ノエシス

千夜の章(前編)8

cutlass Illustration/たぬきまくら

我々の後継者はスマホの中にいました———田中ロミオ  累計50万ダウンロード突破のスマートフォンノベルゲームcutlass自ら完全改稿のうえ待望の書籍化。

妹に励まされ、先輩とは日曜日に遊びに出かけるこれだけならば、平穏な日常の一部と喜べるかもしれない。しかし、先輩との出会いも、血塗られた道の入り口でのことだった。

千夜先輩あの人はいったい、何を探し求めているのだろうか? 自殺していった少女たち、その生命を悪魔に差し出したのは、何故なのだろうか? 

呪いか。

この事件は自殺なのか、それとも他殺なのか。自殺に見せかけた殺人だと言うなら、どうして人の目につく校舎で、わざわざ犯行をおこしたのか。そしてそんな目立つことをしながら、監視カメラのテープを奪ったのは何故なのか

「だから、先輩は探しているのか?」

犯人と呼ばれる人間がいるとするなら、ソイツは明確な殺意を持って、標的を消去しつづけている。被害者の性別は、全て女だしかも、全員がウチの学校の生徒。何かそこに、見えない関係があるはずだった。少ない手がかりと、何も教えてくれない先輩、そして見えない犯人。

深入りせずに、無関係なフリをしてやり過ごすって方法もある。好奇心も、正義感も、要らないのかもしれない。だれが死のうが関係ない、そう言い聞かせて、無関心のままやり過ごすのが一番賢い選択なのかもしれない。

「それができれば楽なんだろーけどな。知らんぷりなんて、すげームカツク」

口では偉そうなことばかり言って、責任を取らない。それがオレの目に映る大人の姿だった。ああはなりたくないと、子供心に思いつづけていた。

でも高校生になったいま、周囲にいる友人たちはみんな無責任な大人へと片足をつっこみはじめていた。悔しいけど、高校生は大人なんだ。だから自分の身を危険にさらすようなバカなこと、しない。

こんなこと、一緒に調べてくれる人間なんて。目をつむると、黒髪の先輩の姿が浮かぶ。胸ポケットには、先輩の残してくれたメモがまだ、残っていた。

あの人の精神年齢が中二で止まっていて、良かったのかもしれない。

目を開くと、ガラスキャビネットの中にあるものを見つけた。子供時代の、オレと憂姫と、こよみが三人並んだ写真だった。小箱の蓋の部分が額縁がくぶちになっていて、そこに写真が収まっている。

手に取ると小箱に収まったオルゴールが動き出し、音楽を再生させる。

懐かしいオルゴールの音色が、心に染みた。

自殺事件を追いかけるその決意を、オルゴールの音色が揺るがせていく。

オレは写真の収められたオルゴールをガラスキャビネットに戻し、頭を振った。まだ、何かおこったわけじゃない。家族なんだ、そんなに簡単に関係なんて変わらないさ。

寝てしまおう。眠って、頭をスッキリさせよう。

オレは気だるく足をひきずり、廊下へ向かう。と、その視線の片隅に、無造作に丸められた紙片が映った。

「憂姫のヤツ何を捨てていったんだろう?」

ゴミ箱に捨てられている、紙片。オレはそれをつまみあげると、開いた。しわの寄ったルーズリーフをテーブルに置き、丁寧に伸ばす。そこにはボールペンで、いくつかの長方形の図形が描かれていた。

「これ、もしかして、学校か?」

一階、二階、三階校舎の見取り図が階ごとに描かれ、横に詳細なメモ書きがつけられている。

その見取り図が目に入った瞬間、オレの頭に、首吊りの少女を見つけたあの夜の場面が浮かぶ。

憂姫はあの日三階に上がるこよみを見ていた。二階の端にある図書室の扉越しに、こよみの後ろ姿を見ていた。見まちがいなんてあるだろうか? オレがこよみの幼なじみであるように、憂姫もまた、こよみの幼なじみなんだから

