マージナル・オペレーション

01 第四章

芝村裕吏 Illustration/しずまよしのり

『ガンパレード・マーチ』の芝村裕吏が贈る、新たな戦いの叙事詩が今はじまるーー!

第4章 村と天使

イヌワシの君

今は出来る事をやろう。そう思ってやった事は、緩やかに曲がる山道を黙って歩くことだった。他にやる事は無いのかと自分でも思った。

まあ、村に着いてからが出番だ。僕はそう考える。

僕は最初、隊列の真ん中を歩いた。四方は警戒する兵士が油断無く歩いていて、僕はその真ん中を黙って歩いている。護送される様だと軽口を言いたかったが、彼らは実際護送任務として命令を受けているのかも知れないと思い直した。

「お加減が優れない様ですが、大丈夫ですか」

僕の隣を歩く、被り物をした背の低い兵士が僕を見上げて言った。変声期前の声だった。

被り物の奥から見る事が出来る瞳は、綺麗な色をしていたが、僕はそれについては何も言わず、自分の体調を思いやった。

「大丈夫。いや、不慣れなものですみません」

きっと周囲を珍しそうに見る様が挙動不審で体調不良に見えたに違いない。一方兵士は、僕の言葉にびっくりしている。

「不慣れ、ですか」

兵士にとって、その言葉はとても意外だったらしい。

僕は請負人達からどう思われているかについて考えた後、嫌な事を考えた。背広を着た三十のお姫様とそれを守る少年達という設定だ。

事実は限りなくそれに近いのだが、歓迎したくはない話だ。

「こうやって歩くのは始めてなんだ」

「確かに。イヌワシが地上を歩くのは、少し変です」

イヌワシという言葉には覚えがある。僕は被り物を被った兵士をまじまじと見直した。

兵士は視線に気づいて、急に恥ずかしそうに少し距離を取った。具体的に言うと十五cmほど離れた。それ以上は離れたくないようだった。

「そうか、君はイヌワシの君か」

「な、なんですかそれは」

「僕をイヌワシみたいだと言ったのは君だろう」

「は、はい。そうです。そう、です

何故照れると僕は思った。ここで不慣れを照れるのは僕の方だろう。あれ、どこかで間違えたっけ。

「僕はOOなんだ。普段は出歩かない」

「知っています。貴方はイヌワシが強く空を飛ぶ様に、状況を見ていると、皆言っています」

「そうだね。地図は鳥瞰図ちょうかんずという位だから、確かに。空を飛ぶ様にか、随分詩的な表現だな。どうしたの?」

「いえ、何でもありません」

TOKYOに置いて来た表現を借りれば、萌え死ぬか恥ずか死ぬ様な物を見た様な動きで、兵士は横を見てそう言った。声が上ずっている。

僕はかわいいなあと思った後、いくらもてないからって自分に少年趣味が出来たのかと、我ながら少し心配した。

この趣味が高じる前に、いや、挙動不審に見られても仕方ないので邪魔かも知れないが先頭を歩くオマルの横を行こうと僕は考える。

実際、そうした。

山道と装甲車

基地キャンプが山の斜面にあるんだから、当然といえば当然なのだが道もまた、山の斜面にある。遠くに見えるのも遠くの山の斜面という奴で、この土地は山と斜面しかないといっても誇張ではない。このままいくつか山を越え、長い斜面を降りて平地までいけば、ひたすら綿花畑が広がっているという。

一方このあたりは森もなく、山の頂に申し訳なさそうに残る雪のほかは、ただただ、地面の色が山肌を覆っている。

話によれば、これは高度が高すぎるせいらしい。

高度が高くなりすぎると、微生物が育たず、結果それと共生する多くの木々や植物は育たないという。

富士山と比較してこれらの山々が高すぎるとは思わないが、いずれにせよ水があるだけでは生物は育たないと言うわけで、僕は生き物というものは存在するだけで一つの奇跡だなと、ちょっと思った。

山の雄大さにして、生き物は芥子粒けしつぶのように小さい。というのは、目で見て分かる。実際少し離れると、人間など山の存在感の前に隠れてしまう。空気は綺麗で、今日は遠くまでよく見えるにも拘らずだ。

草木一つないというと大げさだが、草を探すのには一苦労するのが、この土地だ。木に至っては、見た事はない。だから風が吹けば、風の形がわかってしまう。砂が巻き上がるからだった。だからといって砂漠とは言えない。遠くの山には冠雪がある。

僕は遠くの山を見ながら、OOでモニターに地図を表示させた時にどれ位の倍率なのかを考えた。職業病だなと思ったが、想像力こそが村の出来事のような事件を減らすと僕は考えた。言い訳だけど、言い訳じゃない。想像力の欠如は人を簡単に虐殺者に変える。僕はそれを、今や良く知っている。

道を歩く。道を歩く。一体どれ位歩いているんだろう。

車で行けば簡単なんだろうが、この辺りは今はパトロールの範囲から外れてしまっている。僕が警備計画を立てたのだから自業自得だが、パトロールを兼ねて村までは歩いて移動する事になっていた。

車というのは便利だが、こと、見張りや防御に限っていえば歩くほうが断然いい。車の場合、手持ちのロケット一発どころかどうかすると小銃の乱射で中の乗員が全滅してしまう。散開した歩兵なら、そういう事はない。死ぬにしても一人ずつだ。

それで、警戒区域では歩いて行く。戦闘でも車に乗って戦闘するのは原則認められていない。

この国に来る時、一緒だった米軍の装甲車を思い出す。

もし装甲車があれば歩くよりずっと速く、車よりずっと安全に移動出来たろう。ロケット砲はどうかわからないが、機関銃の弾丸は防げるに違いない。歩兵の機動力は一気にあがるわけで、米軍が装甲車をこんなところまで運び込む理由というのも分かるものだ。

もっとも、このあたりの道の大きさはトラック何とか一台が走れるところ。運転手はきもを冷やしながら運転することになるだろう。

山に沿ってぐねぐねと、いつまでも道が続いている様は面白い。

ドンキー

もっとも、我々には装甲車はないがドンキーはある。

ドンキーというのはロバの事で、小さい割に力が強い生き物で、昔から荷物の輸送に使われるがいかんせん小さいので、馬のように乗って使われることはまずない。と偉そうに書いているが、これはオマルの受け売りだ。

現代のドンキーは小さなロボットカーだ。大きさは長さが一・五m、高さは一m。むき出しの足回りに独立した六車輪がついた、うねうね動く車だ。最高時速は十kmといったところ。足回りの上についた上物はごく簡単で、荷台しかない。

この荷台に戦術単位S、即ち分隊一つの直ぐには使わない装備や食料、弾薬を放り込んだり引っ掛けたりして運ばせる。そういう点では本当にロバだ。

分隊長はリモコンを持っていて、普段は追尾、即ちリモコンから一m半離れた場所にいるように常時動いて来る。正式な名前は分隊装備運搬特殊車両という奴だが、愛称は四本足の先輩にちなんでドンキーだった。

ドンキーは装甲としては使えないが、歩兵にはとてもありがたい存在だ。というのも、銃を持たない僕の場合、装備の全部はドンキーが持って運んでくれている。ドンキーがなければ山一つ向こうに行く前に息も絶え絶えになっているだろう。

ドンキーは分隊長であるオマルについて来ている。

彼が立ち止まれば立ち止まり、走れば速度をあげてついてくる。バックするともちろんバックしはじめる。

あの辺りの動きが大変面白く正確にいうと我が社に来てこちら一度も考えた事がない言葉だが、かわいい動きをしていて、僕はこのドンキーを気に入ってしまった。

思い起こせばドンキーを間近で見るのは二回目だ。一度目は訓練キャンプで、訓練が訓練で無かった事を知った日に見ていた。

ドンキーの動きを気にしている僕を見て、オマルは真面目そうに口を開いた。

「ドンキーはジャパンには無かったのか」

「無かったなあ。いや、あったのかも知れないが見た事はなかった。TVでも見た事はないな」

僕がそういうと、確かに米軍以外では運用に懐疑的かいぎてきだと聞いた事はあるとオマルは生真面目きまじめそうに言った。

オマルという男

オマルという人物はエルフからすればどうか分からないが、男性として、あるいは日本人だか人間として見るなら、中々どうして尊敬出来る人物の様に思える。

先頭を歩き、安全地帯であれば部下を教育する。お前ならどうすると尋ねたあと、ここはこうだと教えるのだ。ランソンも同じ様な事を僕にやらせていた。

その上で親しげに振る舞い、嫌味がない。

好感が持てるというか、誠実さを隠していない。この点でランソンとも違う。ランソンはかつて嫌な事があったのか、その尊敬出来る部分を、厳重に隠しているところがある。

相変わらず、山沿いの道を歩いている。行きはまだいいが帰りは退屈になるだろうなと僕は考えた。ドンキーは相変わらず、忠実にオマルの後について来ている。

「こういう事を聞くと非常に失礼だと思うのだが」

オマルは部下に小休止を与えながら、口を開いた。

僕は頷いた。この前振りなら個人的な事を聞くんだろう。

「前職は軍人でなかったというのは、本当だろうか」

やはりあのエルフ娘だけが、浮いているに違いない。僕は質問について考える前にそう思った。我が社だけではなく、きっとこの業界全体で他人を詮索するのはタブーなのだろう。

