編集部ブログ作品
2017年12月18日 19:16
ケーキ一切れ食べるくらい簡単なこと
- 作品 | 白倉由美の「死ぬ話」
今日は未来を棄てるにはうってつけの日。空は青く、風は冷たく透明で、道行く人は足許ばかりをみて歩く。ヒッチハイクを繰り返し、壊れた自転車を探し出し、それに乗って僕は東へ、北へ、遙か遠くへとむかう。
本も犬もレコードもマフラーも、僕が手にしていたあらゆるものは棄ててしまった。なにもない空間にかいまみたやさしさは夜空に散る星屑のようにきらきらと胸を温める。
僕のポケットのなかにあるのはただ一枚のメモだけだ。それは世界一簡単なケーキのレシピ。それさえあれば他にはなにもいらない。
ケーキを作るのも、ケーキを食べるのも、僕にはたやすいことだから。
今日は未来を変えるにはうってつけの日。ヒッチハイクで出逢った君の声に従って僕は雨の雫がこぼれる波間にむかう。
友だちも学校も、家族や夢も、僕を摩耗させるものは翡翠に変えて飲み込んでしまった。
言葉を騒音に変える悲しみは踏切で遮断してしまおう。
波間に落ちていたのはいつか君が撒いたタンポポの種。小鳥がくちばしで草原に運び、春になるとそれは金色の花を咲かせる。
それさえあれば他はなにもいらない。
それさえあれば世界は花で満たされる。
死んでしまった君の身体を横たえるには充分なやさしいベッドだ。
さあ、ケーキをつくろう。世界一かんたんなレシピで。
ケーキを作るのも、ケーキを食べるのも、僕にはたやすいことだから。