編集部ブログ作品

2016年5月30日 15:07

月夜の神隠し

 月夜(つきよ)が神隠しにあったのは、数えで十三歳になった時だった。  

 確かにあの子はそういう感じのする子だったねえ、と祖母が独り言のようにいったけれど、勿論警察も、両親も、僕がいった「神隠し」という言葉を誰も本気にしようとはしなかった。  

 でも僕はみた。  

 大きな満月の夜のことだった。  

 夏の空は何処か果てがなく、しらじらと明るかった。僕は真夜中のコンビニまで、内緒でビールを買いにいったのだ。年齢がばれないように帽子を深く被る。僕は背が高いし、野球部で身体も大きいし、たいがいビールを買うことができる。

 コンビニは大きな池のある公園のそばになった。

 僕はビールを飲みながら、夏の夜を散歩した。なんといっても夏休みだし、まだ受験なんて先の話だし、僕は結構いい気分だった。

 公園にはちいさな鳥居があり、朱の門が、飾りのようにたっていた。そこに白い服を着た、少女達がいた。みな、髪が長く、華奢で、遠くからでもいい匂いがした。少女達は鳥居からでてくると、月の水面を歩いて渡った。そのなかに月夜がいた。月夜、と僕がいいかけると、月夜はふりむいて、くちびるに人差し指をあてた。しーっと、いうように。

 まるで空を飛ぶ鳥のように少女達は水の上を歩いて、ふっと水底に沈んでいった。

 ばらばらに切断された死体が、公園にまかれたのは、それから一週間経った頃だった。

 死体は指紋が削られ、頭部はなく、あきらかに複数の死体だったことから、世間では猟奇的な殺人者が現れたことでパニックになった。

 行方不明になった少女達の写真が公開された。どの少女も、うりざね顔で、目の大きな、髪の長い、美しい少女だった。

 僕は彼女達を何度もみた。

 夏の校庭で、ランニング中の坂道で、汗に火照った身体を休めるための神社のなかで。

 彼女達は楽しそうに花を摘んだり、アイスクリームを食べたりしていた。

 ある日、フライを取り損ねて、ボールを思い切り顔にあててしまった僕は木陰のベンチで横になって休んでいた。

 陽炎が、ゆらゆら揺れていた。

 月夜もそこにいた。

「ねえ、君、帰ってこないの?」

 僕は訊いてみた。

「私がいないくらい、たいしたことないじゃない」

 月夜はやさしく笑った。この笑顔、ひさしぶりにみたな、と思った。

 昔、神社の境内にはってあった「お狐様」に月夜が夢中になって、その絵にキスをした時の笑顔だった。

「お狐様」はきれいな女の人で、月夜は一目みた時から、その絵を気に入ってしまって、僕は夜中にこっそり月夜につきあわされて、神社にいったのだ。

 月夜はあの時みた白い服で、長い髪で、お姫様みたいに、綺麗だった。

「やっぱり神隠しなんだよね?」

 確認するように僕がいうと、月夜ははぐらかすようにうつむいた。

「どうでしょう?」

「じゃあ、あの死体って、月夜なの?」

 ふっと月夜は消えた。甘いオレンジの香りが残った。月夜がいつもつけているコロンの香りだった。

 月夜の姿は夏が終わるまで、何度もみた。それは幻のようで、儚い子どものようで、そしてみたことのない夢のようだった。

 ある日、神社で「お狐様」にキスしようとしているちいさな女の子がいた。

「お狐様にキスすると、神隠しに遭っちゃうよ」

 僕が話しかけると、女の子はびっくりしたようにふりむいた。それは幼い頃の月夜によく似た、面差しの柔らかい、かわいらしい女の子だった。

「キスなら僕がしてあげようか」

 僕がそういうと、その子はもじもじしていたが、ちいさく、うん、といった。

 僕はその子を抱きあげて、キスをした。月夜とは、キス、できなかったな、と思いながら。

 気がつくと、その女の子がぐったりとしているのに気づいた。僕はいつのまにか、その子の首を思い切りしめていたのだ。

 ごめん、ごめん、神隠しだったね。

 僕はそういって、バットをその子の身体に結んで、浮かばないように池に沈めた。

 月夜が神隠しから帰ってきたのは、その晩のことだった。

「神隠し、おしまい。新しい子がきちゃったの」

 月夜はいった。

「生け贄、捧げたからね」

 僕はいった。

「あなたって、残酷ねえ」

 月夜があきれたようにいった。僕は月夜を抱きしめた。

「それより、キスしようよ」

「人殺しとはしません」

 月夜はもう白い服を着ていない。真っ赤なミニのワンピースを着ている。

 あの女の子がみていたお狐様は月夜だったな、と僕は思い返した。やっぱり月夜は僕の許に帰りたかったんだ、と僕はすこしだけ大人になった月夜をみつめた。お狐様にキスすると、神隠しに遭うんだよ、いつか月夜が言っていた通りだった。  

 僕達はただ黙って夜空をみあげていた。星が動く音が聴こえた。  

 夏が終わろうとしている、淡い夜だった。