大坂将星伝
第三章 千雄丸、千熊丸
仁木英之 Illustration/山田章博
戦国の世に“本意(ほい)”を貫いた男ーーその名は、毛利豊前守勝永(もうりぶぜんのかみかつなが)。家康(いえやす)の前に最後まで立ちはだかった漢(おとこ)の生涯を描く“不屈の戦国絵巻”、ここに堂々開帳!
第三章 千雄丸、千熊丸
一
小牧長湫で秀吉と家康が対峙しているころ、九州にも戦乱の天地があった。
鎌倉時代から繰り返されてきた九州の覇権争いは、戦国の世に入ってから大きく動いた。中国地方から手を伸ばしてきた大内、毛利は既に衰退の激しかった少弐氏の勢力を手中に収めようとし、それが国人たちの動きを活発にしていた。
大友義鎮もその混乱に乗じて版図を広げようと豊後府内を拠点として三方に軍を送り込んだ。
豊前、筑前、筑後、肥後の多くを支配下に収めたものの、島津の反撃に遭って耳川の合戦で大敗を喫し、そこから攻守が逆転していた。大友の勢いが衰えたことを見てとった竜造寺家の主、隆信は猛然と軍を進め、大友氏が押さえていた九州北部の諸城を次々と陥落させたのである。
二方から島津と竜造寺という強敵を迎えて劣勢に立たされた大友義鎮は、秀吉を頼らざるを得なくなっていたのが、天正十二(一五八四)年の九州である。
もともと、九州平定は信長の予定の中に入っていた。
明智光秀や丹羽長秀に「惟任」や「惟住」といった九州人に馴染みの深い姓を名乗らせたのは、中国毛利の先を見ていた証である。
「大友の求めに応じて九州の無事を図る」
というのが秀吉の大方針であった。
だが、天正十三(一五八五)年の三月、沖田畷の戦いにおいて竜造寺隆信が討ち死にを遂げたことから、九州の情勢は一変した。
竜造寺隆信は肥後の虎と異名をとるだけのことはあり、勢力範囲と動員できる兵力だけでいえば、島津を圧倒していた。肥前一国を完全に支配下におき、筑州、豊州、肥後へと手を伸ばしていた。大友についていた国人、国衆の多くは竜造寺につき、その兵力は少なくとも二万は動かせる一大勢力となっている。
これに対し島津は薩摩一国に強固な地盤を持ち、大隅、肥後や豊後に勢力を広げているものの、その兵力は竜造寺の半数に満たない。だが、島津には他国にないものがあった。島津家久ら卓越した将領と、釣り野伏せ、捨て奸など家伝の戦法がそうである。
島津の将兵は戦場において恐怖を表に出さない。己に数倍する敵を前にしても平然としてたじろがないのである。
そんな彼らが得意としているのが、退却していると見せかけて敵を死地に誘導し、一気に反転して攻め滅ぼすという釣り野伏せの戦法である。このような戦い方は、将兵の間に強い絆があり、そして軍規が徹底しなければできない。
これが他の将だと中々うまくいかない。森長可は小牧山下の羽黒に陣を敷いた際に、家康方から攻撃された。一度軍を下げて敵を引き付け、包囲しようとした彼の思惑は、兵の思わぬ壊乱によって成らなかったものだ。
薩摩は隼人の昔から、中央のくびきから離れようとする傾向にあった。表向きは従うが、干渉は欲しないという姿勢である。だが秀吉は、九州で島津の勝手を許していては、天下に号令などかけられないと考えていた。
たとえ全体として見れば負けなかったとしても、秀吉は長湫で家康に痛い敗北を喫してしまった。四国や紀州攻めの勝利だけでは、まだ不足なのである。
「九州を平定してこそ、殿が目指した天下無事に一歩近づくことができる。小三次もそうは思わんか」
吉成も東の失策を西で取り返すのは賛成であった。
「しかし、島津もなかなかの狸ですぞ」
「東で大狸の相手をしてきたのだから、大したことはあるまい。いよいよ、海の向こうも見えてきたぞ」
「海の向こう、でございますか」
吉成はふと、家康が小牧の陣で言っていたことを思い出した。
「背伸びが過ぎるだと?」
目をむいた秀吉は哄笑し、すぐ真顔に戻った。
「小三次、人の身体は背伸びしてもそう変わらぬ。だがな、志と心は、いくらでも大きく育つのだ。そう殿に教えられたものだよ」
そう言って秀吉はにやりと笑って見せたものである。
秀吉は早いうちに、島津を屈服させたいと考えていた。もちろん、侮ってなどいない。竜造寺隆信を討ち取った手並みを見れば、好きにさせては何が起こるかわからない。そして腹背常ならないしたたかさも、秀吉の癇に障っていた。
豊前への攻撃を責めた使者に対しても、先に手を出してきたのは大友であって、自衛の戦いであると堂々と弁明して見せたものである。
そう弁明していながら、着々と戦線を広げている島津の魂胆は明らかであった。もし九州一円を領土とすれば、十万の兵を動員することができる。
だが、秀吉は島津の魂胆を封じ込める命令を下していた。「惣無事令」がそうである。天皇の名の下に大名間の私闘を禁じたものだ。これに反する者は、勅命に背く者として討伐される。
結局、島津は従わなかった。
秀吉が紀州、四国平定に動員した兵力がおよそ十万であることを考えれば、互角の戦力を手にすることになる。五分の兵力があれば、地の利のある島津が優位に立てる。もちろん、秀吉が全力を注げば十万を遥かに超える兵力を動かせるが、紀州も四国も定まったばかりで関東にはまだ手もついていない。西が揺らげば足もとが危うくなる、と秀吉は焦っていた。
「長宗我部に使いをしてこい」
と森吉成が秀吉から命じられたのは、天平十四(一五八六)年の夏四月のことであった。
「長宗我部と共に九州へ渡り、島津の北上を止めてくるのだ」
秀吉のもとに、九州の大友宗麟(義鎮)から島津の大軍が攻め寄せ、筑前へ侵攻する恐れがあるとの急報があった。秀吉の本隊は、いまだ紀州一揆勢の掃討に忙しく、西に振り向ける余裕はない。
そこで秀吉は、まだ味方になって間もない毛利と、帰順したばかりの長宗我部を主力として九州へ攻め込むよう命を下した。その交渉役、および軍監として吉成が土佐へと向かうことになったのである。
九歳になった太郎兵衛は、相変わらず犬飼九左衛門に鍛えられている。体も徐々に大きくなり、小刀と弓はもう一人前に扱えるようになった。馬は父に負けないほどであるし、印地打ちはますます威力を増している。
吉成は大坂に腰を落ち着けることもほとんどなく、長宗我部への使者の任には、太郎兵衛も連れて行くことになった。九歳とはいえ、太郎兵衛はおよその事情を理解してはいた。だがもちろん、扱いは馬子である。
吉成につき従う太郎兵衛の姿は黄母衣衆の名物となり、使いに出た先ではわざわざ太郎兵衛に会いに来る武将もいるほどだが、吉成は太郎兵衛に余計な口を挟むことを厳に禁じている。
「お前の一言で大事が失われたとしたら、お前や俺の首だけではすまぬ」
と言われれば、みだりに話をするわけにもいかなかった。
二人は大坂から便船を仕立てて九州へと向かった。船を用立ててくれたのは、瀬戸内の民、来島村上水軍である。早くから秀吉に従い、独立を認められた彼らの本拠地は、伊予と備後を隔てる小さな島、来島にあった。
だが、いち早く秀吉方についたせいで、毛利と伊予の大名、河野氏の攻撃を受けて来島を奪われ、一族郎党を率いて大坂へ逃れてきていた。
秀吉は、恐らく実益のことも考えてだと周囲は見ていたが、当主の村上通総を随分とかわいがった。出身地にちなんで、来島、来島、と呼ぶのが癖になっていたことを受けて、通総は自らの姓を来島と変えたほどである。
ともかく、来島通総は秀吉直属の水軍として、厚遇されていた。四国攻めでは海に精通した者として十二分に手腕を発揮し、今は伊予の風早郡に一万四千石の地を与えられ、大いに面目を施したばかりである。
通総は九州攻めに向けた準備のために大坂を訪れ、吉成たちの四国行きについても手はずを整えてくれたのである。
「おい何をのんびりしている。手伝わんか」
通総は港で大船を見上げている太郎兵衛の尻を蹴飛ばした。だが驚いて振り向いた少年の顔を見て、それが客の一人であることに気付いた。
「わはは!」
