1999年のゲーム・キッズ
第一回
渡辺浩弐 Illustration/竹
それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(ルビ:2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(ルビ:1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。
第1話 家族の絆
Family Computer
KEYWORD★遺伝子シミュレーションゲーム
うるさいなあ!
カエルの子はカエル、なんだよママ。自分たちだって大したことないくせに、子供に期待したってダメだってば。
いくら勉強したって、塾に通ったって家庭教師に来てもらったって、ムダなもんはムダだよ。
若者には無限の可能性がある、なんて言うけどさあ、大ウソだよな。
よく聞いてよ? たとえば両親揃ってチビの家の子が、身長2メートルの大男に育つわけないだろ。
そんで、大人になっても身長が150センチにしかなんなかったら、どんなにがんばったって、バスケ選手にはなれないもんね。
凡人どうしの夫婦の子は、凡人なんだ。ほらね、顔も声も性格も体格も、子供って親にそっくりだろ? 脳の作りだってそうだよ。
パパもママもロクな大学出てないじゃん。僕が東大入れるわけ、なーいじゃん。
何怒ってんだよ。感情的になるなよ。ママは古いんだよ。
え? ゲームばっかりやってるから、ヘリクツこねるようになったんだろって?
んー、そのとおりかもね。
シミュレーションゲームっての、やってるとよくわかるんだ。競馬ゲームの馬の能力なんか、ほとんど血統で決まっちゃう。
これはゲームだけのことじゃなくて、現実だって同じだった。名馬の両親はぜったい、名馬らしいね。
そういえば、お相撲サンだってそうだろう。タカノハナとかワカノハナとかやっぱ強いじゃん。
うちのパパ、三流企業のペーペーじゃん。ママだって、ただの、デブのオバサンじゃんか。
なんだい、今度は泣いてんのかいママ。こんな子に育てたハズじゃない、って?
違うよ、僕はカガクテキな話をしてるんだよ。しょうがないなあ。
一度ちゃんとゲームを見ればわかるってば。ほら、これ、一番新しいやつなんだ。
『DNAシミュレーション』っていって、人間どうしのかけあわせで、子供を作るゲーム。
知ってるかい、DNAってのは遺伝子の要素、つまり人間の身体の、そして脳の設計図のことさ。
親どうしのDNAのパラメーターの組み合わせで、何十億とおりの子供が作れる。で、その子供の才能に合わせて将来の目標を決めて、育て上げていくゲームなんだ。
勉強させたり、運動させたり……悪戦苦闘しながらその子供を育てて、出世させていくんだけど。でもね、これ、ゲーム進行は、お父さんとお母さんを選んだ段階でほとんど決まっちゃうんだよね。
だから逆に〝科学者〟とか〝政治家〟とか〝野球選手〟とか、育て上げたい子供をさきに決めてから両親を選んだほうがいい。
つまり、DNAタイプの組み合わせを考えて男女のペアを作る。そして、子供を作るわけだよ。
人間の資質の九割以上はDNAの組み合わせ、つまり遺伝的な、先天的な特質で決まっちまうんだって。このゲームをやってるとそんなことがよくわかるよ。
そしてね、このゲーム、現実の人間の「DNA解析ソフト」としての使い方もできるんだ。
実際の両親の能力や姿形を入力すれば子供の才能が、だいたいわかるようになってるからおもしろいんだ。
父親と母親の年齢とか体格、それから現在までの経歴をできるだけ詳しくインプットする。もしわかってたら、おじいさんやおばあさんたちの一生のデータも入れる。すると、自分の才能の特徴と限界が、ハッキリと表示されちゃうんだ。
僕も、やってみた。パパとママのありったけのデータを入れてみたんだよ。
パパのDNAタイプはB―67324567、ママのタイプはF―01964270だって。
すると、生まれた僕はD―82563429。で、わかったんだけど、やっぱ僕って、生まれつきダメな、平凡な男なんだよな。
