲んだり、川で洗濯をする訳でもないので、基本的に私はいつも暇だ。月曜以外はいつも野球を観ている。子どもの頃から野球を観るのが好きだった。結婚して西武線沿線に住むようになって西武ライオンズのファンになった。その当時、ライオンズは常勝軍団と呼ばれる程強かった。しかし数年後、チームは崩壊する。選手がばらばらに各球団に散っていき、私はその後ダイエーホークスのファンになった。新生ダイエーホークス、と銘打って、新聞にあぶさんの絵が載った時は漫画みたいだ、と思った。その頃、私は漫画家だったのだが、ほどけたライオンズのように漫画を描くことをやめた。胃炎だと思っていたのが胆嚢結石だったせいもある。死ぬことはないのだが、痛い。痛くなっては入院し、様子を見て退院する、というのを数年繰り返した。

 野球も好きだが、本を読むことも好きだった。大学に行って、もっと本を読みたいと思った。それで近くの大学に入学した。大学は五時には終わったので、私の野球(を観るだけの)人生は続いた。その頃はまだ王貞治が現役監督で、オーナーは中内功だった。いろいろとゴタゴタが起こり、オーナーは孫正義に変わった。秋山幸二は引退しホークスの二軍監督になり、工藤公康は巨人、横浜、西武と転々としていた。エース斉藤和巳が打たれて日本ハムファイターズが優勝した年、私の胆嚢結石に癌の疑いがかかった。別に胆嚢がなくても生活に支障は出ないということだったので、胆嚢摘出手術をした。検査の結果、癌ではなかった。3週間程で退院し、春になりオープン戦が始まり、また野球を観る毎日に戻った。エースは杉内俊哉に代わっていた。その頃から小説を書くようになった。なんとかなるかな、と甘い気持ちでいたのだが、全然売れなかった。

 でもまあ、大好きな秋山幸二がソフトバンクホークスの監督になり、小久保裕紀も巨人から戻ってきたし、特に不満に思うこともなく、夕ご飯の支度をしながら楽しく野球を観ていた。夜になると地下室の書庫で本を読んだ。猫は後ろのソファで寝ていた。時折本が出版されたが、やはり全く売れないままだった。

 CSでロッテに逆転負けした翌年の2011年、ホークスはとうとう日本一になった。ヤフオクドームに高く舞い上がる黄色い紙吹雪を秋山幸二は眩しそうにみていた。

 その後楽天の田中将大が活躍し、暫くBクラスだったソフトバンクホークスだが、2014年10月2日、マジックの点かない最終戦でオリックスバファローズに勝ち、ソフトバンクホークスは再び優勝する。サヨナラタイムリーを打った松田宣浩も泣いていたが、オリックスバファローズのキャッチャーの伊藤光も泣いていた。ピッチャーに出したサインを悔やんでいたんだろう。

 こんなにソフトバンクホークスのことを覚えている。あの試合、あの場面、驚く程クリアに、心躍る程リアルに。

 なのにどうしたんだろう。私、朝昼晩、なにをしていたんだろう? なにも覚えていない。私、なにも頑張っていない。

 私、なんのために小説家になったんだろう?

 私、なんのために書いているんだろう?

 そんなことは14歳の頃に考えておくべきだ。14歳なら許される問いだ。でも現実の私は51歳だった。そして今日も野球を観て、心はそのことで揺れている。私はだめな人間だった。私に外の世界はなかった。いつも自分のことでいっぱいで、なにも考えてこなかった。私は悪い意味で「中二病」だった。それもこれも14歳で考えなければならないことを先延ばしにしたつけだった。朝昼晩と頑張ってこなかった。人生における成功と失敗。許容と拒絶。私はそのことを悔やんでいるのではない。ただ自分がやるべき時に行動しなかったことを悔やむ。野球は私の人生の側面を彩ってくれた。選手はいつも頑張っていた。私はそれを眺めているだけだった。

「コーヒーはアメリカンでいい?」

 キツネの経営するコーヒーショップに行くと、いつものように気軽にキツネが話しかけてきた。私はここのコーヒーが好きだ。料理を作ったりコーヒーを淹れることは好きだが、上手にはできない。でもキツネの淹れるコーヒーはとてもおいしい。キツネには才能があるね、と私はいう。結構努力したんだよ、とキツネはいう。

「山から出てきてバイトして勉強してさ、頑張って覚えたんだよ」とコーヒーをドリップする。ここにも頑張っているひとがいる。キツネだけども。

「戦争が終わって日本の人口が増加した昭和40年代以降、森林は伐採されて僕たちは森から出なくちゃならなくなった。父さんも母さんもうまく順応できなかった。仲間たちは動物園に入ったり、殺されたりした。僕は生き残ることに必死だっただけさ」

 キツネは多分私と同年代だと思う。キツネの平均寿命が何年なのかわからないが、人間だって意外に早く亡くなってしまうひともいる。私よりずっと長く生きているひともいる。そういえば私のまわりで、何人かのひとがこの世界から去っていった。あっけなく、音もなく。手を振って、何気なしに「さよなら」といって、それきり逢っていないひとは一体どれぐらいいるだろう。

 あれ、と私は思う。

 この不安定な場所。約束のない世界。キツネの淹れたコーヒーはゆっくりと緩くなる。その境目はいつ?

 51年間のエスケープ。

 私が失ったもの。手にしたもの。それは関係ない。

 死んでいったひとたち。

 生きていくひとたち。

 みえない声を、バックスクリーンに消えたホームランボールを、私は夢みていたのではないのか?

 14歳から閉じた自分だけの世界で、永いエスケープの果て、私は初めて向き合う。

 なんのために書いている?

(written by 白倉由美



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