謝るどころか、水軍の将は笑いだした。
「お前の肌の色が我らと同じだから間違ってしもうたわ。尻を蹴られるのは鱶に噛まれるよりは痛くない。怒るなよ」
太郎兵衛の頭をくしゃくしゃと撫でまわし、あまりに明るい声で言うので怒りを忘れてしまった。
「土佐まで遠いんですか?」
「遠くはないが中々に厳しい海だ。お前、海は?」
「初めてです」
「じゃあ波に酔わないように神仏に願いを立てておけよ。ま、厳しい海を越えて行く値打ちがあるほどに土佐はいいところだぞ」
通総は自分と同じように真っ黒に日焼けした太郎兵衛に、親近感を抱いたようだった。船出の準備をしている水軍の者たちは、例外なく通総と同じ肌の色をしている。
「長宗我部の連中は気難しいのが多いが、人はいい。一度信じれば、それこそ一領具足の心意気で力になってくれるさ。俺にもう少し力があれば、あの土佐侍従のように四国切り取りに挑んでみたかったがな」
塩辛い声で豪快に笑う。土佐侍従とは、かつて秀吉包囲陣の一角を担い、今は九州攻めの先鋒を命じられようとしている長曽我部元親のことである。
二
来島通総の見送りを受けて堺を出港した船は、針路を西へととった。櫓の数五十丁の関船は、太郎兵衛の目には随分と大きなものに思われたが、まだ大きな船があるという。
夏の海は靄に覆われ、一里先も見えないほどとなった。その中を迷うことなく船を操る水軍衆の動きは太郎兵衛の目を奪った。だが、一刻もすると波は次第に荒くなり、彼は気分が悪くなって座り込んでしまった。
「大丈夫か」
と吉成に訊かれるなり口を押さえて船尾へ走り、腹の中のものを全て吐いた。
「大丈夫です」
吐いてもすっきりしないが、太郎兵衛はとりあえずそう答えた。吉成は平気な顔をして靄の向こうを眺めている。
「遠くを見るのだ。それか寝てしまえ」
そう言って行李の中から干した梅の実を取り出すと、太郎兵衛の口の中に放り込んだ。
「うまいぞ。船酔いに効くそうだ」
口の中に爽やかな酸味が広がり、確かにうまい。だがその旨味が腹の中で広がると、さらに気持ちが悪くなって、結局船べりから吐き出すこととなった。
梅の酸味が胃液の酸っぱさに替わってうんざりするが動けない。寝るなどもってのほかである。ひたすら空えずきを続けている彼の目の前に、大きな島影が現れた。
「淡路だ」
吉成は、太郎兵衛が身を乗り出して海に落ちないよう襟を掴んでいた。
「まだ道は半ばだぞ。伊予から筑州に船で渡るとなれば、さらに荒い海を行かねばならんと聞く。何せ、大海の中に激流が渦を巻いているのだからな」
「海の中に渦?」
「潮の流れとは不思議なものだぞ。北へ向かうかと思えば南へ流れ、西へ向かうと思えば渦を巻く。海を知らぬ者にはただ荒れ狂って入ることもかなわないが、腕の立つ船乗りはその流れに巧みに乗り、時にその中を突っ切って渡ってしまうのだから」
淡路の島影が遠ざかり、靄が晴れてきた。
「普段はこの辺りも荒いらしいのだが、今日は静かだな」
吉成がつぶやく。さきほどまでの波がおさまり、今度は気味が悪いほどに海は静かになった。風は時折西から強く吹いている。だが船は右に左に舵を切りつつ、前方に現れたさらに大きな島影へと近づきつつあった。
「あれが四国だ。目の前に見えているのは恐らく阿波だろう。ここから日和佐、甲浦を経て土佐に至るはずだ」
南へ舵を切ると、右手に緑の海岸線が延々と続く。数刻おきに浦が見えて、小さな人家が肩を寄せ合うようにして波風をしのいでいるのが見えた。海にも小船が浮かび、網を引いている漁民の姿が見える。
いくつかの港に立ち寄りながら、船はやがてひときわ長くなだらかな岸辺の沖合を進むようになった。風は相変わらず南西からの逆風で動きはもったりとしたものだったが、海に張り出すような険しい岸壁と、うらぶれた印象の漁村ばかり見ていた太郎兵衛は、遠くからでもわかる家並みの豊かさにほっとする。
「そろそろ土佐だぜ」
船頭が二人に声をかける。
「ここの殿さまが港を大きくして、街を広げてるんだ」
土佐侍従、長宗我部元親は四国を統一寸前まで切り取った戦国の申し子である。父の国親が土佐海岸に広がる平野の一角を治める国人領主から身を立てて周囲を平定すると、息子の元親の代になってその勢力は急拡大した。
元親が世に出た当時の四国には、阿波、讚岐に三好、伊予に西園寺、河野といった有力な大名が割拠していた。中でも三好氏は四国だけでなく畿内にも広く領土を持ち、将軍を手にかけるほどの勢威を示した。一時は九カ国を領し、天下人と目されたが、三好長慶の死後は三好三人衆、松永久秀などの有力な家臣たちが争っているうちに著しく衰えた。
西園寺には有力な武将がおらず、河野は中国毛利の支援を受けて激しい抵抗を見せつつも押されていた。四国は見る間に長宗我部の勢力へと変わっていった。
元親は父がのこした「一領具足」と共に四国を平定したが、海の外に出ることの不利を知っていた。彼が望んだのは、四国一円の力を背景にした半独立である。
信長が畿内で力を握ると見るや、四国の取次を任されていた明智光秀の仲介で誼を通じようとした。元親の母は美濃斎藤氏の出であり、妻は光秀の家臣として武名の高かった斎藤利三の妹で関係は深まっている。
だが、四国で急速に勢力を拡大した長宗我部を憎む伊予の西園寺と阿波の三好は、信長に直接、または秀吉に使いを送ってその討伐を求めていた。
信長は中国を押さえた後は、四国、九州へと進出する手はずを進めていたから、あまりに強い勢力が生まれることは望んでいなかった。結局、秀吉の意を受けた三好や西園寺の勧めを承諾する形で、四国へ軍を送る手はずを整えた。その総大将は織田信孝であり、補佐に丹羽長秀がつき、堺で出陣の準備を進めている所で本能寺の変が起こったのだ。
信長の死は元親にとっての僥倖となった。
彼は次の天下人が誰になるかを探り、秀吉がその筆頭であることを掴んだ。だが、秀吉は信長の時代から長宗我部には敵対的である。それに、秀吉が力を握れば畿内から近い四国に兵を進めてくるのは間違いないと考えた。
従って、元親が手を結んだのは全て秀吉に敵対した勢力である。柴田勝家とも連絡を取り合っていたし、徳川家康が目論んだ秀吉包囲網にも参加した。
だが、紀州の雑賀、根来が行ったような大坂突入など派手な軍事行動はとらなかった。
元親の関心は四国の平定であって、畿内ではない。家康の強さを聞き知った彼は、両者の戦いは長期にわたると予測していた。その間に宿願は成ると考えていたのである。
だが、この視野の狭さが、元親の首を絞めることになった。
秀吉は畿内の混乱を収めて家康と講和を結ぶと、伊予と讚岐をもとの領主へ返還するよう求めたのである。これは四国平定を目指す元親にとって受け入れられない条件である。
元親が抵抗する気配を見せるや、秀吉は羽柴秀次を淡路から、小早川隆景、吉川元春などを中心にした中国勢を備後から進めたのである。総勢十万を超える大軍を相手に、元親は抗戦の決意を固めて四万の軍勢を動員した。
だが、四国では無敵の一領具足も、本土で激戦を繰り広げてきた羽柴と毛利の精鋭には敵わなかった。やがて押し込まれ、元親が拠点として使っていた阿波の白地城への道は瞬く間に制圧された。
天正十三年の七月に、元親はついに降伏した。土佐一国を安堵された彼は、敵でありながら秀吉の度量に感心したという。
今の高知市にある大高坂山の廃城に手を入れて本拠地とし、城下と領国の整備に当たっていた。
大高坂山は土佐平野と土佐湾を見下ろし、南に鏡川、北に久万川を天然の掘割とする位置にある。室町時代にこの地の豪族が城としたが、しばらく使われていなかったものだ。
吉成たちが乗った船は、長大な砂浜が東西に広がる桂浜を大きく西に見ながら浦戸湾に入った。岬にはまだ新しい浦戸城が聳えて海を見下ろしている。桂浜が波を防ぎ、湾の波は実に穏やかだ。
「琵琶湖に似てる」
というのが太郎兵衛が抱いた印象だった。
