1999年のゲーム・キッズ
第五回
渡辺浩弐 Illustration/竹
それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(ルビ:2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(ルビ:1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。
第39話 絵のなかの僕
Paint Of Pain
KEYWORD★バーチャルミュージアム
通信回線にアクセス。画面に、『バーチャルミュージアム』の入り口を呼び出す。
自宅に居ながらにして、美術館を訪れたような感覚で名画鑑賞を楽しめるシステムだ。
コントローラーを操作する。フルCGの立体空間が、あたかも現実の視界のようにスムーズにスクロールする。どちらを向いても、その視野を忠実に現出する。
廊下をぬけ階段を上がって展示室に入る。と、壁に古今東西の名画がずらりと並んでいる。ぶらぶらと歩き回り、心に留まった作品があったらそれに一歩二歩寄ってみる。絵はぐぐっとズームアップする。画面いっぱいを美しい絵が占領すると、絵の具の盛り上がりにさわれそうなほどのリアリティーだ。
名画を気楽に、心ゆくまで体験できるこのシステムが、僕は大好きだ。
ふと、一枚の油絵に激しく心をひかれた。
なんのへんてつもない風景……しかし、やがて気づいた。
これは僕のふるさとじゃないか!
そこには、僕が生まれ育った村の風景が描かれていた。湖に面して古めかしい家がゆったりと立ち並ぶ。その背景には、なだらかな山並み。
懐かしい。僕は十年まえにあの村を飛び出し、都会にやって来た。以来、一度も帰っていないが、それが、故郷の村を寸分たがわず写したものであることは間違いなかった。
作者は同郷の画家か。それとも、たまたまあの村に立ち寄っただけの人なのか。
僕は思わずその絵をもう一度クリックしていた。すると……絵が、動いたのだ。いや、正確にはその絵の風景のアングルが一段階、奥に入り込んだ。僕の視界がその絵のなかに入っていったように。
なるほど。この絵は、CGだ。仕掛けがあるのだ。
『バーチャルミュージアム』に飾られる絵は、二次元のものである必要はない。これは絵そのものがバーチャル、つまりどんどんそこに入って絵のなかの風景を体感できるようになっている作品なのだった。
もちろん僕は、絵の奥へ奥へと入っていった。夢中になっていた。
僕の頭のなかに、はしゃぎながら野山を走る三人の少年少女たちの姿が映し出された。
ふたりの少年と、ひとりの少女。僕と、幼なじみのふたり。いつもいっしょにいた、同い年の男の子、女の子。
僕はまず、村の集落ではなく、画面の隅の草原のほうに向かっていった。そこは、ひときわ懐かしい場所だった。僕たちが、いつも三人で、駆け回っていた草原。ここで花を摘み、首飾りを作った。ここでトンボを捕まえ、糸をつけて空に放ち、いっしょにどこまでも、どこまでも走った。ヘビを見つけて腰を抜かしたこともあった。あの頃の僕たちはまるで、仲のいい兄弟のようだった。
草むらを抜けると、画面は、うっそうとした茂みに入った。裏山の森に続く小径だ。すごい。この絵は、村のすみずみまでを三次元のCG空間としてインプットしてある。
では、村の涯ての〝あの場所〟までを描き込んであるだろうか。僕はそれを知りたかった。
僕の心はずきずきと疼いた。あの、決して忘れられない風景はその森の奥にある。僕はそこに行かなくてはならない。
揃って思春期を迎えた頃から、三人のあいだに問題が持ち上がった。目も覚めるような美しさを次第に発揮しはじめたその少女に、ふたりの少年は、同時に恋愛感情を持ってしまったのだ。
少女の気持ちがはっきりしなかったことから、亀裂はどうしようもないほど深いものとなった。
モニター内の視界は、切り立った岩壁にぶつかった。森の奥に到着したのだ。そこには巨大な杉の木がそびえ立ち、その根元が小さな広場になっていた。
ふたりの少年はある日、意を決して、この森の奥で待ち合わせをした。
決闘だった。
若さと熱情のせいで、それは、命がけのものになってしまった。血まみれ、泥まみれになったふたりはやがて最後の力を振りしぼってたがいの首を絞め合っていた。
ぼんやりと意識が戻ってきたとき、僕の目のまえにいたのは親友ではなかった。冷たくなりかけた死体だったのだ。
僕は、それから無我夢中で杉の木の根元に深い穴を掘り、彼の死体を埋めてしまった。
田舎の村のことだ。彼の失踪は大きな事件にはならなかった。しかし僕はそれからその少女を連れて、逃げるように村を出たのだ。町で仕事を見つけ、少女を妻としてめとり、それからずっと幸せにやってきた。
画面は、杉の根元部分をズームアップした。
僕は息を吞んだ。そこには、黒く大きな石があった。僕が、彼を埋め、踏み固めた土の上に置いた石だ!