僕は質問とは違うところで微笑んで、一拍置いて質問に答えることにした。

「確かに間違いない。この格好の通りだよ」

オマルは驚いた顔をする。といっても、冷静沈着に見える彼のこと、目がわずかに開いただけだったが。

それにしても余りに驚いているようなので、僕は追加説明の必要に駆られた。この好ましい人物とは仲良くしたいと誰だって思うだろう。

「OOの多くは前職が軍人でないんだよ。僕だけじゃない。はっきり聞いたことはないけど、マネージャーのランソンくらいだよ。軍人あがりは」

僕がそう言うと、オマルは簡単に頷いて見せた。

「ああ、それは知っている」

知っているなら、わざわざ尋ねなくてもと僕は思ったが、オマルは別の考えを持っていたようでそのまま言葉を続けた。

「貴方の事だ。貴方が前職が軍人で無い事に、とても驚いている」

「軍人くさくはとても見えないと思うが」

僕は背広のえりを指で弾いてひらひらさせた。苦笑するオマル。

言葉を選び、口を開くのが分かる。

「指揮が本物だった。いや、多くの指揮官が、軍人が、理想としている指揮だった。だから驚いた」

オマルも驚いたかも知れないが、その言葉に僕も驚いた。

考え、頭をひねり、思い当たる節がでてこないかと頭を振った。

何も出てこないので口を開いた。

「そうなのか?」

「尊敬するには十分に」

短い答え。オマルは奇跡の一つでも見て来たような目で僕を見ている。

「貴方に尊敬されるのはとても嬉しいが、事実は先の通りだ。僕は今まで、銃を持った事もない」

「残念だな」

オマルは本当に残念そうにそう言った。

僕が謝るより早く、オマルは言葉を続ける。

「貴方がもっと早く、こちら側に来ていたらそれも民間軍事会社でなく軍隊だったら今頃勲章も階級も取り放題だったろう。そうならなかったのが、それがとても残念だ」

オマルは休止を終わらせた。僕は驚いた上でまた驚いている。

僕は有能なんだって?

山道というと、鬱蒼うっそうと茂る森の中を歩くイメージがあるが、この国、地方についていえばそれは全然あてはまらない。

山の斜面に作られた道をほぼ水平に、幾つもの山にも渡ってどこまでも歩くのが、この国での山道だ。日本の山道と比べればマイナスイオンは無いのが残念だが、蚊がいないのはいいところだろう。風景はどちらも綺麗だと思う。空は高く、翼を広げた猛禽もうきんが飛んでいる。ひょっとしたらあれがイヌワシかなと、ちらりと考えた。

僕は村につくまでずっと、オマルの言葉を考えていた。

おかげで弱音を吐かずに、着く事が出来た。あるいはオマルはずいぶん気を遣ってくれて、休止を多めに取ったのかも知れない。

それにしても、僕が有能だというのは想像もしていなかった指摘だった。ニートから小さなデザイン会社、一転して失業者で食うに困ってこの稼業かぎょう

正直、転落人生真っ逆さまだなと思っていた自分にとっては、予想外の、そして人生はじめての手放しの褒められ方だった。

とはいえ、青いボタンを押すのがうまいねと言われた様な気分で、正直にいえば嬉しく無いのかと言われればそういう事も無いけれど、でも誰でも出来るからなあという、そんな気分だった。

普通に考えれば、青いボタンを押すのがうまいねというのは、婉曲えんきょくにバカにしているようなものだ。オマルという人物がそれを言うから嬉しいのであって、案外全然別のことでも、オマルが褒めるなら嬉しいのかも知れない。

実際少し想像してそうだったので、僕は少し苦笑した。

どうやらオマルという人物を、僕は相当好んでいるらしい。

村への訪問

僕が行く村というのは、谷にある。基地キャンプのように電波の関係で斜面に作る必要がなく、人間は平らなところに住みたいと思うのが、やはり普通らしかった。

もう一つ重要な事がある、谷の底には水がある。

目に見える形での川は無いが、伏流水ふくりゅうすいがあって井戸を掘れば水が出るという。

見ればこの谷底には、他では滅多に見ない緑も少しある。山側、斜面では石を積み上げ、囲うようにして土が風に飛ばない様にして、畑らしきものを作っている。

棚田と思えば、日本との共通性も見える気がして、僕はつい微笑んだ。

平たい石を積み上げて平屋の家にしてあるのは、いずこも同じ。基地キャンプも多くが、そんな感じの建物だった。

「何故微笑む?」

「日本を少し思い出した」

「日本はこんなところだったか?」

オマルはそう言った。この人物は多分、在日米軍のどこかの基地キャンプで勤務したことがあるんだろう。あるいはランソンのように、トモダチ作戦に参加していたのかも知れない。

「ああいう畑、あるんだよ」

僕はそれだけを言って、オマルに付き添われて歩きだした。

オマルの部下の多くが、被り物をとり親しげに迎えに出てきた村人と再会を喜んでいる。

その顔立ちを見ている僕はびっくりした。女性たちだった。

兵士の少なからぬ人数が女性だった。大事なことなので、二回書いた。

「何を驚いている?」

オマルは目を剝く僕に言った。

まさか隣などを歩いておいて気づかなかったとか言えないと思った僕は、もっともらしい事を言う事にした。

「ああ、いや、イスラム教徒は被り物を取らないと思っていた」

笑って頷くオマル。

「確かに。でもまあ、中世じゃあるまいし、俺もターバンなどはかぶってない。近代化しているのはキリスト教徒だけじゃないぞ」

「それもそうか。いや、すまない」

僕が謝ると、オマルは首を振った。

「いや。貴方が言うと嫌味には聞こえない」

「ありがとう。実は僕もだ。君の言う言葉は、好ましく聞こえる」

オマルは白い歯を見せて笑った。

僕も微笑んだ。

見れば村長だか長老だかが白いヤギひげを蓄えて、二人の介助かいじょを受けながら歩いて来ており、僕とオマルは頭を下げた。

「何を笑って居られた?」

はじめましてより先に、ヤギ髭の老人は眼光鋭く、そう言った。

その目が青くて、僕は少しびっくりする。さらには英語を普通に操るのが、驚きだった。そりゃ僕が生まれる遥か前から英語は存在したんだから老人が英語を使えてもおかしくはないが。アメリカ人以外の老人が普通に使っているとびっくりする。

僕は畑を指差した。

「あの畑です。僕の故郷、ずいぶん遠い故郷にも、同じ様なものがあって、それが懐かしくて」

「中国人か?」

「いえ、日本人です」

老人はそうかと言うと、歓迎する。と言って歩き出した。

介助を行っていたうちの一人、立派そうな人物が、ようこそ、部族へと言った。

それが村の正式な呼び方らしかった。

部族について

部族の事を英語でトライブと言う。日本語に訳すと部族の他、民族と訳す時もある。僕はその時、トライブを固有名詞だと思っていた。

トライブの長は村長ではなく、部族長、というか族長というのが正確なんだろうが、僕は彼の事を村長だとばかり思ってそう接していた。

族長と村長の違いを意識するのは、もう少しあとだ。

村で一番大きな建物の中に入る。

広いとはいえないが十分な大きさの部屋に、十人ほどの男たちがあぐらをかいて円陣を組んで居る。僕とオマルも、その中に招き入れられた。

僕は出口に一番近い、家の末席だった。日本では普通客は上席を与えられるはずなのに末席というのは、変な感じ。

床には見事な敷物が敷いてあって、皆はその上に座っていた。テーブルらしきものはなく、明かり取りなのか、天井からつきでたペットボトルが、キラキラと輝いていた。ランプのように明るいが、ペットボトルだった。

最上座にあぐらをかいて座り、族長は口を開く。

「アメリカの使者というのは、お前たちか」

オマルを見れば黙っている。僕が話すべき部分のようだ。

基地キャンプの使いです。確かにアメリカに雇われています」

僕が正確に言うと、族長は頷いた。

「我々は既に少なからぬ兵を差し出している。この上何を?」

「いえ。何も」

族長だけでなく、多くの人間がちょっと驚いている。

では何で来たと言われる前に、ただ、友好をはかるためですと、言った。実際その通りなので、他に言うべき事も無い。

族長が口を開いた。

「友好をはかってどうする?」

「いえ、別に。しいていえば攻撃をしてくれないならそれで」

「我々は兵を出している。自分の部族の者を撃てるものか。不要な懸念けねんだ」

別の誰かが言った。それはそうかと僕は納得する。

英語をネイティブでしゃべるのはオマルしかおらず、オマルは黙ったままなので、やりとりに煩わしさというか、薄皮が一枚挟まっている感じを覚えつつ、僕は口を開いた。

「もちろん。心配していません。何か適当な理由が必要そうだったので、口にしたまでです」

「どういう事だ?」

「ですから、友好以外の目的も理由もありません。他の命令もなしです」

眼光鋭い男の一人が、仲間と顔を見合わせたあと、僕を見て言った。

「では、遊びに来た、で良いのだな」

「挨拶に来たのです」

「日本はそういうものなのか」

「日本だけなのか自信はありませんが、引っ越して来たら挨拶はします。担当が変わったり、仕事についたときも挨拶します」

僕が言うと、族長は少し笑った。それで、一気に場の雰囲気が変わった。皆が微笑んだ。そこが、族長と村長の差だった。権力というものが、絶対的に違う。

族長は言う。

「なるほど。日本にはウスタリがあるらしい」

「なんですかそれは。単語が分かりません」

僕は正直に言った。外国語で分からない事をわかったふりをすると大変な事になる。僕は一度、よく分からないままに頷いたらシャウイーにズボンを脱がされかけたことがあった。

