編集部ブログ作品

2017年10月23日 17:01

一千年後の再会は赤いルビーを目印に

 学校から帰る河川敷で僕はガムテープで封をした段ボールをみかけた。通り過ぎようかな、とも思ったが、妙な白さが気になって封をあけてみることにした。

 あけてみて、予感があたったような思いに、心臓の鼓動がすうっと沈んだ。そこには女の子の死体がはいっていた。

 青く褪めたきれいな死体だった。透明なセロファンに包まれ、膝を抱くようにすわっている。眠っているようにもみえるが、確かに死んでいた。

 川は静かに流れ、初秋のはやい夕暮れは辺りを淡い靄に包み始めていた。鳥が群れをなして空を横切っていく。いつもは子ども達でにぎわう河川敷には何故か誰もいなかった。このまま黙って立ち去ろうか。警察に連絡していろいろと訊かれることを考えるとうんざりする。でも、白い箱をあけてしまったのは僕だ。死体の第一発見者は、僕だ。

 不意に携帯電話が鳴った。

「きれいなもの、みつけたでしょ」

 電話は姉の真凛(まりん)からだった。なにもかもお見通しのように姉は楽しそうに耳許でささやいた。姉は普通のひとがみえないものがみえたりする、そういうなんというかスピリチュアルな性質を持っていた。僕はそんなものを信じてはいないけれど、姉にとってそれは重要なことらしい。何処で手に入れたのか透明な球体の水晶で、未来やら、予言やらを覘いている、といつも僕に自慢していた。きっといまもその水晶から僕と死体をみつけたに違いない。

「その死体、傷まないよ」

 真凛は涼しげな声でいう。

「傷まない? どうして? 誰だって死んだら腐敗するだろう」

「だいじょうぶ」

 姉は楽しそうだ。その声が何故か僕の神経に障る。死を畏れない、りぼんのようにひらひらした声色が、いやなのかもしれない。

「真凛、君がなにを考えてるいのか僕には興味ないよ。僕はこの死体を置いて家に帰る。晩ご飯はハンバーグだってママからラインがきてたしね」

「帰ってきてはだめ。私たちでその死体を埋葬しようよ。きれいなドレスを着せて、お化粧をほどこして」

「どうしてそんなことをしなくちゃいけないの?」

 僕は姉の言葉にいらっとして不明瞭なこもった声をだす。河川敷に散らばる砂色の石を投げつけたくなる。姉は秘密を打ち明ける、特別で儀式めいた吐息をついた。

「その死体は私たちの死んでしまった姉なのよ」

 僕は箱のなかの死体をみつめる。裸の肌には死斑もなく、つるりとしている。膝を抱え、髪は肩までするりと流れている。幼い、と僕は思う。

「この死体はどうみても僕たちより年下だよ。まだ子どもだ。中学生にもなってないんじゃないかな」

「それは生まれ変わりだから」

「誰の? 僕と真凛、僕たち姉弟はそれ以外いないよ。そんなの、わかりきってることでしょ」

「永い夢のような秘蹟を電話でなんかいえないわ。それよりとにかくはやく葬送儀礼をおこなわなくちゃ」

「死体を何処かに捨てるってこと? それって死体遺棄罪にはならない?」

「生まれ変わりになって、もうその死体は不可触民だから」

 そういう言葉を不用意に使う姉は無神経だと僕は思う。もっと別の言い方があるはずだとも思うが、適当な言葉は浮かんでこない。でも姉の言葉の通りならその死体は特別な意味を持つことになる。僕はそっとため息をつく。

「仕方ない。僕たちで葬送儀礼をしよう」

「すぐにいくわね」

 電話が切れた。河川敷には夕暮れが訪れ、深いブルーがきらきらと光る川面をそっと闇に誘っていた。

「去--年のあーなたの思い出がー、テープレコーダーから......、あーなんだっけその後、ねえ斗真(とうま)、この歌しってる?」

「しらない。そもそも僕たちは葬送儀礼を執り行うんだよ。そんな態度は不謹慎でしょ」

 気楽に歌を歌いながらやってきた真凛に僕はいらだちを募らせながらいった。

「この歌のタイトルは精霊流し。私たちがすることもそんなもんでしょ」

「ちょっと違うんじゃないかな。姉さんはいつもlikelyだよね。すこし直した方がいいよ、そういうの」

 そんな僕の言葉はふたつに結んだ姉の髪のなかを通り過ぎて、遙か遠くへといってしまう。姉は肩から提げた大きな鞄から純白が眩いウェディングドレスとチュールのヴェールを取り出した。何処でそんなものを手にいれてきたんだろう、と思ったが、姉は真夏と真冬、コミックマーケットにいってコスプレをしている、いわゆる腐女子なのだ。それもきっといつか着た衣装のひとつなのかもしれない。 