一階の昇降口で、オレは六人目の少女とこよみが階段を上がって行くのを見た。そのまま階段を先輩と上がり、二階の廊下で憂姫を見つける。

三階の廊下についたときには、だれの姿もなくて。トイレの中で、六人目の少女を見つけた。

そのあとに火災報知器が鳴り、停電がおこった。こよみは停電前には女バスの部長と合流し、その後校舎をあとにしている。

手早く六人目の少女を始末し、三階のトイレの窓から二階へと下りて、非常ベルや停電もすべて時限装置をつかったとしてもテープを回収する余裕はないはずだった。

憂姫の記したメモ書きを追う。メモは簡潔に、 『テープは入っていたのか?』 とだけ書かれていた。

目眩めまいがした。

公立高校の警備なんて、ザルだ。警備員がいるわけでもないし、専属の校務員だっていない。

備品ですら近隣の高校をぐるぐると回してつかっていて、バスケットボール一つ買う予算すらつかないと、愚痴ぐちが聞こえてくるくらいだ。

監視カメラも名ばかりのもので、未だに旧式のVHSを使用している。事前に制御室に忍びこんで窓の鍵を開けておけば、あとは当日の夕方に窓から侵入して、テープを抜いて、扉に爆発物を仕掛けておけばいい。事件のあとにトイレの窓から二階に下りて、近くを歩く生徒にでも声をかければ、それだけでアリバイが成立してしまう。

あの時間残っているのは、ほぼ運動部の生徒だ。顔の広いこよみなら、すぐに知りあいの一人でも見つけてしまうだろう。

何故制御室の扉には、爆発物が仕掛けられていたのか? それは停電のあとに犯人があの場所に向かったと、見せかけたかったからなのかもしれない。

オレはいつの間にか存在しない幽霊を追いかけ、こよみへの疑惑を逸らしていた

こよみに誤算があったとするなら、憂姫に三階へ上がるところを見られていたことだ。それさえなければ、オレは

「人が捨てたルーズリーフ、勝手に拾ったらダメだよ

その低く冷たいかけ声に、オレはびくりと背中を震わせる。身じろぎもできないオレの肩に、憂姫の小さな手がかかる。その手はひどく冷たくて、まるで氷でできているみたいだった。

「いや、何も見てねーぜ。恋する妹がお兄ちゃんに対する切ない気持ちを、便箋にでもつづってくれているのかと思ったんだ。そうじゃなくて、心底がっかりしてるぜ」

オレの言葉に、憂姫は意地悪そうに唇をつり上げる。

「次からは、そういうのをこっそり捨てることにするよ」

乾いた笑いが響く。

「なあ、アイツのこと疑っているのか?」

「毎週水曜日、決まって帰りが遅かったからね。でも家族だもん、わたしは何も見てないし、知らないことにしてるよ」

そうまだ、そういう可能性があるってだけの話だ。こよみが自殺事件の犯人だという証拠は、全くない。

子供はどうして、無責任な大人になってしまうのかその答えが今、わかった気がした。

「現実に向かいあえないと、人は大人になるんだな」

「子供に残された最後の逃げ道だからね、でも、悪いことじゃないよ。みんな最後は大人になるんだから」

そうやって憂姫もオレも、こよみに対する疑惑を抑えつけた。戸棚のガラスに、自分の姿が映る。その自分の姿を見つめたとき、背中に何か冷たいものが流れるのを感じた。

そうだよ、一番こよみを疑っているのはだれでもない、自分自身なのだと。ガラスに映るもう一人の自分が、そう訴えかけた気がした。

オレは憂姫の手を引くと、静かにリビングを後にする。沈鬱ちんうつな気持ちは、なかなか晴れそうにはなかった。

***

魚が泳いでいる。大きな円形水槽の中、マグロの群れがただひたすらに、あえぐように、泳いでいた。

「彼らはね、泳いでいないと死んでしまうそうよ」

銀色の手すりに身を預け、千夜先輩は楽しそうに魚を眺めていた。オレはあくびを嚙み殺しながら、珍しい先輩の笑顔を眺めている。照明の落とされた館内は、全ての光が水槽から注いでいる。