この絵を描いた画家はいったい何者なんだろう! 村人さえめったに行かないこんな森の奥までをここまで細かく描き込んで! 僕は、震える手でその石をクリックした。
石が、動いた。
石の下は、黒い穴になっていた。
そして、穴のなかから、彼が、立ち上がってきた!
いや、それは、彼の生前の写真だった。
◆
数日後。僕は監獄のなかにいた。
あの絵にアクセスした数百万人のなかで、死体の隠し場所にまで行き着いた人間は、もちろん僕だけだ。
あの絵は、殺人犯捜査用のトラップだったのだ。
刑事は僕に手錠を掛けながら、こう言ったのだ。
「犯人は絶対、犯行現場に戻る。昔から、これが捜査の基本なんだ」
第40話 ギミーシェルター
Shell Or Hell
KEYWORD★核シェルター
〝その日〟が近づいてきた。
しかし僕は、そんな予言は絶対に信じない。ずっとそう、公言し続けてきたのだ。いまさら、核シェルターを買うことなんかできっこない。
発端は、誰かが翻訳して出版した、大昔の宗教書だった。数年のうちに大戦争が起こり、ついに核兵器が用いられる。そして、我が国にも終末はやって来る。その本にはそう、予言されていた。
それだけならよくある話だが、なんと、その序章に書かれていたことが的中したのだ。我が国の北の半島で、紛争が拡大しはじめたのである。
もちろん本はベストセラーになった。
そしてパニックは始まった。誰かが言い出した。生き延びるための唯一の方法、それは核シェルターだ、と。
商魂たくましいいくつかのメーカーや輸入会社がタイムリーに、家庭用のシェルターをつぎつぎと売り出した。
僕は、それに飛びついて大枚をはたく者たちをバカにして笑った。予言なんて当たるわけないじゃないか、だまされているんだぞ、と。
しかし、偶然といえばあまりにも偶然にその頃、はるか東の国でこぜりあいが勃発したのだ。その戦火はじわじわと拡大し、いつの間にか多くの国々を巻き込んでいった。
それも、予言のとおりの事態だったのだ。そしてそれはやがて、世界大戦へと広がっていくことになっていた。
我が国は、その戦争の当事者ではなかったが、国連をとおして自衛隊を派兵していた。
パニックは加速していった。
〝完璧な耐熱、耐圧、耐放射線構造。空気の濾過装置や自家発電装置も完備! 核戦争がやって来ても、このなかに入れば安心!〟
〝ビデオ、オーディオ、ファミコン完備。そして数千タイトルのソフトを搭載。これで退屈な地下生活もバラ色に!〟
〝当社のシェルターは、擬似空間で体を動かせるVRスポーツ・システムを採用!〟
そんなキャッチコピーに惹かれて、皆、われ先にとシェルターを買いに走った。それは決して安いものではなかったが、大金を支払うことを、多くの人々はいとわなかった。庭や地下室を持たない人も、部屋のなかに設置できる小型カプセル式のシェルターを買った。
予言なんて……と、僕に同意していた友人たちまでもが、つぎつぎと購入を始めた。でも、僕は頑固に拒否し続けていた。
シェルターを持つ人間が増えれば増えるほど、僕はムキになって予言を否定した。
みんな、なんてバカなんだ。くだらないデマに踊らされ、全財産を無駄にしてしまうなんて。
シェルターを買った友人たちを僕は、そんなふうに叱りつけていた。
しかし、人間というものは情けないものである。じつは内心、不安になってきていたのだ。
そんなこと信じるものか、と、強がれば強がるほど、そして周囲にシェルター族が増えるにつれ、不安は募っていった。
まさか、もしかしたら……。
突然、訪問してきたその男をつい、玄関のなかに入れてしまったのも、そんな心の隙があったからかもしれない。
「こちら、まだシェルターをお備えではないと聞いたものですから……」
やはりその男も、シェルターのセールスマンだった。僕はため息をつくと、強がって毒づいた。
「間に合ってるよ。帰ってくれ。まったく、パニックに乗じて大儲けしやがって、死の商人め」
いまさらシェルターを買ったら「やっぱり」と、世間の笑い者になる。そんな格好悪いことは僕にはできないのだ。
「やせがまんするのはおやめになったほうがいいです。そういう人に限って、本当は不安なんだ。カラ威張りしてしまうものだからますます買いにくくなるんです。宗教をやたらと攻撃する人と同じだ。あなたは意地になっているだけなんですよ」
その無礼な態度に、僕はムッとした。
