1999年のゲーム・キッズ
第四回
渡辺浩弐 Illustration/竹
それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(ルビ:2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(ルビ:1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。
第26話 遺産
Buried Alive
KEYWORD★脳死
「お母さん、ごはん作っといたからあとで食べてね」
「いつもすまないねえ」
「うん。今日は日曜日だから〝おじいちゃん〟の、お墓参りに行ってくるよ」
出かけて行く息子のうしろ姿を寝床から見送りながら、私は心のなかでもう一度わびた。
けなげな子。私がこんな身体だから、何ひとつ楽しい思いをさせてあげられないことが不憫でたまらない。
ずっと、わが家は不幸を絵に描いたような状況だった。あの子が生まれてすぐ、夫は行方不明になった。あとには、莫大な借金だけが残されていた。
そして、私たち母子のためにずっと働き続けていた私の父親〝おじいちゃん〟も、二年まえに脳溢血で倒れた。
さすがに還暦を過ぎてからの重労働の、無理がたたったのだ。二度と起き上がることはなかった。
あの子は今日も、近所の野原で摘んだ花を持って、その〝おじいちゃん〟の墓参りに出かけて行ったのだ。
そして、私の番が来た。私の身体も無理に耐えきれなかった。ある日、立ち上がれなくなった。いまやこのとおり、ずっと床に伏したまま。
しかし……。寝たきりの私とまだ小学生の息子が、なんとかこうして生活できているのは、その〝おじいちゃん〟のおかげだ。彼が、いまだに毎日休まず、働き続けてくれているからなのである。
父が倒れて、植物状態になったと病院で聞かされたとき、私は目のまえが真っ暗になった。どうしたらいいのかわからなかった。
しかし、それからほどなく、お墓から、いや、私たちが〝お墓〟と呼んでいる白い工場から、ひとりの中年紳士が訪ねてきたのだ。
なんとか延命社、とかいう社名だった。
「まったく新しい種類の工場を経営しています。人助けの団体だと思ってください」
彼は、私たち母子の前に正座して、そう言った。
「お父様の件は、まことにお気の毒でした。現在、病院で生命維持装置によって生かされておられるとか。ただし医学的には脳死が宣告されてしまっていますから、費用を払い続けることができない場合、装置は取り外されてしまいますね」
母子は手を握りあいながら、黙りこくってうつむくしかなかった。
「そう、脳死と認められた身体は大抵の場合、装置を外されてしまうのです。私どもの会社は、それはとても非科学的、そして非人間的なことだと考えています。脳とは、ようするに人間の全身に分布している神経が、たまたま密集している場所に過ぎません。脳だけが人間なのではない、脳死は死ではない。つまり、おじいさんは、まだ生きておられるのです」
「でも……」
私は、横で、黙って話を聞いている息子の小さな手をぎゅっと握りながら言った。
「ご覧のとおりの貧乏暮らしです。お金がないから、しかたがない……」
その言葉を制して、男は話を続けた。
「われわれの主張を聞いてください。人間は可能な限り、生き続ける権利がある。その時代の、最先端の技術の粋を尽くして、生きられるのであれば、生きるべきである。そして生き続ける限り、働く権利もある。そういうことです」
そして彼は、私と息子を交互に、じっと見つめた。
私も、身体の具合が比較的いい日に、息子に車椅子を押してもらって、一度だけそのお墓、いや〝工場〟に行ったことがあった。
ずらりと並んだ脳死体のなかに、父の、懐かしい姿があった。色とりどりのチューブや電線の、スパゲッティーのような束のなかに横たわっていたが、手を触ると、とても温かかった。
「まだ、生きている」
そう感じた。
彼はそれらのチューブによって栄養物や酸素を注入されていた。同時に、べつの一本のチューブが、彼の腕から、絶えず新しい血液を吸い出していた。
そう、彼のボディーは生きた〝血液製造機械〟として、働いていたのだ。