色素が抜けた光であたりは青く染まり、千夜先輩の姿も、眼前にかざした自分の腕さえも、水と同化したように淡い光につつまれている。

「なんか、水の底にいるみたいだ。もし自分が魚だったら、毎日こんな気持ちで暮らしてたのかな? どう思う、先輩」

「そんなことを考えるのはあなたくらいよ、時雨君。でも私は、あなたのそういう変な心配をしてしまうところ、嫌いじゃないの。自分の生まれてくる姿は、選べないわ。それに、魚とヒト、どちらが幸せかなんてわからないじゃない」

見あげた水槽のはるか上方で、きらきらと光の塊が揺らめいていた。光というのは水の底に沈めば沈むほど、その色を失っていく。マグロを収めるための巨大水槽の真下に来るころには、光はその輝きのほとんどを失い、やわらいだ青だけになっている。ノイズだらけの世界の中で、魚は自分に必要な光だけをもとめるために、海の底にいるのかもしれない。気がつけば千夜先輩よりも熱心に水槽を見つめるオレに、彼女はくすりと微笑んだ。

先輩と二人きりの日曜日、なんだか不思議な感じがした。

「原始時代はね、思ってたよりも貧しくなかったそうよ。一週間に一度トナカイやマンモスを狩っていれば、毎日分厚いステーキが食べられた。残りの六日間は釣り糸でもたらして、のんびり暮らしていたの。地平線までが自分の庭で、竪穴たてあな住居ですら本革張りの、快適なベッドが備えられていた。なのに、私たちと来たらどう? 毎日毎日学校に通って、それが終わったら四十年以上も週五日働かなければいけない。働いて働いて、頭を下げてそれで得られるのが貧相な食事と、数歩分のせまい庭、そしてたった二日の休みだけ。たとえ寿命が二、三倍に延びたところで、自由に使える時間なんて、原人以下でしかないのよ。テクノロジーの発展なんて進化じゃないわ、ヒトの自由を奪う退化よ」

「オレ、ケモナーじゃないからその意見には同意しかねるな。先輩は原人とか、魚に生まれてきたかったのか? なあ、そんなに今の暮らしが嫌か? まだオレたちは高校生なんだ、やり直しなんてそれこそ

開いた唇は、千夜先輩の人差し指で塞がれる。いつもそうだ、彼女は自分のことをかたくなに表に出さない。

「これは私の問題よ。他人の時雨君には、黙っていてもらいたいわ

押さえられた唇。それでも、オレは一歩足を引き、言葉を続けた。

「自殺だなんて逃げてるのと変わらねーよ。それに、そんなものに心引かれていいのは中学生までだ、アンタじゃ、年を取り過ぎている」

「ふふ、随分ひどいことを言うのね。自殺企図なんて、それこそ今まで数えきれないくらいやってきたわ。ただ、死ねなかっただけよ

「友達いないくらいで、早まるなよ」

「だから、人の話ちゃんと聞きなさいよ

「友達なんて少なくていいんだよ、ちゃんと良い友達ならな。でも、アンタには肝心の友達が一人もいねーけど」

ぱんっと、後頭部をはたかれる。

「時雨君と話をしていると、ペースを乱されるわ。生きるとはどういうことか、あなたは深く考えたことがないのでしょうね」

「ああうん、パンツのことくらいしか考えないな」

「パンツパンツって、あなたは下着のことしか頭にないわけっ!?」

「自分、不器用ですから」

あきれるわ、くずって言葉がお似合いよ。きっと、カレーの食べかたも汚いのでしょうね」

まあ確かに、カレーはぐちゃぐちゃに混ぜてしまうので、憂姫やこよみから白い目で見られているが

「なーなー、意地張るなよー。ほら、向こうにサメがいるぜ。サメだぞサメ、先輩にぴったりじゃねーか」

ふんっと、千夜先輩はそっぽを向く。

「次の水曜日まで、あと三日しかないのよ。遊んでいるヒマなんてない。なのに、時雨君と来たら。六人死んで終わり、そんな中途半端な終わりかたはしないと、あなたも思うでしょう?」

