編集部ブログ書籍情報

2024年10月22日 10:30

ビビる新人編集者の5ヶ月間。尼野ゆたか著『事件現場のソクラテス』ができるまで

星海社で編集をしています、栗田真希です。2023年3月に星海社に合流しました。はじめて小説の編集をしたので、その一部始終をこの編集者ブログで書いてみようと思います。

なにせ、はじめてのことなので、いろんなことがありました。長くなりますが、よければお付き合いください。こちらの3本立てでお送りします。

①はじめての打ち合わせでビビる
②原稿があがってきてビビる
③尼野さんの実像にビビる

事件現場のソクラテス_cover+non.jpg

******

①はじめての打ち合わせでビビる

2024年、今年の5月に担当した新書が発売になりました。唐木厚さんの『小説編集者の仕事とはなにか?』という本です(星海社では、編集者はみんな小説も新書も漫画も編集できます)。

わたしは星海社で書籍編集をはじめる以前は、コピーライターや、webメインのライター・編集をしていました。社会人経験はありますが書籍は右も左もわからない状況です。そんななかで、唐木さんにタイトル通り『小説編集者の仕事とはなにか?』をおうかがいできたことは、大きな財産となりました。

というか、貴重な経験すぎますよね? 京極夏彦さんや森博嗣さんのデビュー作の担当編集であり、メフィスト賞の立ち上げに携わった、超S級の編集者に本をつくるという機会を通して直接指南していただけたのです。

唐木厚『小説編集者の仕事とはなにか』

『小説編集者の仕事とはなにか?』詳しくはこちら

『小説編集者の仕事とはなにか?』の仕事がひと段落し、わたしが思ったことといえば「小説の編集をしたい」でした。当然です、読者のみなさまにそう思っていただけるように全力で唐木さんの本をつくったのですから、編集したわたしがいちばん影響を受けます。

そこでお声かけしたのが、今回『事件現場のソクラテス』を書いてくださった尼野ゆたかさんです。

尼野さんの『期間限定皇后』(二見書房)がとてもおもしろく、そこから『お直し処猫庵』(富士見L文庫)も読んで、お声かけしました。

以下が、最初にお送りしたメールの一部です。

ご依頼したい小説の内容について、打ち合わせ次第ではあるのですが、現在の希望としては、バディものをお願いできたらと思っております。それは『期間限定皇后』が私にとっては恋愛ものというよりお仕事ものとして魅力的であり、もっと言うと、個性や性格の違うふたりが力を合わせて難局を乗りきり何かを達成するバディものとして素晴らしいと感じたからです。尼野さまが思う「最高のバディもの」を書いていただけたら、どんなものができあがるだろうと勝手に想像しています。

ご連絡したところお打ち合わせさせていただけることとなり、ちょうど尼野さんが5月に開催の文学フリマで東京にいらっしゃるタイミングだったので、すぐお会いする約束をしました。幸運なスタート!

待ち合わせ場所は、浜松町駅近くのカフェ。打ち合わせの前日に文学フリマでも一瞬だけご挨拶済みでした。ちいさなカフェには他にお客さまはおらず、珈琲の似合う静かな雰囲気の店員さんがひとり。そんななかで、打ち合わせがはじまりました。
これが、原稿があがってくるまでに尼野さんと直接会った、唯一の機会でした。

まず話したことは、わたしの自己紹介です。どんな出版社のどんな人間なのか、ということを知らずに依頼を受けていただくことは難しいですし、なにより。

「小説の編集をしたことはありません。小説家の方とお打ち合わせするのはこれがはじめてです」

これを言わないといけないわけです。ビビりながらお伝えしました。

「はじめてで僕にお声かけくださって、光栄です。やりましょう」

えっ? 尼野さんにまったく躊躇がない......! 即答すぎる。わたし、ビビりました。ビビるに留まらず、なぜそう言ってくださるのかまるで理解できなかったのですが、うれしいことではあるので、「よろしくお願いします」と頭を下げました。えっ、なんで即答でOKなんですか?

そこから、企画の話になりました。バディものを書いてほしいということに加えて、星海社はミステリに力を入れていて、「ミステリカーニバル」というイベントも開催しているので、もしご興味があればミステリはいかがですか、という話もしました。

お互いどんなバディものが好きなのか、などなど話します。すると、ふと哲学者と警察官のバディものの構想が尼野さんから出てきました。立て板に水のごとく、すらすらと語る尼野さん。

わたし、ビビりました。なんでそんなにキャラクターの骨格がすぐに浮かび上がってくるのか? 哲学についての知識が豊富なのか? 物語の流れが構築されていくのか?

