編集部ブログ夜の最前線

2018年1月 9日 18:48

元日の記憶、あるいは風景について

目を覚ましたらすでに年を越していた。
朝5時、帰省のために簡単に着替えをまとめ、積んでいた本を適当に鞄に突っ込み、池袋へと出発した。
通りすがった大鳥神社がふと目に入り、諏訪大社より先に日本武尊を拝んでいいものだろうかと思案したけれど、時間に余裕があったので立ち寄ってみる。
まだ夜も明けぬうち、茅の輪を左右左とくぐって参拝。
  
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境内には恵比寿神も祀られていて、伊邪那岐・伊邪那美の子と立て札があった。
恵比寿=蛭子と同一視しての紹介だとすぐにわかったのは大塚英志さんの『木島日記 もどき開口』を読んでいたからで、そういえば読みかけの『屍人荘の殺人』のヒロインも比留子だったと思い出す。
新宿からのスーパーあずさ内で(自由席が新しくなっていて感動!)『屍人荘の殺人』と『ブルーローズは眠らない』を読み終えて岡谷に到着。
煙草を吸っているみたいに吐息が白く立ち昇る、そんな寒さが清清しい。
  
諏訪大社は上社の本宮と前宮、下社の秋宮と春宮、計4箇所の境内地を持つ神社だ。
祭神は『古事記』の「国譲り」で退けられたとされる建御名方神。
つまり西から逃れて建御名方神は諏訪の地に辿り着いたのだから、建御名方神もまた諏訪にいたはずの神を退けた立場にあるのだと、なにかを知ることが好きな嫌味な子どもだったから、そんなことを覚えている。
  
初詣はいつも諏訪大社の上社に参詣しているのだけど、久々に下社に行ってみたかった。
弟がすでに秋宮へ二年参りをしていたらしく、春宮へと向かう。
下諏訪駅に近い秋宮と違って、元旦だというのに春宮は静かだった。
   
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御柱を眺めるのも久々。
  
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岡本太郎が絶賛したとふれこんでいる万治の石仏も、相変わらずなんとも言えない表情で佇んでいた。
罰当たりとは一切考えずにのぼって遊んでいた石仏だったが、今では参拝の方法を記した立て札があって、流石にそんな真似ができない雰囲気だった。
観光客のひとたちが、立て札に従って石仏の周りをぐるぐると歩いて回っていて(いつからあったのか知らないけれど、それが正式な参拝方法らしい)、謎の石像を中心とした召還の儀式でもしているような風景に思わず笑ってしまう。
  
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戻り道で諏訪湖畔に寄って白鳥を眺める。
昔ははしゃいでパンを水鳥たちに投げていたが、これまた今では禁じられているらしい。
昼間とはいえ、湖面は岸辺さえ結氷していなかった。
湖上でスケートをしていた頃には生まれてないけれど、小さかった頃は諏訪湖の全面結氷も御神渡りも珍しくなかったのに。
  
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日本海から離れている諏訪は寒くとも雪深い土地ではないが、ぼくが小学生のころはかまくらをつくれるくらいには雪が積もった。
身体が小さかったから、少量の雪がたくさんに見えていただけかもしれないと思った。
  
  
ようやく自室に戻って一息つく。
遠景にある諏訪湖を眺め、『君の名は。』の地上波放映が3日にあることを思い出した。
  
『君の名は。』の「糸守」のモデルとなったいわゆる"聖地"は岐阜とされている。
されているのだけど、諏訪湖を中心に四方を山に囲まれた諏訪の景色はやはり糸守に似ている。
『君の名は。』の聖地巡礼で諏訪を訪れた観光客が、諏訪湖を一望できる立石公園(高校の11㎞マラソンで通りすがっていた場所だ、オオムラサキが稀に見つかる)の滑り台で骨折したというニュースが報じられていて、糸守と諏訪が似てると感じるのは、新海さんへのファン意識が昂じすぎたぼくの偏った認識ではないのだとホッとさせられた。
  
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以前「ぼくにとっての新海さんの作品は「風景」の発見なんです」と主張し、太田さんに笑われた。
しかしぼくは本気であった。
  
太古から根付いていたはずの神話も歴史も、すでに希薄な土地。
けれど新海さんはそれをひたすらに美しく、叙情的に描く。
その美しい風景に見惚れ、心打たれながら、ぼくは本物のそれが美しくなく、ただそこに情緒無く存在する山や湖であることを知っている。
その「風景」がフィクションであることを知っている。
そんな「風景」が美しいのは、それがぼくの自意識そのものだからだ。
  
ふと夜空を見上げたときの、孤独な自意識そのものである「風景」が新海さんの作品のなかには美しく広がっている。
ぼくはセカイの中心にひとり立ち、その限界を眺め、届き得ないセカイへの憧憬と茫漠さに浸るのだ。
  
だから、新海さんの作品の聖地はぼくの自意識のなかにしか存在しない。
聖地巡礼なんて端から不可能な場所に、その「風景」はあるはずなのだ。
『君の名は。』の大ヒットを受けて、ひとり置いてけぼりな気分になったのは、そんな質の悪い妄執によるものだろう(我ながら気持ち悪いことは自覚している)。
   
......そんなことを考えるぼくは、『言の葉の庭』を一緒に観た子と、新宿御苑でデートしたことを完全に忘却していたのでした。
都合が良い頭である。
  
  
ようやく「なにを考えてるんだ、自分は!」と我に返る。
窓から離れ、本棚を見上げた。
   
そこにはぼくの中学から高校時代にかけて読んだ本が、ぼくが好きだった本が詰まっていた。
去年も帰省はしていたのだけど、ひどく久しぶりにこの本棚を眺めている気がした。
卒論に追われていて、あまり余裕がなかったからだろうか。
自分がなにが好きか、忘れていた記憶が戻ってきたようで、安らぐ気持ちがした。
   
星海社文庫の白倉由美さん『きみを守るためにぼくは夢をみる』が本棚にはあった。
カバーイラストは新海誠さんだ。
   
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帰省したときより大量の本を鞄に詰め込んで、ぼくは東京に戻ってきた。
もうしばらく帰らないつもりだ。
  
3日の『君の名は。』放映は結局観なかった。
すでに10回くらい観ているのだ、充分である。