星海大戦

第十九回

元長柾木 Illustration/moz

元長柾木が放つ、渾身のスペースオペラ!10年代の文学シーンをリードする「星海社SF」ムーブメントの幕開けを、“たった今”あなたは目撃する————。

第4章(承前)

5

叛乱はんらん部隊に占拠された太政大臣官邸に替わって、「第一の省庁」と呼ばれる内務省の庁舎が臨時の執政府として利用されていた。

このときイアペトゥスは、二重権力状態にあった。

八紘宮はっこうきゅうにおいては叛乱部隊が支配には及ばずとも主導権を握っていたが、その影響力が全土にいきわたっているわけではもちろんなかった。イアペトゥスの統治権は、依然として従来の内閣および行政機構が掌握していた。ゆえに通常の行政業務の遂行に関してはこれまでと異なるところがなかったが、ただ外交・軍事といった高度な意思決定が必要なことがらに関して、八紘宮と太政大臣を人質に取られた状態の政府は行動の自由を喪失しているのだった。

意思決定をさまたげていたのは、外的要因ばかりではなかった。

このとき存命の有力閣僚として、内務卿三浦みうら光兼みつかね伯爵、大蔵卿五代ごだい篝子かがりこ伯爵、兵部卿六車むぐるま庸倫つねとも侯爵、工部卿こうぶきょう花巻はなまき蘆愛よしちか侯爵といった人々がいたが、彼らは大きく動くことができずにいた。

たとえば

長房ながふさ公の遺訓を破ることになろうとも、この際やむをえん。八紘宮に地上軍を入れるしかなかろう」

兵部卿六車侯爵が王都駐留の地上軍第1師団を動員しての鎮圧を主張すると、

「へえ、兵部省を乗っ取られるなんてすてきな不始末を棚に上げて、そのままご自分が権力を握るつもり?」

と大蔵卿五代伯爵が嫌味いやみを言い、

「強硬手段は必要ない。寛大な処置を約束したうえで、彼らと交渉すればよい。正義とは理念ではなく結果であるはずだ」

という司法の最高責任者である刑部卿諏訪野すわの子爵の提案に対しては、

「貴様、叛徒どもとつるんでいるのか」

と内務卿三浦伯爵が罵倒に近い言葉を浴びせた。

「何よりも貴詮たかあきら公です。貴詮公だけでも何とかならないのですか。そのための気圏軍でしょう」

筆頭中納言である育村いくむら准男爵が発言すると、六車侯爵がふくれ面で返した。

「どうも、軍を動かすと勘ぐるやからがおるからな」

「気圏軍向きの任務ではない」落ちついた口調で言ったのは、気圏軍出身である工部卿花巻侯爵だった。「もともと征夷軍の後裔こうえいだ、救出任務など得意としていないし、そのための部隊もない」

「そもそも東雲しののめにこだわる必要はないでしょう」なおも育村准男爵は言う。「鹿室かむろでもどこでもいい、貴詮公に降りていただければいい。叛徒どもに占拠されているのは東雲の宙港だけで、代表船自体も他の宙港も無事なのですから」

恩寵おんちょう代表船が王都以外の場所に降り立つことを、統王陛下がとされればだな。で、どなたが参内する?」

こうした牽制は、八尋やひろ・非八尋の派閥の別なく行われた。誰もが同輩に先を越されたくない一方で、リスクを負うことも忌避きひしたいのだった。その結果として、事態の収拾が先延ばしされていたのだ。

事態の発生以来ひっきりなしに行われている会議には、中納言を務める一式敦彦いっしきあつひこ子爵も参加していた。

多くの人々が疲労の色を濃くしていくなか、彼は活力に満ちているように見えた。

この緊急事態において、彼はいちはやく行動した。政界の年長者たちがたがいの出方をうかがっているあいだに積極的に有力者たちと面会してその協力をとりつけ、大納言臨時代理とでもいえる地位を手にしたのだ。

彼が利用したのは、みずからが弱輩者じゃくはいものであるということだった。

「弱輩者の稚気を愛するというのは、老人の陋習ろうしゅうのようなものだ」彼は松永まつながという女性秘書官に対して説明した。「実行力の不足は、度量の大きさでおぎなうしかないからな」

そのように冷たく言いはなった彼ではあったが、しかしみずからの立場をわきまえてもいた。

公的な地位としてはあくまでも中納言のままであり、混乱に乗じて臨時に広報担当者としての立場を得たにすぎない。彼の能力が認められたうえでのことではなく、各方面への利害関係が薄い弱輩者の方が扱いやすいと判断されての処置だった。