土佐の入江は南が狭く、北に進むに従って広くなる。岸には水田が広がり、農村と漁村が交互に現れる。衣ヶ島、玉島という形のよい小島が二つ浮かび、その間をぬけてしばらく北に進むと、いよいよ大高坂山が見えてくる。
既に吉成たちの到着は知らされていたのか、港に着くと迎えが来ていた。
緊張した面持ちの少年が数人の近臣の先頭に立って船を見上げている。下船した吉成が挨拶をすると、
「谷忠兵衛忠澄にございます」
と近臣の中でもっとも恰幅のいい男が礼を返してきた。忠澄は長宗我部家の家老で、秀吉と戦う不利を元親に説いていた経緯もあり、両者の講和に尽力した人物である。
「こちらは千熊丸さまにございます」
と少年を紹介した。
「土佐侍従さまの若君にお出迎えいただけるとは、恐縮にございます」
吉成も丁寧な口調で述べた。
太郎兵衛は、千熊丸という少年をしげしげと眺めていた。自分よりも少し年長に見えて体も大きいが、優しげな顔だちをしている。千熊丸は太郎兵衛の視線に気付いたのか、彼を見て微かな笑みを浮かべた。
「使者の務め、大儀でございました」
吉成ではなく、太郎兵衛に目を向けたまま言った千熊丸は、二人を先導して大高坂城へと戻った。これが後の長宗我部盛親であった。
三
大高坂山城は、遠望すればごく小さな山城でしかない。だがその真下に立つと随分と大きく見えた。天守もなく、石積みと生垣の間にいくつかの曲輪と矢倉が設けられている。石段を登りきったところに、館が建っているだけの簡素なものであったが、頂に至るまでの道は急峻だ。
後ろを振り返ると、船が通ってきた浦戸湾が見える。南からの風が微かに潮の香りを運んできた。
谷忠澄に促され、吉成は広間へと通される。太郎兵衛は相変わらず馬丁という扱いではあったが、もはや吉成の息子であることは知れ渡っているので、客として遇されている。吉成は玄関口で待つよう命じるのが常であったが、迎える方はそうもいかず、結局客間に通されるのであった。
「噂は聞いていたが、子連れの使者とは珍しい。だから俺も熊を迎えにやったのだ。森どの、もはや我らの間には何も難しい話はないのだから、連れてくるがいい」
声が客間まで聞こえてきた。谷忠澄が迎えにきたので、太郎兵衛も吉成の隣に座ることになった。最近では珍しいことでもなくなり、吉成は息子を見ることなく、微かに目を伏せて黙っている。
子供の目で相手がどう見えるかを訊ねることもある。だが相変わらず、口を開くことは厳しく禁じられていた。
太郎兵衛は顔を上げる。広間の奥に胡坐をかいて座っている四国の元覇者は大きな男だった。座っていても見上げるほどだ。
「関白さまの大坂の城、普請の方はいかがか」
と元親の方から口を開いた。普通に話していても広間に響き渡る、堂々とした声である。
「稀に見る壮大なものとなりそうです」
「そうだろう。あれほどの軍勢を動かせる天下人であれば、比類なき城こそふさわしい」
元親は秀次が率いた羽柴軍の威容を、素直に誉め称えた。
「天下に敵なしとはこのことだ」
「いえ、いまだ天下は定まっておりませぬ。九州は島津の暴虐いまだ収まらず、豊後から助けを求める急使が至っております。援軍を送らねば、九州は島津のものとなってさらに戦乱の世が続くでしょう」
「それはいかんな! となれば、以前海を渡ってきたあの精鋭たちが、再び海を渡るというわけか」
元親の口調は明るいが、あくまで他人事であるという姿勢を崩していない。
「いえ、九州への先鋒は土佐侍従さまにとの殿のお言葉です」
吉成は秀吉からの書状を元親へと手渡した。そこには、陣立ての内容や九州上陸の期日、戦うべき相手と戦場となりうる場所まで詳細に記してある。
大友氏に味方する諸将から届く援軍の求めは急を要するだけに、具体的であった。秀吉は黒田孝高や小早川隆景ら備州に拠点をおく者たちに、九州の動静を探らせ、戦略を立てていた。
「豊前小倉の線で島津を食い止め、反撃に出るというのか」
元親は不愉快そうな表情を浮かべ、くちびるを曲げた。
「我ら土佐の一領具足は四国を出たことがないのでな」
「出たことがなければ戦えないと申されるか」
「先だって関白さまと戦った際、多くの兵が倒れてまだ国は回復しておらぬ。知行も土佐一国となって蓄えもない。聞けば島津は鉄砲を無数に持っているというではないか。一領具足は文字通り一領の甲冑しかないのでな」
心得と金があれば、二領の甲冑を用意するのが武家のたしなみであった。だが、半農の土佐軍は多くがひと揃いしか持っていない。海を渡るとなれば、必要となる糧秣も船も膨大な数となる。
「我らは九州に上陸する前に干上がってしまうな」
と元親は笑う。
「これは好機であることをご理解下さい」
吉成はその笑みを消すような厳しい声で言った。
「土佐侍従さまはこの度、殿に心を寄せられて三国を返された。ですが、まだ天下の多くはまだ野望を捨てていないと疑っている。小早川、吉川の両家が何故大兵を率いて四国へ渡られたかおわかりか」
毛利家中においてそれぞれ山陰道、山陽道を任されていた小早川、吉川は西に進出してきた織田方、とりわけ秀吉と長きにわたって激しく戦っていた。だが一方で、安国寺恵瓊といったすぐれた使僧を仲立ちにして度重なる交渉を行ってきた。
秀吉は毛利方の「両川」の力を認めていたし、毛利方も恵瓊から聞いた秀吉の人物と信長亡き後の水際立った振舞いに、家の命運を託すべき相手と見てもいた。四国攻めの時に、大挙して軍を送りこんできたのは、四国に領土を得ようとするためではない。秀吉のために働くという姿勢を明らかにするためであった。
「旗幟を明らかにするための好機だと申すか」
「殿は全ての武人は天下惣無事のために働くべしと申しております」
「天下惣無事、か……」
元親はしばし瞑目した。
「よくわからぬ。四国ですら俺には広かった。天下なべて事もなし、などできるのか」
「総見院さまの後を引き継いだ殿ならできますし、必ずやしてのけるでしょう。その先頭に立つことは、土佐侍従さまにとっても必ずや良き結果を招くはずです」
吉成の言葉に元親はしばし黙って聞いていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「わかった。土佐の国中に陣触れを出そう」
吉成は表情を崩さず手をつき、丁重に礼を述べた。
「俺もこれまで散々たてついておいて、すぐに信を置いてもらえるとは思っておらぬよ。いずれ何らかの形でご奉公せねばならんが、いきなり島津の相手とは関白さまも中々に厳しい」
「お味方と心を許されているからこそのお願いです」
元親は頷き、太郎兵衛に視線を向けた。ちょうど張り詰めた空気が緩み、太郎兵衛は大きく口を開けて呼吸を繰り返している所だった。
「こうして政は決まっていくのだ」
慌てて口を閉じ、頭を下げる。
「お前も九州へ行くのか」
太郎兵衛が横目で父を見ると、微かに頷いた。お答えしろ、と促されて、
「左様でございます」
自分でも驚くほどの大声が出た。
「元気のいいことだ。うちの熊と年が近いようだから留守番でもしていてもらおうかと思っていたのだが、立派に働けるようだな。励めよ」
「はっ」
と手をついたところで、不意に背後が騒がしくなった。
「千熊丸さま、お待ちを!」
谷忠澄の声を振り切るように、一人が広間に走り込んできた。吉成たちに一礼した顔を見て、太郎兵衛は驚く。港まで迎えに来てくれた元親の子の千熊丸である。太郎兵衛は何事かと吉成と元親の顔を交互に見るが、吉成は表情を動かさず、元親は手で顔を覆っている。
「今は大坂からのご使者と大切な話をしているというのに、何だ騒がしい」
「お願いがございます」
どんと拳を広間の床板に叩きつけ、千熊丸は言葉激しく、九州攻めに帯同してくれるように頼んだ。港で見た柔和な印象が消え、名の通り熊のように猛っている。
「それはここで言わねばならぬことか」
「羽柴公の使者が来ている今こそ、願い出るべき時と心を決して参りました。島津は九州の覇者として土佐にまで名が轟いております」
