編集部ブログお知らせ
こんばんは、平林です。
今日からしばらくの間、断続的に仁木英之さんの『大坂将星伝』についてのブログを更新してまいります。
宜しくおつきあいのほど、お願い申し上げます。
さて、『大坂将星伝』は、上中下の全3巻。
仁木英之、乾坤一擲の大勝負であります。
主人公となるのは、森太郎兵衛。のちの毛利勝永です。
豊臣秀吉の最古参の家臣の一人である森吉成の嫡男として生まれ、
戦国最末期を生き抜いた知られざる名将です。
大坂の陣で真田信繁とともに大活躍をしたことで知られる勝永ですが、これまで彼をとりあげたフィクションは少なく、
『大坂将星伝』ははじめて勝永の生涯を描いた歴史小説となります。
さて、初回となる今回は予習篇ということで、
勝永が産まれた頃の情勢について見ていきましょう。
まず、勝永の産まれた年ですが、実はあまり資料が多くありません。
近世に武士として残らなかった家系は、大名であっても生年すら分からない、
ということがよくあるのです(秀吉の生年も未だ議論があって決着していません)。
勝永の場合、幸いにも『毛利豊前守殿一巻』という資料があり、
そこから天正5(1577)年生まれであることが有力とされます。
『毛利豊前守殿一巻』についてはまた改めてご紹介しますので今はスルーしまして、
勝永は、天正5年生まれである可能性が高い、としておきましょう。
では、この天正5年とは、どんな年だったのでしょう?
天正3年に武田勝頼を長篠に大破した織田信長は、
以降も着々と版図を広げていましたが、
この年、北陸では柴田勝家らが手取川で上杉謙信に完敗しています。
謙信は翌年に死去します。
また、畿内では、梟雄・松永久秀が謙信に呼応。
しかし、織田信忠や筒井順慶に攻められて信貴山城で自刃します(爆死は創作のようですね)。
筒井順慶は、「産まれる前からの宿敵」をようやく滅ぼした年でした。
織田信長は年末には右大臣となり、勝永の父の主君である羽柴秀吉は、
すでに織田家中で頭角を現して長浜を与えられていました(播磨攻めの最中)。
とすると、勝永は長浜で産まれた可能性が高いかも知れませんね。
そんなわけで、『大坂将星伝』では、勝永の長浜での幼少期も描かれていますのでお楽しみに。
因みに、勝永が産まれた天正5年の時点で、信長は43歳、秀吉は40歳、家康は34歳。
後に、大坂で轡を並べて戦うことになる真田信繁は、天正5年には10歳(これも確実かどうかは疑問ですが)でした。
伊達政宗や立花宗茂も10歳です。
そう考えると、戦国末期を彩った武将たちの中でも、勝永はさらに「遅れてきた」組なんですね。
この「遅れてきた武将」が、戦国末期のめまぐるしく変化する情勢の中で、
何を見、何を考え、そしてどのように行動するのか──。
どうぞ、『大坂将星伝』をお楽しみに!
上巻は、2013年1月16日発売です(以降、3ヶ月連続刊行)。
山田章博さんの美麗なイラスト、冲方丁さんの熱い帯コメントにも注目です!