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2013年3月13日 23:19

『大坂将星伝』ブログ⑩ 毛利勝永の有名エピソード篇

こんばんは、平林です。
『大坂将星伝』、完結編となる下巻の発売も迫ってきました
今回は、一冊丸ごと大坂の陣です。
今までの歴史小説に登場しなかった武将たちも沢山登場、盛り沢山でお送りします。
上巻も試し読み公開中、どうぞよろしくお願い致します!


さて、今回は、毛利勝永を巡るエピソードについて

戦国武将たちには、彼らの人間性を表すような逸話が多数伝えられておりまして、
そういうところから、キャラクターを想像するのも楽しいですよね。

毛利勝永についても、幾つかの逸話が伝えられております。
本日は、それらを見ていきましょう。

 

 

・勝永と奥さん
まずは、一番有名なこちらから。

豊臣家から誘いが来たものの、妻子を気遣って大坂入りを決められない勝永を、
奥さんが励まして勝永が大坂入りを決意、このことを聞いた家康も「妻子を罪に問うてはいかん」と言います。

こちらが『兵家茶話』『常山紀談』などに見える、勝永の最も有名なエピソード。
池波正太郎氏も短編「紅炎」で採用しておられます。

が、勝永の正妻(龍造寺政家の娘)は慶長15年に土佐で没しており
土佐に残った次男も京都所司代・板倉勝重によって処刑されたようです。
というわけで、この最も有名なエピソードは創作の疑いが濃厚であります。
勝永は、どうやら土佐で妾との間に一女をもうけていたようなので、
その情報を元に、正妻が生きているという設定で書かれたのかもしれないですね。
(この妾と娘は命を助けられているようです)


・黒田長政と加藤嘉明
天王寺の戦いで徳川勢を蹴散らして快進撃する毛利勢を見た、黒田長政と加藤嘉明の会話も有名です。
元々は『武家事紀』に載っております。

黒田「あのすごい采配は誰だ?」
加藤「彼こそ毛利吉成の子・勝永じゃ」
黒田「おお、こないだまで子供だと思ってたけど、まるで歴戦の武将じゃん!」

しかし、これもおかしいですよね。
黒田長政は九州で領地が隣り合ってましたし、
勝永が朝鮮や伏見城攻めで力戦したことも知らないのは不思議です。
そもそも、長政と勝永は互いに秀吉麾下の武将の二代目で、年齢は10歳も離れていませんから、
面識はあっただろうし、この言い草はどうにも不自然ですよね……。


・首は打ち捨てにせよ
勝永の旧臣・杉俊重の子・助左衛門が録上した『毛利豊前守殿一巻』にある、嫡男・勝家とのエピソード。

天王寺の戦いで、勝家が意気揚々と兜首を上げてきたのを見た勝永、
「見事! でも、その首は捨てなさい。このあとも打ち捨てにしてね」
と言って勝家を褒めながらもたしなめる。
でも、勝家の戦いぶりを見て「惜しいやつじゃ」とつぶやいたという。
そのあと、勝家はもう一人鎧武者を討ち取ったが、言いつけ通り打ち捨てにしたそうです。

この話はやや信憑性が高そうですね。
ただ、この戦いで勝永麾下にいた宮田甚之丞や長井九兵衛といった人達は、
自分が討ち取ったのがどこの誰なのかを大坂の陣後もしつこく調べています。
前日の矢尾・若江で討ち取られた藤堂家の侍大将たちの首は、
秀頼によって首実検されてますし、勝家は打ち捨てにしても、他の武者たちはせっせと首を取っていたでしょう。


・山内忠義と衆道関係?
トリをつとめるのは、皆様大好物の(?)衆道ネタ
武田信玄と高坂昌信、伊達政宗と片倉重長など、戦国時代は素敵な衆道関係がございますが、
勝永にも衆道ネタがありまして、噂のお相手は、土佐藩二代藩主・山内忠義!!
こちらは『武功雑記』より。

東西手切れとなった慶長19年、
山内忠義は徳川方として大坂攻めの寄せ手に加わることになった。
そこで勝永は、忠義の父・康豊に面会に行きます。

勝永「あのぅ、これ、お宅の息子さんと僕との衆道の契りの誓紙なんですわ。息子さんの判子もあるでしょ?」
康豊「……う、うぬぅ。よもや、おぬしとうちの息子がこれほどの仲であったとは……。わし、知らなんだ……」
勝永「こういう関係ですから、僕だけ土佐で留守番とか、辛いですよ。息子を人質に置いていくんで、大坂に行かせて下さいよ!」
康豊「ウーム……。しょうがないな……今回は特別だぞ?」

そして出発の日、勝永は見送りにきていた息子をどさくさにまぎれて船に乗せ、
そのまま大坂城に入ってしまいましたとさ。


このお話、大変面白くて僕も大好きなのですが、
流石にちょっと無理があります(笑)。
恐らく、勝永の大坂入りと活躍は、山内家にとってある意味不名誉なことだったので、
それを揶揄するような意味でできたお話なのではないかと思います。
衆道関係も、恐らく事実ではないのでしょう。
山内家自体は鷹揚なんで、勝永旧臣を多数召し抱えたりしていますね。

で、実際のところどうだったのか。
先述の『毛利豊前守一巻』を見ますと、康豊に誓紙を提出し、勝家を人質として残した上で、
忠義の加勢に行くということで土佐を出たことになっています。
勝家に関しては、宮田甚之丞が城内から奪い取って行った、とあります。
こちらのほうが真実に近いかも知れませんね。

なお、「勝永の大坂入りは、忠義は全く預かり知らないことで、あと康豊にも超迷惑かけましたごめん!」
的なことが書いてあります。
山内家に差出した文書なんで当然の気遣いですが、
その念の入れようから見て、もしかしたら忠義や康豊は知ってて行かせたのかも知れませんね。



以上、勝永の有名エピソードについて書いてみました。
勝永のキャラクターがぶれまくっていることといい、
逸話の元ネタがなくて、作者たちもさぞ困ったんだろうな……と思います。

『大坂将星伝』では、これらのエピソードをちょっとずつ変えながら盛り込んでみましたので、
そのあたりも注目して読んでいただけましたら幸いです!

 

来週も何か書きます!
それでは、ごきげんよう!