えっ、小説家ってこういうものなのか!?

感動しながら話を聞いていました。わたしはライティングをメインに仕事をしてきて、とくにインタビューの仕事が好きでした。他人に訊ね、話してもらい、その言葉を録音しておき文字起こしをして、その人になりきって構成する。ときには相手が話してないけどきっと言いたかったであろうことまで踏み込んで書くこともありました(もちろん書いたものは本人のチェックを経て公開されます)。

けれど、小説の登場人物が、彼らの出てくる物語が、突如として目の前で形成されていくというのは未知の体験で、圧巻でした。自分には到底できない、神秘を見た気がしたのです。

あまりに話に集中しすぎて、カフェの店員さんに「そろそろ2杯目を頼んでいただけますか」と言わせてしまいました。そりゃそうですよね、すみません! 追加の珈琲とちょっとしたお菓子も頼みました。

そこから、10月に刊行することを目指して走り出すことに。ミステリカーニバルに間に合うといいですね、という話があったからです。

とはいえ、これがすでにめちゃくちゃタイトなスケジュールであることは小説家のみなさまにはおわかりかと思います。しかもゼロから!

尼野さんはとにかく人柄が素晴らしく、わたしのような新人の言葉をすべて受け止めてくださいました。あと打ち合わせ終わり、気づいたら尼野さんは駅を使わないのにわたしを浜松町駅まで送ってくれました。えっ、どういうこと!? 駅を使うから一緒に歩いてきていたのでは!? 呆然としながら改札を通りました。

あまりに理解の範疇を超えていたので、このときもしも「栗田さんはヒトに化けたキツネに騙されていたんだよ」などと言われたら信じていたと思います。

とにもかくにも、そこからすべてがスタートしました。

②原稿があがってきてビビる

まずはプロット(全体の流れ)をつくってもらって、その情報をまとめて社長に提出し、何度か修正したあとで、OKをもらいました。

個人的に、唐木さんにもプロットが通った段階で話を聞いてもらいました。そこで「警察のことを知ったほうがよいのではないでしょうか。警察自体というより、栗田さんは警察小説をもっと読んでおいたほうがいいですね」と言っていただき、いくつかおすすめいただいた本を読みました。わたしは警察ものというとドラマばかり観てきたので、これは非常にありがたいアドバイスでした。

「唐木さんに相談したら、かくかくしかじかで、警察小説を読んでおきます!」と尼野さんにお伝えすると、尼野さんは尼野さんで、さらなる資料の読み込みをしてくださいました。哲学書もあんなに読んでいたのに、信じられない。わたし、ビビりました。

尼野さんの原稿執筆期間にわたしにできることは、参考になる本を読みつつ、原稿を待つこと。ほかの本をつくりながら、ひたすら待ちます。

そして、第一章から順番に、原稿が届きました。

この物語のメインは、ふたりの男性です。ひとりは哲学者。哲学第一で生きている、捜査顧問・備前京輔。彼のイメージは、最初から尼野さんのなかで揺るぎないものだったように思います。哲学のために廃校を買い取り体育館を本で埋め尽くし、哲学のために事件捜査に協力する、変人です。もうひとりは、新人の警察官僚、いわゆるキャリアの鷺島叡太郎。奇怪な京輔とバディを組める個性を持った視点人物を生み出す、というのは難しいことに思えましたし、尼野さんのなかでも試行錯誤があったように見えました。

しかし、できあがった原稿を読むと、どんどん叡太郎という人間が血肉を得ていくのがわかりました。こういう人だったのか! とパズルのピースが埋まっていくような感覚がありました。それにもわたし、ビビりました。なんでこんなふうに、人間をつくりあげられるのか。

以前、唐木さんに言われた言葉を思い出しました。
「小説を書く、視点人物をつくるということは、ひとつの宇宙をつくるのと同じことですから。作家というのは凄まじい仕事ですよ」。

宇宙の創造。まさに。そして編集者はその輝かしい魔法を間近で見ることができるのです。こんなに恵まれた仕事はない、と新人書籍編集者として思いました。

それよりなにより、尼野さんはこれまで本格的に哲学を勉強したことはないとおっしゃっていたのに。「一緒にお互い積読していた『学びのきほん 哲学のはじまり』を読むところからはじめましょう〜」なんて言っていたのに。