ゲーム画面のなかにD―82563429タイプを設定して人生をシミュレートしてみると……。
たとえば、これから高校卒業までに一日平均十時間、集中して勉強してみたとする。それでも、ほらね偏差値は最高でも六十いかないんだ。東大に入れる可能性は10パーセント以下なんだって。
スポーツ選手への適性を見てみようか。体力がピークになる二十歳まで毎日欠かさず、最も効率的なトレーニングを続けたと仮定して……100メートル走の予想最高タイムは十秒九〇だってさ。
限界までがんばってこんな平凡な記録なんだったら、スポーツ選手にだってなれっこないよ。
勉強しなくなったのも、部活やめたのも、そういうワケなんだよ。
何、青い顔してるんだよ。
はっきり言うけど、ママ、結婚に失敗したんだよ。
ママのタイプ、つまりF―01領域の人は、Gタイプの相手を見つけるべきだったんだよ。
そうすれば、せめて理系の勉強だけはできる子供が生まれたはずなんだ。
もし、G―09タイプの男の人と結婚してたら、学者になれるくらい知能指数の高い子供が生まれたかもしれない。
どうしたの黙っちゃって。目を三角にして。
しょうがないよ。ゲームだったら、できそこないの子供はぶっ殺して最初からやり直せばいいんだけどね。ダメな子を苦労して育てるよりも、リセットして、べつの相手見つけて、新しく子供産んだほうがいいんだ。
うわあ。急に何するんだよ。
いてて、冗談はやめろよ。
く、苦しいよ。
く、……。
第2話 起き抜けの悪夢
Daydream Believer
KEYWORD★ブレインマインドツール
僕はキラキラと光る美しい虹のなかにいる。暖かい空間にふわふわと漂っている。とても気持ちがいい。いつからここにいるのだろう? ここは天国なのか?
バン。
不自然な音が鳴った。突然あたりが真っ暗になった。
僕は天国から一瞬で漆黒の世界に落ちた。
目がだんだん慣れてきた。完全な暗闇ではない。僕がいるのは、狭い部屋、いやカプセルのなかのようだ。
寒さを感じた。温度が急激に低下している。
僕はうめきながら上半身を起こした。顔から何かが滑り落ちた。メガネ、いや、ゴーグルだ。
ぼんやりと思い出してきた。これは、ハイテクを駆使した快楽ツールなのだ。まぶたと目玉を突き抜けるダイオードの点滅と、鼓膜だけでなく頭蓋骨に作用するスピーカーの振動で、僕の脳を刺激していたのだ。
頭皮のあちこちに電極が貼りつけられていることにも気づいた。脳の快楽知覚部位を刺激するために、電磁波も使われていたのだ。
そう僕はドリーム・マシンにジャック・インして、まどろみ続けていたのだ。
虚空に「緊急停止」の黄色いランプが点滅している。
何らかのアクシデントでマシンが故障して、〝夢〟の自動製造が、停止したのである。
頭がはっきりしてきた。記憶が戻ってきた。
筋肉を鍛えるスポーツ・ジムに代わって脳をリフレッシュするブレイン・ジムが流行して久しい。当初はゆったりと横たわってクラシック音楽や環境映像を視聴する程度の場所だったが、やがて専用のソフトウェア、ハードウェアが導入され、だんだんと手の込んだものになっていった。
そしてある家電メーカーがゲームデザイナーや神経生理学者を集めて特別プロジェクトを組み、トリップのための究極のマシンを作り出した。コンピューターで統制された光、電磁波、音波で脳内の神経をダイレクトに刺激するものだった。
ジャック・インした瞬間に脳の快楽神経を刺激するマシン。体験者はすぐにエクスタシーに達し、そのままイキッパナシになってしまうのだ。
僕がつながっていたのが、それである。
何時間、いや何日間、僕はハマり続けていたのだろう。
点滴の瓶が見える。左ウデを少し動かすと、刺し込まれた針を感じる。一度マシンに入ったら食事もせずに、半永久的に夢を見続けることができるシステムなのだ。
そうだ。僕は家の近くに新しくオープンしたブレイン・ジムに、ひやかし半分に立ち寄ってみたのだった。評判のその〝究極トリップ・マシン〟を何十台も導入したという噂を聞いたからだ。
お試しで五分だけ体験させてもらった僕は、あまりの気持ちよさに仰天した。身体がとろけるとはこのことだ。虜になってしまいそうだった。