そこは、最先端のバイオ工場だった。血液だけではなく骨髄液、あるいは各種の臓器がそこで生きたままのフレッシュな状態で保管され、必要に応じて市場に供給されていたのだ。
「よく考えてください。いますぐ生命維持装置を外して、殺して、焼いてしまいますか? そんな非人間的なことをするより、われわれの工場で、働いてもらってはいかがですか」
あのとき、私は、その言葉で決心したのだった。
「ただいま」
息子の声。もう、夕刻だ。
彼が、定期的にお墓、いや〝工場〟参りに行くのには、理由があった。
私たちの境遇に同情した延命社が、食料を提供してくれるのだ。
彼は、一週間分の食料を重そうにかついで帰ってきた。
「遅くなってごめんね。すぐ、晩ごはん作るからね」
けなげな、小さな背中を見ていて、私はまた涙がこぼれそうになるのをこらえた。
私は、自分の身体が弱りはじめたのは、延命社から食料をもらうようになってからだということに気づいていた。
それでもいいと、思っているのだ。
私の〝お墓〟参りにも、ちゃんと来てちょうだいね。
心のなかで、その小さな背中に向かってつぶやいた。
第28話 ナイト・トラップ
Night Trap
KEYWORD★ビデオセキュリティーシステム
午後7時30分 A子といっしょにおいしい食事を愉しみながら、僕は、今日の夕刻のできごとを思い出している。
午後5時00分 夕刻、退社間際、僕は会社のデスクから自分のマンションにアクセスしたのだった。
「あなたの部屋で、ごはんを作って待ってるわ。早く帰ってきてね」
A子からそんなメールが入っていた。もう、来てるかな。僕は画面を覗き込んだ。
ピピピ……カシャ。回線がつながると、画面が分割され、僕のマンションのすべての部屋のようすが映し出された。
最近のマンションは各部屋にカメラが設置されていて、それが防犯システムの役割を果たしている。つまりこうやって暗証番号を入力すれば、外出先から自宅の状況を映像で確認できる。
あらかじめセッティングしておけば、電気製品やガス器具を電話で遠隔操作することもできるのだ。
キッチンに人影を発見した。かいがいしく料理を作っているようだ。
思わず、顔がほころんだ。ずいぶん早いな。
待てよ。目を凝らして、その小さな画面を見る……。つぎの瞬間、全身に衝撃が走った。
「あーッ!」
思わず声を出してしまった。上司や同僚が顔を上げて僕を見た。
A子ではない、B子の姿だ。
この女のしつこさに、僕はほとほと手を焼いていた。合鍵を取り戻しそこなったのが大失敗だった。ときどき勝手に上がり込んで待ち構えては、ヨリを戻そうと迫るのである。
もうすぐ、A子がやってくる。もしふたりがハチ合わせでもしたら!
午後5時10分 僕は仕事を放り出し、会社を飛びだした。走りながらもう一度、自分のマンションの番号を叩く。再び分割画面が現われる。
ちょうどそのとき、玄関のカメラは、ドアを開けて入ってくるA子の姿を映し出していた!
大きな買い物袋を抱え、スタスタとキッチンに向かっているところだった。
そこには、B子。食卓に料理を並べ終わったところだ。とうとう、ハチ合わせだ。僕はへなへなと腰の力が抜けそうになった。まずい、まずいぞ!
しかし、間一髪、A子がキッチンに入った瞬間に、B子はべつのドアから廊下に出た。ああ。
しかし。ほっとしている暇はない。僕はすぐにべつの暗証番号を入力した。台所のTV電話にアクセスしたのだ。A子の顔がモニターに近づいてきた。
「あら、あなた。料理ができてるけど、どうしたのこれ?」
A子はさっそく僕を問いつめた。
「あ……、じつは、びっくりさせようとして、準備しておいたんだ」
「だってあなた、まだ帰ってきてないじゃないの。さてはべつの女が!」
「ち、違うよ。これは、その、ホームオートメーションのシステムで、自動的にでき上がった料理なんだ……」
「ホームオートメーション?」
「そ、そうなんだ。TV電話のシステムで、暗証番号を入れれば外出先から部屋の施錠や空調をコントロールできることは知ってるだろう。僕のマンションのは最新システムで、料理の準備を指示することまでできる。材料さえセットしておけば、帰宅するまでに、自動的にそうやって料理がテーブルの上に並ぶというわけさ」