哲学の言葉がこれでもかと溢れ出ていて、京輔という人間に説得力を与え、それでいて叡太郎視点で難解な哲学もわかりやすく読者に差し出していることに、驚くを通り越して、わたし、ビビりました。

のちに2回目にお会いしたとき「尼野さん、大学で哲学を勉強していたとかじゃないですよね?」と改めて確認してしまうほど、信じられないものだったのです。疑ってすみません。

そんな尼野さんの原稿を読んで、わたしは編集者として、感想と要望をお伝えしていきます。尼野さんはほんとうに柔軟で、わたしが「ラストのところ、ソクラテスなので可能だったら京輔には〇〇してほしいです」と無理難題なお願いをしたところ「わかりました、そうしましょう」とすんなり受け入れて、原稿を書きあげてくださいました。

弊社の社長太田にアドバイスをもらうだけでなく、唐木さんにもすべてが揃ったタイミングで読んでいただきました。なにせはじめてのことばかりなので、唐木さんに甘えてご相談をしてしまいました。唐木さんは私の小説編集の師匠です、こんな出来の悪い弟子を持ちたくないかもですが!

唐木さんからは「書店員の方にもこの作品の魅力が伝わるのではないでしょうか。何よりもよいと思ったのは、シリーズ化に向いた設定にも拘わらず、この一冊で最終巻のような盛り上がりがあるところです」と感想をいただき、うれしくなりました。

それだけでなく、ページ数との兼ね合いもあり参考文献を入れるかどうか悩んでいたところ、「今回の作品の場合、参考文献、引用文献の表示はしたほうがいい」とアドバイスをくださいました。結果として、参考文献を入れたのはよかったと思います。唐木さんの的確なアドバイスにずっと助けられました。

ここで、『事件現場のソクラテス』の参考文献を公開したいと思います。ご覧ください。

<参考文献一覧>

事件現場のソクラテス参考文献1.png

事件現場のソクラテス参考文献2.png

事件現場のソクラテス参考文献3.png

事件現場のソクラテス参考文献4.png

事件現場のソクラテス参考文献5.png

事件現場のソクラテス参考文献6.png


さて、できあがった原稿、ここからがまだまだ大変です。

まず、販売価格を抑えるために、ページ数を減らしていただきました。尼野さんに細かく調整いただいて、世に出るかたちになったのです。ほんとうにお手数をおかけしました。

原稿が固まってきたところで、タイトルも確定させなければなりません。このタイトルが、なかなか決まりませんでした。仮タイトルは『ソクラテスの幻影』で、これもいいと思っていたのですが、「哲学ミステリ」で警察ものであるのだということが伝わるもののほうがいい、という指摘があり、変更することにしました。

それに、唐木さんの新書『小説編集者の仕事とはなにか?』には「幻」という言葉をタイトルに使った作品は売れない、と書かれています(ほかにも口伝でNGとされているワードをいくつか教えてくれました、新書を読んでください!)。

あれこれたくさん案を出したのですが通らず、頭を抱える時間が長くありましたが、最終的に尼野さんが考えてくださった『事件現場のソクラテス』に決定。作品に似合うタイトルになったと思います。

尼野さんの原稿推敲が終わったら、編集者がルビを振っていきます。もともと尼野さんがルビを振ってくださった部分も多くあり、それ以外の部分で「あったほうが親切だな」と思うルビを追加していきました。

ルビを振るのは新書や漫画でもやっていますが、小説はまた違います。どこまで振るか迷いつつ、「迷ったら振る!」という先輩の教えにしたがって作業しました。

それから、校正校閲をしてもらいます。星海社の場合は、書籍の校正・校閲を専門とする鷗来堂さんにお願いしています。いつも丁寧にすばらしい仕事をしてくださる鷗来堂さんですが、今回もさすがの仕事ぶりで、たいへん助けられました。「危なかった、助けられた......!」と思うことが毎回たくさんあります。

今回とくに大変だったのは、『事件現場のソクラテス』には多くの哲学書からの引用がある点です。そのすべてを校正校閲で正しいかチェックしていただきました。鷗来堂さんにチェックをしてもらうためにも、引用元の資料が必要になります。今回、尼野さんに引用したページの写メを送っていただいて、確認にまわしたのですが。

尼野さん、めちゃくちゃ本に書き込んでらっしゃる......! それはさながら、哲学者・備前京輔のようでした。本と対話するかのように、読んでいるのです。線が引かれ、書き込みがされたページを見て、わたし、またビビりました。