「うるさいな! ほっといてくれよ。だいいち、どのシェルターも、本当に役に立つのかどうかなんてわからないじゃないか。誰が保証してくれるんだよ」
「いや、誤解しないで下さい。私はシェルターを売りに来たのではないのです。一種の思想を売りに来たのです」
「思想?」
「そうです。シェルターが本当に役立つかどうかなど、どうでもいいことなのです。土地だって宗教だって、もともと形も価値もないものですよ。シェルターを通じて、皆さんはある種の安心を買っているだけなんです」
「…………」
「その安心になじめない、そしていまさらシェルターを買うなんて体裁が悪いという、あなたのような人がいま、世のなかにはたくさんいます。そんな人たちこそが、私どものお客様なのです。この画期的な商品をお勧めするお相手なのです。いざというときのために……」
男は、持参して来た風呂敷包みを解いた。なかから出てきたのはただの、銀色のケースだった。促されて僕はそれを、おそるおそる開けてみた。
そのなかには、なんのへんてつもない地図が入っていた。この近辺の地図だ。多くの家が赤くポイントされていた。
どうやらシェルターを備えた家の目印らしい。
僕は地図を手で取り上げた。するとその下から、銀色に光る物体が出てきた。
拳銃だった。
一瞬考えて、僕はうなずいた。男から提示された金額はずいぶん高かったが、迷わなかった。
第42話 恋人
I - Doll
KEYWORD★3Dアイドル
「ただいま。寂しくはなかったかい?」
勉強机の上に立っているミニチュア少女に僕は、話しかけた。
彼女の身長は、25センチメートル。
「寂しいわけないわ。だって私、人形だもん」
「いや、君はただの人形じゃないよ。たしかに、生きてるんだ。少なくとも、僕にとってはね」
「あら、ありがとうウフフフフ!」
彼女は小さな小さな白い手を口に当てて明るく笑う。
その容姿も仕草も、彼女の〝原型〟である、美少女アイドルとそっくり同じだ。
彼女は、いま人気絶頂のスーパーアイドルの、精密なミニチュア・コピーだ。
肉体の凹凸をレーザー光線でスキャンする三次元計測装置を使って、全身のプロポーションをそっくりそのままデータ化することができる。それをもとに、オリジナルとまったく同じ容姿を持った精密ロボットが作られているのだ。皮膚には医学用のラバーフォームが使われ、手触りも生身の人間そのまま。関節はマイクロアクチュエーターによってじつに正確に滑らかに動き、本物のアイドルの仕草や踊りを再現してくれる。頭部には〝本物〟の性格や口癖データをインプットしたAIチップが内蔵されていて、簡単な会話に、器用に応えてくれる。
「歌いましょうか?」
彼女は透きとおるような声で歌い、踊りはじめた。
震えるように繊細に動く彼女の細い細い肩を、僕は、人差し指の先でそっと撫でた。
僕はその〝原型〟のアイドルの熱狂的なファンだった。自分があこがれて、恋して、夢中になっていた、テレビで、雑誌で、コンサートで見つめ続けていたその人が、いつも自分の部屋にいて、話し相手になってくれる。そんなことがもし実現するのなら、どんなにお金がかかっても、ためらう者はいないだろう。
僕は頰杖をついて、天使のように美しい彼女の姿を眺めていた。それはあまりにもリアルだった。生々しさをとおり越して、幻覚を見ているような気分さえ呼び起こした。ときおり瞬きする瞳、はにかむような笑みをたたえた唇。濡れたようにつややかな髪。すらりと伸びたボディー。服の下はどうなっているのだろう。
彼女が歌い終わると、僕はわれに返った。
「ねえ君、今日はどんなことしてたの?」
「あ……ちょっと待ってね」
彼女は手のひらをこめかみに当て、目を閉じた。
彼女のAIチップは、電話回線を通じてセンターのホスト・コンピューターに接続されている。いま、彼女は、実物のほうの彼女の、今日一日の、現実の行動をダウンロードしているのである。
このシステムのおかげで、さらにまた高額な通信料金が請求されてしまうわけだが、利用しないテはない。このミニチュアは毎日、本物のアイドルの記憶をコピーして、つまり同じ体験を所有することになるのだ。
「今日はね、新曲のキャンペーンで福岡まで行って、ラジオのゲストと、あとサイン会。で、そのあと大急ぎで東京に戻って……午後八時から緊急記者会見があったのよ」
? ……そんなことは全然知らなかったぞ。午後八時っていったら、ついいまさっきのことじゃないか!