オレたちの目の前を大きな魚が一匹、また一匹と通り過ぎた。

先輩はどうして、自殺者の出現地点を予測できたのだろうか。死人と会話できる、そのためか。横顔を眺めるオレの視線に気づいたのか、先輩はオレと視線を合わせると、寂しげに微笑んだ。ぞくりと背筋の震える、冷たい微笑み。

「私はね、死者の声を聞きたいと願ったから、人の記憶が覗けるようになったのよ」

「だれか、会いたいヤツでもいるのか?」

オレの質問に対して彼女は視線を逸らし、再び水槽を眺めた。ぴったりと閉じた唇が、拒否という回答をオレに突きつけていた。大きな魚が一匹、頭上を通り過ぎ、オレと彼女の顔に影を落とす。

「この連続自殺、これは殺人なのか、ただの自殺なのか。時雨君ははっきりした回答を示せないようだけど、一つだけはっきりしていることがあるわ。それはこの事件の、根底に流れるもの、ソレは。呪いなのよ

「呪いだなんて、ふざけてる。ちがうそう、壁に書いてあった。仮に殺した犯人がいたとするなら、あんなもの残して立ち去るはずがない。でも、自殺だとするなら、あのメッセージの意味は何だというんだ。オレは自殺だって、割り切れない。とても人為的な何かを、この事件からは受け取ってしまうんだ。そして、もしかしたら

呪いだと、言っているでしょう?」

オレの言葉を遮るように、千夜先輩の両手がオレの頰を包む。呪いまわしいその言葉が、なぜだかオレの心に優しく溶けていく。

「時雨君、私はね、この呪いの連鎖を止めるつもりはないの」

冷たい言葉だった。それこそ、幽霊みたいな彼女が紡ぎ出すには、お似合いの言葉だ。でもその冷たさが、残酷さが、ひどくオレを包んでいくんだ。真実なんて知りたくない。そんな自分をさいなむ不安が、先輩の持つ残酷な優しさでもって蓋をされていく。

「前から聞きたかったんだ。先輩は何で、この事件を追っているんだ?」

自殺者を止めるためではない、そんなのは出会ったそのときからわかっていた。でも自殺事件、ソレは彼女の心に通じる、一番の近道に思えた。

「目的? ふふ、そんなのどうだっていいじゃない。でも一つだけ挙げるとするなら、私には呪いが必要だからよ」

「随分邪悪なものを、欲しているんだな」

「そう、だって。消さなきゃいけない人がいるんですもの」

透き通る先輩の声が、水槽の谷間に響いた。それはあまりにも美しくそして冷酷に、青く光る水壁を反射して、オレの心を射貫いたのだ。

「勘違いしないでね、時雨君。私にはね、どうしても呪いが必要なの。大切な人を守るために、死んでもらわなければならない人物がいるのだから。でも私には、その人を殺すことができない。だから待っていたのよ、死者の数がたまるのをね」

「自分の手を汚さず、呪いの力を借りるって言うのか?」

「ふふ、卑怯者ひきょうもので結構よ。それで目的が達成できるならね」

「オレが先輩の立場なら、直接ソイツを殺しにいく」

「殺せるものなら、殺していたわ

水の底だった。彼女は力なくオレの頰を包んでいた手を放し、視線を水槽に移す。まるで水の底に閉じ込められたみたいに、深い深い青一色の世界。魚たちが頭上高くを泳いでいて、この水の底にいるのは、オレと彼女だけだった。

「私はね、自分の存在理由がわからないの。いいえ、自分というものが存在する理由がもしあるとするなら、それを消し去りたい。そのためにが必要なのよ

千夜先輩の言葉はところどころ小さくて、うまく聞き取れなかった。先輩の視線をたどり、水槽を見あげる。

彼女は泳いでいる魚を見ているわけじゃなく、その更に上を見つめていた。遥か頭上に、さらさらと揺れる水面が映っている。その水面には光の束が走っていて、美しい深い青と白の波紋を広げていた。