族長は心持ち優しく言った。

「コモンセンスだ」

「常識、ですね」

僕が頷くと、オマル以外の全員が笑った。

「アメリカには常識がない。だが、日本には常識があるのが今分かった。これは大変喜ばしい事だ」

族長が本当に喜ばしい事の様に言うので、僕は思わず微笑んだ。

「挨拶が遅れてすみません」

「そうだな、遅かった。遅すぎた。だが来ないよりはずっと良い」

思慮深そうに、眼光鋭い男が言った。というか、この村の人物は、いずれも眼光が鋭い。要するに誰が言ったのか、僕は把握し損ねている。

別の誰かも口を開いた。

「ああ、ずっといい。食事を取っていくといい。スパゲティもどきよりは美味いぞ」

彼らは僕が思っていたよりずっと僕らの事を知っているなと感じた。

僕は笑って感謝した。すぐ帰るのも正直疲れる。休憩は欲しい。

族長は上機嫌だった。

「この間、私の孫がいる部隊を助けたのは、お前だな」

と言った。

オマルが、横から俺の分隊を助けた時の事だとささやいた。

僕は、あー。とうなずいた。

「いえ。僕だけでは正しい判断は出来ませんでした。助けを出す一方で、場合によっては降伏しても良いと僕は言ったのですが、それは正しくない判断でした。彼が、オマルのおかげでどうにかなったのです」

僕がそう言うと族長は破顔した。

「知っている。そこの軍曹にも感謝を。確かに降伏しないというのは重要で賢明な判断だ。だが危険をおかしても救出に入ったのは、お前の判断だときいた。勇者の行動だ」

あんまりきかない表現だな、まあ、エルフほどじゃないかと僕が思う間に、オマルが力強く頷くのが見えた。

「ええ。このニッポーズは私の恩人でもありますが、とても尊敬すべき男です」

僕が慌てる様な事を、オマルは言った。

族長は楽しそう。オマルと僕を交互に見る。

「軍人には見えんな」

「軍人の才能があります」

「英語はだから美しくない。勇者と言うのだ。戦士ではないかも知れないし、軍人でもないが、重要なものを持っている」

族長は楽しげに言ったあと、急に真面目な顔をした。

「しかし、客人よ。日本ではどうか分からないが、挨拶するのであれば、この地では贈り物を持ってくるのが習わしだ」

「食料なら大目に貰って来ました」

僕がそう言うと、族長は優しくうなずいた。

「いや、あのスパゲティもどきはもう十分だ。そうだな。今月の二十五日、夕方に改めて、挨拶に来るといい。それで友誼ゆうぎは結ばれたとしよう。贈り物はウォッカとまではいわぬ。バドワイザーで良い」

オマルが随分と怪訝な顔をしているので、僕は気づいて口を開いた。

「ああ、でもあの、宗教的に大丈夫ですか。お酒は」

族長は笑った。

「中世ではないのだ。それにわしの部族は、世俗派せぞくはだよ。ソ連が崩壊するまでは信仰も認められず、モスクも資材置き場だった。未だ、何もかも昔に戻ってるとは言い難い。これから戻るとも思わん。いいな。必ずバドワイザーをもってこい。出来ればそこのオマルも連れて」

「分かりました。かならず」

なんならウォッカも持って来ましょうかと言おうかとも思ったが、基地キャンプにそれがあるか自信が無かったので僕は頷くだけにとどめた。

族長の方が基地キャンプに詳しそうなのがなさけない。

オマルが背筋を伸ばして口を開いた。

「一つ、いいですか。何故、二十五日なのですか」

「新月の祭りだ」

族長は即答した。

僕は頷く。なるほど。お祭りに酒は必要だろう。分かりましたと、僕は言う。族長達は嬉しそうに笑ってくれた。

村での休み

族長と話と食事をした後、僕は合間を見つけて外を少し歩かせて貰った。案内としてついて来たのは眼光鋭いのは当然として、ターバンを巻いて短剣を帯にさした典型的なこの村の男だった。肩からアメリカ製とはまた違う形の小銃を下げている。

彼は族長の隣に座っていたし、僕を出迎える時に族長を介助していたので相応の立場の人だろうと思ったが、僕は特に意識をしなかった。

意識した事はないが、ランソンによると日本人は身分の上下に鈍感らしい。単に見分けがついていないだけじゃないかなと思ったが、実際そういうものかも知れない。

谷を降りる際に一望した感じでは、村を構成する建物は百位はあるのではないだろうか。

僕はその外れで、民家と棚田を見ている。正確には田んぼではなく畑なのだが、やはり日本を感じさせるためか或いは緑に飢えていたのか、どうしてもそちらに目がいってしまう。

青々とした葉っぱは、それがなんの野菜か分からないがうまそうだ。

太陽が傾きはじめ、日陰と日向の境界が日本よりずっとはっきりと地面に映っていた。

「何故畑ばかりを見る?」

ついて来た男が、端的に尋ねた。英語力は僕とどっこいどっこいらしい。

僕は親近感が湧くからと答えた。

男はそうかと言うと、手近な岩に座った。

「村を偵察するなら、もっと村の中心部に行ったらどうだ」

「そういう事をしないでいい様に、今日来ているんですよ」

そうやりとりした後、僕は彼の座る岩に背を預けた。

見れば我が社の社員らしい一人が、寄って来るのが見える。イヌワシの君だ。

顔と髪を隠す布を取り、僕を見た。肌の色は、シャウイーを思わせる。

女性で、眼光は鋭くはなかった。どちらかというと、ひどく幼く見えた。童顔といえばソフィア、あのエルフも幼いが、それよりもっと幼く見える。

我が社の年齢規定は大丈夫なんだろうなと僕は思ったが、本物のブラック企業である我が社にそれを言っても無理な様な気はした。

ともあれ、目の前の人物はどう見ても年齢的に軍隊経験者に見えず、OOはさて置きそれ以外はみんな軍隊経験者ばかりを雇う方針の我が社にしては珍しく見えた。何かあったのか、無かったのか。

童顔の兵士は僕を見て少しはにかんだ。

「ありがとう。ニッポーズ」

「なんの事ですか」

僕はそう尋ねた。

「お前は俺の娘を助けた」

隣から助け舟。もっとも船頭は岩の上に上がっている。

ああ、と僕はうなずいた後で、衝撃を受けつつ親子なんですかときいた。

頷くイヌワシの君。髪を短く切った姿は可憐で凜々しくもあるが、僕はどちらかというと痛々しく見えて仕方なかった。

イヌワシの君は言う。

「貴方の指揮で助かりました」

僕は苦笑する。今日何度この言葉を使うのだろうと思いながら、口を開いた。

「オマルのおかげだよ」

「皆、貴方がOOに就くと当たりだと言っています。他の部隊もです」

今日は良く褒められる日だなと、僕は思った。ただ、褒められる理由までは分かるが、その原因は分からない。僕が優秀な原因が分からない。

童顔の兵士は目を大きく見開いて僕を見ている。

「嬉しくないのですか」

「子供をオペレーションしていたと思うと、嬉しくはない」

僕はそう返した。自分が脱出する村人を撃つように命令した事を思い出す。あの時と何が違う。

「日本人はまともだな」

岩の上の船頭こと、イヌワシの君の父が言った。

僕はその言葉を無視して、イヌワシの君の顔をまともに見れなくなって、手で目を隠した。頭を抱える様に。

村を思い出す。

あの時と何も違わない自分に気づいた。何も知らないで、オペレーションして、いい気になっている。僕が優秀だって? 間抜けの間違いだろ。

「なんだって我が社はこんな子まで採用しているんだ」

人件費が安いからでは無いと、僕は思った。ケチだが金を掛けるところにはしっかり掛ける、それが我が社のはずだ。

自分の採用経緯を考えると時々不安になるが、それにしたって僕も何十人からかの一人として選ばれているはずだ。今なら必要性も分かるが、引鉄としての青いボタンを押すか押さないかで、ほとんどが脱落するような試験を僕は経験している。