そのことを理解していたから、彼は中納言として会議に出席してはいたものの、殊勝に分をわきまえて積極的には発言しなかった。

「さいわい、衆生は動揺していない。時間は連中にではなく、われらに味方する」

いちおう座中の第一人者である内務卿の発言を聞いた敦彦は、やはり黙したまま心中につぶやいた。

あたりまえのことを、得々と。それを早期に解決させてこそ有能というものだし、何より有意義じゃないか。

ただ敦彦は、上位者たちをあざわらったり状況にいらだったりはしていなかった。そこまで強い感情はない。

彼らが1週間かかるところを、自分なら2日でできる。そう自負しているが、彼には政争を生き甲斐とするような性向はない。友人である有嗣ありつぐのように、争いごとにみずからの存在意義を見いだしたりはしない。

会議が終わった後、敦彦は松永に言った。

「100年後に100年後の世界しか見ることができないのだとしたら、これほどつまらんことはないな」

敦彦より2歳年長である秘書官はもともと一式家に雇用されていた人物であり、敦彦とも気心の知れた間柄だった。よって敦彦の言いそうなことの予想はついており、とくに怪訝けげんな顔をしたりはしなかった。

「ここの老人たちのように、1週間でできることに1週間かけていては、俺たちはいつまでも時間の奴隷でいるしかない。人間として生まれた以上、100年後には、200年後、300年後の世界を見たいそう思うものだろう?」

「人それぞれかと思いますが」

松永はそっけなく答えた。

それじゃあ、話がはずまないじゃないか」

敦彦は苦笑した。

歴史や時間の流れにさおさすことこそ人間たるの証だと、敦彦は考えている。安閑あんかんと時間を浪費してはいられない。

といっても、彼はべつに生き急いでいるわけではない。あくまで、寿命までしっかり生きるつもりだ。

そのなかで時間を早回しにすることができれば、より多くのことを経験できるし、見たことのないものを見ることができる。つまり、より人生を楽しむことができる。彼はそういった意味で享楽主義者であるだけだった。

今回の変事については、彼には2つの思いがある。早く仕事を済ませたならばそのぶん空いた時間で人生を楽しめると思う一方で、自分の身に危険が及ばない範囲で興味深い推移をたどってほしいものだとも期待していた。

あまり期待はできぬか」

「私がよい話し相手でないのは、重々承知されているかと思っていましたが」

「君じゃない。奴らのことだ、叛乱を起こした。奴らが強力な脅威となることは、これまでの言動をみるかぎりではありえない」

「よいことです」

今回の騒乱によって、社会には何の動きも起こらないだろう。起こりようがない。

あくまで理念の問題であるタイタニゼーションなどを切実にとらえられる者はごく少ない。

タイタンの支配、タイタンの文化は、はるか昔からこの衛星ほしに根づいている。それをわざわざ否定する理由など、ふつうの人々にはない。3ヵ月前に移入されたものであっても、生活に影響がないかぎりは受容する。受容するどころか、宇宙のはじめからあったもののごとく認識する。それが、人間の忘却する能力だ。

「そうだが、じつのところ、危ういといえば危うかった。奴らが同調者の自然な蜂起を目指すような、いわば善人だから助かったんだ。だが、自力で政権を奪取しようと考えるような人間なら、どうなっていたことか」

「そのような地方叛乱なら、これまでにも前例はあります。それらはすべて鎮圧されています」

「もちろんそうだが、その方が俺たちにとっては危険だった」

覚悟が足りないのだ。

社会や人民などといったものに依存したことが、そもそもの彼らの間違いだ。覚悟のない者ほど、多くの人間に支持されているという物語に頼る。

しかし実際のところ、政権への支持などというものは統治にとって必要ないし、存在しないのだすくなくとも意識にのぼるような意味では。あったとしても、生理的な満足という水準だ。

存在しないものに依存することを彼らは新しい発明と考えているかもしれないが、そんなものは地球時代への退行にすぎない。伝統への回帰などとは違った意味での、本質的な意味での反動だ。

「それよりも危険なことがあります」

敦彦の思考をさえぎるように、松永が言った。彼女は雇用者に対して、あまり遠慮をするということがない。

「何だ?」

「貴詮公です」

その一言で、敦彦は松永が何を言おうとしているのかを悟った。

八尋貴詮が先ほど行った声明についてだ。貴詮の宥和ゆうわ的ともいえる声明は、敦彦が行った断固たる糾弾とは対照的なものだった。

「あの人らしいよ」敦彦は苦笑した。「俺をだしにして、自分は慈悲ぶかい統治者を演じた。奴らが投降しやすい環境を作ったわけだ」

「それだけではありません」

「知っている。あれは俺に対する牽制でもある。あまり図に乗るなよ、と」敦彦は肩をすくめた。「あの人は昔からそうだったな」

松永はうなずく。

「大丈夫だ。俺は優等生だからな。老人の陋習につけこむ程度の。粛清されるほどの危険人物じゃない。そういうのは

敦彦は、最後の部分は声には出さなかった。

そういうのは、有嗣なんかに対してする心配だよ。

そしてすぐに思いなおす。

いや、奴はとっくに心配警戒されているか。

6

「これは手土産です。手ぶらでは礼を失すると思いましたので」

男2人を両手に抱えたアーダルシュ・ライは、有嗣たちの部屋の扉の前に立ち、こちらの反応を確かめることなく言った。自分の言葉が聞かれていることに、まったく疑いをいだいていないようだった。