が、その利用料金はあまりにも高かった。
「とても僕の手が届く額では……」
「お金のことでしたら、大丈夫です。ひとつ、方法があります」
ジムのマネージャーは、にこやかに答えてくれた。
「分割払いですか。でも……」
「いや、違います」
凍った時間が溶けるように、順繰りに記憶が再生されていく。そうだ、マネージャーはそれから不思議な話を僕にしたのだ。
「よく考えてください。このマシンに入ればあなたは、スイッチひとつでエクスタシーを、いつでも、そしていつまでも持続して得られるのです。人が勉強したり、仕事したり、おしゃれしたり……人生のすべての努力は、じつは〝エクスタシー〟という最終目的のために行なっていることなのですよ。究極の快楽を手に入れてしまったら、もうこのマシン以外、この世の全ては無駄なものになるんです」
彼の言うとおりだ。そのマシンの体験は、あまりにも甘美なものだった。僕は、できることならば、ここでずっと快楽に浸りきる運命を選びたかった。
「契約して、このマシンに入ってしまいさえすれば、あなたはもう、何をする必要もなくなるのです。歩き回ることも、考えることも……」
「でも、僕にはそのお金が……」
ジムとの終身契約には、気が遠くなるほどの金が必要だった。僕は、逆立ちしてもそんな金額を用意できそうになかったのだ。
「わかりませんか? あなたは、電脳空間に存在する、快楽の園へと移住することになるのです。あなたには、もうその肉体は必要ないんです」
マネージャーは机のなかから書類の束を出した。
「ぜひ、ここにサインしてください」
そこまで思い出した僕は、焦げ臭い煙の匂いに気がついた。気温は、再び急上昇している。
マシンの急停止の原因は、火事だったのか?
だとしたら、急いでこのカプセルを脱出しなくてはならない。
立ち上がろうとして、僕はベッドから転げ落ちた。
ない……。
僕の両足がない。
そして、右の手もなくなっていた。
たった一本残った左手には、何やら、札のようなものが貼りつけられていた。それには、こう書いてあった。
〝売約済〟
第3話 チャンネル戦争
Channel Good!
KEYWORD★次世代テレビジョン
「くそっ」
僕はリモコンをマシンガンのように叩き、テレビの画像を切り替え続けていた。
リモコンは表示部分が故障していた。いま映っているのが何チャンネルなのか、わからなくなってしまったのだ。
これがほんの数年まえ、まだチャンネル数が両手の指で数えられる頃だったなら、問題はなかった。適当に切り替えているだけでそのうち目当ての番組が映ったものだ。
衛星放送やCATV、そして通信用光回線などのネットワークが同時に、一挙に普及した結果、チャンネルの数が爆発的に増加した。
いま、テレビには一万を超える番組が、絶えず流れている。つまり僕はそのなかから、目指す番組を手探りで見つけ出さなくてはならなくなったのだ。
八時から、あの番組が始まる。八時までに絶対、そのチャンネルに合わせなくてはならない。
壁のスクリーンに、表示パネルの故障したリモコンを向けて、でたらめにチャンネルを切り替えていく。
カシャ。
「第一球、投げましたっ……」
野球中継だ。カメラは、ピッチャーの顔を大写しにしている。
カシャ。
「大きく空振りです」
同じ野球の試合の、こっちはバッターだけを映しているチャンネルだ。
ひとつのカメラが、ひとつの局を独占している。つまり、視聴者はチャンネルを切り替え、好きなカメラアングルを選びながら試合を楽しめるのだ。
最近はコンサートの中継も、いくつもの局が提携して、この方式でオン・エアされることが多くなった。歌い踊るアイドルを、好きな角度から楽しめるというわけだ。
カシャカシャカシャ。送っても送っても同じ試合の映像。この調子で、あと20チャンネルは同じ中継を、ありとあらゆるカメラアングルで放映しているはずだ。僕はチャンネルをどんどんとばしていった。
カシャカシャ……。
やっと違う映像。大ヒット中の洋画。映画専門のチャンネルだ。
大型スクリーンが普及して以来、映画は家庭で観るものになったのだ。
新作映画はこうして五分おきに時間をずらして、一本当たり最低十いくつの局でオン・エアされている。いまどき上映時間帯に縛られる映画館に行くのはよほどのヒマ人だけだ。