「政治的な話だ」

兵士の父は言う。僕は手を少し動かして、兵士の父を見て尋ねた。

「戦争請負会社が政治に口を出すのですか」

「そうだ」

「色々な意味で終わっています。それは逸脱いつだつというものです」

兵士の父に非はないが、僕は怒りを隠せずにそう言ってしまった。

自分に腹を立てている。

我が社の政治的な動きを批判している一方で、まさしく政治的な動きとして、僕は自分でアイデアを出してこの村を友好親善目的で訪問している。

かつて同じ様な事があったんだろうと、僕は思った。理解ある上司とアイデアマン、それで十分。それで目の前の可憐な少女は兵士に仕立てあげられる。

状況が少し変われば、僕だって同じような事を言っていたかもしれない。ランソンの隣で、他人事のように無責任に。

そんな自分を想像して、僕は目の前が暗くなりそうな位には腹を立てた。自分の間抜けをごまかすために、世界中全部を敵に回さずにはいられない。

TOKYOからここまで遠くにきておいてなんだが、僕はこの会社を辞めようと考える。随分と遅かったが、今からでも気づいて良かった。さっさと辞めよう。

僕も、この会社も、この村も、この国も、アメリカだって狂っている。誰も彼もが無意識に、善かれと思って問題を作り、そして問題をこじらせている。

僕の目の前の兵士は、その結果だ。

もうまっぴらだ。

僕はそう思う。

自分がその片棒を担いでいるのに気づいてしまった。想像力の不足が無意識の悪意になり、悪意が連鎖れんさして世界が出来ているように感じる。

これ以上付き合ってたまるか。あの村の襲撃からずるずる会社に居続けたのは失敗だった。あの時自分が悪くない証拠を探そうなどと思わなければ良かった。

僕は肩を摑まれた。

我に返った。気づけば岩の上の男が、僕の肩をつかんでいる。

その娘は、兵士の格好で僕を心配そうに見て顔を近づけていた。

「憎しみで何もかもを壊しそうな顔をしている」

「大丈夫ですか」

親子にそう言われて、僕はすみませんと言った。

僕より彼らの方が、余程酷い目にあっている。そんな人たちに心配されたら謝るしかない。

「腹を立てていました」

「なんに?」

イヌワシの君の父は、静かに尋ねた。僕は声が震えぬ様に、唇を嚙んでから口を開いた。

「子供が兵士になる事に」

「日本人は本当にまともだな。それともお前か。お前がまともなのか」

僕が黙っていると、父は居住まいを正して、岩から飛び降りて言った。

「名前は?」

「父に教えてもいいですか」

イヌワシの君が、少女の顔で言った。真摯そうに、熱っぽく。

僕は頷いた。少女は背伸びして父の耳元に僕の名前を囁いた。

僕が自分の名前を名乗るのと、どの辺が違うのかは僕には分からなかったが、そんな何気ない動きに子供っぽさを感じて、僕は余計に心が泡立った。

「アラタです。お父さん」

「この国では暁という意味だ」

父はそう言った。

僕はニッタ、新田とかいてアラタですと言おうと思ったが、英語でどう言えばいいのか分からず、黙りこくった。

帰り道

帰り道は行きよりもいささか急ぐ事になった。

夕飯の前に基地キャンプに着く事を目指した訳ではなく、暗くなると危なくなるので急いだのだった。

最近は夜の方が敵の襲撃は少ないし、暗視ゴーグルは人数分ドンキーが運んでいたが、それでも足下が暗くなるのは移動速度の低下と転倒事故や落下事故の確率を増やしてしまう。

それぐらいなら急いだ方が、ずっといい。

明るいうちに基地キャンプにつかなくても、歩き慣れた基地キャンプの周辺までたどり着けば、随分と楽なものだ。

僕はOOの指示を受けながら移動した。当番からいってこの戦術単位Sをオペレートするのはソフィアだろう。

ソフィアの指示と表情を照らし合わせ、想像しながら歩くのは思ったよりずっと楽しいことだった。

今度ソフィアに、つっけんどんな態度だったことを謝ろうと考える。アニメの話でもしようと、僕は考えた。

今はTOKYOに置いてきた何もかもが懐かしく思える。家賃を払い続けてきてよかった。

隣を長らく黙って歩いていたオマルが、僕を横目で見た後、誠実そうに言った。

「長老達も、貴方の事を褒めていた」

僕は彼の心遣いに感謝した。TOKYOに帰っても、彼の事は覚えていたい。

「オマル、貴方も正しく評価されていると良いんだが」

そう言った。オマルは少し笑い、貴方の友人になれたらと思うと、心に沁みる事を言ってくれた。

「こんな場所で言うのはなんだが、君が友人なら本当に嬉しい」

僕はそう返した。オマルはひどく嬉しそうに、笑って頷いた。

握手はしなかった。

その様を、今や童顔の兵士に戻ったイヌワシの君が観察している。息を吞んだ。

何故息を吞むと僕は思ったが、その時はオマルの親切に心を洗われていた。友人というものは良いものだ。

襲撃

次の瞬間には、僕は派手に投げ出されていた。

イヌワシの君が、僕を押し倒していた。

反応する前にオマルが伏せるのが見えた。紙鉄砲の音がする。

以前ヘッドセット越しに聞いた音だった。

あれが本物の銃声だと気づくまでに、もう数秒掛かっている。

「敵襲だ」

誰かが言った。オマルかも知れないが、間抜けなことに自分の言葉だったかも知れない。ドンキーに銃弾が命中して嫌な音を立てるのが聞こえた。オマルを見る。オマルが手信号で指示を出しているが、僕には意味が分からない。僕を見て手を振った。もう少女にしか見えないイヌワシの君が僕を見上げてついて来てくださいと言う。道を横切る様に走って斜面に入る。僕も慌てて飛び出した。

ドンキーがオマルについて移動している。今斜面を降り出した。

これではオマルの位置を暴露するようなものだと僕は思ったが、ドンキーは銃撃を受けてひっくり返り、タイヤだけをむなしく右に左に動かしていた。弾薬や食料、ヘルメットが谷底に向かって散乱しだしている。

敵は取り敢えず目立つものを撃った感じだ。ということは、あまり賢くもないのだろう。僕ならそうしないと考えつつ、これ幸いに僕と少女は別の岩に飛び込んだ。オマルの姿は見えるが、敵は見えない。

敵は夕日を背に、より高い所から撃っていると推定された。

オマルが岩に張り付いて胸につけた無線のコールボタンを押している。

OOが指示を開始しているはずだ。丁度トイレ休憩とかしていないのなら、未だに指示はソフィアのはず。

僕は顔を出すのも怖かったが、これから出されるであろうソフィアの指示はもっと怖かった。同じOOとしていえば、ソフィアは僕以上に想像力がない。想像力が無いゆえに地図上は正しいが現場的には滅茶苦茶なことだって十分に押し付けて来る可能性があった。

だから、走った。

オマルと同じ岩に飛び込む。

「替わってくれ」

オマルは黙って頷いて通信機のレシーバーを手渡した。耳掛けのそれを付けて声を掛ける。

「ソフィア。状況は!?」

通信の向こう側では息を吞むのが聞こえた。今日は息を吞むのが流行っている。

「アラタ! なんでこんな所に」

「頼むから配置のホワイトボードぐらいちゃんと見てくれ。僕は今日村回りだ。一箇所しか移動してないけど。いやいい。状況は?」

しばらくの間、画面を見ている様子が感じられる。銃撃は止んでいる。敵は狙撃そげき銃のスコープで僕たちを探し回っているのかも知れない。

「攻撃受けているみたい。敵の規模は不明。どんな感じ?」

僕はソフィアの回答に失望した。それはさすがに分かっている。

少し考えて返事をする。

「狙撃だね。被害はない」

「敵の腕が良くなくて良かったね」

「そいつはどうも。援護に時間はかかりそう?」

「警戒しながら二時間くらい。急行で三十分だけど、多分ランソンは許可しない。罠を警戒している」

それは納得の範囲内だった。敵は前回の僕の行動を学習して、逆手に取ってくるかも知れない。いずれにせよ、二時間先では遅すぎる。僕は支援は当てにならないと結論づけた。今回戦術単位はS一つきりで、どうにかしないといけない。

「わかった。ありがとう。僕がいる今のマップコードは?」

「え?」

「君が見ている画面の右上、どの地図なのかのマップコードだ」

「マップコードM24E7」

「ありがとう」

通信を切って僕はオマルに通信機を返す。

自分がひどく緊張しているのが分かる。金玉が縮み上がって痛いくらいだ。汗をかいているのが分かる。これから同じ事をしようというのに、空調の効いたオフィスでの仕事とは随分と違う感じだった。

オマルが僕を見ている。

「OOの指示は防戦だが」

「支援は二時間後だよ」

僕はそう答えた。

オマルは神妙に頷いて口を開いた。

「暗くなれば闇夜やみよに乗じて動くことが出来ると、OOは指示をだしている。日没までは五十二分だ」

僕は頷いた。狙撃兵相手なら顔を出さないのが一番というのはキャンプで習ったとおりだ。ソフィアは教科書通りの選択をしている。

僕はオマルを見る。

「このパターンはどこかで一緒に見たね」

「ああ、覚えがある」

オマルは銃を確認している。僕は言葉を続ける。

「今度も同じだと思うけど」

「俺もそう思う」

オマルは頷いた。一緒に少し微笑んだ。

緊張している。下半身の感覚が全部ない。そりゃ漏れるよなと僕は思った。自分の金玉が、まだついているか確認したくてしょうがない感覚に囚われながら、僕はオマルの判断を待った。

今回僕はあくまで同行者。OOじゃない。

一秒が長い。この一秒はイヌワシの君の血が代価かも知れない。

「アラタ、貴方にOOとして働いて欲しい」

「機材がないよ」

僕は一応そう答えた。既に頭の中ではマップコードから周辺地域を思い描いている。

ここまでのやりとりは向こうも想定していたようで、オマルは静かに言った。

「機材が指示しているわけじゃない。それに、指示するのはこの分隊だけだ。コンピューターはいらない。昔通りだ」

僕は息を吐いた。あり得ないくらい緊張しているのが自分で分かる。

「弾が当たる距離での仕事ははじめてだ。期待しないでくれ」

「了解した」

僕は手で自分の汗をぬぐおうとして、それがひどく汚れている事に気づいた。袖で汗を拭いて、顔をあげる。青いボタンを押すイメージ。いつだってそれは同じだった。見えているか、見ようとしていなかったかの差、だけで。

