編集部ブログ作品

2017年7月 3日 16:20

甘い右目の僕の秘密

 気がつくと、右目を落としてしまった。

 試験が終わってぼんやりしていたらしい。僕は片目をつむったまま、サングラスを買い、制服姿でかけてみる。学ランにサングラス。あやしい。なんだか職務質問されそうだ。

 僕は頭を振る。なんとなく、記憶が抜け落ちた感じだ。僕は学校からの帰り道を思い出そうとする。

 渋谷をぶらぶらしていたんだよな。青山の方にもいったよな。マッキントッシュの新しいコートがほしかった。コムデギャルソンも要チェック。AGのデニムもみたような。一体何処で落としたんだろう? 春の宵が暮れてゆく。水仙のほのかな甘い香りが何処からか流れてくる。違う。この匂い。花じゃない。ふと僕は思う。何処か人工的な匂い。キャンディの匂いだ。僕は匂いをたどってゆく。

 川を埋めてつくったちいさな公園のブランコにセーラー服の女の子がすわって、大きなキャンディをなめている。赤い舌。赤いセーラーのスカーフ。赤い爪。赤いくちびる。

「ねえ、君がなめているキャンディ、ひょっとして、僕の右目じゃない?」

 少女は目をあげる。青い目。僕はかけていたサングラスを外す。

「ほら、僕の目だろう? それって。色も形もあってる」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。私はただこれを拾っただけ」

 少女の声も甘い。ウィスパーの吐息。

「でももうこれは私のキャンディなの。あなたには関係ないわ」

「関係なくないよ。右目があるのとないのとでは大違いだ。ほら、よくみて。眼窩が空洞だろ? これじゃあ、もう学校にもいけないし、家にも帰れない。だってこのまま家に帰ったら母が大騒ぎして、きっと警察呼んじゃうよ。僕は君をつかまえていって、この子が僕の目を盗んだんですって、大勢のひとの前で君を告発するからな。そうなれば君は犯罪者だ。少年院に送られたくはないだろう?」

「型通りの脅し方だけど、確かに高校をやめさせられたくはないわね。私の行っている高校、制服でわかるでしょう? 有名だから」

 確かに僕はその高校をしっていた。私立のお嬢さん校だ。偏差値、というよりも、コネがなければはいれない、というタイプの学校だ。

「返してあげてもいいけど、一割もらわないと」

「一割? なにに対して?」

「拾得物を拾ったときには一割返さなくちゃいけないって、あなたしらない?」

「しってるけど、目だぜ、それは? 瞳孔をけずったりしろってこと?」

「あなたの大事な秘密をひとつもらうことにする」

 ぱちん、と音がする程、長い睫毛を揺らして、少女はいった。

「僕の?」

「誰にでも大事な秘密があるわ。私、それを学校指定の鞄につめているの。時々とりだして、眺めたりね。そういう取引はどうかしら?」

 僕は暫く考える。僕の秘密。なにかあったかな? 右目をなくしてから、僕の記憶は曖昧になっていた。いいや、と僕は思った。僕の大事な秘密なんて、模試の順位くらいだろう。

「わかった。それで取引しよう」

「私の制服のリボンをほどいて」

 僕はいわれたまま、赤いリボンをすっとほどく。瞬間、少女は消える。誰も乗っていないブランコだけが残る。

 やはり右目があるのはいい。家に帰ってカレーライスを食べて、風呂にはいってベッドで音楽を聴く。大事な秘密ってなんだろうな、と僕は思う。夜が深くなり、僕は眠りにつく。気がつくと、誰かがベッドにいるのを感じる。

「兄さん? なにしているの?」

「なんだよ。いつものことだろう?」

 兄さんの手が僕のパジャマのなかにはいっていく。

「やめてよ、兄さん」

「みんなが待ってるぜ。今夜に限って焦らすことないだろう?」

 兄はベッドサイドにおかれたパソコンを指で指す。

「待ってよ。これ、中継されているの?」

「そうだよ。日本だけじゃない。アメリカにもフランスにも紛争中のシリアにも。僕たちは有名人なんだ。僕たちの愛の営みをみんなが楽しみにしているんだ。今日も思い切り愛しあおう」

 僕の秘密とはこのことだったのか。僕はこの秘密を捨てたくて、右目をなくしたのだ。兄の手が身体をまさぐる。僕は指で右目をぎゅっとつかむ。今度こそ、自分の手でこの秘密を葬り去ろうとして。

 そして終わりにする。スィッチを切るのだ。今夜こそそうしよう。----------なんのスィッチを?