編集部ブログ夜の最前線
こんばんは、アシエディの林です。
突然ですが、今週の木曜日と金曜日のブログは休みにさせていただきます。
卒業式に出席するために関西に戻るからです!
少し前までは、仕事もあるし、卒業式は欠席でいいかぁと思っていたのですが、
ある本との出会ったことで一転、出席することを決心しました。
その本というのがコチラ。
サブタイトルにある通過儀礼とは何ぞや?
代表的な例だと元服が通過儀礼です。どんなに体が未成熟であろうと、元服という儀式を経験すれば、大人と見なされます。
このように儀式の後と前で、その人のステージが上がってしまうような意味付が行われる儀式を通過儀礼といいます。
この儀式を通して大人になるという通過儀礼的解釈を映画に応用し、
映画に隠されたメッセージを読み取ろうというものです。
とくに感銘を受けたのが、主人公と悪役の対立構造について論じられている章です。
主人公がただ敵を倒すだけでは、主人公は成長できない。
主人公の闇の部分を象徴している敵を倒すことで、それは通過儀礼となり得え、主人公も成長する。
という一説に大変納得しました。
上記書籍のタイトル「映画は父を殺すためにある」でも紹介されている『スター・ウォーズ』から考えてみましょう。
主人公のルークとダースベイダーは、敵同士であり親子です。
ルークはその事実を知って悩み苦しみますが、最終的にはダースベイダーを倒して銀河に平和をもたらします。
この時、ルークは父を超えた大人になることに成功しました。
かつてダースベイダーはルークと同じ正義の騎士・ジェダイでした。しかし己の力に溺れ、悪に堕ちてしまいます。
そんな闇に堕ちたダースベイダーですが、実はルークの未来の姿でもあります。
なぜなら、ルークもまた父を追うように闇に接近してゆきます。シリーズを通して衣装は黒色に代わるのは、そんな不安感を表現していると言われています。
しかしどんなに黒く染まっても、ラストシーンで敵側の皇帝の誘惑に屈することなくNO!! と言い、
父を倒すことで、力だけでなく、精神的にも父を超えるのです。
『スター・ウォーズ』は、子が父を倒すことで成長する、壮大な通過儀礼を描いた物語だったのです。
こうした通過儀礼を通した成長の物語に誰もが惹かれるのは、
嫌な自分と向き合い、逃げずに乗り越えることが難しいからこそなのでしょう。
キャラがたっている登場人物は、こういう細やかな裏設定が積み重ねられて誕生するんだろうなぁ。
物語だけに限った話でなく現実でも同じです。
私も卒業式という通過儀礼を面倒くさがって避けると、一生学生気分のままチンタラ生きてしまう可能性があるんですよ!!
そうならないためにも、学生時代の自分にアリーヴェデルチすべく卒業式に行ってきまーーーす!