「死ぬなんてふざけんな。アンタは珍しいくらいの、すがすがしいドSなんだ。他人のしかばねを踏みつけてでも、生きてみせろよ。そうだろ?」

ふふ、まさか時雨君に引き留められるとは思わなかったわ。前足を出しなさい、蹄を私の手のひらの上にね」

先輩の手が伸びて、手すりを摑んでいたオレの腕に重なる。指と指が触れると、先輩は躊躇したように、おずおずとその手を引っこめた。

「次の水槽、見に行こうぜ」

何だかもじもじと身体をよじる先輩の腕を、強引に摑む。軽くひっ張ると先輩は少しだけ足を踏ん張る。水槽とオレの顔とを交互に眺めたあと、観念したように歩き始めた。

巨大な水の壁のような水槽の側面に、流れていく人影が映った。オレと千夜先輩の姿だ。先輩は俯いたまま、不安そうにオレに身を任せている。水の底の世界を二人で手を繫いで、歩いているみたいだった。

?」

反射する水槽の側面にもう一人、人影が映りこむ。見覚えのある顔、そして、いるはずのない顔だ。

「どうしたの?」

急に立ち止まったオレを気づかい、先輩が声をかける。

「いやなんか、見まちがえたみたいだ

振り返った向こう側に、その見知った人物はいなかった。視線の向こうにある扉からは、社会科見学とおぼしき小学生たちが吐き出されるように視界を埋め、それ以上の確認を困難にさせる。

気にはなったが、オレは知らないふりをした。そんな様子に困惑した表情を浮かべる先輩の手を引き、オレは並んだ水槽のガラスの間をすり抜けていく。

「大人になってから水族館なんてって、私は少し馬鹿にしていたわ。でも、実際来てみると、印象は違うものね」

暗闇の世界の中、四角く切り取られたガラスから光がこぼれている。その光の向こう側には魚がたくさん泳いでいて、オレたちをじっと見つめていた。

「歩かなければ進めないなんて、私たちはあわれだわ。波の合間に、身をゆだねることもできないだなんて

「今だって、オレに引っ張られてるじゃないか。先輩、案外主体性がないんだな」

「ふふ、意外に思う? 私はね、引っ張るよりも引っ張られるほうが好きなの

奥へ奥へと進むオレたち、先輩は小さな声で、言葉を紡ぎ続けていた。流れる水槽の向こう側にある、もう一つの世界。先輩と二人、魚になって水の中を泳いでいるみたいだった。

人波の途切れた通路の中、千夜先輩はふいに足を止める。繫いだ腕を手繰り、彼女は唇をオレの耳元に近づける。

「ねえ時雨君、あなたは私のことを

何だこの卑猥ひわいな生命体はっ!? 淫獣いんじゅうが触手を伸ばしているぞっ!?」

先輩が足を止めた水槽には、不気味な深海魚がうごめいていた。全く、地獄の底からわき出た悪魔のような魚に関心を示すなんて、ドSの先輩に相応しいぜ。

「どうした? 何でそんな怖い顔してんだよ、先輩。そんなことよりここの水槽すげーな、カニでけーし、淫獣がグロすぎだし。やっぱ先輩好きなんだな、こういう悪魔軍団系、マジハンパねぇよ」

「ただのイソギンチャクよっ!! 全く何考えてるの、殺されたいわけっ!?」

先輩はなぜだか急に不機嫌になり、俯いた顔に幾本も青筋が浮かんでいた。ぷるぷると小刻みに身体が震え、その振動に合わせてパラパラと髪の毛が肩口から落ちる。

ひざまずきなさい、ブタ」

「やれやれ、オマエの人生というひとりぼっちのRPGで、せっかく村人として話しかけてやったのにその扱いとはな。とんでもねーご褒美ほうびだぜ、もっと罵ってくれていいぞ」

