サクラコ・アトミカ

第四回

犬村小六 Illustration/片山若子

「最前線」のフィクションズ。サクラコの美しさが世界を滅ぼすーー。 畸形都市・丁都に囚われた美貌の姫君、サクラコ。七つの都市国家を焼き払う原子の矢は、彼女の“ありえない美しさ”から創られる......。 期待の新星・犬村小六が放つ、ボーイ・ミーツ・ガールの新たな金字塔、ここに誕生!

†††

荷馬車は夜露に濡れた車輪をきしませ、うらぶれた酒屋の前で停まった。

店から主人が出てきて御者に一声かけ、荷台の酒樽を下ろし、両手で重そうに抱きかかえて無人の土間へ運びいれる。

「無事に入ってこれましたあ。お疲れさまでごんしたあ」

主人は五枚の板きれを並べた上蓋うわぶたへ手をかけて、阿岐ヶ原なまりでそう呟き、木槌で叩いて蓋を外した。

樽の中に隠れていた青年が涼しい顔を主人へむけ、服のほこりを払って土間へ降り立ち、

「おかげさまでつつがなく。ご迷惑をおかけしました。わたしが赤司源一郎あかつかさげんいちろうです」

丁寧ていねいにそう言った。荒野を渡り、丁都へ潜入するまでの長時間を酒樽のなかに隠れていたにもかかわらず、首を左右に振って鳴らしたくらいで屈伸もしない。

「ほんとに、おひとりでこられたんですのう。それに、なんとお若い」

膝をついたまま、主人は感心したように赤司を見上げてそう呟いた。

坊主頭の下に精悍せいかんな眼差し、つまんだら折れてしまいそうな鼻、引き締まった口元。白の開襟シャツに黒のズボン、どこからどう見てもそこらの学生然とした赤司は上品な口ぶりで、

「礼は不要です。誰かに見られたら疑われてしまう。お伝えした通り、丁都にいるあいだのわたしはここに居候いそうろうする貧乏書生。普段からそのつもりで接してください」

「へえ、ですがそうは言っても赤司さまはやはり偉い少佐どのですげのう。おいらなんがが下手へたなごと言ったら、牢屋に入れられてしまうのではねげかと」

赤司は困ったように笑むと、土間に片膝をつき、主人に正面から相対して、

「あなたがここで商売をしてくれていたおかげで、今作戦が可能となったのです。牢に入れるはずがありません。感謝しています。わたしを導いてくれてありがとう。姫が無事に阿岐ヶ原に戻られたなら、あなたにはたくさんの報酬ほうしゅうが送られるはずです。ですからいまはどうか、普段と同じ態度でお過ごしください。わたしに質問等はございますか?」

へへえ、と主人はますます深くひれ伏して、

「そんなもっだいねえでごんす。おいらはただの酒屋のおやじでげすだに、少佐殿に問いただすごとなど。どうがここは好ぎに使っておぐんなざいまし」

赤司はしばらく困り顔を主人の背中へむけていたが、ふっ、と息を抜いて表情をゆるませ、学生帽を目深にかぶり、つばを指先で整えた。

「少しばかり丁都を散策して参ります。姫が囚われている塔もこの目で見たい。その間にあなたがわたしを実の息子のように思ってくださることを希望します。では、のちほど」

主人をその場に残し、赤司は戸口を抜け、街路へ降り立った。

白いもやが路上に立ちこめている。黒く濡れた路面に街灯が映える。超蒸気機関から排出される近代文明の香り。深々と肺の奥までその大気を吸い込み、吐き出してから、赤司はまなじりを押しひらいた。

「丁都」

巨大な屋根に覆われた畸形都市の正式名称を呟いてしばらく歩くと、すぐに幹線道路のひとつに着いた。

街の底は濡れて青黒い。昼でも暗い街は夜になるとさらにその闇の深さを増す。

水銀灯の列が石造りの街並みを夜の底へ白々と浮き立たせていた。片側二車線の道路を蒸気自動車が活発に行き交う。耳障りな機関駆動音を響かせ、ときおりボンネットに取り付けた煙突からポーーっと甲高い車笛の音をとどろかせ、時速八十キロほどで石敷きの路面を駆け抜けていく。

赤司は目線を道のむこうに持ち上げた。超蒸気機関から排出される水蒸気が天井を目がけて銀光りしながら昇ってゆく。そのかすみの中に高い円塔が幾つか、町の景観から突出してそびえているのが見て取れる。壁面に装飾的な水銀灯がきらめいて、その塔の狭間を艦隊灯を灯した小型飛行艇が何艘か航行している。

持ち上げた目を横へ流したなら、あちこちで幾条ものサーチライトが天井を下からまさぐっていた。漏斗ろうとじょうの光域が旋回するたび、立ちのぼる水蒸気の中に円塔や飛行艇が不定期に現れ出て、畸形都市の名にふさわしい夜景の一端を演出している。

高すぎる天井のした、建築物群はみなそれでものしかかるように高い。不必要なまでに高さを競い合っているような愚かしさ。窓のない、真っ白な円柱が幾本も建物の合間にそびえているが、あれが大屋根を支える柱だろう。直径二百メートル以上と云われる大黒柱はここからでは見えなかった。建物の下部は街の色に染まり、上部は天井の装飾光とサーチライトが染めていた。異様なデコレーションを施された、あまりに大きすぎる観覧車が不気味ぶきみな彩りを夜の底へ回転させている。そのかたわらを不吉な轟音と共にジェットコースターが駆け抜けていく。喚声の聞こえてこない夜間遊園地だった。

