編集部ブログ夜の最前線

2013年8月 2日 17:38

映画『パシフィック・リム』を観る責任が、日本人にはある!

こんばんは、アシエディ林です。

金曜日は映画の日〜♪ 今週もオススメの映画をご紹介!……するつもりだったのですが、どうも最近みる映画みる映画イマイチで、オススメできるものがないんですよねぇ。

例えば先日、モンスターが襲ってくる3Dホラー映画をみたのですが……もう全然……楽しめなかった。

まず、モンスターが観客をびっくりさせる以上の役割がない!!

とにかく部屋に入ったらモンスター出てきて「ギャー出たー!!」「逃げろ!!」「出口よ!」

しかもモンスターを倒すわけでもなく、主人公の幸運によってのらりくらりと回避しちゃうんですよ。

登場するモンスターが痺れるくらいイカす造形なのに、見事に雰囲気映画でした。

人のトラウマが具現化したモンスターって設定をもっと生かすべきでしたね。

モンスター(困難)を乗り越えて主人公が成長するわけでもないので、ただの「観客ビックリ装置」。ほんと予告編以上の驚きも感動もありませんでした。

第一作目はそこんとこ巧く表現していたと思うんだけどなあ。 新監督は第一作目をもっとちゃんと見るべきでしたね。


しかし自分で言っといてなんですけど、そもそもモンスターを“主人公を成長させる困難”のメタファーとして使っちゃっていいの? そんな噛ませ犬でいいの?


答えはNOです!


モンスターとは、越えることの出来ない圧倒的存在であるべきなのではないでしょうか。

突如現れ、人類を蹴散らし、人智の外から来る者——、それこそがモンスターであるはずです。

かつて古代人は、自然や天災の「どうして起こるかよく分からないこと」に対して、怪物(モンスター)の仕業だとか、神話という物語になぞらえたりして、なんとか未知を定義してきました。

でも科学が進歩した今、少なくとも何故地震が起こるのかは解明されているし、天災に対しても予防的な措置をとることもできるようになりました。

簡単に言えば、未知がなくなったんですね。

かくして、人類を震え上がらせていた神々や怪物は居場所を追われ、その存在は消え失せました。

もう人類は未知に対して怯える必要はなくなったのです。


だけど、私たちのDNAには「未知の者に脅かされたい」というM的願望が密かに組み込まれているのではないかと、私は思います。

(だって、科学が自然を定義できるようになったのはせいぜいここ数百年だし、有史以前から何千年も自然の未知に怯え続けていた。)


そんな「未知の者に脅かされたい」欲求を満たしてくれるのが、 8月9日公開の『パシフィック・リム』だ!!!!

動画 宇宙からでなく、地球の太平洋から怪獣が現れるってとこがいいよね!

地球に未知はまだ残されていた!

しかも、劇中の外国人の方々が「KAIJU! KAIJU!」って言うところがまたニクイ。

『ゴジラ』リスペクトですよ!


トロちゃん(ギレルモ・デル・トロ監督)が現代に残してくれた最後の神話!

日本人は正座して観るべきでしょう!!