編集部ブログ作品
2018年6月18日 15:12
ニワトリの巣箱
- 作品 | 白倉由美の「死ぬ話」
私は団地で生まれ育った。百八棟もある大規模な団地で、学校も病院もスーパーマーケットもあった。私はかなり大きくなるまで、具体的にいえば高校に入るまで、ほとんど団地以外のひとのことを知らなかった。団地は基本50平米に満たない2DKで、両親(ひとりしかいない家庭もあった)に兄妹がたいていふたり、それに祖父母も同居していることが、割と普通だった。それがいまでいういわゆる「貧困」に近いことに気づいたのは高校に入学して、二ヶ月目のことだ。「団地」ではない、「一戸建て」の、庭に大きな犬のいる友だちのうちに集まったとき、そのなかのひとりが私に向かっていったのだ。
「団地って、迷子にならないの?」
その言葉に「団地」以外の友だちはくすくす笑った。
「だって、団地ってニワトリの巣箱みたいじゃない?」
あ、他人からみると「団地」に住んでいるってはずかしいんだ、と私は初めて思った。思い返してみれば、私が小学校に入学した時は学年にはクラスは10あったのだが、卒業するころには4クラスしかなかった。おなじ「団地」に住む、幼なじみの男の子は「一戸建て」の家に引っ越して、転校していった。そんなふうに6クラス分のひとが「団地」を棄てていった。そして残された私たちは、巣箱に住むニワトリだとくすくす笑われることになった。
「でも僕はね、子どものいない親戚の家にもらわれるはずだったんだよ」
高校三年生になった初夏、初めて男の子の家でふたりきりになったとき、彼はいった。彼の家はマンションで、部屋は勉強机とベッドでもういっぱいなほど狭かった。並んでベッドにすわっているのが、すこし気恥ずかしかった。
「僕には兄と妹がいるでしょ。だから真ん中の僕がね......。まあ、その話はうやむやになったんだけど」
そのころ、私はまだこころのなかの気持ちを言葉にすることができなかった。彼もそうだったと思う。おたがいになにを打ち明けているのか、どう感じてほしいのか、わからなかった。ただなんとなく寂しくて、自分には欠けているなにかがある、という感情が、私と彼を結びつけたのだと思う。
けれど私たちはあまりにも幼く、どうこころを埋めあっていいのかをみつけられなかった。私は彼をなぐさめられなかったし、彼は私を満たしてくれなかった。
まだ十七歳だった私は「団地」という巣箱で迷子になっていた。そして私の両親は私を巣箱に閉じ込めようとしていた。こんな言い方をすると親にむかって、と思われるかもしれないが、彼らにとって私は自分たちの将来の「保険」だった。私が高校を出て、働きに出て、家にお金をいれる。数年後、妹もそうする。そうなれば、もう自分たちは働かなくていい。そう思っていた。子どものころから感情を抑えつけられていた。だから初めての恋をした彼にもやさしくできなかった。抱きしめられても、信じられなかった。私のこころのなかに温かみというものがなかった。私のこころのある一部分は死んでいた。
どうせだめだ。
一生、巣箱でたまごを生み続けるんだ。
そのたまごを誰かが搾取していくんだ。
被害者のまま、終わっていくんだ。
生まれてきたくなかった。
その考えは思い上がりだ、と教えてくれたのが、後に夫となるひとだった。
私は高校のころから誰も知らないようなマイナーな雑誌にイラストやカットを描くアルバイトをしていた。そこで彼と出逢った。彼は編集者で、私に漫画を描いてみないか、といった。
私はすこしぼんやりした。それまでの私は明確な意思というものを持ったことがなかった。それは両親やまわりの大人たちからかたく禁じられていた。
漫画を描く、ということは「物語る」ことである。語ることは、意思だ。死んでいる私に無理だ。
でもそのとき、私は生まれたのだ。どうしてなのかわからないけれど、この道は続く、と思った。それはかすかな光だった。けれど強い、こころを揺さぶる気持ちだった。そして私は決めた。「団地」をでよう、と。両親の許から離れよう、と。
「漫画を描きます」と私はいった。「描き方を教えてください」
「結構つらいかもしれないよ」と彼はいった。
「君は努力ということをしたことがないでしょう。だから死んだ目をしているんだよ。そんな人間にはなにもかけないよ」
そういいながらも、彼が私に漫画を描けといったのだ。道を開いてくれたのだ。私は信じるということを初めてしった。初めてのことが多いのはまだ十代だったからか。しかし人生は一度きりであり、繰り返さない。私たちはいつでも「初めて」経験し、二度と戻れない。
彼は厳しかった。私は何度も泣いた。漫画から小説へと形はかわった。でもやめなかった。ひろい世界にいきたい。なにより努力したい。あなたは私なんか努力していないというかもしれない。そう、もっと努力しているひとは大勢いる。私には才能なんかない。でもそれをいい訳にはしたくなかった。失敗もした。まちがいもおかした。他人を傷つけた。けれど私にとって、努力しない人生なんて、死んでいるのとおなじだった。もう戻りたくない。「団地」には帰らない。故郷なんて、いらない。
いま振り返って、私は成功しているとはいえないだろう。でも、生きている。
生き残ること。
それは自分で選ぶことだ。
それはある意味では傲慢なことかもしれない。選ぶことのできない人生だってある、と。そうかもしれない。平和な日本。戦争も、民族浄化もない。それだけでも恵まれている。けれどまだなにかをさがしたい。もっとずっと遠くにいきたい。こころの旅は続いているけれど、もう寂しくはない。こころは温かい。
私は、生きている。