「お前が島津と戦うとでもいうのか。まだ十二ではないか。焦ることはない。元服すればいくらでも戦に連れて行ってやる」
「戦はいつまでもあるとは限りませぬ。四国は関白さまの制するところとなり、島津がもし屈服すれば私はどこで名を揚げればよいのですか」
「名は戦場だけで揚がるものではない」
「ですが、戦で勇士と認められることこそが功名を挙げるただ一つの道です。それにこれあるご使者は私より年若い。務めを果たすのに元服しているかどうかは関わりのないことです」
吐き出すように一気に訴えるが、元親は首を振ってため息をつき、
「雄、雄はおるか」
と誰かを呼んだ。太郎兵衛がただならぬ気配に振り向くと、元親に背格好のよく似た、しかし顔立ちは際立って美しい若者が立っている。
長子の千雄丸信親である、と元親は紹介した。
「また熊が駄々をこねている。今は見ての通り、ご使者と談判中だ。連れて行ってくれ」
信親は静かな足取りで千熊丸に近づいていく。千熊丸も少年にしては大柄だが、信親に比べれば全くの子供だった。
「行こう」
兄が静かに言うと、千熊丸は怯えた表情を浮かべ、諦めたように立ち上がる。そして肩を抱かれるようにして広間から去った。気まずい沈黙が広間を覆ったが、
「さて、陣立てのことですが……」
吉成がごく自然に話を再開したので、元親もほっとした表情を浮かべたのであった。
四
吉成たちが元親と話を進めているころ、秀吉のもとには大友宗麟が訪れていた。島津の攻撃は激しく、もはや直接秀吉にすがるしかないところまで追い詰められていたのである。ここに至っても、秀吉は内心では交渉で島津が屈服すれば、それ以上ことを荒立てるつもりはなかった。
秀吉には見る者をひれ伏させる威厳こそなかったが、眼力は信長に劣らず、加えて「人たらし」と呼ばれるほどの術があった。
「相手に惚れさせよ」
と、秀吉はよく側近に言っていた。惚れた相手に、人は従うのだ。そうなれば争わずとも済む。吉成にはその実直な性格から、誠のみで押せと指示することが多かった。だが、版図が広がるに従って、できることなら相手を惚れさせてこいと命の最後に付け加えるのが常となった。
「何かをさせるにも、向こうからその気になってするのと、嫌々させるのでは大いに違うぞ。これほど愛しい女子はおらぬと思うて、対するのだ」
これには吉成も閉口した。彼はそれほど、女性に熱心なわけではない。当時はごく普通であった衆道もたしなんではいない。
「小三次は堅すぎる。女心の一つでも学んでこい」
秀吉はそう吉成をからかったが、その目は笑っていなかった。
「というてもお前が遊女屋通いするとも思えんから、一つわしが伝授してやろう。女は男の何に惚れるか。これだけわかっていればいいのだ」
人さし指を立てて、吉成の前に突き出す。
「もちろん、見目麗しければ放っておいても女は惚れる。だが、顔の美しさなどは三日もすれば飽きる。美しさを誇るなら、周りから飾っていくのだ。己が身の周りがきらびやかなら、自然と本人も美しく見える。わしがそうだろう?」
秀吉は大坂に巨大な城を築いていた。土台となった石山本願寺も、寺の範疇を超えた巨大なものであったが。東西七町、南北五町というから、その面積はおよそ三十五万平米にもなる。だが、新しい大坂城は桁が違った。
上町台地の北端に五層八階の大天守を置き、北を淀川本流、西は船場、南は谷町、東は森ノ宮と本願寺の四倍にも及ぶ。本丸は外堀と内堀、そして惣構えと呼ばれる外郭にも堀を巡らし、本丸に至るには急峻な石垣と複雑に入り組んだ曲輪の間を抜けなければならない。城攻めの名手であった秀吉ならではの、鉄壁の城であった。
「次に、高貴であるかどうかだ」
秀吉は二本目の指を立てた。彼は守護代の子であった信長や、三河の土豪であった家康に比べても、誇れる血筋などというものは全くなかった。だが、信長の死後は積極的に官位を取りにいった。
困窮していた朝廷は、手を差し伸べてくれる者に権威を与えるのが通例となっている。その様をつぶさに見ていた秀吉にとって、貴顕に列せられることは難しくなかった。先例、前例に縛られた世界であっても、それはあくまでもごく小さな盃の中の慣習であり、抜け道はいくらでもあった。
吉成が四国へ行く際には、秀吉は正二位内大臣となっており、さらにその上の位を得るべく手を回していた。
「高貴な位にしばらくいれば、わしが尾張で針を売っていたことなどやがて忘れる。土に汚れた猿に抱かれるのは嫌でも、大臣さまの手の中なら自ら帯を解こうよ」
そして最後は、と三本目の指を立てる。
「何だと思う?」
吉成は首を捻った。確かに、豪壮な城と高い位は女を口説く時に役に立ちそうだ。見目の良さは関係ないと言っているのだから、
「戦の強さですか」
と答えた。
「違う!」
手を叩いて秀吉は喜ぶ。まるでそう答えるのを予期していたような、してやったりの表情を浮かべている。吉成は、天下の半ばを取り、内大臣となってもこのような稚気を見せる秀吉が嫌いではなかった。
「そこだよ」
と秀吉は真顔になって言った。
「天下を睥睨する巨大な城を建て、十万の軍を動かして敵する者を打ち倒す。廟堂にあっては大臣の位にあり、いかなる将もその前には手をつかなければならない。だがその正体は、見ての通り猿顔の阿呆だ」
これで女はほっと安心する、と秀吉はにんまりと笑った。最近伸ばし始めた髭が、どうにも鼠を思い出させてぱっとしない。だがそのぱっとしなさが、天下人という言葉の恐ろしさを和らげているのも事実だった。
「畏れさせ、敬服させ、その後に安心させる。これに勝る手はない。ま、通じないお方もいるが」
秀吉は何かを思い出すようにうっとりと目を閉じた。吉成は、秀吉が秘かに想いを寄せていた女性を知っている。
信長の妹であるお市の方である。浅井長政に嫁ぎ、その滅亡後は柴田勝家に嫁いで、最後は夫と運命を共にした。
「あのお方だけは、今のわしにもなびかなかったろうな」
そう呟く。吉成はお市の方の姿を目にしたことは一度しかない。清洲会議の後、勝家に輿入れする交渉の際に見た。確かに、ぞくりとするほどの美しさと儚さと、そして強さを感じる女性だった。天下に聞こえた武将を二人続いて夫にするだけの「格」を感じさせたものである。
「何故あの時、お市さまを引き取らなかったのです?」
政としてだけ見れば、彼女を勝家に嫁がせたのは間違いではなかった。秀吉への反発が一時的にせよ弱まり、その間に周到な準備を整えることができた。
「欲しいものを我慢した方が、より大きな果実を得ることがあるのだ」
秀吉はお市の方に手を伸ばさなかった代わりに、信長家臣筆頭の地位を得たのだと言いたそうであった。だが吉成は、それが真実ではないと見抜いていた。
「怖かったのでしょう」
そう言うと、秀吉は照れ臭そうに頷いた。
「まあな」
秀吉はごく近い者には本音を漏らすことがある。誰に惚れた、振られた、勝った、負けたといっては抑えることなく笑い、泣く。だがお市の方の時だけは違った。じっと己の中に秘めて、このように控えめにしか表に出さない。それがかえって、秀吉の本気を思わせた。
「だが今のわしなら、そぐう相手になったのかもしれん」
「だから茶々さまを引き取ったのですね」
「よく似ている」
秀吉の頬は初恋のただなかにいる少年のように赤くなった。
「何とかあの娘に惚れてもらいたいものだ。あれほどの美しき者にわしの血だけでなく、心も受け継いだ子を産んでもらえたら、どれほど幸せなことか」
それだけの賢さと器量が、あの娘にあるのかと吉成は内心首を傾げた。だが、織田信長の姪であり、浅井長政の娘という茶々の血筋にはそれだけの夢を見させる高貴さがあることも、また事実だった。
秀吉には天下を覆う大胆と、娘の心に右往左往する小心が同居している、と吉成は感じていた。だがこれほどの幅がなければ、天下を左右できないのかもしれない、と長年秀吉と接してきた吉成も考えるようになった。
