編集部ブログ昼の最前線

2010年10月28日 22:03

今起こっていることは何なのか?

好きなパイはうなぎパイ!
「真夜中のお菓子 うなぎパイvsop」っていうのもあるんだけど、残念ながらまだ食べたことがありません。
という訳で「昼の最前線」の時間だよ! パーソナリティーのアシスタントエディター・平林です。こんばんはこんばんは!!!

 

今日は以前からずっと考えていることを書こうと思います。まあアレゲな話なので、電子書籍的なサムシングに興味のある人は、宜しければお付き合いくださいませ。

 

さて、この何年か本当に電子書籍がいろんな意味で盛り上がっていて、「紙の本や雑誌は数年で壊滅する!」みたいな極端な意見があったり、一方で「いや、なにがなんでも紙の本が最高なのだ!」と電子書籍について吟味もせずに言う人もいます。混乱に乗じて「電子書籍が熱い! 電子書籍に張れば儲かります! 一発当てましょう!」的に煽りに煽る人もいて、非常に僕たちを混乱させている訳ですが、個人的には風潮的なものに自分の脳を預けずに考えないといけないなぁとずっと思っています。

僕はこの種の議論をするに当たって、ずっとないがしろにされてきたのが歴史的な経過の検討だと思っています。誰も問題にしないから論点に挙がってこないけど。

強引に短くまとめると、中国を中心にとした東アジアでは紀元前から独自の文字文化が育まれてきて、それは近代以降西洋の影響を受けつつも独自性を失っていない。未来はある程度この延長線上にあるんじゃないか、ということです。「そんなもん参考になるかボケ」という方は別に考えなくていいと思います。でもまあ僕は考える。

で、具体的に考えているのは、竹簡から紙へという書写媒体の転換期に何が起こったのかというところ。

竹簡というのはこういうやつですけど、中国ではこれを三国時代くらいまで使っていて、『論語』やら『史記』なんかの中国古典はこの形で編まれました。もともと包装紙として使われていた紙が改良されて、三国時代以降書写媒体として支配的地位を確立していく訳ですけど、その移行は完全な置換ではなかった。荷札なんかとして長く使われたんですね(日本でも紙が伝来しているのに木簡がめちゃくちゃ使われていたのはご存知の通り)この辺は専門的になるので割愛しますが、今回の紙と電子のせめぎ合いを、竹簡から紙への移行と比較検討してみて、いくつか思いつくところがありました。

大ざっぱに言うと、「書写媒体として紙と電子は完全に置換可能なものなのかどうか」「書写媒体が変わることによって、文体などにも変化が生じるのではないか」「日本人はテラガラパゴス」という三点が個人的なポイントです。

竹簡と紙は、竹簡の方が優れているところもあったが、おおむね紙の方が優れていました。では、紙と電子だと、どちらがどう優れているのか?

竹簡から紙、手書きからワープロ、と個人で書けるテキストの量は書写媒体の進化で増大し、現在では記号や顔文字を駆使した文体も出現しました。では、既存の情報量を凌駕する文章や、新しい文体で書かれた文章を紙の本のフォーマットに合わせるのは正解なのか?

今まで日本人は、中国や西洋からいろんなものを取り入れて、今時な感じで言うとガラパゴス書籍を作ってきました。では、今更何か一元的な価値観に体重を預けられるのか?

電子書籍を作るに当たって「紙の本の読み味を再現しようとするのは本当の電子書籍ではない」という意見がありますが、これは確かに一面の真理だな、と。また、電子書籍が書写媒体として、紙と置換出来るようなものではなく、まったく違う次元のものだとしたら、いずれ電子書籍は現在言うところの「本」とはまったく違う代物に成長していくべきなのではないか、とも考えています。

まだまだ考え中なのでこれから意見が変わることもあるかも知れませんが、こういうことを考えていたりもするのでした……。

あと、最後にこれだけは言っておきたい。

 

 

 

あずにゃん大好き!!

けいおん! 1/8 中野 梓 (1/8 PVC塗装済み完成品)