「なんの記者会見? また映画の主役が決まったの?」
「内容は、明日のワイドショー見ればわかると思うけど……」
「…………」
「私、結婚することになったの」
「え!」
「相手は、ほら、こないだのドラマで共演したときにウワサになった、あの人。で、ホントに急なんだけど、芸能界を引退することになったのよ」
「そんな! そんなこと!」
「ごめんなさいね。ホントなのよ。だからもう、お別れね」
「ウソだ! だって君は、たしかにここにいるもの。いなくなっちゃうなんてできっこないよ!」
「新しい、ステキなアイドルがどんどんデビューしてるわ。あなたの好みの娘もまた、きっと見つかるわよ。じゃあ、サ・ヨ・ナ・ラ」
それが彼女の最後の言葉だった。僕は知っていた。この人形の寿命は、アイドルの寿命と同じなのだ。時期が来たら、こうやって壊れてしまう。そしてメーカーは商品を回転させ、また新しい人形を売りつけようとするのだ。
ギィ、ギィー……。
彼女の体のきしむ音が聞こえてきた。やがて、彼女の腰がゆっくりと曲がっていった。そしてその顔は、みるみるうちにしわくちゃになっていった。黒髪は、霞がかかるように白く染まっていく。
「うあー!」
僕は叫んだ。僕に、古いアイドルに幻滅させ、つぎのアイドルに走るように仕向けるためのシカケなのか? なんて残酷な仕打ちだ!
「やめてくれ。君だけは、特別なんだ。僕は君じゃなきゃだめなんだ。いままでどおりここで、僕といっしょにずっと暮らそうよ!」
しかし、彼女はあっという間に醜い老婆に変貌していった。僕はそれを直視することができなかった。顔を覆って泣きじゃくっていた。
◆
長い長い時間が経過した。
いつの間にか音は止んでいた。
夢から覚めたような気分になった僕は、机の上のその汚いものをつかみ、紙で包んだ。そしてゴミ箱にポイと捨てた。
第44話 牧場にて
Left Clone
KEYWORD★ドナー用クローン
はじめまして。
私は……まあ、自己紹介するほどのこともない、つまらない女です。年齢は、二十歳。学校を卒業してから就職もせず、両親に甘ったれて暮らしています。
この手紙を書こうと思ったきっかけは、渡辺さんの書いた『長生きの秘訣』というお話を拝見したことです。あれは、現実のことなのでしょうか?
