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2013年2月 6日 18:35

『大坂将星伝』ブログ⑤ 小牧長湫篇

こんばんは、平林です。
『大坂将星伝(中)』、発売が来週に迫ってきました。
また、試し読みでは、第2章「猿伯と狸王」、小牧長湫篇が公開されております。

今回、太郎兵衛(勝永)は徳川家康と初めて顔を合わせます。
ここから30年以上、戦国の最後の瞬間まで続く(或いは、維新まで続く)因縁の始まりです。
というわけで、今日は、小牧長湫について少し。


 

さて、このとき、家康は40代になったばかりで武将として脂の乗った時期。
幼少期の人質生活、今川家の武将時代、信長との同盟下での独立大名としての勢力伸長……と、
かなり経験豊富な人物ですよね、家康は。

この家康が、信長の後継者の地位に就こうとしている秀吉と対立し、
北陸の佐々成政伊勢の織田信雄紀伊の雑賀衆土佐の長宗我部元親関東の北条氏政、そして東北の伊達政宗などと結びます。
そして天正12(1584)年、ついに戦端が開かれます。
世に言う、小牧長湫の戦いです。

我らが主人公、森太郎兵衛(後の毛利勝永)は、未だ若年。
この戦場に武者として参加するわけではなく、
父・森吉成の馬子として戦場の空気を見聞します。

長湫の戦いで、秀吉軍は二人の大名が首を取られる事態に至ります。
一回の合戦で大名首が二つ取られる、という事態は、実は戦国時代を通観しても、極めて稀なのです。
そして、実は勝永は『大坂将星伝』の中で、大名が二人以上討死する合戦を、なんと3度も経験します。
そのあたりも注目して読んでいただけましたら幸いであります。

なお、長湫の戦いの様相は、
『改正三河後風土記』「長湫合戦付池田森討死の事」やその前後に詳しい記述があります。
編纂物ですので、信頼度はそれほど高くないと思われますが、
まとまっていて文章も読みやすく、活字化もされていますのでおすすめです。


(デジタルデータで読めるものが幾つかありますので、入手も容易ですしね……というか、徳川家達の署名入りのものが転がっている……)


さて、次回は満を持して長宗我部さんのことを書きましょうかね!