サクラコ・アトミカ

第七回

犬村小六 Illustration/片山若子

「最前線」のフィクションズ。サクラコの美しさが世界を滅ぼすーー。 畸形都市・丁都に囚われた美貌の姫君、サクラコ。七つの都市国家を焼き払う原子の矢は、彼女の“ありえない美しさ”から創られる......。 期待の新星・犬村小六が放つ、ボーイ・ミーツ・ガールの新たな金字塔、ここに誕生!

†††

赤ん坊の頃の記憶はない。

そもそもぼくは生まれたときからこのすがただったみたいだ。十代の子どもの肉体のまま永遠に成長しないって知事が言ってた。

一番はじめの記憶は、真っ白な部屋で自分が椅子いすに座ってるところ。テーブルを挟んだ真向かいに、ぼくそっくりの人がいて、ぼくらはふたりでうなだれてた。ぼくもその人も上下とも真っ青な患者服を着てた。

どうしてだかわからないけどすごく疲れてて、おなかがすいてて、目の前にとてもおいしそうなシチューが一皿だけ置いてあった。

ぼくは上目遣いに対面のそっくりさんを見た。むこうもちらっとぼくを見て、それからシチューを見て、げんなりした顔でまたうなだれた。

すると部屋の中のスピーカーを通して、知事の声が届いた。

『シチューを食べたい? 食べたかったら、むかいの相手を殺しなさい?』

変なイントネーションをつけた裏声で、知事はぼくらにそう命じた。

ぼくはなぜだか、それが父親からの命令であることを知っていた。そういう、生きていく上で必要になる基本情報みたいなものはあらかじめぼくに入力されていたらしい。

ぼくはむかいの相手へ目をむけた。

そっくりさんは黙ったまま、じっとうつむくばかりでぼくと目を合わせようとしない。なんだかぼくよりも数段、疲れた様子だ。

すると彼が、嫌そうに問いかけてきた。

「わたしに勝てると思うかね?」

ぼくは面食らって黙っていた。なんとなく、相手の方がいまこの場について知っているらしい雰囲気だった。

「同じことを何度も何度も繰り返してきたよ。あなたがここに来る以前からわたしはずっとシチューを食べるために『子ども』を殺してきた」

子ども?」

「同じ化学物質を組み上げて無から造られた、エネルギー消費と自己複製と代謝活動を行う同質の有機体と正しくは云うべきだろうが、長くて面倒臭いので子どもと呼んでいる」

「無機物から創造された生命特性を持つ短期システム。あなたとわたしはそういう存在だ」

いつもそうやって、相手に説明しているの?」

「いいや。いつもは知事の命令がくだってから即座に殺す。気がむいたときだけこうやって対戦相手に説明して、相手がおびえるのを眺める」

ぼくを殺せる?」

「わからない。知事はわたしを越えるための特性をあなたの遺伝子に組み込んでいるはずだ。ペトリ皿の上でわたしとどこかの優秀なめすはいを有性生殖させ、いまの世代から次の世代へ数週間で移行させる。これを繰り返すことで短期間のうちにわたしの々々々々々孫が誕生し、目の前にやってきて、シチューを食べるためにわたしを殺そうと画策する」

きみはぼくの曾々々々々々々おじいさん?」

「そういう言い方もできなくはない。最近は考えるのも面倒になってきたので、他人だと思うことにしている。かたちはどうあれいやなものだよ、自分の遺伝子の後継者をこの手で殺すというのは」

「ぼく、殺されるのかな。説明を聞く限り、ぼくの方がきみより優秀っぽいけど」

「さてね。わたしは子どものなかでも突然変異なのだが、その子孫も突然変異である保証はない。経験から言わせてもらえば、むしろ凡庸ぼんような個体であることの方が多い」

「ぼくはどっちなんだろう」

「知らないね」

「そのシチュー、食べたい?」

「わたしもあなたと同じくかなりな空腹状態に置かれているもので」

「参ったなあ。半分にできないの?」

「知事はここを監視しているし我々の会話も全て聴いている。滅多めったなことは言わないのが賢明だ」

「重いね」

「重いよ」

「殺し合いってどうやるの? 首の締め合いとか?」

「我々『子ども』の戦い方も説明してあげようか」

「よろしくお願いします」

「我々『子ども』同士の戦いは、想像力の押し付け合いだ。より強力な想像力を持った方が相手の想像力へ干渉かんしょうし、物理空間を自分の都合の良いように変質させる」

いきなりよくわからない説明だったけど、ぼくはわかったふりをして頷いた。親切なそっくりさんは説明をつづけてくれた。

「想像力というより、表象力と云った方が近いかな。思念というエネルギーを意識上へあげて物理空間をねじ曲げる力が、我々『子ども』には人間より多く備わっている。このため『子ども』同士が出会うと、互いの思念波認知科学的にいうと変性意識が相手の内部表現個々人の脳内に現れている世界のすがたを書き換えようとする。変性意識を相手の内部表現へ送り込む手段はもっぱら言語だ。言語というのは他人の脳への情報入力メディアとして最も有効度の高いツールでね。言語によって相手の内部表現へアクセスし、言語で記述した仮想空間へ誘いこみ、物理空間における術者の優位を導くわけだ」