これから、私自身の奇妙な体験を、告白します。
すべて、本当のことです。
人間の臓器の一部が病気や事故で使い物にならなくなったとき、その代替物として人間の脳死ボディーや、あるいはヒヒやブタから抜き取った臓器を移植したりしているそうですね。でも、やはり他人の肉体は、ましてや動物の肉体は、なかなか体になじんでくれないということです。そこで渡辺さんは『長生きの秘訣』のなかで〝自分の子の体をスナッチする〟というアイデアを提示されていました。
でも、じつはもっといい方法があるんですよ。
それは〝スペア・クローン〟です。自分のクローン、つまり自分とまったく同じ遺伝子を持つコピー人間を用意しておくのです。
そして、臓器が必要になったら、そいつから抜き取って使うのです。
私のうちはガン家系です。父方にも母方にも、ガンで死んだ親類があまりにも多いのです。
父自身も若い頃に胃の大半を切除して、以来、不自由な食生活に耐えています。
父も母も、進歩的な考えかたの人です。
「自分たちがガンで死ぬのは仕方がない、けれども、せめてつぎの代のために、何か予防策を講じておきたい」
そんなふうに考えたのだそうです。
そこで両親は、人工授精で子供を作ることにしました。その子供が遠い将来に移植用の臓器を必要とすることを考えて〝スペア〟を作っておく、そのためでした。
そう、渡辺さんの『残機』というお話もありましたね。あれと同じ方法です。シャーレの上で人工授精させ、培養した胚を分割すると、まったく同じ〝人間のもと〟がふたつ、できます。そのひとつが、母親の体内に戻されて育ち〝私〟になったのです。もうひとつのほうは、人工子宮という機械に入れられました。
母親の腹を使わなくても、赤ちゃんを作り出すことはできるのです。この方法なら母親も、情が移ったりしないんだそうです。
母親が私を出産するのとほぼ同じ頃、人工子宮から、私と同じような生き物が生まれました。そして彼女は〝クローン人間牧場〟と呼ばれる地下の施設で、家畜のように育てられたのです……私が彼女の臓器を必要とする日を、じっと待ちながら。
もちろん〝牧場〟は無認可の、裏の医療組織です。彼女を〝牧場〟に預けるために、両親は莫大な料金を毎年、払っているようです。
私はときどき、彼女を見に、そこを訪れることがあります。
〝牧場〟は、表向きはこぎれいな大病院の、秘密の地下室にあります。そこには監獄のような小さな密室が並んでいます。管理人に導かれて廊下を歩き、鉄格子のなかを覗き見ると、剝き出しのコンクリートの壁に囲まれた殺風景な部屋のなかで、クローンたちがうずくまっています。
しかし、彼らは、人間ではありません。人間をこのように閉じ込めておくのは、人道的に問題があるのです。クローンは、人工子宮から出されたときに、脳のほとんどを切除されます。
だから、彼らには、人間的な思考能力はほとんどありません。ただうずくまって、ぼんやりと食べ物を待つだけです。
私は、彼らの首に下げられた札の番号を頼りに、私の分身を見つけ出します。
私のスペアは、薄暗がりのなかから私と同じ目で、私のことをじっと見つめています。顔も、身体つきも、私にそっくりです!
彼女の目を見つめていると、不思議な気持ちになります。彼女はいったい何を考えているのでしょう。
彼女にとって、その狭い部屋だけが世界のすべてなのです。私とまったく同じ存在なのに、あまりにも違う境遇。
いえ、正確には、彼女は、私とまったく同じ存在、ではないのです。
彼女には一カ所、私とは違うところがあります。彼女は、頭が私よりずっとずっと小さいのです。脳の大部分を欠いているわけですから。
今日も私は、彼女を見に行ってきました。なぜだか最近の私は、彼女のその奇妙な姿をじっと見ていると、心が安らぐのです。
何時間も眺めて、家に帰ってきました。
そして、ついいましがた、その事件が起こったのです。
すでに時刻は真夜中を過ぎ、私は部屋でひとりぼんやりとしていました。
不思議なことが起こったのです。
部屋の窓ごしにうちの中庭が見えます。そこに、光る物体が、音もなく降り立ったのです。
そして、その光のなかから、黒い、一体の人影のようなものが出てきたのです。
それは、静かに私の部屋のほうに歩み寄ってきました。そして、窓の外から、なかにいる私を覗き込んできたのです。
目が合いました。
それは、私とまったく同じ目でした。目だけではありません。
顔の作りも、身体つきも、私とそっくり同じ生き物!