校閲に入れているあいだに、わたしも印刷したゲラを音読をして確認しました。ほんとうは校閲に入れる前にやるべきことですが、タイトなスケジュールだったので。尼野さんは「音読までしてくださって」とよろこんでくださったのですが、わたしのなかでは必要なことであり、ライターだったときからの習慣です。たぶんみなさま音読されているんじゃないでしょうか。ただ、web記事を書いていたときは多くても約5000字くらいだったのに比べて、書籍は約10万字。その違いはあるので、声がやや枯れたりするものの、甘いものを食べると大丈夫です、いけます。こういうちょっとしたことでも尼野さんは日々褒めてくださって、いろんな壁にぶち当たりつつも、やりとりは常に円滑でした。はじめて担当する小説で人格者である尼野さんと組めたことは僥倖というほかありません。

そうして、原稿が整えられていくあいだに、デザインも進めました。

今回、イラストは慧子さんにお願いしました。わたしが用意した候補のなかで尼野さんが「ぜひこの方に」とおっしゃってくださった方です。
美しく、存在感のあるイラスト。目が惹きつけられる引力が慧子さんのイラストにはあります。ラフのときからインパクトがあって、何度も「慧子さんにお願いしてよかった」と思いました。依頼前に慧子さんのイラストをいろいろ拝見していたのですが、京輔のような無精ひげを生やした男は見かけませんでした。慧子さんはどちらかと言えば女性を描かれることが多い方です。いただいたプロフィールにも「指先まで気をつかった美しい女性をコンセプトに創作活動を展開中」と書かれています。しかし、だからこそ知的で凛とした男性を描いてもらえたら作品に似合うと思いご依頼しました。そんなオーダーを引き受けてくださって、感謝しています。

デザインは、「円と球」の白川さんにお願いしました。星海社のFICTIONSのデザインを多く手掛けてくださっていることはもちろんですが、男ふたりのバディものなら、白川さんがかっこよく知的な雰囲気にまとめてくださると思ってのご依頼でした。イラストのラフの段階でも白川さんにお見せして、ご相談に行きました。どうしたらバディのふたりが引き立つ見せ方ができるのか教えていただき、とても勉強になりました。

あがってきたデザインは、さすが円と球さん! 見た瞬間「わあ......」と小さな声が出ました。すぐに印刷して、束見本(つかみほん:本になったときと同じサイズ同じ紙同じページ数の、中が真っ白な本)に巻きます。

デザインがきたら、すぐに巻く。小説に限らずこれが大事と教わりました。紙の本は立体物なので、平面で見るのと本のかたちで見るのと、全然違います。ハンガーにかかったワンピースを着てみたら印象が全然違うのと似ている気がします。巻いた上で、ジャッジをします。
以前、凄腕の編集者の人が「書店で束見本にデザインを巻いたものを置かせてもらって、どう見えるかチェックしている」と言っていました。今回は「これだ!!」という確信があったのでそこまでしなかったのですが、唐木さんの新書のときは帯文のフォント違いでどれがいいか迷って決められず、書店に許可を取って、棚に置かせてもらいました。そんな感じでデザインを見ています。

カバーや帯のデザインが確定したら、色校に出します。カバーに使う紙に印刷したときに、色が綺麗に出るか、実際に印刷会社で印刷してもらってチェックするのです。今回はちょっぴり豪華に特色を使っているので(帯には銀を......!)プリンターでプリント用紙に印刷するのとは全然違う仕上がりになります。しかも、星海社FICTIONSの場合、基本的にPP加工をして表面をつるつるに仕上げるのですが(質感が変わるだけでなく汚れにくくなり強度も上がります)、そうするとまた色が変わるのです。色校ではPPありとなしを出力してくださるので、その違いがよくわかります。

色校が出てきたら、もちろんまた切って束見本に巻きます。この瞬間は、すごくグッときます。完成像がリアルに見えるのです。束見本がなくても紙の厚さとページ数を計算すれば、だいたいの本の厚みは算出できるのですが、わずかに誤差が生じてしまう場合も。巻いて試しておくと、印刷してからサイズが合わなかった......! というようなミスを防ぐこともできます。

色校を刷る期間が必要なこともあり、先にカバーや帯をデザインしていただいて、そのあと本の中身のデザインをしていただきます。とはいえ、星海社FICTIONSはレーベルなので、基本のフォーマットは決まっています。ちなみにスピン(しおり紐)も星海社FICTIONSのオリジナルのリボンが使われていて、わたしはとても好きです。デザイナーさんに今回お願いしたのは、冒頭にあるデザイン扉と目次、章扉です。

