編集部ブログ作品
2017年1月23日 03:29
赤い実
- 作品 | 白倉由美の「死ぬ話」
公彦がいとこの穂加が死んだという知らせをうけたのは、秋のはじまりのことだった。
やけに銀杏の葉が散るなあ、これではまるで「雪のように舞い降る」、という言い方そのものじゃないか、と葬式の日、公彦は思った。
死因について、穂加の両親は必死にかくしていたが、それは穂加の死因が自殺だったからだ。
「なにも悩んでいるそぶりはみせませんでした」
父親は頑にいった。
「明るい、将来を夢みている子でした」
明るくったって、将来を悲観してなくったって、死ぬときは死ぬさ、と公彦は思った。
何故かというと公彦も自殺のことを考えていたからである。
苦しむのがいやだったので、公彦はもっと季節が進んで、真冬になったら、富士山の山麓に分け入って、ウィスキーと精神科医をだましてもらった睡眠薬を服んでそのまま意識を失って死ぬつもりだった。
だがしかし、穂加が死んだ。しかも穂加は焼身自殺だった。学校の使われなくなった用具室に灯油をまいて火をつけたのだ。公彦はそんなことはできないと思った。考えただけで苦しそうだ。それに今から公彦が自殺などしたら、穂加の死を嘆いて、後追い自殺をしたように思われる。
公彦としては自分という存在を他人により高く評価してもらおうと死を考えていたので、穂加の死んだ後に死ぬのはどうもまずいのだった。
穂加の遺影を見ながら、公彦はふと思った。
こいつ、いま、ぼくを見て笑ったぞ。
その予感通り、公彦はその夜から穂加の霊に取り憑かれることになった。
「なんでぼくなの?」
夏服の制服を着た穂加に公彦はいった。
「確かに中学の時、一緒に予備校にいったよ。ちいさい頃は結構仲もよかった。でも別の高校に入って三年になるけど、電話もメールもしなかったじゃない。まして逢っていたわけでもない。ひょっとしてぼくのことが好きだったの?」
「そういうわけでもないんだけどさ」
穂加はサワーオニオン味のポテトチップスをくわえながらいった。そういえば、中学の頃も、こいつ、これが好きだったな。予備校の帰りにコンビニでよく買っていた。
「なんとなく、公彦でいいかなと思って」
「だから、なんで」
「公彦、死のうと思っていたでしょう?」
いいあてられて公彦はぎくりと肩をいからす。ベッドの上にポテトチップスのくずを散らばしながら穂加は、「ほら、あたった」とにこっと笑う。
「公彦は自分のこと、他人と違うと思ってるからねえ」
「じゃあ、きみはなんで死んだんだ? 失恋でもしたのか? 受験がつらかったのか? ぼくより高尚な理由でもあるのか?」
「内的体験、というのをしてみたかったのよ」
「は?」
そう、ははは、と穂加は笑った。
「ジョルジュ・バタイユにかぶれてたの。思春期らしい思い込みだったといまならわかるわ。でもなんだかねえ……。つまり問題はわたしが感じやすい女の子だったってことよ。大人になるのをとめたかったの。永遠の少女でいたかった。おかしいでしょ」
「おかしくはないけど、わからない。それに月並みでつまらないと思う」
「公彦って死んだ人間にあんまりねえ」
「死んだからいえるのさ。それできみ、これからどうするつもり?」
「折角だから、内的体験というものを味わってみる」
「それってずっとぼくにつきまとうってこと?」
「わたしが死んでいないということに気づいたのは何故か公彦だけだったのよ」
そんな訳で公彦と穂加は一緒になってしまった。
死んだ少女を肩に背負って暮らすのは、意外と簡単だった。誰も穂加に気づかないし、公彦の苦悩にはもっと気づかない。