口から出まかせの言い訳だ。
「へえ……。すごいマンションなのねえ。私なんか、いらなくなっちゃうじゃないの」
彼女は不思議そうにキョロキョロとあたりを見渡していた。が、なんとか納得したようだ。
「じゃあ私、おフロにでも入って待ってるわ」
「あ、ち、ちょっと待って」
午後5時15分 そのときバスルームの映像には、服を脱ぎはじめたB子が映っていた。B子もどうやら、僕を待つあいだに、ひと風呂浴びようと考えたようだ。僕は足がガクガクした。
「あ、あの、おフロの調子が少し悪いんだよ。帰ったら直すからあとにしてくれないかなあ」
「あら、そういえばさっきから何だか水の音がするのよ。ちょっと見てくるわね」
「ああー!」
彼女はスタスタとバスルームに向かった。僕はあわてて、またべつの暗証番号を押した。バスルームのドアを遠隔操作でロックしたのだ。間に合った。ドアが開かず、A子は諦めてキッチンに戻ってきた。
「おフロどうなってた?」
さりげなく聞く。
「変なの。ドアが開かないのよ」
「そうか。故障したのかな。あとで業者に来てもらうよ」
午後7時35分 B子が作った料理を、A子といっしょに食べながら、僕は、そんなできごとを思い出している。
「修理業者、なかなか来ないわねえ」
「うん、しょうがないから今日は銭湯にでも行こうか」
そんな会話をしながら、僕は、考えていた。湯舟のなかに、遠隔操作で、待たせているB子のことを。
午後5時20分 僕はA子との電話を終えたあと、B子が湯舟につかるタイミングを見計らっていた。そして、またべつの暗証番号を入力していた。特別に作っておいた仕掛けを作動させるために。
午後5時25分 その瞬間、湯に百万ボルトの電流が流れた。
午後7時40分 B子は、あれからずっと、あそこで静かにしてくれている。
第31話 にせものの月
Paper Moon
KEYWORD★人工月計画
知人のパーティーに出席した帰り、僕は久しぶりに、妻とふたりで夜道を歩いていた。
ふと、デジャ・ヴュー感覚に襲われた。
……ああ、そうだ。
あのときも、こんなふうに、静かな底冷えのする夜だった。
あのとき僕がいっしょに歩いていたのは、妻ではなく、僕より十いくつも年下の美しい少女だった。
僕たちの関係は、誰にも言えないものだった。その夜も、秘密の時間を共有したあと、それぞれの日常へ戻っていこうとしていた。タクシーの拾える大通りまでの短い小道を、人目を忍ぶように歩いていた。
手も繫がず腕も組まずに、ただ空を見上げてゆっくり歩いていた。月がとても美しかった。
彼女がふと、立ち止まった。僕は驚いて振り返った。
「どうしたの?」
「あのね、お願いがあるの」
彼女は僕の目を見て、きっぱりした表情で言った。
「奥さんと別れてください」
「無理だ」
僕はできるだけ、あっさりと答えた。すると、彼女の目のなかに映っていた月がゆらりと揺れ、しずくになって落ちていった。こういうときに優しくしてはいけない、僕はそれを知っていた。
美しい月のせいだ。本当は、彼女もわかっているはずなのだ。
「…………」
彼女は一瞬、うつむいて指で涙を拭った。そして、もう一度顔を上げたときには、不思議な笑みをたたえていた。
そして、こんなことを言ったのだ。
「わかった。じゃあひとつだけ、約束して。もしあの月が、ふたつになるようなことがあったら、そうしたら奥さんと別れて、私と一緒に暮らしてください」
そんなことがあるはずはないのだった。でも、僕は、こっくりとうなずくしかなかった。
そんなことは絶対にない、はずだった。しかし、奇跡は起こった。
それは最新の宇宙プロジェクトだった。ロシアの科学庁が『バーチャル・ムーン』を打ち上げた。
衛星軌道上から太陽光を反射して地球上の夜の地域を照らす、巨大な円盤だ。
打ち上げは見事に成功して、月は、ふたつになった。
誰もが、夜空に輝くハイテクの結晶を見上げて、感嘆の声を漏らした。今後、さらにいくつものバーチャル・ムーンを打ち上げることができれば、やがて地球から、夜の闇はなくなる。電灯も、街灯も、不必要になる。なんと素晴らしい科学技術ではないか!