これがまたかっこいいので、見てください。

<デザイン扉>

デザイン扉.png

<目次>

目次.png

<一章の章扉>

一章扉.png

それから、忘れてはならないのがDTPの方々の仕事っぷりです。デザインされたものを印刷に適したデータに整えてくれます。ときにフォント選びも。わたしが書籍の仕事をはじめるまでは想像もしていなかった、本づくりの縁の下の力持ち的存在。

今回はフォントにない字を使ったのですが、その字もDTPの方がつくってくださいました(ぜひ読んでどの字か探してみてください!)。DTPの作業は印刷会社にお願いする場合が多いのだと聞いていますが、弊社には凄腕のDTPが揃っているので直接やりとりして、いろんなことを教えていただいてます。さらに電子書籍も端末で見やすいように工夫してくださる担当の方がいて、星海社の布陣は強いです。

著者が作品を書き、イラストレーターが装画や挿絵を描き、デザイナーがデザインし、DTPがデータを整え、印刷会社が色味を試行錯誤しながら刷って製本してくれます。

紙の本は、こうしてさまざまな方々の協力があって、できあがります。

編集者として、できることはなんでもする。そう思っています。だって、こんなにたくさんの方々が協力してくださっていて、なにより作家は多くの時間を費やして「宇宙」をつくってくださっているんですから。とはいえ、編集の仕事に努力賞なんてありえませんし、できること自体そう多くはありません。
以前、弊社の社長・太田がこんなことを話してくれました。
「おれたち編集者ができるのは、作家のつくったものにワックスをかけるくらいのものだよ。われわれは、作家の才能でメシを食ってるんです」

尼野さんの作家としての力量がほぼすべてで、わたしが編集者としてできたことはそう多くはないですが、なんとかひねり出して自分の仕事をひとつ挙げるとするならば、今回はあとがきから軽妙なジョークをなくしてもらったことかもしれません。
ジョークがぜんぶダメなんてことはもちろんなく、尼野さんの作品だと『お邪魔してます、こたつ犬 』(富士見L文庫)でしゃべる柴犬がジョークを言うところ、好きです!

ただこの本をつくるにあたって、わたしは勝手に「いままでで一番かっこいい尼野ゆたかを世に問うてみたいな」と思っていました。すでに作家活動も20年になろうかという尼野さん史上、一番かっこよく!

とはいえ、「かっこいいのをお願いします!」とはさすがに言えません。抽象的だし、そんな注文されても困りますよね、わたしも依頼される側だったら困ります。それに、わたしが変な伝え方をしてしまって、書き手の「かっこよくしてやろう」みたいな過剰な意図が読者に透けて見えてしまったら、たぶんかっこわるい作品になってしまう。

だから、バディものを打診してみたという面もありました。尼野さんが提案してくださったバディものはほかにもあったのですが、かっこいい作品に仕上がりそうな気配のある案を選びました。そして、イラストもブックデザインも、本文も、かっこいい作品ができあがりつつあるところに、あとがきに入ってきた絶妙なジョーク。そんなところも尼野さんの良さだと思いつつも、作品に合わせて今回はかっこよく締めていただきました。

『事件現場のソクラテス』すごくいい感じに仕上がっています。ぜひぜひお読みいただきたいです。

③尼野さんの実像にビビる

ここからは、ちょっぴり蛇足をお届けします。

ほとんど『事件現場のソクラテス』の作業が終わりに差し掛かったタイミングの9月はじめ、尼野さんが関西から東京にいらっしゃいました。正確に言うと、ギリギリ東京にたどり着いていました。なんと大雨の影響で途中足止めをくらって、静岡あたりでしばし過ごさなければならなくなっていたからです。

その連絡をもらったとき、わたしは尼野さんに「打ち合わせの前に厄払いに行きましょう」と提案しました。打ち合わせの前に、神田明神に商売繁盛(本が売れますように)と厄除け(電車が止まったりしませんように)のためにお参りすることにしたのです。

その待ち合わせの日、尼野さんは遅刻してきました。わたしは全然気にしていないのに、ひたすら謝る尼野さん。総武線のホームになぜか東西線がやってきて......みたいに遅刻してしまった理由も教えてくださったのですが、そもそもわたしは気にしていません。

「えっ、尼野さんにとっては慣れない、狂った街東京ですよ。ちゃんと目的地に向かう意思があって、たどり着いていて、遅刻くらいどうでもよくないですか?」
「いや、そんな......ほんとうにすみません、ぼくはどうも遅刻したり物を忘れたり、そういうところがあって......いつも作家の最東対地さんとかにもご迷惑をおかけして」