「なんだか、穂加がなんで死んだのか、わかるなあ」
電車の中がひどく混んでいたので、思わず公彦はそういった。まわりから人がすっと離れた。
「わ、幽霊効果抜群だね」
「違う。いま、ぼくが電車のなかでひとりでしゃべってる変なひとだから」
「確かにわたしと会話しているなんて思わないね」
「きみが死んで、誰か泣いた?」
「最初はみんな泣いていたし、クラスも静かだったけど、もうもとに戻ったみたいよ」
「それが悲しい?」
「わかんないな。もともとあんまり他人って好きじゃないし」
「だから自殺なんてするんだ」
穂加はなにもいわなかった。電車は冬の街をかけぬけた。窓の外はもう暗く、重い雲が垂れ込めていた。
そしてクリスマスがきた。街中が電飾で飾られ、クリスマスメドレーが流れる。どうしてもほしいと穂加にいわれ、恥ずかしい思いをして公彦が買った、苺のいっぱい載ったクリスマスケーキを前にぽつりと穂加はいった。
「クリスマスがきたから本当に死ぬことにする」
クリスマスケーキは甘い。穂加の吐息のようだと公彦はふと思う。夏服を着た穂加はじっとうつむいている。
「別にぼくはこのままでもかまわないよ」
「だってそしたら公彦はいつまでも大人になれないじゃない。いつもわたしを背負ったまま、何処にも行けない」
「ぼくはきみといつまでも一緒でかまわないよ」
「ばかねえ」
穂加がふっと寂しそうに笑った。死んでから、初めて見る悲しげな目つきだった。
「中学の時、予備校をさぼって、ずっとマックにいたね」
「そう、わざわざ予備校をさぼったのに、話もしないで単語帳みたり」
「そういう、意味のないこと、楽しかった」
穂加の瞳から涙があふれた。穂加は掌でそれを拭ったが、あふれる涙は止まらなかった。
「死ぬ前に、逢いにいけばよかった」
穂加が泣くと、公彦もなんだか悲しくなった。なんでだろう。他人が泣いても、いままでなにも思わなかったのに。穂加が死んだときかされた時も泣かなかったのに。しかも穂加は自殺だったのだ。
「中学の予備校の帰り道、寒い風に吹かれてコンビニの前で黙ってふたり、並んでiPhoneで音楽を聴いたよね」
「うん」
「あの瞬間にもどりたいな」
「音楽ならいまでも聴ける」
「でももうもどれない」
「だからこのままでいいじゃないか」
「だめよ。もう死んだもの。もどれない。ほら、さわってみて」
穂加が手をさしだす。その手に公彦がふれようとすると、すっと通り抜けてしまう。
「あのとき、手をつなげばよかった」
すこしほほえんで穂加がいう。公彦の胸にふと寂しさがよぎる。
「うん」
公彦は夏服の穂加をみつめる。白いシャツ。紺のリボン。チェックのスカート。
「ずっと一緒にいてくれてありがとう」
涙はあの日の木の葉のようにこぼれた。公彦は苦しくなった。どうしてだろう。
「ひとつだけお願いがある」
穂加が涙で濡れた、きらきらと光る瞳でじっと公彦をみつめる。
「なに?」
「死なないで。ずっと、ずっと、わたしを忘れないで」
「きみがここに残ればいい」
穂加は首をかしげる。髪がさらりと落ちる。
「もう、いかなくちゃ」
なにかいいたい、と公彦は思う。今だ。今いわなければ、穂加は消えてしまう。
でも言葉はこぼれることもなく、ただ夜が訪れた。
夜空が星で飾られる。穂加がいなくなった後、公彦はひとりで外に出る。楽しそうな恋人たちを眺める。
コンビニの前に佇み、そっと音楽を聴く。
あの日のように。
振り子時計が真夜中を知らせる。
満月が潮を満たす。
彼女は逝ってしまったのだ、と公彦は思う。
遠い世界に。公彦にはもう届かない、空の彼方に。
南天の赤い実が柊の緑を彩るのを、いつまでも公彦はみつめていた。