僕はOOとして今から現れるであろう戦況予想を口にした。

「敵の狙いは捕虜だろう。狙撃で足止めしている間に別働隊が迂回して来ると思う」

オマルは頷いた。彼は僕ほど緊張していないようで、どこか他人事ひとごとの様に言った。

「もっと引きつけて撃てば良かったのにな」

僕は頷く。相手はミスをした。幸いだ。

「幸いな事に相手は戦争に慣れていない。あるいは、武装や頭数が十分ではないようだ。近距離の撃ち合いを避けているというべきだろう」

オマルが僕だけを見ている。童顔の兵士も、僕を見ている。おそらくは味方の皆が、僕を見ている。

オマルは言った。

「OOの判断は?」

「敵は少ないとは言え、僕たちよりは優勢なのは間違いない。これから村側に撤退する。道は通らないで谷底を目指す」

僕は即答した。それ以外にはないと思った。

「クレイジーだな。だが、分かった」

オマルは白い歯を見せてそう言った。

クレイジーというのはかつて僕がさんざん聞いた陰口の一つだったが、オマルが言うと、不思議に褒め言葉に聞こえる。

僕が笑うと、童顔の兵士が表情を険しくしてオマルに言った。

「アラタはイヌワシのような人です。狂人ではありません」

オマルは笑ったまま言う。

「大胆で無茶する奴だといったんだ」

童顔の兵士はその説明で頰を膨らませて引き下がったが、僕は別の事を考えていた。ひょっとしたら、クレイジーというのは陰口じゃなくて褒め言葉だったのかも知れないな。

クレイジーとは、日本語でいうヤバイ、の意味だったかも知れない。

だとしたら悪いことをしたと、僕は思ったが、今更あやまる事が出来る状況でもない。だから僕はただ、苦笑するだけにとどめた。

オマルが斜面を見て僕の指示を検討して言った。

「のんびりすると転げ落ちる可能性がある。谷底は夜が早い」

「そう。夜が早い。夜が来るのを一時間じっと待つよりも、歩いて夜を呼びにいったほうがいい」

オマルは頷いた。

「詩人だな。わかった。暗視ゴーグルを回収したい。あれがあるとないのでは大きく違う。あと、ドンキーを鹵獲ろかくされたくはない。B班、援護を」

僕は今にも走り出しそうなオマルの腕を摑んだ。

「ダメだ。オマル。どこにいるか分からない狙撃兵相手に援護射撃しても無駄だ。荷物は諦めろ」

「諦めがいいんだな」

オマルは僕の手をそっと退けながら言う。僕は食い下がった。

「人間相手なら諦めが悪い」

「わかった」

オマルはそう言うと手榴弾しゅりゅうだんを取り出した。マイクで部下に指示を出す。手榴弾を放り投げる。ドンキーの手前に落ちる手榴弾。ドンキーを巻き込む形で一緒に爆発する。

爆発は気圧を急激に変化させる。耳が痛い。何も聞こえないが、僕は視覚を頼りによたよた走り出した。

各自同時に岩から出て谷底に向かって走って行く。とりあえずは次の岩が目標地点だ。

ここからしばらく一方的に撃たれる展開だ。

こっちが撃ち返すとすれば、進行方向に敵が迂回に成功して行く手を阻んだ時だが、今のところその気配はない。

逃げると撤退

ともすれば逃げるというのは味方がばらばらになってしまう危険性があるが、オマルは見事に部下をまとめ上げて一人の脱落者も脱走者も出さなかった。やはり僕の評価が高いというのは人のいいオマルの気遣いで、僕は単純で簡単なアドバイスをしているだけのような気がして来た。

別に残念ではない。これが終わったら、どうせ辞めるつもりだ。

オマルが忙しすぎるようなので、僕は耳が普通通り音を拾いはじめたのを確認して、オマルの手伝いをする事にした。勿論、走って逃げながらだ。

「一部の班を預かる」

「C班だけでも頼む」

「分かった」

そんなやり取りをして僕はオマルの四分の一の部下を指示する事にした。班は四つ。そのうちの一つというわけだ。

C班と呼びながら岩から岩に走り出す。イヌワシの君が、可憐な少女が僕の隣に着いた。

「C班の班長です」

「名前は?」

「ジブリール」

何故か照れ臭そうに、童顔の兵士は言った。

「ガブリエルだね。天使の」

僕はアニメ作品を思い浮かべながらそう言った。

それは彼女のかんに障ったようで、彼女はちょっとだけ童顔の兵士をやめて可憐な少女の顔で言った。

「我々の神では、ジブリールです」

「すまない。ジブリール、この先、村よりに移動しながら谷底に降りていくと、地図上では斜面がえぐり取られて平地のような場所がある。僕たちはそこに撤退する。オマル達もそこに行く予定だ」

「この辺りは私たちの子供の頃の遊び場でした。でも、そこにえぐり取られたような場所なんてあ」

ジブリールは自分より年少に見える子供兵を呼びながら、思い当たった様な顔をした。

「どんな場所だい?」

僕は尋ねる。

ジブリールはどう言おうか顔を赤くして考えたあと、告白する様に言った。

「族長が言うには、悪いジン(精)が住んでいる場所です。だから私たちは、一度もそこにいった事はありません」

「分かった。でも悪いジンよりは銃を持った人間のほうがよっぽど悪い。少しジンに場所を貸してもらおう」

「わかりました。あの」

ジブリールは心配そうに自分を見上げる子供兵の一人を背中から抱きしめて考えている。

「なんだろう」

僕はスニーカーをもっと良いのを買おうと思った。足が痛い。血豆の一つもできているかもしれない。まったく腕時計と靴には金をかけるべきだろう。いや、仕事をやめようとしているのに何を言っている。TOKYOで一度でも靴に値段以外の事を要求した事があったか?

「夜を呼ぶために歩いて行くというのは、とても詩的で、素敵な言い方だと思います」

ジブリールの言葉に、そんなのどうだっていいだろうと僕は気が狂いそうになったが、思わず口を笑わせた。オマルといい、この子といい、人のいい奴に囲まれると、噓ばかりがうまくなる。

「ありがとう。だが取り敢えずは、生き残るのが先決だ。いいね」

僕は噓をつき倒すつもりでそう言った。

集まっていたC班の子供達とジブリールが頷く。

僕は夜の方向に向かって子供達を走らせた。

僕自身も移動を開始する。

ジンの住処

結局、普段の運動不足をたっぷり呪いながら走る事になった。

明日は筋肉痛だなと思いながら、僕は荒い息を吐いている。僕と違って五kg以上もある突撃銃を持っている子供達は、一方で元気なものだった。

子供達は僕を見て笑っている。僕も少し笑って見せた。

オマルでなくても、捕虜にはなれないと言うなと、僕は思った。

そのオマル達はまだ姿を見せていない。僕の三倍も統制する人数が多いので、まとめ上げるのに時間が掛かっているんだろうと、僕は見当をつけた。

一応無線で呼びかけるようジブリールに指示を出しつつ、すっかり暗くなったジンの住処を眺めようと目を凝らした。

彼らがジンの住処と教えられて来た場所は、どうやら古代だか中世だかの遺跡の様だった。今の村より余程立派な規模の建物群がある様に思える。様式は今の村よりしっかりした石積で、一部は今の村に建材が持ち運ばれたか、崩れていた。僕は倒れた十字架を見て、ここにキリスト教徒が居たであろう事を想像した。

何分にも古い建物が多いので、丈夫そうに見えてもいつ崩れるか分かったものではない。族長が子供達の立ち入りを禁じたのは分かる気がした。

見ればC班の子供達が寄り集まって、不安そうな顔をしている。

ジブリールはとりわけ僕の様子を窺っているようだった。

「余り、奥にはいかない様に。オマルとの連絡は?」

「もうすぐ、だそうです」

ジブリールが身震いするので僕は微笑んだ。勿論演技だ。実は僕も怖い。

「ジンは怖いかい」

「古い迷信です。神はそばにおられます」

「うん」

白い息を吐く。ジブリールと二人、ぼんやり自分達の吐いた白い息を眺める内に、オマル達が走って来るのが見えた。

オマルは挨拶するより早く、人員確認をしている。

オマルは僕に近づいて来た。

明かりはない。明かりは格好の標的だ。全ては暗闇の中、行われる。

「そっちは?」

「こっちも無事だよ。皆大丈夫」

オマルはそれを聞いて、ちょっと笑みを漏らした。

遺跡を見て僕に言う。

「この辺りまで地図を頭にいれていたとは」

「何度も見ていたからね」

OOの仕事の半分は地図を読むことだと、僕は思っている。

マップコードさえきけば、容易に思い出し、想像する事が出来た。記憶力だけはいいと、小さなデザイン会社に勤めていた時に言われていた事を思い出す。

ランソンが普段からトイレ交代要員として僕を使っているせいで、担当範囲がないのも効いている様な気がする。思えばこんな撤退戦も、ランソンとの雑談では良く出ていたケースだった。

僕はランソンに相当見込まれて鍛えられてきたらしい。

僕は苦笑する。三十になって言うのもなんだが、自分は何にも分かってない。若造という年齢ですらないから、その言い訳も出来ない。

これまでの生き方を間違えて来たな。

「敵はどう来るだろうか」

オマルの言葉に、僕は苦笑して返した。

「来ないと思うよ。敵は我々が夜戦装備を喪失している事を知らない。加えてこの地形だ。僕たちが待ち構えていると思えば、いくら戦争慣れしていなくても、攻めては来ないだろう」

「そうだな。さすがの判断だ」

オマルが頷く。

僕はこの時間の本物のOOの事を思い出した。

「そうだ。ソフィアに、OOに連絡しておいてくれないか。防戦しながらここに着いたと」

「報告はしている。貴方のプランも」

「ソフィアはなんて言っていた?」

「なんで谷底は夜が早いの? と」

僕とオマルは声を立てて笑った。

ソフィアの想像力の無さは筋金入りだ。

「んじゃ、救出部隊を待つか」

「了解した」

オマルが部下に大休止を与えているのが見える。

夕食は少し遅くなりそうだ。

大規模輸送

僕がそういう目にあったのはさておき、アメリカ軍による大規模輸送作戦は本日から行われていた。

今まで見た事もない規模の車列で、トラックが、装甲車が、運ばれている。実際どうか見て見たいと思ったが、僕はランソンに休む様指示されたあと、オマルと食事して、倒れる様にベッドに突撃していた。夢も見なかった。