さらにどんどん送る。
カシャカシャ……。
今度は、何のへんてつもない高速道路である。ひとつの風景をえんえんと映しているだけのこのチャンネル、最初見たときはすごい手抜きだと思ったものだが、意外に好評らしい。道路の混み具合を調べてから出かけるのに便利なのだ。
映されている場所で大事故が起こり、決定的瞬間のスクープ映像をものにしたこともあるそうだから世のなか、わからない。
カシャ。
『スーパーマリオ』『ドラゴンクエスト』『テトリス』……古今東西の名作テレビゲームのタイトルがずらりと画面に現われた。
ゲームチャンネルだ。
好きなタイトルをクリックすれば、二〜三秒でそのゲームはテレビ本体内部のRAMにロードされて、すぐに遊べるようになっている。
一万チャンネル時代に、テレビとゲームマシンは一体化してしまったのである。
どのゲームにもCMスポンサーがついているから、これはすべてタダだ。いまの時代、高い金を払ってゲームを買うのは、マニアだけである。
『ドラクエ』の最新作がラインナップに追加されているのを見て心をひかれたが、いまはゲームをやってる場合ではない。八時までに、ぜひとも、あのチャンネルに……。
カシャ。
画面にプッシュホンのテンキーのビジュアルが出た。電話チャンネルだ。光通信回線が電話と映像の両方に使われはじめたことで、電話機もテレビと一体化した。もちろん、お互いの顔を見ながら話せるテレビ電話だ。
カシャ。
「アッハ〜ン」
暗証コードの入力画面に、あえぎ声だけが流れる。アダルトチャンネルは成人証明のコードを入れないと映像が出てこない。
おっといけない、こんなことに気をとられている場合ではない。
時計を見る。とうとう、八時になってしまった。
僕はもう、必死になっていた。
カシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャ……。
……プシュ。画面が突如としてブラックアウトして、音声が切れた。
僕はフー、と息をついた。
ついに「オフタイム」をやってるチャンネルを見つけた。
よかった。これで、うるさいテレビにじゃまされずに、読書に熱中できるぞ。
テレビにオフ・スイッチがなくなってしまってから、そして一日二十四時間、ありとあらゆるノイズを垂れ流しにするようになってからずいぶん長い時間がたっていた。
「オフタイム」は、一日一回、二時間ほど音声と映像を完全にとぎれさせる、すなわち「静寂放送」というアイデアである。
これは視聴率30パーセントを超える、人気番組になっていた。
第4話 ゴーグルライフ
See Through It
KEYWORD★ヘッドマウントディスプレイ
うすいブルーのカーテンがまず、目に入った。
手前に見えるのはシングルベッドだ。ストライプのパジャマが脱ぎ捨ててある。ベッドカバーが少し乱れている。
「やったぞ……」
僕はゴクリと、なまつばを吞んだ。
僕のゴーグラーはネットワーク回線を経由し、近所のマンションにひとり暮らしの女子大生のゴーグラーにつながっていた。
僕の両目は、彼女の両目に忍び込んでいた。彼女がいま見ているものを、僕はそのまま見ているわけだ。
その必要もないのに僕は息を殺した。そして彼女の一挙一動を待った。
個人の、ひとりひとりの視覚がコンピューター・ネットワークに接続されるようになったのはごく最近のことだ。
ゴーグル型のモニター・カメラ『ゴーグラー』の大ブームが、きっかけだった。
小型のヘッドマウントディスプレイ、というか、軽く、着けっぱなしにしておいても気にならないメガネのようなツールだった。
メガネのレンズに当たる部分は普段は透明だが、スイッチを入れればそこに高精細の画像が映し出され、それが視界を覆うことになる。つまりまるでその映像のなかにすっぽりと入り込んだような感覚が体験できるわけだ。
すぐに録画機能を追加した商品が登場した。両目の外側部分に、超小型カメラを内蔵したものだ。自分の視界をそのまま、ビデオ映像として収録することができるのだ。
