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カテゴリ: 編集部より

記事カテゴリ:作品

音楽

 演奏が終わった。暫くは静寂が続いた。そして鳴り起こる拍手。人生とはそういうものであるべきだと、当時の私は思っていた。

 私は十七歳で、未来というものをあふれる程持っていた。

 話をするのが得意で、面白いことや奇妙なことをいっては、相手が笑ったり、感心したりする表情をみては満足していた。

 月蝕をみるために集まったひと達で小高い山の上の草原は埋め尽くされていた。キンポウゲやヒメジョオンの咲く、気候の穏やかな日だった。私達は半分冗談、そして半分は幾分興奮しながら百物語をした。正確にはそれは百つの物語ではないし、すべてが怪談という訳でもない。ただのおどかしあいっこで、誰がその場の主役になるかを競っていたに過ぎない。そして勿論私が主役になった。私は得意になり、ひとつ話をする度にコーラの空缶のなかにいれられる百円玉を全部手にいれた。

 徹夜明けで表参道にいって、手に入れた百円玉でいつもは買えないような南国のフルーツの味のアイスクリームを食べた。それは青い色で、そのなかに色とりどりのジェリービーンズの砕いたカケラがはいっていた。アイスクリームは口のなかではかなくとけた。南の空の味だった。

「それ、おいしそう」

 いきなり後ろから髪をつかまれた。私は振り向いた。背のちいさく、華奢で、髪をツインテールに結った、目ばかり大きな女の子が立っていた。

「どんな味するの?」

 声がアイスクリームのようだった。

「あなたの声みたいな味」と私はいった。

「じゃあ、あなたの声も私みたいになるね」

 にっこり笑うと花が咲いたようだ。

「ねえ、あなた今、百円玉いっぱいもってるでしょう? 音がきこえるよ」

「音?」

「そう、いろんな音がきこえるの。私、アイドルだから」

 私はその子をじっとみた。確かにかわいいことはかわいかったが、テレビや雑誌でみたことはなかった。

「ねえ、なんかもっと食べようよ。私、食べながら歩くの大好き。インスタにもよく載せる。結構アクセスあるんだ」

「私、お腹空いていないし、これ私のお金だよ? あなたにはあげない。あなたのこと知らないし」

「あっ、地下アイドル差別! いま、嫌味をいったつもりでしょう? 許さない」

「でも私は帰るし、仕返ししようにも、あなたには私をどうにもできないでしょ」

「ふーんだ。身体を半分分けてもらうから」

「え?」

「ほら、こんな風に」

 彼女が手をさしのべると、その手はすっと私の身体の奥に入っていった。私は自分が映写機に映された影のように感じた。

「あなたがいつ、何処にいても、身体の半分はいつも私と一緒」

 そういって彼女は手を振ると、高級車ばかり通る表参道の道路を渡って向こう側に消えた。

 私は彼女がふれた心臓のあたりをつかんだ。鼓動がふたつ、きこえた。

 

 それから私は身体の半分を失ったまま生活するようになった。そのせいか学校で授業をきいても頭にはいらないし、ボーイフレンドとのセックスもうまくいかなくなった。このままでは大学にも受からないし、彼にはふられてしまう。放課後、音楽室で鎮静剤代わりの煙草を吸っているとがらりと扉が開いて音楽教師がはいってきた。私は慌てて煙草の火をピアノに押し付けて消した。

 音楽教師は流行らない銀縁眼鏡をかけた中年の男で、不快そうな顔で窓をあけた。

「煙草を吸う時は窓を開けるように」と音楽教師はいった。

「注意するところはそこじゃないでしょ」と私はいった。

「あなたの身体が半分誰かにとられたことですか?」と音楽教師はいった。私は驚いた。

「どうしてそれを?」

「みえますから」

 開け放れた窓から初夏の涼しい風が入ってきた。淡い緑の匂いがした。音楽教師はグールドのレコードをかけた。硬質なピアノの音が響いた。

「あなたが夢でみた男性を携帯電話で撮って、それを誰かのアルバムに貼るといいですよ」

 私は振り向いて音楽教師をみつめた。彼は意外に端整な顔をしていた。

「呪いをとくにはそれしか術がありません」

 私には呪いがかけられているのか、と思った瞬間、私を包んでいる世界が急に闇に落ちた気がした。私の人生は明るく、ひとびとの賞賛に満ちているはずだった。疑うことを私は知らなかった。

「あなたにはこの先、幾つもの呪いがかけられるでしょう」音楽教師は続けた。

「あなたという人間は決定的になにかが欠けているんです。あなたは凡庸でつまらない人間です。それは罪ではありませんが、その隙間に幾つもの呪いを受け入れる種子があるのです」

 身体の半分を失ったことよりも、その言葉は残酷に私を傷つけた。

「あなたは夢をみたことがありますか?」

 そして私は気づく。私はこれまで夢をみたことがないことを。それではこの呪いは永遠に私から離れることはないのか。私はふたつの鼓動を抱えたまま人生を歩いていくほかないのか。

 私の身体の半分から、ふと腐敗臭がにおってくるのを感じた。奪われた身体は果実のように腐っていく。

 私にはもう未来がない。呪いはとけることなく、私を生きたまま死者にしていくだろう。私は腐った半身を抱えながら、この先に続く道を歩いていかなければならない。

 涙がふと流れた。

 それは黄色く濁った膿で、私はそのにおいに胃液が喉からあがってくるのを感じた。

 グールドの音楽が、喉に粘つく粘液を清めるように流れていく。けれど私は穢れて、朽ちていく、ひとつの花だった。

(written by 白倉由美



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