翌日は満足に歩けないほどの筋肉痛で、僕は靴の新調の他、トレーニングを頑張ろうと考える羽目はめになった。

僕がよたよたと歩くのが余程面白かったのか、ソフィアは目を輝かせて僕の側について来る。彼女は今日、非番らしい。

「アラタ、面白い歩き方だよ」

「大丈夫。自分でも分かっているから」

ソフィアはそれで楽しそう。口に手を当てて音もなく笑っている。

僕はなんともこの娘は浮いているなあと考えた。

オマルが言うには、このエルフ娘は典型的なリベラリスト、民主党員らしい。

「敵が間抜けで良かったね。そんな状態なら、普通はもう七面鳥の様にバンバンとね、狙撃されていたはずよ」

僕が廊下を歩く中、隣でソフィアは銃を持つ真似をして言う。日本では人差し指で銃身の真似をするが、アメリカでは人差し指で引鉄を引く真似をする。そういう小さな違いに気づきつつ、今日はソフィアに付き合ってやるつもりだった。

何せ僕には引け目がある。ソフィアの指示を全無視で僕が指示したという引け目だ。もっともその辺が、ソフィアにどの程度伝わっているかは分からない。全然伝わってないのかも知れない。

「本当に敵が間抜けで良かったね」

ソフィアは僕の前に立ったり、後ろからついて来たりしながら、そう言った。僕を観察して笑っている。

根に持って嫌味を言っているんだろうかと考える。

いや、敵が間抜けな点については異論はないのだが。

見ればソフィアは僕の前で立ち止まり、半泣きの顔でなさけない僕を見ていた。

「でも、無事で本当に良かった」

口を手で隠し、涙目のソフィアを見て僕は自分の性格の悪さを反省する。鍛えるべきは肉体だけじゃないなと考えた。ようするに僕は、何もかも足りない。

「防戦しきれないで逃げ出した時、アラタが逃げ遅れるって、私思ったの」

その言葉で、昨日ソフィアがなんで防戦を指示したのか分かってしまった。

おそらく彼女は、僕が逃げ遅れると考えて防戦指示を出したに違いない。

おそらくはそうだろう。兵士の、子供達の事を全無視というか想像もせずに彼女は想像できる唯一の存在である僕を基準に作戦を立てたに違いない。

僕は得意げに作戦を指示していた自分が恥ずかしくなった。今日の自分の状況を見れば、ソフィアの判断の方が妥当に思える。誰だ僕を優秀だと言った奴は。

筋肉痛でへっぴり腰のままソフィアを見あげる。ソフィアは優しく微笑んだ。

「ありがとう、ソフィ」

「ううん?」

ソフィアはいい笑顔で微笑んだ。

「ソフィって私を呼ぶんだ」

「ソフィアの方がいいかい?」

「ううん、それでいいよ」

ソフィアはそう言うと、僕について食堂に入った。

一緒に食事する事になっている。今日ばかりは食事以外の事にも神経を割かなければならないだろう。

悪いジン

この基地キャンプのトイレは屎尿しにょう処理の関係で、別の建物になっている。

いわゆる仮設トイレという奴で、僕はもっとしっかりした奴を建てれば良いのにと常々思っていた。

バカにならない量の日々の廃棄物は、薬剤を上に撒かれて最終的には敷地内に埋められる。たまにその作業の匂いがオフィスまで流れて来る事があって、ソフィアならずランソンまでも顔をしかめるのが常だった。

さてそのトイレによたよたと僕が向かっていると、素早く僕に近づいて来る兵士がいた。

小柄で、被り物をしている。僕はジブリールだなとあたりをつける。

実際ジブリールだった。被り物の隙間から見える瞳は、とても大きく見える。

今までになく真剣そうな瞳。そして真剣そうにしていると、族長や岩の上の父によく似ている。被り物の下の口が、動く。

「アラタ、注意をしてください」

「何かあったのかい」

僕が尋ねると、ジブリールは左右を見たあと、背伸びして僕に耳打ちした。

「貴方が一緒にいたひとは、悪いジンの化身です」

「ソフィのことかい?」

「はい。多分」

ジブリールは今までになく真剣そうに言った。

僕は、悪いジンというよりリベラリストの妖精だろうと思いつつ、ジブリールの言葉を待った。

ジブリールは被り物の上から自分の両耳を引っ張りながら言う。

「耳が、尖っています」

可愛らしい断言に、僕は苦笑した。

分かった。本人には重々注意するように言っておくよと、僕は答えた。

戦況と輸送

翌日にはどうにか足が笑わなくなった。勤務に戻り、ランソンから、やはり体を鍛えたほうが良いなと、小言を言われた。

僕ははい。と答えたあと、辞表を胸ポケットに収めたまま、席についた。職場になるだけ迷惑をかけぬよう、どこでこのカードを切るかを慎重に考えないといけない。英語で辞表をどう書くか物凄く困ったのは秘密だ。

相変わらずのパイプ椅子で、僕はトイレ交代要員だった。あるいは副官という配置なんだろうが、オマルの言うことなのでどこまで本当かは分からない。

それにしても静かなオフィスだった。僕は観葉植物を眺めた後、オフィス全体を見渡した。

このオフィスだけは日本にもある、普通のオフィスに見えなくもない。

ランソン課長とその部下十一名というところだ。常時二名は休みをとっている。だから部下の総数は十三人になる。

手持ちのタブレット型モニターを見て輸送状況と警備状況を確認する。我が社有数の一大プロジェクトであるこの輸送作戦は、この地域に展開するアメリカ軍の少なからぬ量の物資を輸送するという。

輸送があるということはそれだけ前線に軍があって、軍の動きがあるということで、知らされてこそないものの僕は大規模な軍事作戦があるんだろうなと考えた。南のイランか。北のロシアか。あるいはイランに行くと見せかけて、アフガニスタンかも知れない。

不意にランソンが話しかけて来た。

「敵は仕掛けると思うかね」

「思います」

僕は答えた。例によってランソンの教育大会だと、僕は考える。

僕はもう辞めるよと思いつつ、付き合う事にする。ランソンの期待と優しさはわかる。ランソンは即答した僕を見て満足する様に深く椅子に座り直した。

「何故だろう」

「アメリカ軍と正面切って戦うよりは補給線を断つほうが現実的だと思います」

「そう。そうだ。問題はいつかだな」

ランソンは思慮深そうに考える。僕は僕で、考えた。

どうあれ辞表を出すとすれば、この作戦の後ということだろう。問題はそれがいつかだ。

「何度か敵が、捕虜を取るのを目的として動くのを見ました」

「知っている。一昨日もそうだという結論だったな」

「はい。同じ奴らでは無さそうでしたが」

ランソンは微笑む。

「捕虜が欲しいのは何故だと思う?」

「お金か情報か、政治的な交換か、その辺りだと思います」

「どれだと思う?」

「情報でしょう」

悪くない答えだったようだ。ランソンは微笑んだ。

「だろうな。敵は我々より先に、近々米軍に大きな動きがあると結論づけたに違いない」

ふむ。とランソンは考える。何かに考え至ったようだった。

意味もなくモニターの上で流れる輸送段列を見ている。僕も手持ちのモニターを見た。

「そして実際に補給作戦が始まった。状況は動いた。敵は次にどう出るだろう」

僕は考える。一日の輸送量は膨大で、四tトラック千台を超える。

おおよそ二tの物質で戦術単位Cはまる一日動かせるから、それを考えるだけですごい規模の軍事作戦なのだろうと想像出来た。

これだけの輸送を行えば、誰がどう見ても状況は理解できるだろう。

僕は口を開く。

「情報を得る段階は終わりました。次は次は、攻めると思います。輸送を邪魔するでしょう」

微笑むランソン。

「クリアな状況だ。いつ攻めるかな」

僕はランソンを見た。

「準備出来次第だと思います。ランソン。出来るだけ早くです」

「そうだな寡兵かへいなら軍事的には他に選択肢がない。出鼻ではなくじくのが最善だろう」

ランソンはそう言って微笑んだ後、席を立った。

「悪くない判断だ。マネージャーになれそうだな」

なるつもりなんてありませんよと僕は心の中だけで答えながら、ランソンを見る。ランソンは席を立って、歩き出していた。

僕はその背を視線で追った。

「どこかにいかれるのですか?」

「敵が攻めるとすれば準備出来次第だろう。取り敢えずは寝る。あとは任せた。アラタ、君が臨時マネージャーだ」

ランソンは手をひらひら振って去って行く。

僕はランソンを見送った後、パイプ椅子の上で腕を組んだ。

僕が辞めようとしているのを察知したんじゃなかろうな。

再び村へ

僕とランソンの読みは外れた。

三日経っても四日経っても邪魔は来ず、その間に輸送はどんどん進んでいる。谷底に車が転落する様なことは一度もなく、片側一車線による交通渋滞と交通整理が、さしあたっての仕事だった。

楽だといっていいだろう。このまま僕が辞めるまで何も無ければいい。

敵はこの規模の大きさに恐れをなした可能性も考えた。

そうしてそろそろ十日になる。カレンダーは二十四日。

補給は軌道に乗ったのか、話によればアメリカ軍はついに動き出したという。

僕はというと今日に至るまで休憩時間は本格的にジム通いしており、仕事するかジムにいるかの日々だった。それで、なぜか最近機嫌の悪いソフィアからはマチズモねと、認定されてしまっている。もっともジブリールは、健康なのは良いことですと言っている。

