編集部ブログ作品
2018年5月14日 13:45
素数ーー壊れないもの
- 作品 | 白倉由美の「死ぬ話」
私には私が生まれるまえに死んだ兄がいる。幼い頃から母は繰り返し私に兄の話をした。
兄がどれ程うつくしい子どもだったのか。
兄がどれ程うつくしい魂をもっていたのか。
いまになって思えば、死んだ兄はまだ幼く、真の意味での自我が目覚め、母と違う意見をいったりしなかったから、母は心のなかで兄を理想の子どもに変換させたのだと思う。それはセンチメンタルで、切なくて、甘くて、すこし痛い。気持ちのよい感情だ。責任は存在しない。
だから私が思春期を迎える年頃になった辺りから、母は私を憎むようになった。
別に虐待されていたとか、意図的な遺棄をされたとか、そういうことではない。
私のことを、「この子は私の子どもではない」、と母は思うようになったのだ。母にとっての「私の子ども」は死んだ兄だけだった。
私は特別傷ついたりしなかった。母の自我は弱いのだ、と思った。私の自我もまだ脆く、完成してはいなかったが、ずっと「理想の兄」を追うように生きてきた私は、現実と自分の心を乖離させることで、自分を守ることを憶えてきた。私はパソコンのなかで指で兄に話しかけた。
「兄さん、春の夜には桜が雨みたいに散っているよ」とか、「兄さん、いつのまにか背が伸びて、庭の枇杷の実に指がふれる。大人になるのが、すこしこわいよ」とか、他愛もないことだ。
その意味では私も死んだ兄に依存していたのかもしれない。兄はなにもいわない。私を否定しないし、私より成長しない。いつまでも死んだままの、兄。まるでシオンの丘。
大人になり、私は普通のひととおなじように結婚をした。だから夫も母も、私が望まない妊娠をしたとは思わなかった。私は兄をこころに描いた。幼いままの兄。
新しく宿ったいのちを母や夫はよろこんでいたけれど、生命に限りがあることを生まれたときから刻みつけられた私は新しいイデオロギーが私を変えることを拒否した。
たったひとりで病院にいき、すべてを終わらせたことで、夫はひどく感情を荒立て、家を出ていった。
何故? と夫は尋ねなかった。私は答えを用意していたのに。
壊れないものは素数だけ。ただひとつの存在は死んだ兄。私のなかで生き続けている、思い出すらない、兄が、私のすべてで、わりきれない素数だった。
私の世界は生まれたときから反転していた。死んだ兄が生者で、私が死者。私の存在はそう決められていた。