「この2人は、叛乱を起こした陸軍いや、地上軍とこちらではいうのでしたかの者たちです。建物の外からこの部屋を監視していました」

ライは、やつれたように見える表情でまっすぐ正面を向いていた。にもかかわらず、どこか上目遣いのような印象がある。卑屈なのではない。下の方から精神の内奥を視線でえぐってくるような鋭さがあるのだった。

「あなたは監視されていた。より正確に言いなおしましょう。あなたは軟禁されていた」

窓際の椅子に座して内衛星出身の男の言葉を聞いていた有嗣は、わずかに鼻を鳴らすようにして息をついた。男の言葉は、正しいといわざるをえなかった。

牧野まきの、外への通話を開け」

牧野は意見したそうな表情をしていたが、すぐに諦めたように頭を1度振ってから主人に命じられたとおりにした。

「アーダルシュ・ライ。貴公に地上軍の者を格技で倒す技術があったとは意外だな」

「お声をいただき光栄です」そう言って、ライははじめて一礼した。「いえ、身体能力は人並みです。ただ、不躾ぶしつけに他人の認識に入るのが得意なだけです。ここには内衛星インナーズのごとき階級システムはありませんが、それでも要領はさほど変わりません」

ライの返答は有嗣にとっては意味のつかめないものだったが、さして興味のあることでもなかった。深く考えることもなく聞き流し、牧野に扉を開けるよう指示した。

牧野が警戒しつつ扉を開けると、ライは両手に抱えていた男2人を乱暴に室内に放り投げた。

その2人はともに地上軍の制服を着ていたが、先ほど訪ねてきた里見さとみ中尉とは違う人物だった。それどころか、士官ですらないようだった。士官でない軍人というのは、有嗣にとっては新鮮だった。エリートである航宙艦乗りは全員が士官であり、下士官も兵も存在しない。

「1人は生かしています。尋問したいことがありましたら、そちらにどうぞ」

ライは言った。つまり、もう1人は殺したということだった。

牧野の警戒をよそに、ライは淡々と続ける。

「監視は今のところ、この2名のみです。軽武装でした。閣下に害意があるわけではないようです」

「ならば、勝手なことをしないでもらおう」有嗣は露骨に迷惑そうに言った。「これで、連中に明確に敵対する意志を示したことになる。何のために牧野を制止したのか。すくなくとも、この場所にはいられなくなった」

「どうでしょうな。閣下に武器を向けても、真情の大きさによって免責されると考えるような人々だ。つまり逆からいえば、こちらの暴力に対しても理解があるということです」

「その保証はどこにもない」そこで有嗣は気づいた。「盗み聞きしていたのか」

有嗣と里見の会話を聞いていなければ知りえないことについて、ライは言及していた。

「私が、ではありません」ライは床に転がっている地上軍の男たちを見下ろした。「この者たちが、です」

有嗣はまた鼻を鳴らした。

「動き、視界に入ってこいとは言った。だが、俺に不利な状況を作ってまで目立てとは言っていない」

「不利、ですか」そう言ったライの表情は、少々困惑しているように見えた。「わかっていらっしゃらないのでしょうか。地上にある時点で、あなたはすでに不利を背負っているのですよ。あなたは地上の人間ではない。地上では何の権限ももたない。にもかかわらず、おかしな連中に期待され巻きこまれる。そのことを理解されていないはずはないでしょう。だいたい、他人にかせをかけられることに甘んじるあなたではありますまい。しかも、このような地上の小動物どもに」

そこで奇妙なことが起こった。

有嗣の認識からライの姿が、まるで一瞬で空気に溶けるように消えたのだ。

異変は、有嗣のみに生じたのではなかった。牧野もまたライを見失ってあわてているのが、はっきりとわかった。

次の瞬間、ライはふたたび姿を現した。

窓際に座している有嗣の、すぐ目の前だった。どのように移動したのか、有嗣にはまったく感知できなかった。

「何の手管だ」

有嗣は言った。

「言ったでしょう、不躾に他人の認識に入るのが得意なのだと」

ライが答え、そして続けて何か言おうとしたとき、有嗣の視界が遮られた。

それもまた唐突だった。

有嗣とライの間に、いつのまにか有視ありみが割って入っていたのだった。有嗣には、目の前に突然弟の背中が現れたように感じられた。その動きには、ライもまた驚いているようだった。

