編集部ブログ昼の最前線
先週土曜日の朝方、悪夢と喉の乾きを覚えて目が覚めたのだが、思えばその時から既に風邪を引いていたのだろう。
しかし、自分を過信するあまり、土曜日には遠出して(前回のブログで書いた)、あろうことかすすめられるままに日本酒までぐびぐびと飲んでしまった。
いったい、風邪の初期症状には葛根湯が良いとされるが、般若湯(酒の異名である)を以て代用した場合はどうなるのか。
読者諸賢は私の例を以て試さずとも良いわけであるから、深く感謝すべきである。
ともあれ、風邪である。
子供の頃は身体が弱く、幼稚園の出席日数が危うかったことが私の密かな自慢の一つだが、長じてからは見かけほど身体が弱くないというのも新たな自慢の一つに加わっていたのである。
あくまで「見かけほど」ではあるが。
それが、この一二年はめっきりそんなこともなくなった。
見かけ通りの脆弱さを身につけ、「人は見かけによらぬ」から「人は見かけが十割」になってしまった。
嘆かわしいことである。
こうしてよく風邪を引くようになってみると、懐かしく思い起こされるのは小さい時分に臥せっている頃のことである。
少し熱が下がると、医者に本を読んでも良いと許可されるので、病床での友はずっと本であった。
その中で沢山大切な本と出会ったが、著者の幼少期を書いたものの中には、病気のことを書いたものもあり、随分感情移入しながら読んだ。
例えば、河合雅雄『少年動物誌』や北杜夫『どくとるマンボウ昆虫記』(どちらも敬称略)などがそうである。
奇しくもこの二冊には、病とその回復を経て、外界の自然に対する思索を深めていくという共通点がある。
もしかしたら、幼い頃の自身にもそういう偉いところがいくらかはあったかもしれないと思いたいが、残念ながら記憶にない。
そして、今はただ「風邪を引くと煙草が不味くっていけない」と思うばかりである。
嘆かわしいことである。