「仲間じゃ、ないわけ?」

「まあ、高校時代は何とかなると思うぜ。本物の孤独を知るのは、大学かららしいからな」

「何? どうして時雨君の中で私は、毎回毎回友達がいないことになっているわけ? 馬鹿にしないでよ、いるわよ友達くらい。いい加減怒るわよ

「はっはっは、先輩がマジギレしたら、消防車が何台あっても足りなくなるな」

からかわれていることに気づいたのか、ぷぃと先輩はそっぽを向く。そのまま俯き、しばらく無言のままでいると、オレの腕を再び握る。

「許してほしければ、ペンギンのいる場所につれて行きなさい。早く

上目遣いにそう切り出す先輩の顔は、少しだけいじらしかった。

***

水族館を離れたときには点滴のようだった雨空も、家に近づくにつれて次第に雨脚あまあしを強めていった。モノレールの駅にある売店でかさを購入し、オレたちは雨の世界に足を踏みだす。薄暗い空の下、一歩進むたびに水溜まりに波紋が広がる。

「あんまりひっつくなよ、先輩」

「そういう時雨君こそ」

家が駅の側だから、という理由で傘は一本しか買わなかった。水族館からは先輩の家のほうが近かったため、オレたちは一本の傘の下、言葉少なに歩いていた。

ざぁああああああああああ

激しく地面をたたきつける雨が、道の向こうから飛沫しぶきを上げながら進んでくる。一緒の傘で、触れ合うほど近い先輩の肩。さらさらとした絹のような髪が、オレの腕を優しくくすぐる。五月の雨は冷たくて、吐く息はお互い、白いもやになって雨空に広がっていった。

「手冷たくなってるわ

千夜先輩の手のひらが、傘を支えるオレの腕に添えられる。感覚をなくし、かじかんだ手のひらに、先輩の皮膚の温度が伝わる。

ざぁああああああああああ

雨は空を、街を覆い、流れる滝のように視界を埋めていた。土砂降りの雨の中、オレたちはゆっくりとした時間の流れに身を任せていた。

「時間がこのまま止まればいいと、思ってしまうの」

雨の滴が、傘のを伝って握った手のひらに落ちる。千夜先輩との距離は出会ったあのときよりも、近い。触れ合う手と手、お互いのぬくもりを共有し合ってもなお、体温を奪っていく雨の冷たさ。

そのまま二人で、他愛もない会話を繰り返しながら、雨の降る街並みを歩いていた。

ざぁああああああああああ

ガラス張りのビルに、幾筋もの水の滴がしたたっている。その反射する鏡面に映るのはオレと千夜先輩、そしてその後ろに

ッッッ!?」

その後ろに、傘も差さず濡れそぼったこよみの影が映っていた。

彼女の瞳は沼の底のように濁っており、無表情な顔のまま、歩くオレたちを見つめていた。濡れるに任せた制服は肌にぴったりとくっつき、茶色の髪から流れ出た水滴が頰を涙のように幾筋も駆け落ちている。

激しい雨の中に、氷漬けにされたようなこよみの姿。彼女の物言わぬ大人しさが、無表情が、何故だか得体の知れない恐怖となって心臓をきりりと、締めつけた。

ざぁああああああああああ

気がつくとオレは傘を放し、雨粒の中にその身をさらしていた。叩きつけるような水の柱が一瞬でオレを飲みこむと、後悔の渦の底へと引きずりこんでいく。

「ちょっと大丈夫っ!?」

一瞬の目眩の後、オレの身体は千夜先輩に支えられていた。差し出された傘、抱き留められた身体。オレは何も答えられず、ただゆっくりと、頭を横に振った。

視線をこよみのたたずんでいた方向に向ける。そこには大きな水溜まりがあるだけで、こよみの姿は一瞬のうちにどこかへ失せていた。

「どうしたの? いったい、何があったの?」

オレは答えられなかった。二回も見まちがえる、そんな偶然なんてないはずなんだ。

黙ったまま唇を震わせるオレの顔を、千夜先輩はただじっと見つめていた。

「そう、幼なじみの女の子がついて来ていたのね。でもそれなら、さっきはどうして知らないふりをしたの?」

千夜先輩は瞬時に、先ほど目撃したこよみの記憶を抜き出していた。こよみ彼女はただの幼なじみでしかない。二人で歩く姿を見られただけでどうして、どうして自分はこんなにも憤りと恐怖とで萎縮いしゅくしていくのか、わからなかった。そして、千夜先輩にそんな心の動揺を読み取られるのがたまらなく恥ずかしくて、悔しかった。

