編集部ブログ夜の最前線
金曜日は映画の話……
今日は『桐島、部活やめるってよ』(以下『桐島、』と表記)の話をしたいと思います。
例に洩れず、私もこの作品が大好きでした。
この映画で表現されるクラスの中の同調圧力とか、
高校生特有のヒリヒリした息苦しさとか。
空気を読み合う残酷さとか。
言葉で説明するのではなく、登場人物の目のちょっとした動きや、表情によって、
これらを表現しきった『桐島、』
私はもう完全にノックアウトされました。
生々しすぎて途中で発狂しそうになったくらいです。
もちろん『桐島、』は学園モノとして最高傑作なのでしょうが、
性別、年代を問わずこれほど熱狂的に評価されているのは、単に己の高校生活を懐かしむノスタルジアに浸れるからというだけではないのでしょう。
以下、ネタバレになりますので注意してください。
『桐島、』って、「他者からの同調圧力という暴力から、いかに生き延びるか」という話なんだと思います。
社会の常識とされる、「大きな物語」から逸脱する者。
例えば神木隆之介演じる映画オタクの山田は、人間カーストの下部として扱われていて、まぁ言ってしまえばクラスメイトから舐められてます。
スポーツができない奴はダメ。
勉強が出来ない奴はダメ。
コミュ力がない奴はダメ。
可愛くないからダメ。
「大きな物語」に準じない者は異端者として、人間カーストの下部に押しやられます。
でもこれ、高校に限ったことでなく現実社会でもそうですよね?
この世に生きてる限り「大きな物語」から逸脱しないための空気の読みあいゲームは、死ぬまで続くんだと思います。
この心底くっだらないゲームを降りる唯一の方法を、『桐島、』は教えてくれるのです。
それは、「何かを好きでいつづける」という情熱。
情熱さえあれば、たとえ誰にも認められなくても、自分で自分に生きてる意味を与えることができるじゃないかと。
映画のラスト、
映画オタクの山田の「映画が好き」という情熱が現実をハックするシーンは、
彼が「大きな物語」から解放された瞬間であり、最も輝いた瞬間だったと思います。
虐げられているマイノリティのルサンチマンを晴らしてハッピーエンド! と終わるのではなく、
「お前らもこうやって現実をサバイブしろよ!」と強くエールを私たちに送ってくれるからこそ、
『桐島、』は多くの観客の心を震わしたのではないでしょうか。