天使に妖精、遺跡と来て、ここは随分ファンタジックだなと益体やくたいもない事を考えた。あまりにくだらないので、結局口には出していない。

明日は二十五日になる。族長に祭りに招待された日だ。

報告自体はランソンにしてあって再確認をしたところ、あっさり許可が出た。ただ人手不足のおり、部隊単位での護衛はつかない。

それはそうだろうと僕は納得し、オマルとジブリール、あとC班の子供達と一緒に、村に出掛けることにした。

移動は夜中、暗視ゴーグルをつけて、だった。

これまで夜襲は全然なく、だからこそ夜に移動するという算段だ。

初めてつけたが暗視ゴーグルという奴は中々軽量で、目が飛び出して見える間抜けな所以外は、まずまずという使い心地だった。

赤外線ではなく、星の光や月の光を増幅してよく見える様にする物らしい。だから名前はスターライトゴーグルともいう。そういえばどこかで、そんな説明をする漫画を見た気もする。

明るい基地キャンプは暗視ゴーグルで見るなよとオマルに言われ、僕は振り返って肉眼で基地キャンプを見た。暗視ゴーグルであの光を見ると、ブレーカーが落ちてしまうらしい。

思えば新月の前の日だ。月があんなにも細く削られている。

僕は基地キャンプを背に、じゃあ行こうかと歩き出した。

ジブリール、眠くないかいと歩きながら声をかける。

子供じゃありません。大丈夫ですと非難するような小さな声を聞いて、僕は満足して歩き出した。

気づけば僕にはオマルという、友人が出来ていた。ジブリールと言う、小さい友人もいる。

思えば、この業界でまともな人間関係を築いたのは初めてだと思う。

ソフィアの場合はまともじゃない。どこか歪んで、奇妙に相互依存している。

僕はソフィの事を考える。不承不承ふしょうぶしょう付き合う体でいて、僕はソフィに構ってやっていることで優越感を持っていた。

上から目線だな、何様だと、僕は自分を思う。ソフィが可哀想だ。

いや、ソフィが可哀想だというのも、上から目線だな。ソフィは強い。知らない、気づかないせいかも知れないが、ある意味僕よりずっと強い。可哀想と言うのは失礼だろう。

こっちに友人が出来てはじめて思った。僕は優越感や可哀想とか、そう言うのではない向き合い方をしたい。誰に対しても。

だから、いつかはソフィとの関係を見直さないといけないだろう。

それにしても、学生時代の友人達、小さなデザイン会社にいた頃の同僚たちは、僕に黒人の偉丈夫いじょうふで軍隊上がりの友人が出来たと聞いたら、どんな顔をするだろうか。

それを考えたら、ちょっと笑えた。

新月の祭り

のんびり歩いて日が昇るか昇らないかで僕達は村に着いた。

挨拶し、族長やジブリールの父にバドワイザー四十八本を納め、それで一室与えられ、そこまで案内されて夕方近くまで眠りこけてしまった。祭りというのに残念だが、最近年齢というものを感じてしまう。いや、頑張って身体を鍛えよう。

経験や思慮が若造のままで、肉体だけ衰えていたら悲劇としかいいようがない。

窓から漏れる黄色くなった太陽光で目を覚まし、ネクタイを締め直し、背広の上着を着て襟を引っ張る。鏡が無いから確認は出来ないが、まあまあ、普通の格好だろう。

外に出る。眩しい。傾いた陽の直撃を受けている。

建物の陰に入り、村の様子を見る。何事も無い日常。子供が畑仕事を手伝う様は微笑ましくもある。だが、祭りは無かった。

しまった、祭りを見逃した。そう思い、僕は自分が祭りを楽しみにしていた事に気づいて驚いた。

思えばこの仕事に就いてはじめて、観光っぽいことをする予定だったのにと、僕は悔しい思いをした。もっとも、この日の睡眠は随分よかった。適度な運動と十分な睡眠は人を幸せにするかも知れない。

ともあれ、残念だ。

僕が肩を落としていると、オマルがやって来て隣に立った。建物に背を預けて腕を組んでいる。

「何故か残念そうに見えるが」

「子供っぽいといわれるかも知れないが、いや実のところ祭りを楽しみにしていた」

「残念そうに楽しみにするんだな」

オマルは感嘆して言った。

僕が言葉の意味を考える間に、オマルは背伸びする。

「そろそろ祭りが始まるな」

「なんだって?」

「新月の祭りなんだから夜にやるに決まっているだろう」

その発想は僕には無かった。ともあれ僕は喜んだ。望外ぼうがいの喜びだ。

オマルは難しい顔をして、日本人の喜び方は難しいもんだなと言った。

そうして、夜が来た。

僕もうきうきしていたが、それは村全体がそうだった。

村が、沸き立っている。

あちこちにかがり火がかれ、火の番が付く。かがり火が燃え移ると大惨事なので、かがり火の場所も、足元の水の入ったバケツも、厳密かつ厳重におかれている。

大きなかがり火の炎は強く、顔を近づけるとすすけるから余り寄るなと、ジブリールの父に言われた。

まるではしゃぐ子供をたしなめる様で、僕はそれが、いささか恥ずかしかった。

祭りが始まる。月のない夜の下、満天の星を天蓋てんがいに置いて、地上にはたくさんのかがり火。

楽しげな楽の音こそないが、楽しげな人々が一斉に繰り出し、食べ物を振る舞い出す。

祭りだ、祭りだ。

僕は周囲を見渡した。音楽はないがリズムはある。リズムの上で詩吟しぎんがある。意味は全然分からないが、誰かが詩吟をしていて、僕はそれが音楽だと思うことにした。

地味だった村が、一斉に派手やかに変わる。変わるのはそこに住む人々の衣装が変わったせいで、民族衣装なのかとても色彩豊かで緻密ちみつな模様の入る衣装を皆が着ていた。

僕が楽しそうにしていると、ジブリールの父が眼光を弱めて僕を見た。

笑っている。ヤギの乳に血を混ぜた飲み物を勧める。僕は一気にあおる。アルコールは入っていないのだろうが、血のせいか頰が熱かった。

顔をしかめず飲めたのは、暗くて器の中に何が入っているか分からなかったせいだろう。

「やはり、お前は常識人なのだな」

ジブリールの父は楽しげに言う。僕の返事を待たずに彼は、そうだ、と言って見知らぬ綺麗な少女を僕の前に連れて来た。綺麗なレースを頭と肩に羽織った、目鼻のはっきりした美人だった。

「ジブリールだ」

「えぇ?」

僕の驚きは今は美少女のジブリールの憤慨ふんがいと、その父の大笑いを同時に引き出した。

悪いジンにたぶらかされすぎですと言うジブリールの言葉と、まだ笑っている父の双方を見て、僕はどうしたものかと考えた。

いや、女は変わるものだと言うのは、敗残の弁だろう。

「ああいや、余りに違ったので驚きました。とても綺麗です」

自分でも怪しい言い回しと思いながら、やはり敗残の弁として、そう言った。ジブリールの父は息も絶え絶えといった様子でまた笑いだした。その娘というか、本人はそっぽを向いた。

祭りが、盛り上がり始めている。

今頃仕事しているソフィアは、これを見たら何と言うだろうか。

僕はかがり火のゆらめきのような人々の動きを見てそう思った。あるいはシャウイーはどうだろう。仕事をやめたらあの国に寄って、あの売春宿を訪ねてもいいかも知れない。ドレスの一つでも贈って日本に帰ろうと、僕は思った。

「踊りがあればいいのにな」

と、僕は言った。

ジブリールの父は脇腹を押さえながらいくらなんでも笑いすぎだろうそう言っているぞと、ジブリールに言った。

ジブリールは僕を見て、何故か目を伏せて、踊りは室内でやるものですと言った。

なるほど、と僕はうなずいた。ジブリールの父はまた笑っている。なぜだかひどく楽しいらしい。

「アラタ、俺の娘を嫁に貰わんか」

不意にそう言われて、僕は目を見開いた。

不意に気付く。ああ、冗談か。冗談には冗談で返してやりたいが、いかんせん英語力が不足している。

「僕は歳を取りすぎています。年齢差がありすぎます」

と、真面目に答えた。ジブリール本人の様子を窺うほど度胸は無い。というか、正直にいえば、僕はリアルの少女というものにさほどの愛着を持っていなかった。いや、持っていたとしてもダメだろう。いろんな意味で。

「何、女が若ければ子供は丈夫だ。気にするな」

と、ジブリールの父は言う。

目が笑ってない。僕は背筋に衝撃が走った。ヤギの血以外の理由で僕の顔が赤くなっている。

ジブリールを見たら負けの気がする。

僕はそれ以外を見ようとして、走ってくるオマルを見た。

「オマル、どうした?」

「やられた。基地キャンプが攻撃を受けているぞ」

冗談かと言い返したかったが、オマルの人柄はよく知っている。

僕はジブリールの父に目礼し、ジブリールには大丈夫だよ。祭りを楽しんでおいでといって慌ててオマルを連れて目立たない所へ移動した。

祭りの陰で

祭りからも、かがり火からも離れて僕とオマルは、これ以上にないほど深刻そうに立ち話をした。実際これ以上に深刻な話も、なかなかない。

「規模は?」

「敵の規模は分からない。二十分前からだ。アラタ、貴方はどう思う」

僕は夜風に当たりながら考える。かがり火から離れれば、急に寒くなる。おかげで頭を切り替えるのに苦労がいらなかった。

「嫌がらせではないな。本気の攻撃だと思う。規模は空前の規模。相当綿密めんみつに作戦と準備をしているようだ」

僕の言葉に、オマルが息を吐く。感嘆しているように見えたがよく分からない。

「見えている様に遠くの事を言う。今まで貴方に助けて貰ったから信じるが、どうしてそういう判断を?」

「敵は今まで夜襲をしかけて来なかった。その慣例を破るに足りる情報を得ていたんだろう」

基地キャンプの方を見るなよ。僕は暗視ゴーグルをつけて基地キャンプから離れる時のオマルの注意を思い出した。

夜でも基地キャンプは明るいのだ。向こうのOO相当は、具体的な偵察や情報を集めた上でオペレーションを仕掛けて来ている。それだけでも、相当な脅威だ。

僕は口を開く。

「ウチもバカじゃない。前例があればすぐに対策を講じる。よって敵から見れば基地キャンプ攻撃で奇襲効果があるのはこの一回きり。だから一回で最大の効果をあげる規模を揃えてくるだろう。大方、戦力を揃えてくるせいで時間が掛かり過ぎて、今頃の攻撃になってしまったんだろう」