「摂理を乱すようなまねはつつしんでいただきたい」

有視は静かに言った。

穏やかな口調ではあったが、そこには有無を言わさぬ厳しさもまた含まれていた。真理の裏づけによる確信とでもよぶべき、弟の語りのなかにつねに通っている芯だった。

「こんなもの、ただの手品だ。九重ここのえ有視准将、まさにあなたが今してみせたように」

ライは有視に対して言った。

「特任、です」

「それは申し訳ない。あなたの心はつねに《恩寵ブラフマン》とともにあるというわけか」

「あなたは世界をかき乱す。人々の幸福を毀損きそんする」

有嗣は驚いていた。弟がこのように自発的に動き、誰かに明確に敵対的な態度をとっているのを見たことがなかったからだ。

「さすがは神祇じんぎの職にあった方だ。予言の才にも恵まれているらしい。しかし私はあなたの兄上と話がしたいのだ。心配無用だ、私は武装していない」

「有視」有嗣は弟の背中に声をかけた。「とりあえず下がっていろ。何かと戦うのは、おまえの仕事ではない」

有視は一瞬躊躇ちゅうちょしたのち、脇に退しりぞいた。

「ありがとうございます」

ライは有嗣に言った。

「勘違いするな。敵と戦うのは俺の役割だというだけのことだ」

「私は敵ではありません。閣下、あなたとともに歩みたいと願っている者です。永遠の理想郷を統べる神、《人なる神》としてのあなたとともに」

「その話は以前聞いた。誇大妄想もはなはだしいな」

「承知しております。そして閣下、それはあなたも同様です。あなたは、無制約の混沌と化す戦場を望んでおられる。いや、世界そのものを混沌と化さしめることを望んでいるといってもいい。そのなかで武力による制覇を行うことこそ本懐であると。しかしながら現代は、軍事の果たす役割が歴史的にもまれなほど小さい時代です。軍事費の全体に対する割合を、閣下ならよくご存じでしょう。そんな状況で武力による世界制覇などを夢想することこそ、誇大な妄想というほかありません。もしも閣下が覇道を歩むのであれば、統治の領域は避けて通れないのです」

「気分が悪い物言いだな。それに、俺は統治になど興味はない」

「失礼しました。ここはあえて直截ちょくせつに述べさせていただきました。統治することなしに世界を変えることはできません」

「そして理想郷を目指すのか」

「はい」

「なるほど、気宇きうは壮大であるようだが、結局貴公は浄化派とやらと同じ種類の人間であるわけだ。理想の統治を目指し、他人を頼りとする、と」

「そうでしょうか。人々の幸福についての像は、閣下と私とで、そう違っていないはずです。閣下も私も、幸福に計数できない価値観を導入することを憎む者です。たとえば歴史、たとえば個性、たとえば自由、そういったものを。人はもっと簡単に幸福になれる。すくなくとも、不幸から遠ざかることができる。そう考える点で、閣下と私は同じであるはずです」

有嗣は返答しなかった。まさにその点においてはライと同意見であるからだった。

ただし、あまりこころよくはなかった。他人に心を読まれることは、そして他人に自分と同じだと言われることは、有嗣の好むところではなかった。

その悪い気分を振り払うように言う。

「理想、大望はよい。成功すればよかろう。だが失敗したら、また木星圏へ逃げるのか? 貴公は故郷を複数もっているようだからな」

「逃げ場所などありません。私は今、人文総局の工作員に追われていますから。ああ、人文総局というのは、木星委員会に直属して政治士官を派遣している部署です。亡命者でありながら政治士官の職を放棄して故国に舞い戻ったのが、どうも問題だったようです」

ライは他人ごとのようにさらりと言った。

「自業自得だ」

「まったくそのとおりです。ですから閣下と行動をともにすることができれば、自分の身を守るうえでも助かる、とはいえます。しかしそのような事情は、私としては考慮にあたいする問題ではありません。精神における私の故郷は、人類社会、これのみです」

「ふん、見上げた精神だな」

「しかし、まあこういった話は閣下にとって意味のあるものではないでしょう。退屈されているのがありありとわかります。たしかに、閣下は言辞の人ではない。1つだけ、簡潔に言いましょう。なぜか閣下は気づいておられないようですが

そしてこの次にライが述べた言葉は、まさに有嗣の心を打つものだった。

イアペトゥスの地表に降りて以来はじめて聞いた、彼の精神の中心に届く言葉だった。

ライは、このように言ったのだった。

宇宙うみにお戻りなさい。ここはあなたのいるべき場所ではない」

有嗣は時間が止まったようにさえ感じた。静止した時の流れのなかで、言葉によって精神を撃ち抜かれたような気がした。

他人に言われずともわかっていたことだった。

しばらく有嗣が不活性状態にあったのは、何よりも地上というものが彼に合っていなかったからだ。彼はグリーンホーンであり、宇宙うみの人であり、生まれながらの航宙艦乗りであったからだ。

