編集部ブログ夜の最前線
こんばんは、アシエディ林です。
最近編集部で、あるドキュメンタリー映画が話題になっています。
1960年代のインドネシアで起きた100万人規模の大虐殺。(お恥ずかしながらこの映画をみるまでこの事件を知りませんでした)
今も“英雄”として崇められている殺人犯たちに、「歴史映画を撮影する」と称して虐殺のようすを当事者に演じさせた異色のドキュメンタリー。
簡単にいうと、 脚本:殺人者 演出:殺人者 主演:殺人者。
『ダークナイト』のジョーカーや、『スター・ウォーズ』のダースベイダーとか、悪役って格好いいじゃないですか。
むかし、『羊たちの沈黙』のレクター博士を演じたアンソニー・ホプキンスが「私は善良な王様や刑事の役をたくさん演じてきたが、ファンは『レクター博士大好きです!』って言ってくる!」ってぼやいていたように、フィクションの中の悪者は私達を惹きつけるカリスマを持っています。
人を殺すのはいけない。街を破壊してはいけない。分かっているけど、彼らを「かっこいい!」と感じてしまうこと、ありますよね?
理由は巧く説明できないけれど、少なくとも私は特殊な高揚感を悪者に抱きます。好きになるキャラはだいたい悪者です。
でもですね、この『アクト・オブ・キリング』に登場する元・殺人者であるおじさんたち、ぜんっぜんかっこよくない。
すんでるのは田舎だし、自己中心的だし、バカだし、ぜんぜんかっこよくない。
親戚が集まった時によくいるガハハ系のおじさんみたいな、とにかくどこにでもいそうな「凡庸な」おじさんたちで、カリスマ性とかぜんぜんない!!
でも、この人たちが何百人も殺してるんですよ。笑いながら。
ある政治哲学者はナチスドイツのユダヤ人ホロコーストを「凡庸な悪」という言葉で表現したように、現実世界の「悪」には大した理由も思想も動機も、もちろん私達を惹きつけるようなカリスマもなく、ただただ凡庸なきっかけしかないんだなぁとこの映画を観てしみじみ思いました。
たぶん、きっかけさえあれば、私達も簡単に殺しあうんですよ。
だからこそ、インドネシアの殺人者たちを心の底から糾弾する気になれないんですよね〜……。
フィクションの中の悪なんか、現実の「悪」と比べたらかわいいもんだよ……そう思わせる一本でした。