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カテゴリ: 編集部より

記事カテゴリ:作品

僕のカナリア

 僕のちいさなカナリアが、ある日、かわいい女の子になっていた。掌の載るくらいのちいさな、ちいさな女の子に。彼女は金色の籠のなかで、きれいな声で僕にささやいた。

「あ、おはよう」

「うん、おはよう」

 僕は驚いて彼女をみつめる。彼女はちいさく頷く。

「ねえ、ねえ、ここからだして」

 栗色のショートカットの、目ばかりおおきな女の子だ。真っ赤なスイトピーのようなワンピースを着ている。

 僕は籠から女の子を取り出して掌に載せた。

「君は何処からきたの?」と僕はきいた。

「銀河の彼方からよ」くすくすと彼女は笑う。

「嘘だ。昨日、僕がこの籠に布をかける前に、この籠にいたのはカナリアだよ」

「カナリアの名前は?」

「トリコ」

「じゃあ、私がそのトリコよ。ねえ、コーヒーをいれて。フレンチトーストもね。あ、ジャムはたっぷりと。苺より杏のジャムがいいの。それからメープルシロップも忘れないで」

 ワンルームの狭い部屋のなかは、ミルクとバターの匂いでいっぱいになる。その間をコーヒーの苦いような酸っぱいような香りが漂う。

「コーヒーにミルクは?」

「あ、ブラックに決まってるじゃない。私、そんなに子どもじゃないもの」

 彼女はスプーンでカップのコーヒーをすくい、フレンチトーストの角を口に食んだ。甘いメープルシロップで、彼女のつるつるした肌がきらりと光った。ブルーのストライプの枕をクッションのように彼女は身を横たえる。

「あ、いい気持ち。日曜日でおひさまはたっぷりで、甘い蜜があって、ふわふわのベッド」

「ねえ、もしかしたら君は月からきたの? もしかして、かぐや姫? どんな罪をおかしたの」

 僕は指の先で彼女の身体をそっと撫でる。彼女はくすぐったがって笑う。

「罪はいまからつくるところ。ね、君も一緒に罪作りごっこをしようよ」

「どんな罪をおかすの?」

「うーん」彼女は小首をかしげる。その仕種はカナリアの時のままだ。

「やっぱり人殺しかな」

「麻薬の方がよくない? 初犯だったら執行猶予がつくし」

「麻薬はひとを壊すからだめよ」そういって彼女は僕の煙草を窓から棄てる。「睡眠薬もだめ。君、いつもこれで寝てるでしょ。私、みていたからわかるのよ」

「眠れないんだ。夜が怖くてね」

「どうして?」

「うーん?」僕はすこし言い淀む。

「なあに?」

「あのさ、パパがさ……」いままで誰にも話せなかったことを僕は口にする。

「実家にいた頃、夜になると僕のベッドにきたんだよね」

「おやすみをいいに?」

「うん。大きな手で僕の身体のいろんなところをさわりながら。黙って目をつぶっていなさいっていわれて、怖くて目を閉じていたけど、闇がね、追いかけてくるんだ。それから目を閉じるのが怖くなって、今はもう実家をでたけど、でもやっぱり怖くてね」

「君は男の子なのに」

「そういうことに男も女も関係ないと思うけど」

「あ、そうよね」

 トリコはじっと僕をみつめる。

「ごめんね。無神経なこといって」

「いいよ」と僕はいう。

「私もね。誰のかわからない大きな手でいつのまにかさらわれて、気がついたら籠にはいっていた。君とおなじね」

「うん。そうだね」

「寂しかった?」

「そうだな……。悲しかったな。自分は汚いと思っていた。汚されたと思っていた」

「君は汚されてないよ」

「うん……」

「ね、君はきれいだよ」

 トリコは僕の腕から肩にあがって僕の頬にそっとちいさな手を重ねた。

「一緒にお昼寝しようよ。やさしくしてあげるから」

「うん」

「私、いい匂いでしょう?」

「うん」

「ね、甘くて、おいしそうでしょう?」

「うん」

「ね、闇は怖くないでしょう?」

「うん……」

 気がつかないうちに僕は静かに眠りに落ちた。目が醒めるともう日は暮れていた鳥籠は空だった。


 父が死んだのは翌日だった。ラッシュの駅のホームに落ちたところに滑り込んできた電車に轢かれて死んだのだ。

「なにかを追いかけているみたいな目つきでした」と父の最期を目撃していたひとがいった。「そう、金色のカナリアみたいなちいさな鳥を……」

 金色のカナリア

 君は僕の代わりに闇に沈んだの? 

 もう僕の許には戻ってこないの?


 戻るわよ。

 くすっと笑うトリコのさえずりが耳を掠める。

 またいつか晴れた日曜にね。

 甘いフレンチトーストとコーヒーがあればね。

 だから僕はいつもミルクとメープルシロップを用意して、日曜の朝を迎えるんだ。

 君がおはようと、もう一度僕にささやくまで。

(written by 白倉由美



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