自然と笑みがこぼれた。客観的にはそれは笑いではなく威嚇いかくに近く見えただろうが、有嗣の心は晴れやかだった。

有嗣は立ち上がった。

「理想は知らぬ。貴公が何を語ったかなど、すでに忘れてしまった。しかしたしかに貴公は、1つだけ正しいことを言った。それも、圧倒的に正しいことを。その一事をもって、敬意を払うにあたいする」

有嗣がここまで言葉に出して他者を好意的に評するのは珍しいことだった。皆無であったかもしれない。ライのことを高く評価したというより、それだけ彼は地上にんでいたのだ。

有嗣は宣言した。

「まずはここを出る。八紘宮など知ったことではない。尺郭チーグオに戻る」

尺郭は尺郭で、面倒な思惑の渦巻く場所ではあった。それでも、宇宙でみずからの艦隊とともにある方が、地上をのたくっているより幾層倍もましだ。

にわかに特有の蒼昏あおぐらい活性を取り戻した有嗣に、ライが言った。

「同行する許可をいただきたい」

ライの願いに、有嗣は明確に答えた。

よかろう」

7

地球のユーラシア大陸東方に浮かぶ弧状列島の気候を模したイアペトゥスの気候は、明確な四季の別をもち、太陽系で最も美しいといわれる。

この季節、夏にあたるイアペトゥスの昼は長いが、それでも橙に染められた夕の時間はすぐにすぎさり、空は薄暗くなっていた。

太政大臣官邸の高城たかぎ法行のりゆき少佐は、窓から射す光の加減の経過を目で味わいながら、淡々と指揮官としての職務を果たしていた。官邸は人の移動と話し声と熱気とでつねに落ちつかなかったが、彼は平静さを失うことはなかった。

応接セットのソファにじっと座りこんでいた高城に、1人の少尉が報告した。

「東雲の繁華街を見てきましたが、現在これといった問題は起こっていません。つねと変わらぬようすです。まるでここ八紘宮で何ごとも起こっていないかのような」

高城はうなずいた。

一般臣民の経済活動に支障をきたすことを、彼は何よりも恐れていた。であるから、その報告は彼にとっては満足すべきものだった。

報告した少尉の言外には、人々が彼ら決起部隊に同調する動きをみせないことへの焦りが含まれているのがわかったが、彼は穏やかに、なだめるように言った。

「待つことだ。待てなくなったとき、それはみずからの正しさを信じることができなくなったときだ。準備を行い、そして行動を起こしたことの正しさを疑いはじめたときだ。信念あるかぎり、短慮は起こすな」

そのやりとりにかつえたような冷たい視線を浴びせていたのは、史部ふひとべ数成かずなり中尉だった。

何を生ぬるいことをやっている、と彼は心中につぶやいていた。

彼はこの場にいる大多数とは違って、信念などはじめからもちあわせていなかった。少佐らの理想に共鳴してこの決起に加わったわけではない。彼にあったのは、ただ上昇への渇望だった。

大衆など、どうでもよい存在だった。それは、彼にとって「下」を意味するものだったからだ。彼は「上」にしか興味がない。上を見、そして上に駆けあがること、彼が望んでいたのはそれだけだ。

障害があるなら、排除し、屈服させ、ほふり、階梯かいていを上る。彼にとって、世界はそのように単純なものだった。待つことなど、停滞でしかありえない。信念で動いている大多数の決起部隊の者たちとはまったく同居しえない精神を、彼はもっていた。

彼の飢餓的な視線の先では、無意味と思える光景が展開されていた。

「こちらが焦っているとき、敵もまた焦っている。そのことを肝に銘じておくことだ」高城の話は続いていた。「われらだけが焦っていると思うと、自滅に近づく。楽観視は許されないとしても、われらが大義に愛されていることは忘れるな」

そのとき開け放たれていた戸口から、機敏で姿勢のよい士官が入ってきた。幾人かの「候補者」との面会を済ませてきた里見中尉だった。

里見が口を開く前に、高城が言った。

「そのようすを見れば、おおよそ結果は予想がつくが」

「積極的に乗ってくる方はおりませんでした。二衛にえい男爵や保科ほしな少将は多少興味を示したように見えましたが、慎重に言葉を選んでおられました。九重子爵も、表面上はやはり警戒されているようです。ただ一方で、明確に敵対の意志を表明された方もおりません」

「それで十分だ。落胆する必要はない。とくに九重子爵はグリーンホーンだ。唯一長房公と渡りあった、一貴かずたか公と同じく」

そのすぐ後のことだった。

九重有嗣を監視していた兵士からの連絡が入ったのは。上官と2人組で監視していたが、有嗣の仲間に上官が殺害されたうえ、有嗣らは投宿していたホテルから姿を消した、と兵士は述べた。