いや、一カ所だけ違うところがありました。彼女は、頭が、私よりずっとずっと大きかったのです。
第46話 0と1
Digit
KEYWORD★デジタル映像
家のなかでも、街のなかでも、ありとあらゆるところにそのボックス型マシンは設置されていた。そして誰もが四六時中、そのマシンを使いこなしていた。
テレビに似ていたけれども、僕らはそれのことを『メディア・ボックス』と呼んでいた。ひと昔まえのテレビや電話、あるいは本とか雑誌とか、つまりすべてのメディアの役割を、この共通フォーマットのマシンが担っているのである。
デジタル・テクノロジーの進歩と普及によって、映像・音声・文字といったように、さまざまなメディアを分けて考える必要がなくなっ映像・音声・文字といったように、さまざまなメディアを分けて考える必要がなくなっ 究極のハイ・テクノロジー……それは、人間を意のままに遠隔操作するシステムのことだ。誰にも、もちろん本人にも、知られずに。
それは、すでに実現している。
この私がいま、まさにそれを実行しているのだ。
どうやら君は、信用していないようだ。
まあ、この文書をじっくりと最後まで読みたまえ。そうすれば、わかるはずだ。
最初に、タネ明かしをしておこう。〝電波〟を使うのだ。
電波、ないし電磁波は、目に見えない。そして、あまりにも身近なものだ。
だから、その本当の怖さに、気づく人は少ない。
いま、君のいる場所でテレビやラジオをつければ、何十、いや何百種類もの映像や音声を見たり、聞いたりすることができる。
たいていの人はカン違いしているのだが、その電波は、放送局のアンテナから君のところまで、レーザービームのように直線のコースを飛んでくるわけではない。
電波はいったんアンテナから出ると、四方八方に飛び散る。つまり、電波はこの立体空間のいたるところに、目に見えないガスのように満ち満ちているのだ。
いま、私の机の上にあるみかん箱程度の大きさのマシンと、中華鍋くらいのアンテナで、一瞬にして東京中を〝特定の電波〟によって覆い尽くすことができる。毒ガスよりもずっと素速く、原爆よりもずっと静かに。
それは人間の肉体の内部まで入り込む。そしてこの〝特定の電波〟で、人間をコントロールすることができるのだ。
君はまだ信じていないのか?
では、もう少しわかりやすく話そう。
電波が、コンピューターを狂わせることは、君も知っているだろう。
ゲームセンターのマシンから漏れた電波が、列車コントロール用のコンピューターに影響してダイヤを乱したという事件があった。無線の高周波がオートマチック車を暴走させたり、工場のロボットの誤作動を招いたりしたという事件もあった。
そして動物の脳は、オートマチック車やロボットに入っているものよりもずっとずっと精密なコンピューターだ。これが電波の影響を受けないはずがない。
最近、コンピューターの周辺に、ゴキブリやネズミが異常なほど集まってくるという現象が問題になっている。エサもない高層ビルのオフィスの内部での話だ。
ヤツらがケーブルをかじってしまい、コンピューターが故障してしまうというのだ。銀行のオンラインシステムが、そのせいでストップしてしまったこともある。
これは、コンピューターの出していた電波が、ネズミやゴキブリが発情期に脳内から発したり、知覚したりする電波と、たまたま、非常に似たものだったから起こった現象だと言われている。
動物は、特定の電波に反応し興奮するのだ。
ツバメやイルカなどは地図も羅針盤もないのに、ものすごく長い距離を正確無比なコースで旅行する。これも、彼らが地球の出している電波、すなわち地磁気に反応して、それを頼りに無意識に行動しているからだということがわかっている。
人間も、同じだ。
強い磁界のなかに入ると発作を起こすてんかん患者や、心臓病患者がいる。自動車のエンジンルームから出る電波がドライバーに頭痛や眠気を起こさせる、という研究結果もある。
そしてアメリカ・カリフォルニア工科大学の生物磁気学者、ジョセフ・カーシュビンク教授のグループは、人間の脳のなかに電波を感知する微小磁石物質を発見した。これは、サケやミツバチの脳のなかにあるのと同じものだった。
人間は、電波によって肉体に、そして脳の奥底の無意識に、影響を受けるのだ。
さて。ここからが重要な話だ。
私は独自の研究で、その脳内磁石に影響する電波の周波数を突き止めたのだ。
そう、私は、極秘の実験を操り返し、ある特殊なパルスのシステムを作り出した。
この電波パルスで脳の特定部分を刺激すれば、耳に聞こえない命令を、深層心理に送り込むことができる。そして、人間を思いのままに操ることができるというわけだ。
もう、おわかりだね? 私は、この本の筆者とはべつの人間なのだ。
これは、ちょっとした実験だ。
これから、私は、この文書を、出版社に送る。
すでに私は〝特定の電波〟をこの会社に向けて発信している。
出版社の編集部員は、その電波によって、私の操作下にあるというわけだ。だからこの本のこのページに、本来入る予定だった本文を彼らは無意識のうちに捨て去り、この文書に差し替えてくれるはずなのだ。
そして、誰も気がつかないまま、この文章は印刷されてしまうのである。
どうだい? このページの不思議さが理解できたかい? 君がいま、この文章を読んでいること、それが、私が偉大なる洗脳パワーを手に入れた何よりの証拠なのだ。
そして、もう、わかったことだろう。君も、すでに電波のなかにいる。コントロール下に入っているのだ。観念したまえ……。
に入っているのだ。観念したまえ……。