ゴーグラーを着けっぱなしで生活する人々が急増した。いつでも両目に好きな映像を投影することができるし、カメラをONにすれば、どこでも自分の見ている風景を録画できるのだ。
やがて人々は、ゴーグラーを通信回線につないで、自分の視覚映像を四六時中、ホストコンピューターに送信、記録しておくようになった。こうしておけば、自分の見た風景=体験のすべてを日記のように記録しておける。「X月X日X時X分、僕はどこで何をしていた?」……必要に応じて、特定の時間の自分の体験をネットワークからダウンロードして、リプレイするというわけだ。
そして、僕ら若いハッカーのあいだで、ネットワークに侵入して他人の視覚を覗き見するアソビが、密かに流行りはじめた。
僕が近所に住む美人の女子大生に狙いを定めたのは一カ月ほどまえのことだ。
自分のゴーグラーから公共回線に。そして、彼女の個人回線へ。何重にも仕掛けられたロックを僕はひとつひとつ、解除していった。
そして数日まえ、パソコンと格闘していた僕の視界がさっと開けた。教壇で喋る初老の男性。それが、彼女が通っている名門女子大の授業風景だった。
以来、僕は〝十九歳の名門女子大生〟の生活を堪能させてもらった。学校生活、友人とのおしゃべり、合コン、ディスコ……。
しかし、残念なのは、彼女がプライベートな空間ではゴーグラーを外してしまうことだった。マンションの玄関で、靴を脱ぐと同時に外してしまうのだ。
だから僕は、回線をつなぎっぱなしにしたまま、ずっと待ち続けたのだ。そしていま、ゴーグルのスイッチを入れたまま自分の部屋でくつろぐ彼女を、僕はついに、はじめて捕まえたのである。
画面は彼女の動きに合わせてスクロールする。ファッション雑誌とかCDとかミッキーのぬいぐるみを、視線がかすっていく。
視界に、彼女の両手が入ってきた。
彼女はクロゼットの扉を開けると、するりと自分のコートを脱ぎ、器用な手つきでそれをハンガーにかけた。
うつむいた彼女の目から、ピンクのセーターに覆われた胸のふくらみが見えた。
着替えを始めたのだ。
ところが、彼女はふと動きを止め、クロゼットの扉を閉じた。
玄関に向かう。誰かがノックしたのだ。ドアを開ける。背広姿の、大柄の中年男性が立っていた。
表情のごつい、やくざ風の男だ。彼は、彼女に何かボソボソと言うとすぐに、きびすを返して歩き出した。
彼女も、当然のことのようにそのあとを追って外にとび出していった。上着もはおらずに……。早足の男を追う彼女は小走りになった。画面は大きく揺れ、数十秒の間、何が起こっているのかわからなくなった。
いったい、彼女の身に何が? 犯罪に巻き込まれたのか?
やがて、彼女の動きが止まった。目のまえに大きな背中が見える。
男は、どこかの家の玄関に立っていた。彼は乱暴にそのドアを蹴り、家にあがりこんだ。
不法侵入だ! ドカドカという足音。いま、そこで起こっている出来事のように大きな音。彼女の視界は少し遅れて男についていく。僕は、彼女の目が捉えるその風景が、見覚えのあるものだと気づいた。男の背中が、ひとつの部屋の扉を開けて、叫んだ。
「盗聴、盗視の現行犯で逮捕する」
僕のゴーグラーに、刑事に後ろ手に押え付けられ手錠をかけられる少年の姿が映しだされた。
冷ややかに見下ろす彼女の目に映った、僕自身の、姿だった。
第5話 人間もどき
Behind The Mask
KEYWORD★サイバネティクステクノロジー
鏡のなかに、マイケル・ジャクソンがいる。……へへへ。オレの顔だ。
全盛期の、1987年タイプのマイケルの顔に〝トランス〟してある。いま流行りのモデルなんだ。
有名人の顔の立体スキャンデータをもとに、皮膚そっくりの素材で作ったマスクを、顔の表面に貼りつけてしまう。これが〝トランス〟技術だ。どんな人の顔でも自由に選んで、それになりきってしまえるオシャレ。いったん作った顔は、数カ月つけっぱなしでOK。
「なに鏡見て気取ってンのよ、ニセのマイケル君!」
振り返ると、1991年タイプの宮沢りえが笑いかけてきた。
オレの彼女だ。
〝トランス〟は、もともと、ハリウッドの特殊メイク技術だったらしい。役者の顔を動物や化け物に変えてしまうための。