その報告に、執務室内の者たちは色めきたった。

監視に気づきそれを殺害するというのは、明らかに彼らへの敵対を意味するからだった。無念、当惑、失望、警戒、そういったものが室内に満ちた。

「捜させるか?」

「東雲の人口がどれだけあると思っている。そんな人員が割けるか」

「しかし、敵に回られたら厄介だ。あの方に固有の武力はないが、中間派に与える影響はある」

生情報マテリアルを検索したらどうだ。即時リアルタイムで東雲からつないでいる者もいるはずだ。その視聴覚データのなかに入っているかもしれない」

始まりかけた議論を、高城の声が抑えた。

「どうせ号砲を撃つ、気にすることはない。どこにいようが、本質的には関係ない。里見中尉、準備を進めてくれ。この衛星ほしをふたたび覚醒させる、号砲の」

そして高城は立ち上がり、執務室の出入り口へと歩を向けた。

「どちらへ?」

問う声に対して、高城は笑顔で答えた。

「さすがに座りどおしで疲れた。風に当たってくる」

太政大臣官邸の屋上に出た高城の視覚に、異様な風体をした人物の姿が映った。

派手な着物をまとったその人物は、真北まきた学尊がくそん。通信によって、高城の神経に直接その姿を見せているのだった。

「お久しぶりです、真北先生」

「ああ、元気そうで何よりだ」

「気力だけは充溢じゅういつしております」

「たいへんなことをしてくれたな」

真北は、今回の決起についてまるであずかり知らぬような調子で言った。

「ご迷惑をおかけします」

高城も、真北の言いように従う。表向き、真北は高城らの行動について何も知らされていない。

「まったくだ。俺の周囲にも、弾正台だんじょうだいの犬どもが見え隠れしている。せめてこの世を多少なりともくしてもらわねば、釣りあわんな」

「わかっております。そのために立ち上がったのですから」

うなずいてから、真北は黙った。

真北の沈黙は、高城にとっては緊張を強いられる時間だった。彼は多くの場合において精神の平衡へいこうを崩すことはなかったが、真北が相手の場合は例外だった。知性の深さや人格のすごみといったものとはまた違う怪物性が、彼を畏縮させるのだった。

突然、真北は大声で笑いだした。高城の全神経を震わせるほどの迫力だった。ひとしきり笑ってから、真北は魔的な色を濃くして言った。

「貴様の善き世は、貴様の頭蓋ずがいのなかにのみ存するのではあるまいな?」

高城は息を吞み、気力を奮いたたせて答えた。

「そんなことは

「そんなことは? そんなことはないと? 貴様の独善ではないと? すべての者どもにとっての善き世がおとずれると?」

「そのように信じて

高城が答えおわる前に、真北はふたたび大音声で笑った。

「よいのだ、それでよいのだ。まったく貴様の独善でよいのだ。新しい世を作るとはそういうことだ。貴様がなすのではないが、貴様が呼びさますのだ。貴様のなかにのみ存する観念でもって、すべての者どもの精神を発火させること、それこそが革命だ。そうしてのみ、世は変わる」

「はい」高城の声はわずかに震えていた。「近く、号砲を上げます。すでに準備に入りました」

「そうか、楽しみにしている」

真北からの通信は唐突に切れた。

薄暗い屋上に取り残された高城は、全身を汗で濡らしていた。

8

一式家旧邸を、一式玖子きゅうこはゆっくりと歩いてまわった。

じつのところこの場所は、彼女にとってさほどなじみのある場所ではない。この旧邸が一式侯爵邸として使われているときは、彼女は小さな博物館を併設する一式真人まひと伯爵邸で生活していたからだ。その後父の起こした事件によって負傷し入院しているあいだにこの場所はうち捨てられてしまったため、彼女が旧邸で暮らしたことはない。幾度か客として泊まったことがあるだけだ。

それでも、彼女のもともと暮らしていた邸は事件後取り壊されているので、懐古の情とともに静かな時間をすごせる場所といえば、ここしかないのだった。

もうすでに夜といっていい時間となっているが、やはり玖子は明かりをつけていない。

彼女はふたたび玄関ホールに戻ってきていた。そこはもはや完全に近い闇で、丸天井のステンドグラスもごくわずかな星明かりを透過させているにすぎない。

玖子にとって旧邸の意味は、つまるところ有嗣の存在を感じることができるという一点にある。

ただしおそらくそれは、一般的な情愛のたぐいではない。そもそも周囲の人々が言うような意味での人間的な感情を、彼女はほとんど感じることができない。有嗣とともにありたいという感情ははっきりとあるが、それは恋愛感情のゆえではない。