「それはそうと、お前もそろそろわしのような手管を使えるようにならねばならんぞ」
表情を改めて、秀吉は言った。
「何事です」
「そろそろ国持ちになってもよかろう」
さらりと秀吉が言ったものだから、吉成は驚いた。秀吉の側近、黄母衣衆として常に秀吉の身辺に侍り、四方へ奔走することが務めだと信じていた。吉成よりも遅くに仕えた者が大きな知行を得て大名となっていく。だが、彼は何とも思わなかった。秀吉の使い走りほど面白い仕事はないのである。
「お前にはそれだけの力がある。九州を平らげれば、一国を頼みたく思う。そのためにはまず土佐の長宗我部を動かしてくるのだ」
吉成もそう手をとられて気分が悪かろうはずがない。珍しく高揚した気分で大坂を後にした。だが、長宗我部元親が出兵を承知した後、宿に案内されたあたりで思い当たることがあった。
「うまく言うものだ」
と自然と苦笑が口元に浮かぶ。惚れさせる手管に見事に引っかかっているのは自分だ。そして、己が一番惚れていると思わせているあたりも大したものだ、と吉成は感心していた。
秀吉は天下に近づくにつれて、家臣団の陣容を厚くすると共に、入れ替えを試みていた。石田三成や大谷吉継、小西行長に前田玄以など、秀吉が万石の知行を持つようになってからの家臣は、吉成から見ても輝くような才能を持っていた。彼らは戦場にあって強いだけでなく、畿内の統治、兵站の管理や四方との交渉を任せられ、秀吉の期待にこたえる働きを見せていた。
賎ヶ岳で七本槍と称せられて活躍した若武者たちも、大変な抜擢を受けている。二十歳そこそこにして従五位を受けた加藤清正や福島正則などはその筆頭である。もはや子供のように見える者たちが、殿上人となっているのだ。
吉成とて、彼らと同じように働いて秀吉を支える気概は持ち続けているが、若さの放つ武と才の煌めきにはため息が出る。
「それで、よい」
一抹の寂しさはあるが、致し方のないことだ。天下は広い。吉成も使いをして交渉する相手が、野盗の類から国人、そして大名や大大名へと替わるにつれて、とてつもない重圧に苛まれるようになった。
秀吉が戦陣に出れば矢玉を恐れず駆け回ることができるが、帷幕の中で詰将棋をするような小牧長湫での戦の雰囲気は、正直あまり好きではない。そのような気配を、敏感な主君が見逃すはずはなかった。
気付くと、太郎兵衛がじっと見つめていた。
使者として出かける時に、馬丁として帯同するようになって二年ほどになる。大坂に帰れば犬飼九左衛門に鍛えられ、暇があれば相変わらず石合戦に明け暮れる日々だ。日に焼けて真っ黒な「焦げ坊主」が国持ち大名の子かと思うと、おかしくなる。
「何か用か」
「千熊丸さまが遊ぼうって」
四国に覇を唱えた男の子と、己の息子が遊ぶというなら、それなりの箔をつけてやらねばならんか、とも考える。
「行ってこい」
「しゃべってもいい?」
「当たり前だ」
太郎兵衛は嬉しそうに頷いて駆け出して行った。
五
秀吉は島津に「惚れさせる」ことはできなかった。
その力も位も、「成り上がり者」と罵られては用を為さない。鎌倉の世から守護大名として九州に勢威を誇る島津は、他家と比べても別して古く、そして強かった。かつて同じく伝統と強盛を誇った武田、今川、大内、大友などの諸家は既に没落しているのに、島津家だけは違う。勇ましくも秀吉との和解案を蹴り、本格的に北上を始めて筑前へと侵攻していた。
秀吉もついに大軍を催して九州へ攻め入ることになったが、あくまでも四国と九州の軍が中心である。だが、土佐では思ったように準備が進まず、吉成は焦っていた。
「今は畑仕事で忙しいからな」
元親は急かす吉成に対し、渋い顔で言い返した。四国では、軍の主力となる兵たちはまだ専業となっておらず、半農であることがほとんどだった。一領具足と呼ばれる者たちが、田畑の横に武具を立てかけていたという話はその象徴である。
九州へ入るのは夏ということになっているが、田畑の世話で忙しい時期でもあり、兵たちの士気は上がらなかった。
「天下の戦いといっても、彼らには通じぬよ」
「天下のために戦うことが、己の田畑を守ることだと教えて下さい」
と吉成は元親に懸命に説いた。そういうことなら、と元親も主だった者たちを集めては厳しく言い聞かせたものの、やはり軍の動きは緩慢だった。
四国から出征するのは、土佐の長宗我部と紀州攻めの功を認められて讚岐高松を領していた仙石秀久、かつて四国讚岐で長宗我部と争っていた十河存保、伊予の小早川秀包であった。
「もう讚岐や伊予は出撃の備えが整っているようです」
と吉成から聞いて、元親も焦りを覚えた。仙石秀久と元親の間には、因縁がある。四国攻めの際に、淡路から讚岐に上陸した秀久は、長宗我部軍の攻撃によって敗走し、幟を奪われるという恥をかかされた。
秀久は武勇をもって知られていただけに、この敗戦には含むところが大きかった。讚岐に十万石を与えられたのは、土佐の監視という意味合いもある。ここであまりに遅れると、秀久がどう秀吉に讒言するか知れたものではなかった。
六月に入り、筑前の情勢はいよいよ緊迫してきた。天正十四年七月、太宰府を眼下に望む岩屋城が島津軍およそ三万に包囲されたのである。
大城山の中腹に築かれた山城に篭るのは、高橋紹運をはじめとするわずか七百名あまり。ここと隣接する宝満城、立花城がある。立花城に篭るのは、高橋紹運の実子にして立花道雪の養子である宗茂だ。この線を破られると博多が丸裸となる。
博多は朝鮮や中国との貿易の大拠点であり、ここを押さえられては島津の力が倍加する。それに、博多を押さえられると残された大きな拠点は小倉だけとなり、九州全土を制圧される危険があった。
秀吉としても、それだけは絶対に避けなければならない。
大坂と土佐を忙しく往復している吉成の弟たちも、秀吉からの厳命を持ち帰っていた。ようやく準備が整った長宗我部軍と共に、伊予の松山で仙石秀久と合流したが、秀久の機嫌はすこぶる悪かった。
若い頃にその勇猛を信長に称賛されて秀吉の馬廻り衆となった彼は、四国の諸将を下に見る態度を隠そうともしなかった。しかも元親はかつて讚岐の引田で対戦し、旗印を奪われた相手でもある。秀久の肩には無用な力が入っていた。
「遅いではないか」
元親の顔を見るなり、秀久は噛みついた。
「これで九州を島津に切り取られるようなことになれば、土佐どのの責めになるぞ」
と決めつける。
元親はあまりの口のききように、手を刀の柄にかけかけたが、すぐに下ろした。土佐三千の兵を率いて本陣で喧嘩騒ぎなど起こせるわけがない。秀久もそれがわかっていて罵倒したのである。
「軍を出すには準備がいるのだ。文句を言うな」
元親が言い返すと、秀久は舌打ちをして顔を背ける。そして、険のある空気のまま、軍議となった。
四国から九州へ渡るには、伊予の西端、角のように突き出た三崎半島から、佐田岬を右に見つつ西へ進むのが常道だ。豊後の別府に近い、佐賀関の港までは二十里もない。
もし島津の本隊が筑前に集結しているのであれば、四国の軍勢が豊後に上陸してその背後をとることに大きな意味があった。
「即刻渡るべし」
と秀久は主張した。だが、四国の諸将はいい顔をしない。三崎から佐賀関まではごく近い。徒歩であっても二日もあればたどり着ける。だが、その間に横たわる海峡は「速吸瀬戸」と呼ばれている難所だ。
「越前守どのは海を知らぬ」
元親はなるべく穏やかに諭そうとした。四国軍の数はおよそ六千。それだけの軍勢を渡す水軍は、秀吉側も配下に収めてはいる。村上、九鬼、河野などの有力な海の民は秀吉に臣従していた。だが、彼らも秀久の性急な求めには渋い顔である。
「あの瀬戸はただ出て行っても流されるだけだ。南に流されたら最後、二度とは戻ってはこられぬ。戦わずして軍の半ばを失うこともありえるのですぞ」
秀吉から十分な援助を受けて自らの水軍を再建した来島通総は、秀久の無謀を止めた。それでも、
