編集部ブログ夜の最前線
先日、『ジャッジ・ドレッド』という映画を観てきました。原作はイギリスのSFコミックで、1995年にシルベスター・スタローン主演で映画化されるほどの人気作品です。初の映画化から今回再スタートをきるまでに18年。この短い期間の間に映画が想像する未来、つまり未来に対する視線がかなり変わったように感じましたので、今日はそのことについて書きたいと思います。
【公式】『ジャッジ・ドレッド』予告
ジャッジメントターイム!
『ジャッジ・ドレッド』は近未来のお話です。95年の旧作版は、より具体的に西暦2139年と設定され、煌びやかな高層ビル、空飛ぶ車に歩くロボット。今はまだ見ぬスバラシイ科学技術が作品の中で散見されます。一方、最新版『ジャッジ・ドレッド』では、煌びやかな未来都市はなく、ひたすら地味で汚い街が登場します。主人公のバイクも、空飛ぶエアロバイクから普通の二輪車に格下げされていました。
こうした架空の未来に華やかさが失われたのは、本作に限った話ではありません。80〜90年代でしばしば描かれた、豪華絢爛な未来都市は最近めっきり登場しなくなったような気がします。
これは、かつてのSFで描かれた未来と、現代に生きる私たちのリアリティにズレが生じた結果なのではないかと思います。
だって、皆「もう科学が飛躍的に進化することはない」ってうすうす感づいてるでしょう? 昔の人が想像していたよりも科学進歩が遅いというよりも、ドラえもんとは別のベクトルに科学が進化しているという感じでしょうか。
そこで登場したのが、都市のビジュアルをハイテク化するのではなく、都市を支配するシステムをハイテク化させるという未来です。ハードでなくソフトの進化。これこそが鉄腕アトムもドラえもんも創ることのできなかった21世紀が想像する新しい“未来”なのかもしれません。
こうした時代と共に変化する“未来”をいつか自分が担当させて頂く本の中に落とし込めることができたらなぁ。この作業って、今この時代を詰め込んだタイムカプセルみたいで素敵じゃないですか。うーん、私ってロマンチストすぎですかね?