わたし自身が粗雑で遅刻することもある人間なので責める気はこれっぽっちもないのですが、尼野さんはなんだかしょぼんとしていました。そのワケがあとからわかります。

神田明神では、しっかりお参りしました。「尼野さんが電車のトラブルとかに巻き込まれず過ごせますように、これからもたくさんいい作品が書ける環境でありますように、なにより『事件現場のソクラテス』が売れますように!」

お参りしたあと、「栗田さんがお参りしてくれたし大丈夫、おみくじを引きます!」と尼野さんが言い出しました。わたしはビビってしまって止めたのですが、尼野さんは止まりません。

結果、末吉。

『事件現場のソクラテス』が売れるために、これで帰るわけには......! 仕方がないので、わたしもおみくじを引きました。

結果、末吉。

悔しがるわたしに、スマホをぽちぽちする尼野さん。顔を上げてスマホを見せながら、こう話してくれました。
「末吉は、吉の末ではなく、これから吉になるという意味です!」
全国子ども電話相談室の末吉の解説ページがスマホ画面には表示されています。
「そんな動揺しなくても、大丈夫ですよ!」と思わず肩を叩きました。運はともかく、作品は大丈夫です!!
なんだか尼野さんの作品『神様の恋愛相談請け負います 僕と白猫の社務日誌』(富士見L文庫)を思い出しました。おみくじの結果を諦めない、それが尼野ゆたか......!
わたしとしては今後、編集担当した本の発売時におみくじを引くことはせずに生きていきたいと思います。

そのあとの打ち合わせでの尼野さんも前回同様に凄まじくて、わたしが素朴な質問をするだけで、わーっと物語を補強するための展開を話してくださいました。遅刻をしてしょんぼりしていたときとは、別人かのよう。やっぱりすごい。わたし、ビビって鳥肌が立ちました。

そんな感じで打ち合わせもバッチリして別れたあとに、遅刻したときに尼野さんがおっしゃっていた言葉が引っかかって、つい最東対地さんと尼野さんのTwitterでのやり取りを遡ってみたんですね。

そうしたら尼野さん、いろんな方からすっごいドジっ子キャラとして愛されているではありませんか。「またやってしまった......」としょぼんとしていたのも、頷けます。とくに最東対地さんのブログ「断罪のファロ」を読んで、その遅刻と忘れ物だらけの旅模様を知って、わたし、ビビりました。

わたしが知ってる尼野さんじゃない......! まだ2回しか直接お会いしたことはないですが、最初の打ち合わせでは、カフェから浜松町駅まで、駅を使わないのにもかかわらず送ってくださった尼野さん。作品づくりにおいても、常に理論的にお話しされていて頼りになる尼野さん。博覧強記の人、尼野さん。

もしかしてまったくの別人では?

そう思いつつ、尼野さんに「断罪のファロ」を拝読して別人じゃないかと驚いたことをお伝えすると、こうお返事が返ってきました。

「それは、ぼくも新人の編集さんということで、どうにか栗田さんをひっぱり上げたいなという気持ちでいたので、ミスをしないように気を張っていたところもあります」

や、やさしい......! 唐木さんの『小説編集者の仕事とはなにか?』にこんなことが書いてあります。
編集者になったばかりのころ、太田忠司さんをはじめ、作家の方々にとても暖かく接していただいた唐木さん。「作家には『自分の担当者をなんとかしてやりたい』と思う方も多いことを知りました」と。そんなこともあるんだなあ、と遠いできごとのように思っていたのですが、自分の身にも似たことが起きていました。なんてこった!

わたし、発売してからもう一回、ひとりで神田明神に行ってお参りして、おみくじを引いてこようと思います。『事件現場のソクラテス』がたくさんたくさん読まれますように。叡太郎と京輔、ふたりの出会いと成長を楽しんでもらえますように。哲学との出合いに心ときめかせてもらえますように。

今度は大吉が出るまで、あきらめずビビらず、おみくじを引き続けるつもりです。

事件現場のソクラテス_cover+.jpg

『事件現場のソクラテス』試し読みページはこちら

2024年10月26日(土)と27日(日)に開催されるミステリカーニバルでのサイン会に尼野ゆたかさん参加!
尼野さんは27日(日)の第2ターン12:30〜13:30のブースDにいらっしゃいます。尼野さんにサインをもらえばみんな大吉!? ぜひお越しください。

ミステリカーニバルについて詳しくはこちら