しばらく道を歩むと繁華街へ辿りついた。暗い色の服を着た猫背気味の人間たちが押し黙ったまま原色のネオンにさらされていた。空と昼を知らない丁都住民たちは感性が摩耗まもうしてしまっているのか、みながみなうつむいて、無表情に、特に楽しそうな様子も見せず、粛々しゅくしゅくと繁華街の石畳を流れていく。彼らが本当に人間であるのかすら、赤司には疑わしい。どこにも生気を感じさせず、足取りは幽鬼じみて、いったい何を目的にここを歩行しているのかわからない。繁華街を訪れているわけだから欲望を満たしたいのだと思われるが、そうした生き物じみた生臭さが道行く人々から感じ取れない。

しかしとある地下酒場に入ると、彼らもまた生物であったことを赤司は理解した。いや、他都市の人間よりもよほど人間くさい、品性の底流に身をひたしたむべき存在であることを思い知った。

酒場の空気を埋めているのは、異臭と音圧だった。酒と薬物の混淆こんこうした匂いに鼻の粘膜が引きつる。知事ディドル・オルガ自らが率先して新薬を開発し、流通させたため、現在の丁都はあらゆる合成麻薬の輸出元だ。しかも丁都ではこれら合成薬物が全く規制されていない。堂々と表通りで取引されているし、金さえ払えば薬屋で覚醒剤も購入できる。丁都住民の五割が重度の薬物依存症である、とまことしやかにうわさされるが、いまの赤司には五割では足りないのではないかとさえ思える。

青黒いダウンライトの下、五十人ほどが静止していた。テーブルに突っ伏すもの、床に横たわるもの、男同士で身体を密着させているもの、椅子の背に上体を預けきり、目と口をぽかりとあけて天井を見上げているもの。全員がしずまっていて、ぴくりとも動かない。人形の方がまだ生気がある。不動の彼らの狭間を耳をろうする電気音楽の音圧だけが駆けていた。

赤司は顔をしかめ、両耳を手で抑えた。耳障り極まりない、けばだった弦楽器のリフレイン。電気的に音を増幅し、フロアに据えられた十二本のスピーカーがその音を排泄はいせつしている。電気音の隙間に時折、人間の歌とおぼしきものが混じっているのだが、空間をかきむしる歌詞がこれまた下品で低劣極まりない。平和な阿岐ヶ原に慣れた赤司の精神が悲鳴をあげる。

やがて目が闇になじんでくると、あちらこちらの物陰で人間がうごめいているのがわかってきた。少し目をこらせばその人間たちがはだかであることもわかった。なにをしているかは見なくともわかる。性別を問わず、彼らの交わりは奔放ほんぽうなようだ。

「ケダモノめ」

耐えきれず、思わずそう呟いていた。合成麻薬を摂取せっしゅした若者がひとり、スピーカーに首を突っ込んで痙攣けいれんしたように踊りはじめた。下半身だけをばたつかせた踊りともいえない踊りだ。ひしゃげた笑い声がどこからか湧き上がる。奇声が奇声を呼び、喜びとも悲しみともつかない叫喚きょうかんがフロアのあちこちからあがり、増幅して、壁にその身を叩きつけ、けがれた音楽をもう一段階下劣なものへ引きずりおろす。

逃げるように赤司は店をあとにした。気の滅入る夜の街並みへ戻り、濡れて汚れた滑りやすい石畳を歩く。

歩むだけで感覚が麻痺まひしてくる。景観のそこかしこ、縮尺がおかしい。丁都知事ディドル・オルガの内的世界がこの都市デザインにそのまま反映している。この都市は、世界中の嫌われ者の頭の中を具象化したものだ。

「こんな街に、姫が」

赤司はつらそうにそう呟いた。

あの可憐かれんなサクラコがこのような腐った感性の集積場に囚われている。その事実が胸を締め付ける。一刻も早く助け出したい。この街を歩いているだけで、溢れかえる低俗さに自分の感性が犯されそうに思える。

ほどなくして赤司は、サクラコが捕まっている塔の直前に辿りついた。一辺十メートルほどの正方形の台座に高さ八十メートルもの円塔が乗っかり、サクラコの住まう庭園部を汚れた虚空の闇へ突っ込んでいた。

「大きい」

最初の感想がそれだった。事前の情報収集により概略は数値で確認しているのだが、実見するとこの塔の規模が目にみる。

塔内への入口は無い。きれいにみがき上げられた石組みの頂上が「高空庭園」と呼ばれるサクラコ専用の牢獄だ。問題は塔の途中に突き出たネズミ返し。あの出っ張りの上部面にはかつて「無敵の個体」として丁都都域圏をべていた牢番がひとり詰めて、サクラコの監視と侵入者の排除役を担っているという。

赤司は喉仏もあらわに塔のてっぺんを見上げ、凜とした眼差しを遙か高空にいるであろうサクラコへ投げかけた。

「近々、必ず救い出します。それまでどうかご辛抱を」

決意を込めてそう呟き、帽子ぼうしの鍔をつまんでこの街に住まうものとしては強すぎる眼光を隠すと、赤司は身を翻して歩み去っていった。