勝手にさ、人の記憶を覗かないでくれよ

オレは自分のねた感情を彼女に、敵意としてぶつけてしまう。オレの口から冷たい言葉が漏れたのが意外だったのか、千夜先輩はたじろぎ、俯く。

「ふふ、とんだ勘違いだわ

先輩は一瞬だけ身をすくませると、眉間に皺を寄せながら、嗤った。

「私が人を好きになるだなんてあるわけないわ。だって、だれのことも必要としてないんですもの。好きなんて感情、そんなのまやかしだわ」

千夜先輩の言葉には、怒りがふくまれていた。その怒りがだれに向かっているものなのか、それはよくわからない。

「あの子には勘違いだったと、伝えておいてね

喉から絞り出すように呟くと、先輩は降りしきる雨の中に身を投げ出す。冷たい雨粒のシャワーを浴びながら、先輩は駆けていった。みるみる小さくなる彼女とオレとの間を、瞬時に水の壁が遮る。けむる街並みに溶けていく先輩の姿を、オレはただ、見つめていることしかできなかった。

***

日曜日から降りつづく雨は、そのまま数日間やむことがなかった。

窓ガラスにしとしとと雨粒の筋が走り、オレはその筋に指先を重ねる。

駅から続くエスカレーターを降りると、あたりはすっかり暗くなっていた。ゆっくりと通り過ぎる街の、濡れ光る景色。赤、青、黄夜霧よぎりに包まれた信号たちが、幻想的な光の十字架を反射させている。

「はぁ

吐き出したため息は白く煙り、すぐにそれも脇を走る車の風圧によってかき消されていく。

ときおり強い風が吹くと、自分の持つ傘が震え、締め切られたシャッターをがたがたと鳴らした。天気予報では、今夜おそくに雨はやむそうだ。

日曜日に千夜先輩と別れてから、オレたちの関係はひどくギクシャクしていた。

家に帰ってもこよみは妙によそよそしくて、水族館までついて来ていた真意をたずねることすら、できなかった。先輩もそれは同じようで、放課後生徒会室を訪ねても、がらんとした空き教室が広がっているだけだった。

傘をたたく雨が強くなってきていた。ポケットからスマートフォンを取り出すと、時刻を確認する。

火曜日の、夜の七時ちょうど。

こよみは六時間目がはじまる前に気分が悪いと言いのこして、帰ってしまっていた。

うつろな表情のまま彼女はカバンを肩にかけ、オレの机をとおり過ぎるとき、そっと呟いた。

『次って私の番なのかな

言葉の意味が、理解できなかった。

こよみが日曜日から今までひどく沈んだ表情でいたのも、てっきりオレと千夜先輩との関係が影響しているものと思っていた。だが、それだけではいつもはつらつとしたこよみがあれだけ気落ちしているのを、説明しきれない。

次とはいったい何を指すのか

そもそもこの事件は、こよみがおこしていたのではないのか

こよみのあとを追い教室を出ると、廊下の先で姿を見失う。

頼みの千夜先輩も見つからず、携帯電話を何度も鳴らしても、出なかった。オレはただ戸惑いながら校舎を歩きまわり、こよみと、先輩の背中を捜していた。

「大丈夫。まだ、火曜日だ。明日までは、何もおこらないはずだ」

日が暮れるまで捜しても、二人の姿は見つからなかった。

自殺事件がおこるのは水曜日だ、まだ一日だけ余裕がある。だが

「どうして、一週間に一人ずつなんだろう?」

この事件は呪いがおこしていると、先輩は話していた。

水曜日に事件がおこるというのがただの条件付けで、こちらの油断を誘うためのものだったとしたら?

家路を急ぐ自分の歩みが、自然と速くなっていた。積み重なったコンクリートブロックが、視界の隅を流れていく。

身体の動きは、砂がつめられたみたいに重かった。