「では間に合わずして九州の岩屋城が落ち、筑前国が島津の手に落ちたらどうするのだ。この軍半数の犠牲ではすまぬぞ」
と秀久は譲らない。
「九州への討ち入りは関白さまの意である。これに逆らう者は、わしの槍にかけて許さぬ」
だが折りから、嵐の気配が伊予にはたちこめていた。水軍の頭として、来島通総が冷静に口を開いた。
「夏に南からの風が強き時は、決して海に出てはならん。うねりが行く手を阻み、瀬戸の流れが船を押し流す。確かに関白さまは大いなる力をお持ちだろう。俺も随分と世話になっている。人が相手なら、俺たちも白刃をふるっていくらでも突っ込んでやる。だが、相手が海となれば話が違う。どれほど偉い人間だろうと、命など聞かん。それでも行くというなら、勝手に行ってくれ」
歯切れのよい通総の反論に、秀久は顔色を変えた。
「貴殿の言い草、よくわかった」
そう言って本陣の後ろに立てかけてある槍を手に取る。
「ではこれより、わしが水軍の指揮をとる。来島通総は戦意なしとして謹慎。土佐侍従どのをはじめ、四国の諸軍は早速船に乗って瀬戸を渡れ。もし文句があるなら、わしが相手になるぞ」
戦場で数々の武勲を挙げた槍のきらめきが人々の目を射る。通総は怒りに黒き顔を紅に変えて本陣を出ていき、気まずい空気が満ちていく。
「さあ各々方、軍議はここまで。とく出立の備えをされよ。関白さまの尖兵となり、ご恩に報じるのだ!」
声高々に命じた秀久が槍を再び従者に渡したところで、元親が立ち上がった。勇猛な容貌の秀久を圧するような偉丈夫ぶりである。元親はこの時代の男にしては飛び抜けて長身であった。
「仙石越前守」
その声は、これまでと明らかに違っていた。
「な、何か存念があるなら申してみよ」
満足げだった秀久の表情が強張った。
「確かに、関白さまの九州討ち入り、天下惣無事のお志は天晴なものであろう。我らのような田舎武士には到底思いも及ばぬことではある。だが、四国の山と海になずんできた者も、それぞれ一領の具足をもってこの大事に馳せ参じているのだ」
「そんなことはわかっている」
秀久は元親に気押されないよう、ことさら厳めしい顔を作った。
「天下の無事は四国の武家や民百姓、すべての者のためでもある。関白さまの尖兵となることは、先々の幸せにつながると心得られよ」
「それは小三次どのからもうかがった。で、あるならば」
元親が一歩秀久に近づいた。
「四国の者の命を軽んじるようなことを口にするのは止めよ。彼らは戦に出ても、また帰ってきて土を耕す。海に出て漁もする」
秀久も左右に肩の広がった魁偉な体つきをしている。だが四国の覇王はさらに一回り大きかった。静かな怒りが、元親をさらに大きく見せて本陣内にいる者は言葉を失っていた。
「ふん、時代遅れなことだ」
秀久は一つ鼻を鳴らした。信長の試みを引き継いで、少しずつ専業の戦闘集団の育成を行っていた秀吉軍には、いつでも動員できる兵力が存在した。秀久が率いている讚岐の軍団にも地元の農民から徴した兵もいるが、その主力はあくまでも秀久が鍛えてきたものだ。だが、一領具足は秀久の攻勢は退けている。
「我らは関白さまのために命を懸ける兵だ。それほどの気概を持たぬと、これまでの反抗を帳消しにはできぬ、という意味で言ったのだ」
と秀久は弁明する。
「言っておくぞ」
居丈高な口調を取り戻した秀久は、
「誰がこの四国の指揮を執っているのか。それは長宗我部でも十河でも村上でもない。この仙石越前守である。我が命は関白さまのお言葉と肝に銘じよ」
と宣言した。元親に気押されたことを消し去ろうとするほどの大声だ。四国の諸将は鼻白んだ表情を浮かべ、本陣を後にしようと立ち上がろうとした。そこに、
「権兵衛!」
と末座から鋭い声がかかった。
六
軍議の間、口を一切開かなかった一人の男の方を、皆が見た。秀久もまた誰か文句をつけるのか、と心配と怒りで顔を真っ赤にしながら顔を向ける。そしてほっとしたように、
「小三次か……」
と呟いた。
「何だ。陣立てに何か異論があるのか」
秀久と吉成は古い付き合いである。信長が斎藤龍興を稲葉山に滅ぼした際に、美濃の土豪であった仙石氏は織田方に投じた。吉成はすでに馬廻り衆として秀吉に仕えていたが、秀久もその一員に加わったのである。
吉成がそのまま秀吉の馬廻りに残ったのに対し、秀久は軍を率いて先陣に立つ道に進んだ。十万石の大身とくらべものにならないほどに微禄な黄母衣衆ではあるが、吉成は全く遠慮なく秀久を呼び捨てにしてのけた。
「お前は殿からそのように四国の者たちを追い使えと命じられてきたのか」
そう問い詰めた。
「おうよ。これまで乱れていた四国の諸軍をまとめるために、大いに働けと命じられておる。これまで千々に乱れていた者たちを一つにして戦いに差し向けるのであるから、関白さまの威光に服させなければならんだろうが」
秀久も遠慮なく言い返す。
「この短慮者め」
吉成は叱りつけた。
「四国の諸将は我らのような成り上がり者にあらず。累代この山河と海を守ってきた者たちだ。戦乱の世に勝敗はつきものといえども、ただ力で押さえつけて死地に向けることを殿が命じるものか。既に土佐侍従さまをはじめ、皆が大坂に心を寄せている今となってはその戦いぶりを助けるのみで足る。お前の言い草は殿の姿を悪しきものとし、これから戦に臨もうとする士の心を意味なく挫くものだ」
これまで無言だった吉成の怒りに、元親らは驚いた表情を見せていた。秀久は顔を真っ赤にして吉成を睨みつけていたが何も言い返すことができず、大きな咳払いをしながら本陣を去った。
秀久が去った後、吉成は来島通総を呼び戻して再び元親の後ろに控え、軍議の続きを促す。それを受けて元親が口を開く。
「仙石どのはあくまでも軍監である。この戦、主軍となるは我ら四国勢だ。確かに関白さまと俺は長年戦ってきたが、矛を収める誓いをしたからにはその御為に働くのは当然のことである。さりながら、速吸瀬戸を越えるにはそれなりの備えが必要だ」
元親は、仙石勢が四国へ攻め入った際に使った船を伊予まで回航させ、それを渡海に使うという案を出した。淡路から讚岐までの海は速吸瀬戸よりはまだましだが、それでも播磨灘の荒波は激しい。それを越えるだけの頑丈な造りをしている船だ。
「来島どのには水先案内をお願いしたい」
来島通総は緊張した面持ちで頷いた。水軍を率いる彼らは、海を知る者でも気の抜けない瀬戸を、六千の軍を渡せるか潮目を見極めなければならない。
「では各々、四国に兵ありと天下に見せつけてやろうぞ」
という元親の言葉で軍議は決した。
軍議が紛糾していた頃、太郎兵衛は千熊丸と山の上から海を眺めていた。山までは後藤又兵衛が送ってくれた。又兵衛は、黒田官兵衛の息子、吉兵衛長政と仲違いして出奔し、仙石秀久の厄介になっている。
「今度は俺も派手に暴れてみせるぜ」
と力こぶを作る又兵衛を、太郎兵衛と千熊丸はまぶしそうに見上げた。
主家が滅んだ後の又兵衛は天下に見聞を広めて名を揚げようと播磨を後にしていたのである。そして四国を訪れるやその武勇を見込まれ、秀久の馬廻り衆に加えられていた。
「いいな、太郎兵衛たちは。これから海を渡るのだろう?」
心底羨ましそうな千熊丸の言葉にどう返していいかわからず、彼はただ黙って頷いた。
「俺も行きたかった」
千熊丸は結局、九州入りを許されなかった。吉成と父が話している所に踏み込んでまでの願いは、叱りつけられただけで終わった。散々に折檻されたものの、そのあまりの願いぶりに元親もやや折れて、四国を出るところまではついてきてよいと許したのである。
「熊の相手を頼む。あと、無茶をしようとしたら止めてくれ」
と元親は太郎兵衛に秘かに頼んでいた。
「無茶?」
「熊は向こう見ずなところがあってな。先だって広間に来た時の姿を見ただろう。こうと思うと周りが見えなくなるのだ。果敢なのはいい。だがあれで戦場に出ては真っ先に死ぬ」