全然意味がわからなかったけれど、バカだと思われると悔しいからぼくはまたしたり顔で頷いてみせた。

「『子ども』の想像力は他者へ干渉し支配することができる。さらに、その想像力を使っておのれの肉体の書き換えも可能だ。やり方は他者への場合と同様、強烈な変性意識を引き起こし自らの内部表現へアクセスする。いきなり現実と見まがうような仮想空間に導かれた生体は恒常性維持機能ホメオスタシスの働きにより、外界の状態に合わせて自らを安定状態へ導こうとする。このホメオスタシス・フィードバック関係により、強烈な変性意識であったものが物理的な変化として術者に現れるわけだ。わかるね?」

このときのぼくは全然わからなかったけど、理解したふりだけはつづけた。あとで他の人に説明してもらってわかったんだけど、要するに、強いイメージを思い浮かべることでぼくらは他人や自分に物理的な変化を引き起こせるってこと。

難しい言葉を使うそっくりさんは、それからも難しい言葉で想像力が現実に影響を及ぼせることを説明してくれた。ぼくはあくびをかみ殺しながら賢そうな表情をつくろって頷くだけだった。長々と説明してからようやく、そっくりさんはぼくをうながした。

「さて、腹が減った。殺し合いをはじめるか」

「え? あ、ああそうか。ぼくたち戦うんだね」

「そうだね。どっちかが死なないといけないルールだから」

「いやだなあ。戦いたくないなあ」

「そういうことを思っていると自分が不利になるよ。相手に勝てるイメージで、相手の内部表現を支配しなければならないのだから。廊下の先が決闘場だ。行こう」

そっくりさんに促されて部屋を出て、ぼくは言われるまま白い廊下を歩き抜けて別の空間へ移動した。

連れて行かれた先は円形劇場だった。円く開けた舞台に大きなおりがあって、ぼくとそっくりさんは当たり前のようにその檻の中に入った。周囲は観客席になっていた。千人くらいは収容できそうな客席に、観客は全部で三十人くらいいて、にたにたしながらぼくらを鑑賞してた。

天井は二十メートルほどの高さがあって、そこからスポットライトがぼくらを目がけて眩しく打ち下ろされてた。

檻の中でぼくらは動物みたいに戦った。武器はなし。素手すでに裸足で飛んだり跳ねたり蹴ったりなぐったり組み合ったりした。そっくりさんはさっき言っていた通り、時折「あなたの右手の握力が失われる」とか「あなたの右足は床に吸い付いて離れない」とか暗示の言葉を使って、実際その通りになったりしてとても強かったけど、どうやらぼくの方が全体的に想像力が強いらしかった。相手のどこをどうやって斬るか、次の攻撃をどうかわしてどう反撃するか、ぼくの内側では未来の様子が次々に浮かんできて、それは実際にその通りになった。

「あぁ、これはあなたの方が強いなあ」

戦ってる途中で相手はそう言った。ぼくも頷いた。相手はぼくに勝つところをイメージできないようだったけど、ぼくの方ははっきりと仕留め方までイメージできた。

彼の右のこめかみを片手で抑え、残った手で彼のあごをつかんで、そのまま力任せに捻ると、こっきーん、と澄んだ音がして彼の頸骨けいこつが砕けた。一分前にイメージしたことが、そのまま現実になっていた。

そっくりさんはうめき声もたてずに、安心したような顔で死んだ。どうやらぼくがシチューを食べて良いようだ。観客席から指笛が送られて、ぼくは作り笑いを浮かべて手を振ってそれに応えて、それから廊下をくぐって最初の部屋に戻った。

シチューはびっくりするくらいおいしかった。大きな肉はとろけるほど軟らかくて、じゃがいもは新鮮で香りが良く、にんじんは品の良い甘みがあった。時間が経ったはずなのに冷めてなくて、身体の芯から暖まった。おなかがいっぱいになったぼくは、椅子に座ったまま眠った。

白い部屋には机と椅子しかなくて、隣の部屋にトイレとシャワーがあった。食事は決まった時間に看護師さんっぽい人が部屋に運んできてくれた。いつもシチューだったけどおいしかったので文句はなかった。ぼくはそこで数日間暮らした。特に問題はなかった。退屈ではあったけど、ごはんが食べれるし安全に眠れるし快適だった。