有嗣と婚約したばかりのころ、同じ年ごろの友達に問われたことがある。

「有嗣って怖くない? あんな事件起こしたし、何考えてるかよくわからないし。どこが好きなの?」

その言葉の意味が、すでにわからないのだった。

好きとは、いったい何であるのか。

だからわからないことは受け流しつつ、彼女は答えた。

「あの人は、世界にいちばん近いから」

その返答は、友達を満足させるものではなかった。

「え? 世界?」

ぽかんとした顔をされたものだ。しかし玖子には、その反応の意味の方がわからない。

世界とは世界だ。自分のまわりにあって、自分とともにあり、自分にこのように演じよと命じるものだ。それとほぼ重なって感じられるのが、有嗣の声なのだった。

もっとも、そういった分析もあえて他人の言葉で作りあげたもので、やはり彼女の思考ではない。彼女にとっては、そうであるものは、ただそうであるしかないのだ。

玖子は静かな闇に包まれて、世界と一つであるような感覚のなかで、婚約者の存在を感じていた。そうしているとき、彼女はとても満たされていると感じるのだった。

しかしその満足は、静寂は、唐突に破られた。

轟音が起こった。

巨人が大地を踏みしめたような重い音響が、彼女の聴覚を、認識を奪った。そして形をもった大気のごとき強烈な圧力が、彼女の身体を激しく打った。

か細い彼女の身体はその圧力に吹き飛ばされ、瞬間的に見当識を失った。

闇が、真の闇に変わった。

内藤ないとうホテルを出た有嗣は、有視、牧野、そしてアーダルシュ・ライとともに東雲の繁華街を歩いていた。

ライに同行の許可を与えたことについて、牧野はあからさまに不満そうだった。牧野は有嗣にではなく、ライに言った。

「私は九重家の使用人ゆえ、有嗣さまの意向には従う。しかし、主人の身に危険が及ぶなら、そのかぎりではない」

「それはよい心がけだと思う」

ライはそっけなく答えた。

「それから、あの奇怪な手品は二度と使うな」

その要求に対しては、ライは返答しなかった。

ライの同行には、有視にも懸念があるようだった。牧野のようにあからさまではなかったが、ライに向ける視線に好意的でないものを有嗣は感じた。兄弟にのみわかる程度の微細さではあったが、有視がそのような態度を示すのは珍しいことだった。

このときの有嗣の判断は、合理的なものではなかった。端的にいえば、ライの発言に気をよくしていただけだ。得体の知れない人物と行動をともにすることについての危機意識など、はたらいていなかった。もっとも、みずからの身の安全について鈍感であるのは、生来の気質ではあった。

東雲の街を歩くに際して、有嗣は軍服の上に外套がいとうを着用していた。自発的な判断ではなく、目立つことを危惧きぐした牧野に指摘されてのことだった。

ライの内衛星ふうの服装もここでは異質だったが、妙に空気に溶けこむ資質をもっているようで、道行く人々から視線を浴びることはほとんどなかった。

有嗣としては、警戒の必要があるとは思えない。叛乱部隊は、多く見積もって1000名程度にすぎない。1000万を超える人口をもつ東雲の街のなかにまぎれこんでしまえば、見つかる可能性はほぼゼロと考えて問題ないはずだ。あとはせいぜい、宙港を利用するときに気をつければよい。

すでに日は暮れ夜になっていたが、繁華街は照明や看板サイン、空中に投影された広告などによって、昼と変わらぬほどの明るさがあった。現在八紘宮の中心部を占拠している者たちが嫌ってやまないであろう、派手な街並みだ。

「小人閑居して不善をなす、か」

有嗣はつぶやいた。

「私はタイタンふうの言いまわしには詳しくありませんが」ライが応じた。「閑居した小人が幻聴を聴きとらぬよう、世界を構築しなおさねばなりません。人間性の立場から抑圧された者の解放をこころざす者は、呼吸をするようにその当の被抑圧者を抑圧するものです」

「経験談か?」

「史実です」

そのとき、有嗣に通信が入った。

相手は、唐橋時胤からはしときたねだった。回線を開くと、唐橋は挨拶もそこそこに言った。

「一式家旧邸が爆破されました」

唐突すぎて、唐橋が何を言っているのかわからなかった。

言葉の意味を把握しても、当惑は去らなかった。

爆破されたというからには犯人がいるのだろうが、なぜあんな廃屋を爆破などしたのか。いや、そんなことはどうでもいい。愉快犯などどこにでもいる。問題は、なぜ唐橋がそんなことを緊急に自分に伝えてきたのかだ。たしかに、まったく縁のない場所ではない。一式家には友人も婚約者もいる。そして、あの一式騒動の舞台だ。しかしそれだけのことだ。有嗣はあの場所の所有権など1株ももっていない。爆破されたところで何の損失もない。