「私自身はつまらない人間よ。でもね、私にだって善を信じたい気持ちはあるの」

 黒いワンピースに身を包んだ姉はいう。喪服のつもりなのか、靴下まで黒い。

「この世界が暗い、不寛容で無慈悲な感情から解き放たれてすべてのひとが光をめざすことをね。でもそんなこと、起こらない。この死体はそれを語っている。だって、このきれいな女の子を殺して、箱に詰めて放置した誰かがいるってことが、いまの私たちが目にしていることでしょう?」

 それは姉の水晶から流れる言葉なのだろうか。日はすでに暮れ、風は冷たい。星の瞬きもみえはじめた。僕は冬至の日を思う。一年で一番夜が長い日。そしてそのままさらに夜が深くなったらどうしよう、といつも僕は途方に暮れてしまう。そんなときの姉はやさしく、ベッドにいる僕が眠りにつくまで頭をそっと撫でていてくれる。

「ほんとうは舟があるといいんだけどね」

 死体に赤い口紅を塗りながら姉はいう。

「折角斗真が川縁りで死体をみつけたのに、舟がないなんて」

「川に流すの?」

「ミレーのオフィーリアみたいで、すてきじゃない? 恋人の不実に水の底に身を投げるなんて、ロマンティック」

 結局いろいろ考えた結果、僕たちは死体を焼くことにした。そして残った一片の葦の穂を拾って川に流そう、と。

「どんなに幻想的な死体でも、やっぱり現実なのね。傷まないとはいえ、死んでしまうと、処理に困るのね。私たちもいつかはそうなるのかなあ」

「ところでこの死体が僕たちの姉の生まれ変わりって話はどうなったの?」

「斗真、これをみて」

 姉は死体の顔にそっとふれた。閉じていた眶をあける。そこにはルビーのようにうつくしい赤い瞳があった。

「ね、わかったでしょ」

 真凛は静かにカラーコンタクトを外した。そこにはやはり赤い瞳があった。

「私も斗真も赤い瞳を持って生まれた。両親は私たちを記号的に棄てた。同じ家にいても言葉も交わさないし、交流もない。両親の願いはただこの赤い瞳を家族だけの秘密にしておくこと。それは禁忌。私たちは呪われた子どもね、斗真」

 赤い瞳を所持して生まれたからといって世界が赤くみえる訳ではない。けれど僕たちは人間に似せたもの、贋者の人形のようにあつかわれた。ママは夕食にハンバーグをつくってくれるが、テーブルの上に置かれた料理はいつも冷めて、パパの車に僕たちが乗ることはない。僕と真凛は孤独だった。それでも僕たちはふたりでひとつだった。赤い瞳で、僕たちはつながれていた。

「個人の死だけではお墓をつくる意味にならない。死をめぐる人間関係の不安定化、あるいは変質に対応する気持ちが地面に痕跡を残すレゾンデートルなのよ」

「この子が死体となって僕たちのまえにあらわれた意味がそれなの?」

「ねえ、きっと私たち、子どもを持たないわね」

「そうかもしれないね」

 僕は慎重にこたえた。この赤い瞳。誰かに受け継ぐことを考えたくはなかった。自分を否定するようで、悲しかった。

「きっとこの死体が燃えても、ルビーのような瞳だけが残るわね」

「それを拾って、ひとつずつ、僕たちの宝物にしようか。いつか僕と真凛が離ればなれになって、お互いの顔を忘れてしまっても、ルビーをみれば姉弟だったことをきっと思い出せるから」

 いつか僕たちは大人になる。でも赤い瞳を真凛以外の他人にみせることは決してないだろう。僕の初恋は真凛だった。そしてきっと真凛が初めて恋をしたのも僕だ。僕たちは姉弟ではなく恋人として出逢うはずだったのに、運命は残酷だ。結ばれることが許されないのに、離れられない赤い瞳を授けた。

 夜が更けていく河川敷で、僕たちは赤い瞳の傷まない死体を燃やす。においもなく、清らかな燐光を散らして、僕たちの生まれ変わりの少女はこの世界から消えてゆく。僕は真凛のちいさな手にそっとふれる。真凛は僕の髪に指を差し入れ、そっと撫でる。冬至の夜のように。

 空気が透明な冷たさを増して、月が昇っていく。そしてあけない夜のなかで、真っ赤なルビーのような瞳がお互いを映しあうのをみつめ、やがて僕たちは抱きあって、泣き出した。

 僕たちは孤独だった。それは埋められることがなく、ただ空へと舞い上がる死体のような秋の虹だった。