それが戦に連れて行かない理由だ、と元親は述べた。
「せめて雄の重厚さがあればな」
ため息をつく。元親の長子である信親は、太郎兵衛から見ても圧倒される迫力があった。千熊丸がその顔を見ただけで動けなくなるのも理解できた。
「太郎兵衛よ、お前を小三次どのが連れ歩いている理由が、先日の一件でよくわかった。熊の奴が広間に走り込んで見苦しいさまを示したというのに、全く動じた様子も見せなかったな。それに聞けば、時に熊の遊び相手もしてくれているというではないか」
「ええ、まあ……」
太郎兵衛は微妙な顔をした。千熊丸は太郎兵衛より三つ年上であったが、尋常ではないほどに懐かれて、やや辟易していたのである。
やれ槍の修行をしよう、釣りをしよう、相撲をとろう、と毎日のように訪れては連れ回される。確かに、太郎兵衛も土佐に来てから暇ではある。鍛えてくれる九左衛門は大坂だし、石合戦をする知り合いもいない。又兵衛もさすがに毎日は遊んでくれない。最初は嬉しかったが、あまりの深情けに面倒くさくなってきた。
「ううむ、やはりそういう顔をされるのだな。熊は加減ができぬ故に友も少ない。俺が四国の覇者を目指して周囲を切り取ったために、同格の友というのもいなかったのだ」
頼む頼む、と大きな体を折り曲げるようにして元親は太郎兵衛に遊び相手を依頼した。結局、土佐から伊予まで来る道中でも、千熊丸はいつも太郎兵衛と轡を並べてきては側を離れようとしない。
吉成は、
「うまくお付き合いしていろ」
と言ったきり何を指示するわけでもない。この日も朝飯を食い終わったのを見計らうように、遊びに行こう、とお誘いが来たのである。
「どこへ行くんですか」
「山だ」
千熊丸は松山の街から西に見える小高い山を指した。
「あそこに登れば豊後が見えるかもしれない」
「そんなに近いのですか」
千熊丸は名前の通り、熊のように強く、大きかった。又兵衛には敵わぬまでも、流石は土佐侍従の子だなと太郎兵衛も感心するほどだ。脚も速く、馬丁として父の馬に徒歩で従っていた太郎兵衛もついていくのがやっとである。
松山の街を抜けて西にそびえる山並みを目指す。主峰の弁天山を中心に、垣生山、そして津田山と三つの小山が南北に連なっており、垣生山にはかつて土豪の埴生氏が城を築いていた。河野通直に従って秀吉に抵抗する姿勢を見せていたが、降伏して城を差し出している。今の城内にはわずかな警備兵以外は入っていない。
ところどころに兵は立っているが、黄母衣衆の吉成の子と、土佐侍従の子の顔を知らぬ者はおらず、頂への道を行くに何の支障もなかった。
瞬く間に山頂へたどりつくと、そこには出城の跡があった。埴生山城が羽柴方に引き渡された後、出城の類は全て破却された。弁天山は三山の中でももっとも高く、出城と物見櫓が設けられていたらしい。
その跡に立つと、西に広がる大海原が見えた。西から吹きつける海風は、温かな伊予でも秋が深まっていることを感じさせた。
「あれが豊後かな」
東北の方角に大きな島が見える。太郎兵衛もそうかな、と思ったが二十里先の九州があれほど大きく見えるのも妙な気がした。
「周防の島ではないでしょうか。豊後は真西の方角のはずだし、もっと遠いです」
「そうか」
千熊丸はさして気にする様子もなく、西の海を眺めている。
「この先で島津と大友が激しく戦っているのだな。一度でいいから、そのような戦場に身を置いてみたいものだ」
憧れを隠さず、千熊丸は呟いた。
「大変なところですよ」
太郎兵衛も父について、何度か戦場を通った。首を切り取られた死体、鉛玉で穴のあいた体、もげた腕などが転がる戦場は決して華々しいだけの場所ではない。だが太郎兵衛はそこに憧れ、千熊丸と同じように父について行きたいと願ったものだ。だから彼はどんなにうっとうしく思おうと、千熊丸を嫌いにはなれない。
「太郎兵衛は首を挙げたか」
「いえ……」
吉成は太郎兵衛に、戦場で槍をふるうことを許さなかった。矢玉が届く場所にいることも許さない。戦場ではあくまでも半人前の扱いしかされていないのである。父の危急を印地打ちで救ったことはあったが、あくまでも特別な例であった。
「俺も父上の四国切り取りに間に合っていれば。兄上のように武名を高められたものを」
口惜しそうにくちびるを噛む。千雄丸信親は、仙石秀久を敗退させた時に先鋒に立って敵方の侍大将の首をいくつか挙げた。それによって土佐の一領具足たちの尊敬を受けたのが羨ましくて仕方ない、と千熊丸は隠さず言った。
「だから俺も戦に出たい。なあ太郎兵衛、お前の従者でいいから連れて行ってくれよ」
伊予に入ってから、毎日のようにこうして懇願されていた。だが、そんなことはできるはずもない。
「土佐侍従さまに叱られるようなことはするな、と父に厳しく言われているので」
「そうか……」
寂しげに千熊丸は目を伏せた。讚岐から軍船が繋がれて回航してきているのが見えた。数も多く、讚岐高松から伊予松山までは結構な距離があり、その作業はなかなか進まない。
「七月のうちに豊後へ渡るのは難しいそうです」
千熊丸は太郎兵衛の言葉を聞くと、嬉しげにも悲しげにも見える、複雑な表情を浮かべた。
「なあ太郎兵衛。俺たちで船を一艘盗んでさ、先に豊後へ渡ってしまわないか? そうすれば一番槍は俺たちになるじゃないか」
とんでもないことを言いだす、と太郎兵衛は驚いた。
「俺は仙石どのよりは海を知っているぞ」
「確かにそうでしょうけれど」
土佐に生まれ育った千熊丸は確かに海に詳しかった。釣りに出ても、太郎兵衛が知らない潮の流れや魚の多く集まる場所を見極めて、大物を上げている。
「でも駄目ですよ」
「どうして!」
千熊丸はふと思いついた一番槍の空想に夢中になっているようであった。だが太郎兵衛は、千熊丸に無茶をさせぬよう元親にくれぐれも頼まれている。
「俺が何かをしようとすると皆が止める。名を揚げようと鍛え、それを戦場で発揮するのがそんなに悪いことなのか。俺はただ、一人前に戦えることを土佐に、天下に示したいだけなんだ」
太郎兵衛の肩を掴んで揺する。太郎兵衛は千熊丸の瞳が異様な光を放っていて少し怖くなった。だが一方で、このような男に見覚えがあるような気がした。
「又兵衛に似てる……」
と思わず口に出していた。
「又兵衛? ああ、仙石どのの馬廻り衆か。嫌いじゃない」
黒田の若君に従って長浜にやってきていた青年は、千熊丸よりも年長であったが、大柄なことと戦への想いが強いことでは同じだった。無茶に付き合わせるところも、よく似ていた。だがあれから四年経ち、太郎兵衛は少し成長している。
「千熊丸さまと一緒に海に出ることはできません」
きっぱり断れるようになっていた。
「じゃあ俺一人でも行く!」
肩をいからせて山を駆け下りていく千熊丸を、太郎兵衛は追わなかった。軍船は一人で操れるようなものではない。水軍の兵も長宗我部の若君が命じたところで、一隻を先に行かせるとは思えなかった。
七
放っておけばいいや、と山をゆっくりと下りた太郎兵衛は、吉成に呼ばれて碁の相手をさせられていた。吉成には趣味らしきものがなかったが、大坂に来てから覚えたらしく、太郎兵衛にも教え込んでいる。
敵を囲み、石を得ていくこの遊戯に吉成は熱中していた。だが、その腕は覚えたばかりの太郎兵衛にも負ける程度のものであった。
「ううむ……」
吉成は難しい顔で唸っている。
五局に一局は、熱戦の末に太郎兵衛が勝つ。彼からすると、父に勝てる唯一のことなので呼ばれても嫌な気はしない。時に顔を紅潮させたり、その手は待てなどと口にする父の姿は新鮮であった。
いつも有無を言わさぬ父が、碁を打っている時だけは、対等に扱ってくれるのが不思議ではある。今回も父の地は悪く、敗勢が濃い。このまま終わるかな、と思っていたところに、宿に使っていた寺の戸が激しく叩かれた。
吉成に促されて様子を見に行くと、谷忠澄が青い顔をして立っている。
「千熊丸さまがこちらに立ち寄られていないか」