ある日、ぼくによく似た人がテーブルのむかいに座った。ぼくと彼のあいだに、シチューが一皿だけ置いてあった。

あぁ、前のそっくりさんが言っていたことをこれからぼくは経験するのか、と思った。憂鬱ゆううつな気分だった。ぼくは前の人ほど親切ではないので、今度のそっくりさんには何も説明せず、ただ黙っていた。

するとスピーカーから、知事の甲高い裏声が流れた。

『シチューを食べたい? 食べたいならむかいの相手を殺しなさいっ』

上機嫌な命令を受けて、対面の相手はなにがなんだかわからない、という顔をしていたが、ぼくはなんにも説明せず、ただ決闘場まで彼を招いて、檻の中に入り、おもむろに戦いをはじめた。

今度のそっくりさんは前のより強かった。腕が伸びたり、関節が変な方向に曲がったりしてた。けれど最後にはぼくが勝った。イメージ通り、眼球を指で突き潰してから喉笛のどぶえを嚙みちぎると、そっくりさんは変な声をあげながら死んだ。ぼくは返り血を浴びたまま作り笑いを浮かべて歓声に片手で応えて自室へ戻りシチューを食べた。

そんなことを繰り返しながら毎日を生きた。

戦いは百回を越えたと思う。途中で面倒臭くなって数えるのをやめたから正確に何人殺したのか覚えていない。とにかくぼくは一度も負けることなく、百人以上のそっくりさんを日課のように殺した。

寝る。起きる。顔を洗い、歯を磨き、テーブルにつく。むかいにそっくりさんが座っている。知事の裏声が戦いをかす。ぼくは何も説明せずに彼を決闘場へいざない、檻に入れ、自分も入り、彼を殺す。部屋に戻りシチューを食べる。シチューはとてもおいしくて食べきることがない。そのまま椅子に座って眠くなるのを待つ。寝る。起きる。顔を洗い、歯を磨き、そっくりさんの待つテーブルにつく。そんな生活。

そっくりさんは外見はぼくそっくりなんだけど、様々な力を持っていた。こんなことができるんだ、と感心してしまうくらい、顔かたちは人間でありながら、人間を越えた能力をぼくに示した。戦いをつづけるうちにぼくは、殺してきた彼らの能力を心中に強くイメージすることで、ぼく自身にコピーできることに気づいた。

もちろんすぐにそのまま使えるようになるわけじゃない。コピーした力は、最初はぎこちない。イメージ通りに肉体に現れてくれない。どうしても欲しい力は、それが大きな変化を肉体にもたらすものであればあるほど、毎日毎日イメージを積み重ねて、全身の細胞ひとつひとつにイメージが染み渡るまで何度も何度も、幾千回も幾万回も繰り返さなきゃならない。

ぼくは特に変形の能力が気に入っていた。いろんな動物のすがたを借りて、その動物の力をぼくのものにするんだ。サイの角をひたいに生やしたり、全身を針鼠はりねずみにしたり、うろこにしたり、片手をカニのハサミにしたり。パンダの白黒の毛皮をまとうこともできるよ。パンダになっても戦いには意味がないんだけど、楽しい気分になれるからね。他には念動なんて力もあった。イメージを物理的な力へ変換するんだけど、これはとても難しくて珍しい能力だった。三、四人ほどこれの使い手がいて、最初は戸惑ったけどなんとか勝てた。それほど強力な念動能力者はいなくて、イメージしてから物理エネルギーに変換するまで時間がかかる人がほとんどだった。ぼくも練習はしてみたけど、とても実戦で役立つレベルになれるとは思えなくて、そこそこできるくらいになったところでやめた。

そうやって人の能力を横取りしながら、ぼくはどんどん強くなっていった。時々、気がむいたときだけ、戦う前に相手に事情を説明してあげることもあった。最初のそっくりさんがぼくにしてくれたようにね。あれよりももう少し意地悪に、ミステリアスな感じで、ウソも交えて、なにも知らない相手を言葉で翻弄ほんろうした。たいがいのそっくりさんがぼくの話におびえて、戦うのを嫌がり、シチューを分け合おうと提案してきた。その全ての提案をぼくは断り、知事に命じられるまま決闘場に連れて行って、気に入った能力を彼が持っていたなら奪い、殺した。

ぼくはバケモノだから、その生活に不満はなかった。幸せではなかったけど不幸でもないと思った。たぶんそういうふうに予め遺伝子に書き込まれているんだと思う。いつかどこかのそっくりさんに殺されるまで、この生活がつづくんだろうと思ってた。

転機はいきなり訪れた。