人間の皮膚そっくりの新素材が開発されてから、過激に進歩したそうだ。スタントマンの顔を有名俳優の顔に変えてしまったり、多忙な人気タレントの代役を何人も作ってしまったり、映画界や芸能界ではこの技術が随分ともてはやされたものだ。
それが一般大衆に使われるようになるまで、さほど時間はかからなかった。
化粧品会社がとびついたのだ。
「あなたも、あのアイドルの顔に!」
髪型や口紅の色を真似るだけではなく、スターの顔そのものになりきってしまえる化粧術として、これは大ブームになった。
最近は美容院あたりでも、髪を切るついでに顔を作ってくれる。三十分もあれば、どんな顔にでも変身することができる。
同じ方法でボディーを作れば、どんな巨乳にも、マッチョにもなれる。若い頃の自分のボディーラインをデータとして残しておいて、年をとってからその〝型〟を自分の身体に貼りつけようと計画している女性もいる。
「おまえだってりえちゃんのニセモノじゃないか。顔だけじゃなく、そのオッパイだって」
そうだ。個性なんてクソクラエだ。トランス技術のおかげで、オレはこうしてアイドルを実物大で、生きたダッチワイフとして抱くことができるわけだ。
オレは、笑いながら彼女をベッドに押し倒した。そして、その宮沢りえのほっぺたを指でつまんでみた。ところが……。
「痛い!」
彼女は叫び声を上げ、オレは飛び上がった。オレがつまんだ部分が、頰骨からぐちゃりと剝がれたのだ。そして彼女の目の下から鼻の穴にかけて大きな裂け目ができて、血が噴き出した。
思い出した。
'90年代のはじめ、〝トランス〟が普及するまで、先端医学を美容に応用したスーパー美容整形〝メタモール〟がブームになったことがある。
それは新素材の人工脂肪を、皮膚の下に緻密に注入する技術だった。モデルになる顔の構造データと、本人の顔の構造のデータを分析処理して、コンピューター制御の注入器を使って望みどおりの顔を作りあげる。
ところが、われ先にと顔を直した若者たちは、数年後、激しい痛みを訴え始めた。そして、みるみるうちに彼らの顔は崩れはじめた。欠陥技術だったのである。
ただ、その頃にはすでにトランス技術が普及しはじめ、メタモール手術はすたれていた。また、崩れた顔を、ひび割れた壁をパテで埋めるようにトランス技術でごまかすこともできたから、メタモールによるこの後遺症は大きな社会問題にならなかった。
……彼女は、そんな被害者のひとりだったのである。
「そんなに強く触ってないのに……」
「あなたのせいじゃないわ。ときどきこうなるの。もう、ちゃんと貼っつけといてって、いつも言ってるのに!」
彼女は両手で顔を押えて叫び散らしていた。
オレは腰が抜けそうだった。手抜きトランスのせいで剝がれてきたマスクの、その下。彼女の素顔を、実際に見るのははじめてだった。
「すぐにエンワイテチョーアイ(電話してちょうだい)」
彼女は、アタフタしているオレにアドレス帳を開いて渡す。アフター・サービスの電話番号だ。彼女は結構落ち着いていた。しかしその顔を見ると、裂け目はどんどん広がっていた。それを必死に手で押えようとする彼女の試みは裏目に出て、皮膚と肉はずりずりとずれていった。
いまや、彼女の顔の皮膚は頭蓋骨から剝がれ、だらりと垂れ下がっていた。目から、鼻から、口から涙とよだれのまじった血がだらだらと流れ続けていた。顔だけじゃない。彼女のあごから首、そして胸までがふやけたチェリーパイのような、赤いどろどろの醜い物体となっていた。
これが素顔……ここまでスゴイ変身をしてたのか、こいつは。
「イアイヨーアヤクヨンエヨオオオオオ」
声は野太く、まるで動物の吠え声のようになっていた。ひん剝いた眼球と視線を合わさないように、オレはそっぽを向きながら電話した。
(こいつ、もとは男だったのか、女だったのか。そして歳は……いや、もしかしたら、そもそも……)
ふとそんなことを考えていた時、サービスマンが到着した。
「申し訳ありませんでした。ただいますぐに、お取り替えします!」
サービスマンは満面の笑顔のままで深々と頭を下げた。
と、その後ろから。
「こんにちは、ニセのマイケル君!」
1991年タイプの宮沢りえがひょいと顔を出した。