一瞬のあいだに脳裡のうりをめぐったそんな疑問を、一言にして唐橋にぶつけた。

「それがどうした?」

脩子しゅうこさまの話によると、玖子さまが旧邸にいらっしゃったらしいのです。ハイヤーの運転手の証言もあります。そして今のところ、玖子さまとは連絡がつきません。爆発に巻きこまれた可能性があります。先ほど、確認のために人をやりました。私もこれから向かいます」

要点だけを簡潔に述べて、唐橋は通信を切った。

「有嗣さま?」

牧野がようすをうかがうように有嗣に声をかけた。

有嗣は短く、不確定事項を事実として言った。

「一式の旧邸が爆破され、玖子が巻きこまれた」

有嗣の乱暴な断定に、牧野らが反応する余裕はなかった。

急に、あたりの光の色調が変わった。

空を見上げると、暮色のような淡い光に満たされた空間が現れていた。つねに無秩序な進軍を行っているかのような赤や黄の広告の立体映像は、ほとんど消え失せている。

はじめそこは、演者も舞台装置もない劇場のごとく空漠としていた。

何かの巨大広告か、あるいは政府の緊急放送でも始まるのか。有嗣がそう思っていると、淡い光彩の舞台に、いくつかの光景が立体映像として現れた。

さまざまな光景が次々と映しだされるようでもあり、複数の光景が折り重なりながら同時に展開されているようでもあった。

時間の流れや記憶の混乱などを印象的に表現したい場合に、物語や葬祭でよく用いられる手法だ。ただ映像表現であるにとどまらず、音声や字幕を介することなく言語野にはたらきかけて、あたかも受け手が自然に想起したかのようにメッセージを伝達することも可能である。

ありふれた演出手法だ。

だから映像自体がとくに感興を呼ぶということはなかったが、問題はそこに映しだされた光景の1つだった。

空に展開されたのは、イアペトゥスの各処の風景だった。有嗣の知っている場所も、そうでない場所もあった。映像には、即時リアルタイムより数分遅れている旨の表示がある。夜ではあるが、明るく補整処理されている。

榛原はりはらの恩寵廟にある、タイタンふうの潤色じゅんしょくがなされた巨大なマリーヤ・アントノヴァ像。東雲東部にある広場、良知園りょうちえん暗州あんしゅうのどこかとおぼしきアルミニウム採掘場。数十年前にタイタンの貨物船が墜落した跡である東雲郊外のクレーター。

そういった風景に混じって、邸宅が映しだされていた。今日半睡のなかで夢に見、そして車でその脇を通りかかった、一式家旧邸だ。

古典的でおおげさな様式をもつ邸宅建築が、光で貫かれた。

天空から降ってきたように見える1本の光条に突き立てられ、次の瞬間、爆発が起こった。外観が崩壊するにはいたらないが、黒煙が上がり、石材が飛散した。

光がどのあたりを貫いたのか、有嗣にはわかった。書斎だ。それは十数年前、有嗣が貴詮を人質にとって籠城した場所だった。

一式家旧邸だけでなく、他の風景もそれぞれに光の矢に刺し貫かれていた。

榛原のマリーヤ・アントノヴァ像は顔をそぎ落とされ、良知園では先々代の八尋家当主である宇子たかこを記念した庭園の花樹がなぎ倒され、暗州の採掘場ではアルミニウムが粉塵ふんじん爆発を起こし、東雲郊外のクレーターの中心部にうち捨てられていた貨物船の残骸が爆破され四散していた。

そしてその映像を見る有嗣の心に、自然と湧きあがってくる言葉があった。

今こそ、あのときの思いを行動に移すべきときだ。

悲惨の連鎖は断ちきらねばならない。

自分は1人ではない。

同じこころざしをもった者は存在する。

痛みを、苦悩をともに感じる者はいる。

自然に浮かんだように感じられるが、しかしみずから思考したものではない。空の映像演出が伝えてきたメッセージだ。

メッセージの発信者は明らかだ。八紘宮の中心部にいる、あの叛徒どもだ。それ以外にありえない。

有嗣は頭を振って言葉の群れを精神から追いだし、一言つぶやいた。

「愚かな」

誰に、何に対して発した言葉であるのか、有嗣自身にも明瞭ではなかった。

かならずしも叛乱部隊に対してではなかった。自分自身、というのでもない。もしかすると、一式家旧邸にいるという玖子に対してなのかもしれなかった。

愚かな。

その言葉を発したなら、玖子がどのように反応するかも想像できる。

「はい」

笑顔で、そう答えるのだ。

有嗣は、どこかでなるべく足のつかない車を見つけて、鹿室宙港に向かう予定だった。宇宙うみに戻るつもりだった。

有嗣は息をつき、もう1度だけ頭を振って、舌打ちをした。

俗世とは、なかなか思うに任せないものだな」