編集部ブログ作品
2018年2月20日 00:06
水辺の睡蓮
- 作品 | 白倉由美の「死ぬ話」
18歳の誕生日から二ヶ月、私は三月生まれなので高校を卒業した五月に私の初めての漫画が本に載った。うれしくて、早売りをしている駅の向こう側の本屋さんにいって、発売日の二日前にその本を買った。自分の描いた漫画が印刷されている。本屋に並んでいる。表紙にちいさく名前が書いてある。未来という扉が目の前でひらいた、そんな気持ちがした。
高校を卒業しても、私は進学も就職もすることはなく、バイトをしてそのかたわら漫画を描いて一年を過ごした。そして貯めたお金でアパートを借りて、家をでた。19歳の冬のことだった。灰色の空。洗濯機はアパートの外にあり、冬の洗濯はつらく、冷蔵庫も電話もテレビもなかった。けれど猫がいた。白い猫二匹とブルーの猫が一匹。狭いアパートに置いた大きなクッションに横たわって、猫と昼寝をしているのは、幸せだった。
21歳の春、週刊連載の話が舞い込んできた。それまでも漫画を描いてはきたけれど、長くて24ページしか描いたことがなかった。けれど週刊連載というのは毎週20枚漫画を描かなければならない。月にすると百ページだ。
しかし若さというのは無謀であり、楽観的でもある。自分になにができるのか。なにを乗り越えたらどんな風景がみえるのか。自分というのはどんな人間になっていくのだろうか。識りたいことは潤沢だった。そんな気持ちで始めた仕事だったが、現実はあっというまに私の生活と意識を変えた。
それまでの一週間と連載を始めてからの一週間はまったく違ったものになった。描いても描いても、すぐにしめきりがくる。終わりというものがない。自分の筆の遅さは知っていたが、それより前に話がつくれなくなった。作画を手伝ってくれるアシスタントのひとたちが黙ったまま所在なげに机に座っている。そのひとたちに渡す原稿がない。話ができていないからだ。仕方なく原稿用紙にコマを割って、吹き出しに言葉をいれ、先も考えずに描きだすようになった。とにかく連載なので、話はひっぱればいい。次週考えよう、毎週そう思うようになった。
そんないい加減な描き方でいいの?
そう、ツケはすぐにまわってきた。
仕事が終わりに近づき、ふと原稿用紙を数えていると、一枚原稿が多いことに気がついた。そのときもまた、話を全体を通して考えることなく、ただコマを埋めていったから、つい間違えて一枚多く描いてしまったのだ。
足りないなら描き足せばいい。けれど21枚で完成してしまった原稿をどうしようもない。考えないで描いたとはいえ、それなりに話にはつながりがあるので、一枚抜く訳にもいかない。
これはもう仕方ない。私は編集部に電話をかけた。話をきいた編集者は「少し待ってください。かけ直します」と電話を切った。描き直しだろうか。体力的にも精神的にも、それになによりスケジュールがきつい。描き直しとなれば一日で二十枚描かないといけない。私には無理だった。じゃあ、落とすのか。私くらいのキャリアの漫画家が原稿を落とすとなると、多分打ち切りになるだろう。そうなると当然単行本も発売されず、次の仕事もなくなるだろう。
週刊で漫画を描いているのは日本に私ひとりという訳ではもちろんない。本屋にいって雑誌をみれば、たくさんの漫画が連載されている。私以外の漫画家に、私以上の時間が与えられているのではない。みな平等に一週間という限られた時間で、私よりもずっとクオリティの高い漫画を描いている。ただコマを埋めるために描いていた私とは違う。
気がついたら泣いていた。どうしてだろう。悲しいのではない。口惜しいんだ。中途半端な自分に腹が立つのだ。問題に直視せず、先送りにしていた自分がいらだたしいんだ。
不意に電話がなった。編集者の声がした。
「----先生の原稿がまだなので、先生が一枚くださるそうです」
----先生とは戦後漫画の礎を築いた、といってもいいくらいの、漫画家なら誰でも尊敬する、(私とは違う)本物の漫画家だった。
それから数年経ち、その先生は亡くなった。お逢いしたことはもちろんなく、接点といえば先生が雑誌掲載の一枚を私に譲ってくださったことだけだったが、作品をずっと読んできた一読者として、私はその死を悼んだ。
そしてそろそろ私は漫画家をやめようかなぁと思うようになっていた。
なにか違う。もっと自分の気持ちにそうことを、別の形で表現したい。それに締め切りというものがほんとうにいやになっていた。時間に追われて、ただコマを埋めるのではなく、静かに、ゆっくりと自分の内側に沈み込んで、遙かな世界をみたい。
漫画家になれたことはほんとうにうれしかった。18歳の五月、あの本屋でのときめきはいまでも忘れない。でも私の人生はもう暫く続く。どうやって歩いていこう?
漫画を描きながら、ずっと私は小説を読み続けてきた。ある意味では絵という表現手段は万能である。絵は心の情動を揺らすことができる。音楽のようにやさしくよりそうこともできる。けれどもっと形にならないものに私の心はひかれつつあった。
言葉。
漫画を描いていても、いつもいちばん大切にしていたのは言葉だ。
台詞やモノローグ、会話やこころに響いてくる「声」。
他の漫画家とすこし違ったのはそこかもしれない。絵を巧くなりたいと思っていたことは嘘ではないけれど、それよりもなによりも言葉のうつくしい作品が好きだった。
詩。
ほんとうのことをいうと詩人になりたい。だがしかし詩とは批評である。私にはとうてい無理だった。
悩んで、迷って、いま私は小説を書いている。正しいのかはわからない。巧いとも思っていない。私の出逢った幾つものchip。私のなかに棲むもの。太陽の光がもたらす木漏れ日の細工。雪のなかを飛びゆく青い鳥。水辺に咲く淡い睡蓮。
幾つかのスケッチを携えて、私はパソコンに向かう。作品というものはオリジナルではなく、常になにかの再生産だから。
けれど私になにができる? たぶんなにもできないだろう。私がひとの役にたったことはたぶんない。私は無力で、狭量で、傲慢な人間だ。
それでも私は望むのだ。
雨の最初の一粒にふれたい、と。