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カテゴリ: 編集部より

記事カテゴリ:作品

死刑囚

 私は死刑囚だった。

 死刑が確定してからというもの、私の許には宗教をほのめかす手紙が舞い込むようになった。

「この手紙に祈りの言葉を書いておきます。天使がいつもあなたといられるように」

 死刑囚になっても、私は信仰などもたなかった。なのに、いつのまにか、私のそばにはちいさな少女がいるようになった。白いワンピースを着た、髪の綺麗な少女だった。

 死刑囚というのは、いわば死ぬことが刑なので、毎日、特になにもすることはない。ただ法務大臣が死刑を言い渡す日を待つのみである。

「もうすぐ春ね」

 あどけなく少女はいう。その視線の先には柵のはまった四角い空がみえる。そこからは青い空や、銀の月、ある時はシロフォンのような雨がみえた。だが勿論私にとってはそんなこともうどうでもいいことだった。少女はただ私のそばにいるだけで、特になにもしなかった。聖書を読むとか、祈りの言葉を唱えるとか、そういうたぐいのことだ。

 私はずっと少女を無視していたが、ある日とうとう私はきいてしまった。

「あんたはいわゆる天使ってやつなのか?」

 四角い窓から光を受けて、少女の長い髪はきらきらと輝いていた。少女は枇杷の実のようなくちびるをひらく。

「そう思うならそうでもいいわ」

「いや、特にそうは思わない」

「死刑はこわくない?」

「そりゃこわいよ。でも仕方ないさ」

「ふうん……

 少女はワンピースの裾をひっぱる。

「私が死ぬ前に、私を改心させたいとか、思っているのか。心安らかにあの世にいけるようにって、あんたは何処からか遣わされたのか?」

「心安らかに死ぬひとなんていないのよ」

 そういわれればそうかもしれない。私はもう逢えることのない私の妻や子どもたちの思い出をたどる。私が死刑囚となり、私の家族と呼べる数少ない者達は世間という名の無数の「善人」に非難を浴び、名前も素性もかくして暮らす事になった。

 死刑囚となって数年が過ぎた頃、ようやく法務大臣が私を指名した。看守が私の名を呼び、腕や腰に縄をつけた。成長しない少女は私の後をひっそりとついてくる。

 寒い日だった。薄暗いその部屋には祭壇が置かれ、坊主が立っている。四角い印がかかれた場所の天井から、首くくりの縄がぶらさがっている。

「死刑囚だ! 私は死刑囚だ!」

 私は改めて、だが初めて切に思う。これから私は殺されるのだ。確かに私は罪を犯した。だが法律でひとを殺してもいいのだろうか? 死刑は果たして正しいのだろうか? そう思うことは私の偽善なのかもしれない。私は罪を犯し、裁判を受け、死刑囚となったからだ。私自身が選んだ末のことだからだ。しかし、今から死ぬ、というこの現実を私は受け入れることができなかった。身体が震え、呼吸は乱れた。こわかった。死ぬことが、こわかった。

「たすけてあげようか?」

 誰にもみえない、私だけの少女がいう。

「どうやって?」

「あなたが罪を犯す前の時間に、あなたを戻してあげようか?」

 私の心は揺り動かされる。その間にも私の首に縄がかけられる。壁にあるあのボタン。あれが押されれば、床はぱっくりと割れ、私は首に縄をつけたまま、落ちてゆく。

「どうする?」

 私は震えだす。こわい。死ぬのはこわい。死んだらどうなるのだ? 

 それは未知。

 誰も知らない。

 私は少女をみる。

「戻してくれ」

 私は少女に哀願する。哀れな道化のように。

「時間を戻してくれ」

 少女はくすりと笑う。その瞳が青いことに私は初めて気づく。

「死にたくないの?」

 少女は長い睫毛をふるわせる。

「こわいのね?」

「そうだ」と私はいう。死にたくなかった。

 

 ふと気がつくと、私は街を歩いていた。雑踏。こんなに大勢の人間をみることを私は忘れていた。人ごみに酔ったみたいに私は膝をつく。少女のいう通り、私は過去へと戻ったのだろうか。私はやり直せるのだろうか。

「あなた次第」とささやく声がした。

 そこに選挙の宣伝カーが通る。車の上ではあきらかにその思想を右傾化し、人々の支持を集めている何人かがマイクをもってなにか話している。壇上の人間がどういう種類なのかは私にはわかる。彼らはこれからの、私の子どもたちの将来を壊すようになるだろう。弱いひとを、より弱くしてゆくだろう。大勢の警官が甲高く警笛を鳴らす。その音に耳をふさがれ、私は立ち尽くす。

 次の政権を担うのはこいつらだ、と私は思う。それは許されない事なのだ。ひとは私を左翼と呼んだ。違う。私はごく普通の人間だ。職業を持ち、子どもを育て、税金を払っている。けれども私はいまの政治を憂いていた。私にとって一番大切なことは自由だった。すべてのひとはその自由を尊重されなくてはいけないと信じていた。でもこれからそういったことは蹂躙されていくのだ。そうだ。私は自由を守るためにこの右傾化したくずどもを……

「また殺すの?」

 いつのまにか少女が私の顔をじっとみつめていた。白いワンピース。長い髪。青い瞳。そして純白の翼が風にひろがる。

「あなたがこの人たちを殺したとしても、時代の流れにはなんの変化もおきなかったじゃない。それどころか、殺された方に同情したひとがふえて、この国はますます悪くなっていった。なのに、あなたはまた繰り返すの? あなたの死は犬の死よりも軽いのよ」

 私の自由。平和への願い。それは殺戮という形でしかあらわせないものなのか? と私は思う。この国の未来を憂うことは私を死刑囚へと導くだけなのか。

 子どもたちが私の前を通り過ぎる。この子どもたちが大人になる時代を思う。子どもたちの手に銃がにぎられ、そして命を落とすことを思う。それは許されない。私は間違っているのか? 誰か教えてほしい。誰かに導いてほしい。

 でも私は孤独だった。

 私は私自身でしかなかった。

 気づいた時、私は手にした包丁を強くにぎっていた。そして選挙カーに向かって駆け出していた……

 

 私の足許の床がぱっくりと割れる。私は宙に浮く。首に縄が食い込む。頸椎が折れる音が聴こえる。

「せっかく時間を戻してあげたのに」

 少女が微笑んでいう。柔らかな天使の微笑み。透き通った声。そっと死にゆく私にふれる、無垢な指。

「あなたは自分で死を選んだのね」

「そうだな」私は薄れゆく意識のなかで、喘ぐようにいう。けれど私は微笑んでさえいる。

「私は死刑囚なのだ。運命は変えられないんだ。人生は一度きりの選択でしかないんだ」

 少女は静かに消えてゆく。でもきっと少女なんかはじめからいなかったんだな、と私は思い、この世界にそっとさよならをいった。

(written by 白倉由美



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