そしてまた、とある密やかな夜。どちらが本物かわからないふたつの月がこうこうと照らし出す夜道を少女と歩いているとき、僕はふと約束を思い出した。
(たしかに、月はふたつになった)
あの約束をしたとき、彼女は本気だったのか? 僕は、その約束を果たしてあげなければならないはずではないのか? 空を見上げてそう思ったちょうどその瞬間、僕の心のなかを見透かすように、彼女がこう言ったのである。
「私って、どうせ、にせものの月、なんだよね」
その言葉で、彼女があの約束を忘れていたわけではないことを知った。あれは、たわむれではなかったのだ。
しかし、ちょうどその頃、僕と妻のあいだには、子供ができた。思いがけないことだったが、結果、僕は、家庭が大切になった。彼女を避けるようになった。彼女から電話がかかってきても、僕は冷たくあしらうようになった。
バーチャル・ムーン計画も、やがて難題にぶつかっていた。
ふたつめの月のせいで、地球の温暖化が進んだのだ。
北極の氷山が溶け、世界中の海の水位がわずかずつ、上昇しはじめたという。
ふたつめの月、そして溶けては流れて、地球を浸していく氷のイメージが、僕のなかでは、電話口で泣きじゃくる彼女の姿とオーバーラップしていた。
そんなことを思い出しながら、僕は妻と一緒に夜道を歩いていた。
じつは最近、久しぶりに彼女の部屋に電話してみたのだが、不通だった。
もう、逢うこともないのか。
僕はふう、と溜息をついて夜空を見上げた。
「あっ」
驚いた。
「どうしたのよ」
妻が振り返った。
「月が、ひとつになってる」
「あら、知らないの?」
妻は言った。
「『バーチャル・ムーン』は、アメリカのミサイルで、撃ち落とされたのよ。地球の温暖化を進める可能性がわかったから、ですって。あんな不自然なこと、最初からやるもんじゃなかったのよ。でも、せっかく打ち上げたものをわざわざ撃ち落とすなんて。人間って、へんなことをするわよねえ」
ただひとつの本物の月が、妻の顔を、勝ち誇るかのようにあかあかと照らし出していた。
第32話 残機
Replay
KEYWORD★体外受精
テーブルの上では温かい料理が湯気を立てている。その向こう側で、両親は困ったように微笑んでいた。
「人生なんて何度でもやり直しがきくんだ。クヨクヨするんじゃないぞ」
食事に手をつけようとしない僕のようすを見かねたように、まず父親が口を開いた。
「そうよ、おいしいものをたくさん食べて、元気出しなさいよ」
母親も、わざとらしいほど明るい声で慰めてくれた。そして僕の皿にサラダを取り分けてくれた。
優しい両親だ。勉強しないで遊びほうけてた僕の、自業自得なのに。僕はひとりっ子だから、とくに甘やかされてるんだろうか。
うつむいたままフォークを手にとってサラダをつつきはじめた僕に、母親が言葉を続けた。
「ところで、あのね……」
しかし母親は、そこまで言うと言葉を切った。そして父親の顔をまず、覗き込んだ。あの話、してもいいかしら。ああ、いいよ。父親は無言で答える。
そして母親は僕に、はっきりとこう、言ったのだ。
「あのね、死んでほしいの」
僕は、思わず母親の顔を見上げた。
にこにこしている。
冗談だろ!?
「あら、そんなにびっくりしないでちょうだい」
「…………」
「ち、違うのよ、大丈夫、あなたは死んだあとでちゃんと生まれ変われるのよ。それも、科学的な方法でね」
「おい、やぶからぼうにそんなことを言ったりしたら驚いてしまうのは当たり前だろう。ちゃんと、説明してやれよ」
父親を見ると、彼も平然としていた。夫婦揃って気がふれたのだろうか。
「そうね、いままでちゃんと話したことがないから、びっくりしちゃうかもしれないわね。じゃあ、順番に話すわ。あなたは、人工授精児として生まれてきたのよ」
僕は野菜の突き刺さったフォークを握りしめたまま凍りついていた。そんな僕を無視して、母親はあくまで明るく、ペチャクチャと喋り続けた。
「まず、あなたが生まれてくるまえのことから話すわね。私たち夫婦は体が弱くて、なかなか赤ちゃんができなかった。つまり不妊症だったのね。そこで、科学の力を借りて赤ちゃんを作ることにしたの。人工授精ね。私たちの精子と卵子は大学病院の、特殊なガラス容器のなかで結合して、その受精卵はしばらくのあいだ、培養液で育ったのよ」
父は母の横でうん、うんとにこやかにうなずきながら話を聞いていた。
「そして……ここからが大切な話なんだけど……容器のなかでその受精卵は細胞分裂して、まず、ふたつになった。そして、もう一度細胞分裂して四つになったときに、お医者さんはそれぞれの細胞を切りわけて、べつべつの容器に移し替えたのよ。その、四個の細胞はまったく同じものなの。どれを母胎に戻しても、同じ人間が生まれるはずだったのよ」
僕は、頭を必死で整理しながら母親の話を聞いていた。
つまり僕は、人工授精児、俗に言う試験管ベビーだった。そして、生まれるまえに四人に分裂した、そのひとりだということ!?