「いえ、昼までは一緒にいましたが」
夜になっても陣屋に帰ってこないというのである。太郎兵衛は昼に弁天山で話したことを思い出して、言うべきかどうか迷った。
「昼に別れてどうしたのだ」
父が後ろに立っている。
「ありていに申せ」
碁石を打っている時の楽しげな気配とは違う、務めを果たしている時の厳しい声である。太郎兵衛は千熊丸が話していたことを忠澄に告げた。黄昏時であたりは暗くなりつつあったが、忠澄の表情が見る間に険しくなっていくのがわかった。
「先ほど、垣生の漁民から訴えがあったのです。小船が一艘、何者かに盗まれたとか」
「小船? その程度ならわざわざ本陣に訴え出てこなくとも」
吉成は首を傾げるが、小船を漕いで行ったのが誰か、明らかだった。
「侍装束を着た子供が一人、止めるのも聞かずに西へと漕ぎ出していったそうです。さすがにそのような愚かな真似はなさるまいと高をくくっていたのですが、太郎兵衛の話から考えると千熊丸さまに間違いなさそうですな」
うんざりした表情で肩を落とすと、忠澄は帰ろうとした。
「お待ちを」
吉成が呼び止める。
「こやつの責めでもあります」
と太郎兵衛を指して言ったものだから、彼は仰天した。
「土佐さまに千熊丸さまのことを頼まれておきながら、山を下りるのを追わなかった。これでは務めを果たしたとは言えません」
「いや、それは……」
忠澄は言いかけるが、吉成は太郎兵衛の襟がみを掴んで突き出す。
「千熊丸さまをお捜しの際は、こやつも存分にお使い下さい」
そう言って、寺の中へ引っ込んでしまった。太郎兵衛は呆然としたが、忠澄の困り果てた顔を見て、力になることに決めた。
「一緒に捜しに行きます」
「お前には悪いことをしたなぁ」
根が善人らしい家老は、太郎兵衛に詫びた。確かに迷惑なことではあったが、太郎兵衛にはおそらく大丈夫だろうという漠然とした自信があった。
「千熊丸さま、あまりよくお考えではなかったようですから。間もなく帰ってきますよ」
「わしもそう思う。ただ、来島どのも言っていたがこの辺りの海は流れが入り組んでいて、漕ぐのも難しい」
忠澄はそれでも心配なようであった。
「土佐の人間には、伊予の海はわからない。お国柄が違うように、海も所を変えれば顔が変わるのだ。その程度のことがわからぬ熊さまではないのだが、時折愚かなことをなさる」
ため息とともに忠澄は首を振る。
浜辺に着くと、既に数十人の兵が出て盛んに篝火が焚かれていた。沖で迷っていればわかるようにしてあるのだ。忠澄が兵たちに指示を出している間、太郎兵衛もじっと海を見つめていたが、既に日は暮れきってあたりは暗い。
「なんだ、太郎兵衛も来てくれたのか」
木陰に隠れるように、元親が立っていた。
「どうしようもないたわけ者だ。実に迷惑なことだろう」
怒っているが、兵たちの先頭に立つわけでもなく、どこかしょんぼりとしている。大きな体が幾分縮んで見えた。
「何を焦っているのか。時が来ればいくらでも名を揚げる機会などある。どこぞで土を耕している百姓や名もなき足軽でもない。敗れたりとはいえ、土佐一国を安堵された俺の子なのだぞ」
そう言いつつ、視線は忙しく黒い海を往復している。どれほど篝火を焚こうと、浜辺の一隅を照らすのみだ。
「間もなく九州へ出立するというのに、余計な手間をかけさせおって。他の者たちに知れたら何とする。いい恥さらしだぞ」
「恥?」
「いけすかん仙石のやつが威張り散らそうと、俺は土佐勢の総大将だ。その息子が勝手に国元をあけて陣に居座った挙句、一人海に出て行方も知れんとは情けなくて涙も出ない」
元親の嘆きを聞いていた太郎兵衛は、
「すごいなぁ」
思わず呟いた。
「すごい? 何が」
海を見るのを止めて、元親は訊ねた。
「それほど千熊丸さまは先陣を切りたかったのですね」
「まあ、俺とて気持ちがわからんでもないが」
元親は子供を見失った親熊のようにうろうろと歩き回りながら答えた。
「だがな、戦といっても変わったのだ。熊のやつは年寄りから昔の戦の話を聞いて、さぞかし華やかなものを思い浮かべているのだろうが、今や様変わりした」
今の戦は種子島を激しく打ち合い、怯んだ方が大抵負けである。
「昔のように名乗りを上げて相手に槍をつけ、衆人環視の中で功を立てるというのは難しいのだ。熊のやつも本当に武名を揚げたいのなら、徳川三河守の帷幕か関白さまの側にいて、彼らが何をしているか見てくればいいのだ」
元親の言葉には納得ができなかった。槍一筋で叩き上げた七本槍の面々はまだ年若いというのに、何千石もの知行を与えられ、戦場の先頭にいた仙石秀久は今や十万石の大名である。
「それは違うぞ」
きっぱりとした口調で元親は否定した。
「そんな時代はいつまでも続かん。関白さまは仙石や七本槍を大切にしているように見えるだろうが、本当に重用されているのは彼らではない。石田三成や前田玄以、小西行長といった連中だ。槍働きだけではない。関白さまの意を汲んで謀を立て、策を献じることにかけても他を圧している。我らも関白さまに何か申し上げる時は、頭を下げてその力を借りなければならない」
だがやはり、太郎兵衛には理解できなかった。武士の価値は石高と強さだと、彼も幼いながらに信じていたからである。
「大体、お前の父御も大した知行もないのに、大名どもに侮られていたか」
「あ……」
太郎兵衛の誇りは、どのような大身の者でも、父に対しては慇懃に挨拶をしていたことだった。父は厳し過ぎていけすかないところもあるが、それだけの力があるのだと漠然と誇らしく思っていたものだ。
「皆が頭を下げるのは武勇ではない。小三次どのと槍を合わせたことはないが、相当のつわものだ。だが、諸将が彼を敬するのは、背中にはためく黄母衣を見ているからだ。そして黄母衣は、関白さまが本当に心を許した者でなければ背負うことはできない」
「でも父上は九州を取ったら大坂に帰らないって」
吉成は勝てば大名、という話を太郎兵衛にはしていなかった。だから、ただ九州で暮らすことになると伝えていただけだ。
「ほう」
元親は複雑な表情を浮かべた。
「それは関白さまの心遣いだ」
「どういうことですか?」
「黄母衣衆は心を許せる側近で、もう共に働いて長い。関白さまのお考えがその心身にしみ込んだ者たちを九州に配するのはおかしなことではない」
「父上は殿のお傍で働くことが好きなのに」
父がお払い箱にされるみたいで、と太郎兵衛は寂しかったのだ。
「それは違うぞ。ま、槍一筋で黄母衣をはためかせているのがいいのか、国を任せられる方がいいのかはっきりわかる。どの道、この戦では懸命に戦って関白さまの覚えをめでたくせねば、我が家の先々も心配だ。小三次どのや太郎兵衛にもしっかり名を揚げてもらうぞ」
元親は気が紛れたのか、太郎兵衛を伴って海岸へと近づいた。暗い海の向こうに、何かが漂っていることに太郎兵衛は気付く。
「土佐侍従さま、あれ」
小船が一艘、波の間に漂っているのが微かに見えた。兵たちも気付き、騒いでいる。兵に交じって働いていた来島通総とその郎党が素早く一隻の軍船を出し、見る間にその小船を回収した。元親はその手際の良さに感嘆する。
「我らも海に縁がないわけではないが、あのようにはいかぬ。海の男は侮るべからず、というがその通りだな。ともかく、熊の奴にはきつく叱り置かねばならん」
浜に上げられた小船に肩をいからせつつ近づいた元親は、中を覗きこんでしばらく絶句していたが、太郎兵衛を手招いた。
何事かと太郎兵衛が近づくと、鼾が聞こえる。舷側から中を見ると、千熊丸は大の字になって眠っていた。
「こりゃ大した武辺者だ」
来島通総が哄笑すると、兵たちも笑った。
「海の妖もこんな剛胆は食えぬと返してくれたのだろう。おい」
気配に気付いた千熊丸は目をこすりながら起き上がる。まず父の姿に驚いた彼は、
「ああ、父上に追いつかれた。一番槍が!」
と頭を抱えて嘆き、元親は大笑いと共に息子を殴り飛ばしていた。