僕は敵を想像する。

敵は大所帯で話をまとめるのに苦労しているんだろう。これまでも、大枠はともかく細部では敵の行動パターンにはばらつきが見えた。

装備も数もばらばらな、独立性の高い集団が今回複数集まっているのは間違いない。それで時間が掛かり過ぎてしまっている。

しかし時間が掛かり過ぎ、結果攻撃タイミングが遅過ぎたせいで、基地キャンプへの奇襲効果は高くなってしまっている。アメリカ軍の動きを止めるという意味では、戦略的には今のタイミングの攻撃は失敗だろう。だが戦術的には、虚をつくことに成功している。

いってしまえば全体としては意味のないがんばりだ。

だが、攻撃を受ける基地キャンプに知り合いがいる身としては、その事実で心が休まるわけもない。

僕はソフィアやランソンを思って唇を嚙んだ。ソフィアがひどい目にあうという想像をしただけで、僕はすでに衝撃を受けている。

オマルが僕の横顔を見ている。深刻そうな顔だ。

「我が社は勝てると思うか」

そう尋ねてくるオマル。僕は顔をゆがませた。

「分からない。基地キャンプが攻撃を受けたのは予想外だが、予想外になった理由は、頻繁ひんぱんなパトロールに加え戦力が集結しているからだ。基地キャンプを落とすのは容易ではない」

問題はそれが分かった上で敵が仕掛けているという事だ。

だから今の段階では、なんとも言えないと僕は言った。

ソフィアの事を考える。

ひどい目にあってくれるなよ。

「これからどうする、アラタ」

オマルの言葉で、我に返る。ソフィの事を考えすぎても事態は良くならない。僕は全体の中の自分を考える。

「戻りたいが、今から行っても間に合わないし、行っても戦力的な意味はないだろう」

「自分もそう思う。だが、あそこにはかわいい部下がいる」

「僕にも友人がいる」

「貴方がOOならどうする?」

オマルの言葉に、僕は青いボタンを押すイメージを浮かべた。命令ではなく、自分の意思でこのボタンを押すのは二度目だなと考えた。

この事態は、敵が間抜けという事まで見通せなかった自分のミスでもある。どうにかしたい。

僕は顔をあげた。心配そうな民族衣装の少女が一人、壁に隠れながら僕たちを見ている。

「ジブリール、どうしたんだい?」

「あの、着替えて来ましょうか」

「大丈夫大丈夫。お父さんを喜ばせておいで」

僕はそう答えた。ジブリールは顔をさらに隠して言った。

「アラタが喜ぶ方が大切です。父もそう考えています」

「大丈夫、今から戻ったりはしないから。動くにしても明日だ。お父さん達にはあとで僕から説明する」

ジブリールは考えたあと、口を開いた。

「私に黙って、基地キャンプに戻ったりはしませんか」

「やらないよ。すぐ戻るから、待っていて」

そう言って返したあと、僕はオマルを見た。

「OOならどうするって? 僕がOOならやることは一つだ」

僕はそう言った。

「君の無線、貸してくれる?」

襲撃と脱出

修羅場しゅらばと言えば、これ以上もないであろう修羅場に、どう言葉をかけるかは難しい。

僕は無線機を前に一分ほど言葉を考える。

結局、必要最低限を伝える事にした。

「こちらアラタ。オペレーションはいつでも出来る状況にある。なんなら言ってくれ」

遠くの銃声。紙鉄砲とはまた違う、力強い音。連射式だなと僕は考える。

「アラタか。そっちは無事なのか」

ランソンだった。僕は少し落ち着いた。まだやりようはある。

「肝心な時に基地キャンプを離れていてすみません。こちらは無事です」

ランソンはそうなのかと不思議そうに言ったあと、急いで状況を説明する。

基地キャンプは半分くらい占拠されている。今は各建物にこもって銃撃戦をしている最中だ。向こうは手榴弾をばんばん投げ込んで来ている」

銃よりも手榴弾の方が余程有効だろうと僕は想像しながら答える。窓から投げ込まれる手榴弾は、脅威だ。

「良くない状況ですね」

「控え目に言うな。君も」

ランソンはしばらく黙った後、僕に言う。

「君がOOならどうする?」

「即座に撤退します」

僕は即座にそう答えた。他の基地キャンプの状況は分からないが、援軍がそんなに簡単に来るとも思えない。

ランソンはため息。

「このオフィスは爆破されるだろう。管制能力が喪失する」

「持ちこたえられなくても同じ結果になりますよ。人的損害のおまけつきです」

「味方の一部はすでに逃げ出しているようだ。どれくらい統一指揮できるかは分からない」

「お金貰って仕事している身ですからね。とはいえ、日本では不幸中の幸いと言います」

「日本語は不思議すぎて分からない」

ランソンの言葉に、僕は苦笑しかける。

大丈夫。いける。

「各兵士のマーカーはまだ見れますよね。脱走兵の動きを見れば、正解の逃げるルートがわかりますよ。うまく逃げ切った、つまり動き続けているルートが正解です。それに追随してください」

ランソンの笑い声。

「アラタ、君は思ったよりずっと優秀だな。素晴らしい軍事的才能がある」

「そんなのはどうでもいいですから。ソフィ。ソフィ、きいてる? 部屋の隅で震えてないかい。立つんだ。うまく逃げないといけない」

立ち上がる音がする。音を立てて近づいている。今、マイクを取った。

「バカにしないで。震えては居ないわ。自殺するかは迷ってたけど」

「それだって君には似合わないよ。僕が日本に帰ったら君が見たいと言ってたアニメ送るから、がんばれ」

「ばか」

ソフィアの泣き声が、耳朶を打つ。彼女が死んだらその声がずっと耳に残りそうで、僕は嫌だなと考える。助けないといけない。なんとしても。

ソフィアは声を震わせながら小さく言った。

「一緒について行っていい? 日本に」

「秋葉原の案内位はできるよ」

僕がそう答える。沈黙。遠くの銃声。

オマルが天を仰ぐのが見えたが、僕にはその意味を考えるだけの余裕が無かった。

「なんとか生きて貴方を引っ叩いてやる」

ソフィアの宣言が聞こえた。

なんで僕が引っ叩かれるのか想像も出来なかったが、僕はその問題をとりあえず棚に上げる事にした。今日のところは遠くて高い棚だ。

「まあ、それでもいいから、がんばれ」

僕はそう答えると、頭の中から基地キャンプとその周辺地図を引っ張り出した。

最近逃げると退避ばっかりだな。

ジブリールの父

無線機の電池がなくなるまで指示を出すつもりだったが、そこまでやらせては貰えなかった。ジブリールの父と族長が、連れ立って来たからだ。銃を持つ部下までいる。

僕はオマルに無線機を任せ、彼らの元に向かった。

「お祭りに顔を出せず、すみません。基地キャンプが襲われています」

僕がそう言うと、族長は知っていると答えた。ジブリールはうまく説明したらしい。

「それで今、連絡を取って居るところです」

「百人ほどが統率を取り戻して撤退を始めたときいた。上手い指揮だ、非凡な指揮だとな」

「あれ、なんでそれを知っているんですか」

ジブリールの父が、僕に銃を向ける。

僕は自分が間抜けなのは良く把握していたが、間抜け故に銃を突きつけられる意味が全然分かっていなかった。意味が分からないから危機感もない。そんな感じだった。

族長はジブリールに似た目元を感嘆するように開いて、ゆっくり説明する。

「大した度胸だ。そう、非凡な指揮だと聞いて、孫から聞いた一人の勇者を思い出した。距離が離れていても、まるでその場に居るかの様に指揮をする男の話だ。その名前は、ここの言葉で暁を意味する」

「遠く引き離したのにな」

ジブリールの父が、族長に続けてそう言った。

間抜けな僕にも、ようやく意味が分かった。ランソンが不思議がっていた意味も分かった。

この村もグルで攻めて来ていた訳だ。なるほど。と、僕は考える。

もっとも、分かっただけで他はない。幸いな事に指示は粗方だしている。僕は今から手をあげて降参のポーズも間抜けだと考えて、じっとしていた。それはそれでまた、間抜けな様な気もする。

族長は言う。

「なんで知っているかだと? そもそもお前が襲撃されない様に呼んだのはワシだ」

「ジブリールが襲撃されないように、ではなくて、ですか」

「あれはもう、ウチの子ではない」

僕が顔をしかめるのを見て、ジブリールの父がにやりと笑うのが見えた。

ジブリールの父は言う。

「まあ、そういう訳だ。アメリカが憎いのは、この村だって同じだ。アラタ。お前は捕虜にではなく、客人として預かりたい。協力してくれ」

「オマルは?」

僕はそう聞いた。オマルはアメリカ人だ。

ジブリールの父は満足そうにうなずく。合格だと、言うように。

「大人しくするなら、同じ様に扱う」

僕は手をあげるか迷った。

「分かった」

結局、手はあげなかった。