「そのうちの一個だけをお医者さんはお母さんの体に戻したの。それが失敗して流れちゃった場合には、つぎに二個目の細胞を戻すはずだった。ふつう、成功するまで何度もそれを繰り返すものらしいの。でも私たちの場合、手術は一回で成功したわ。一個目の細胞で赤ちゃんを授かった。そして、残りの三個はそのまま冷凍保存することにしたの。ふつうは、ちゃんと赤ちゃんが育っていることを確認したら残りの細胞はすぐに捨ててしまうものなんだけど、私たち夫婦は話しあって、それを予備として取っておくことにしたのよ。子供がちゃんと生まれたからって安心はできないわ。もしうまく育たなかったときのために、〝バックアップ〟を取っておきましょう、ってね」
「まあ、わかりやすく言うとだな」
父親が口をはさむ。
「テレビゲームをやっていてキャラクターがひとり死んでも、それでゲームオーバーにはならんだろう。まだ、スペアのマイキャラが何人か残っている。人生も、ゲームのようにやり直しがきくようになったんだよ」
「正直言って、あなたがこんなにデキの悪い子に育つなんて思わなかったの……あらごめんなさい、でも本当のことでしょ、高校も落っこっちゃったし……本当はね、もっと早い時点で私たち、あなたに見切りをつけるべきだったの。〝産後中絶法〟っていうのがあって、六歳までの子供は親の権利で殺せるようになってるからね。でも、六歳の時点では判断できなかったのよ。あなたの将来の学力レベルなんて……」
「うむ。やはり小学校の低学年のころから塾に通わせてやるべきだったんだろうな。家庭教師もつけて、びしびしやればよかったのかもしれん。しかし、いまとなってはもう遅い。まあ、ぶっちゃけた話をしよう。いま、おまえをわれわれが手にかけたら、殺人罪が成立してしまう。だから、こうして自殺を勧めているわけなんだよ」
「あ、でも心配しないでちょうだい。そんなにおおげさなことじゃないのよ。ちゃんとバックアップの細胞があるわ。それはあなたのクローン、つまりあなたとまったくおんなじものなのよ。あなたは、ゲームをリセットするつもりで死ねばいい。私たち、もう一度ちゃんと、あなたを産み直すわ。だからあなたは死んでも死ぬわけじゃないわ。〝生まれ変わる〟のよ」
「うん、そして今度は手遅れにならないうちにちゃんと塾に通わせて、勉強のできる子供に育てる」
「ね、だからわかって、ね。大丈夫、今度こそちゃんと育てる。三度目の正直、って言うでしょ?」
第37話 長生きの秘訣
Donation
KEYWORD★生体臓器移植
とても奇妙な話です。でも、渡辺さんなら信じてくれるのではないかと思って、こうして筆をとった次第です。
僕は、医大生です。三浪して地元の三流私立医大に、親の金の力でなんとかもぐりこみました。世間からはスネかじりのボンボン、と言われていますが、まあそれはそのとおりで、幼いころから何不自由なく甘やかされて育ちました。
「お前の将来は保証されてるんだから無理はしなくてもいい。どんなにデキが悪くてもかまわないから、体だけは大切にしてほしい」
親にはよく、そんなふうに言われたものです。
僕は、大病院の院長の長男なのです。江戸時代の、大名お抱えの診療所から代々続いている名門の医院なんだそうです。上層部はすべて一族郎党で占められており、そして将来は直系の僕が、父からこの病院を引き継ぐことになっているわけです。
しかし、この大病院を闊歩する一族を、一種異様な雰囲気が取り巻いていることに僕は気づいたのです。医師として経営者として働く年配の親戚たちが、なにか共通の秘密を持っているような……。
いや、それは気のせいだけではないはずです。たしかに、どう考えてもおかしなことを、僕はいくつか発見してしまったのです。
■第一に、この一族の当主がかならず五十歳をまえに死んでいることです。祖父は僕が生まれるまえに死んでいます。そして記録をみると、曾祖父もそのまえの代も早死にでした。後継者ができた頃、つまり自分の長男が医者としてこの病院に勤めはじめた頃に、安心したように死んでしまっているのです。
それだけなら〝早死にの家系〟という解釈ですむと思いますが、最近僕はもうひとつ、大変に不思議な、そして無気味なことに気がつきました。代々の当主は皆、頭に大きな傷痕を持っていたということです。
父親の額の傷のことは幼い頃から知っていました。
「昔、大きな交通事故に遭ってね」
と言っていました。しかし、最近、死んだ祖父の写真を見つけて驚きました。まったく同じ場所に傷が見えるのです。僕はすぐ、秘かに父の書斎をあさり、曾祖父の写真を見つけ出しました。するとやはりあったのです。髪のなかから額に少しはみ出した傷痕が!
さて先日、脳死状態の患者からの臓器移植に役所がストップをかけたでしょう。あのとき、父親がぼそりと、こう言ったのです。
「脳死が死ではないなら、脳だけを殺すことは殺人ではないな」
うちは地方の一私立病院でありながら、ある専門分野について、医学界では名のとおった存在です。それは〝臓器移植〟です。
その、最高の技術と設備を持った病院なのです。
そのとき僕は、ずいぶんまえに父親が何気なく口にした奇妙なひと言を思い出したのです。
「人間は八十年生きても、脳の5パーセント程度しか使ってはいない。老いぼれて死ぬのは、脳以外の臓器のせいだ。脳以外の全身を定期的にそっくり新しいものと交換すれば、人間は理論的には千五百〜千六百年程度は生き長らえることができる」
……そして僕の頭のなかで、すべてのことがピタリと結びついたのです。
ここから先はあくまでも僕の推測ですが、でも渡辺さん、どうか変人扱いせずに、最後まで読んでください。
この病院が長年にわたって繁栄し続けてきたのは、それはひとりの優秀な主、つまり〝院長〟が、数百年にもわたって長生きして、采配を振り続けてきたからではないか。一族はその超人的な長生きの秘密を、固く守りとおしているのではないか、そう考えるのです。
僕も医学生のはしくれですから臓器移植のことも多少は知るようになりました。
その、技術上の最大の問題点は〝拒絶反応〟というものです。他人の臓器が入ってくると、体内の免疫機能はそれを異物とみなしてしまい、破壊し排除しようとするのです。複雑な、デリケートな臓器ほど拒絶反応を起こしやすいそうです。でも、唯一例外があります。
一親等、つまり親子関係の肉体ならば拒絶反応の心配がほとんどないのです。たとえそれが、もっともデリケートな器官だったとしても……。
渡辺さん、もう、僕の言いたいことがわかりましたか?
はっきり言いましょう。僕の一族は代々、当主の肉体が老いぼれ果てるまえに秘密裡に〝若返り〟の秘術を施してきた。その脳を、実の子の頭のなかに移植してきたのではないか、ということです。
僕の父親も、まもなく五十歳です。
最近、僕は気づいています。父が僕を見る目が少しずつ変わってきていることに。それは、吸血鬼が獲物を見るような目つきです。
もし僕のこの仮説が正しくて、彼が数百年ものあいだ生き延びてきた、まるでドラキュラ伯爵のような存在だったとしたら!
……渡辺さん、僕はいったいどうすればいいのでしょうか。
◆
その手紙を読み終えると、彼はぴくりと眉を動かした。
「これはあなた自身が、僕に送ってきた手紙なんですよ」
そう言いながら僕は、彼の瞳の奥を覗き込んだ。目が合った。そして僕たちは、突然、ゲラゲラと笑いはじめたのだった。
僕は以前から、彼の父とは付き合いがあった。
彼と会うのははじめてだったが、初対面のような気がしないのだった。まるでずっとまえからの知り合いのような気がする……。
彼の額には、すでに〝傷痕〟があった。