ランボー怒りの改新

森見登美彦氏、激怒⁉︎ 異形の才能・前野ひろみち、ここに衝撃デビュー‼︎ 森見登美彦 × 前野ひろみち 特別対談掲載‼︎

森見登美彦 × 前野ひろみち 特別対談 —— 森見「なんだこれはと思いましたよ(苦笑)」 前野「書いてるときは夢中やったから……」

作品紹介

森見登美彦氏、激怒!?
「私の奈良を返してください!
さすがにこれはいかがなものか!」

古都・奈良を舞台とする傑作短編4編を収録。

異形の新人・前野ひろみち、森見登美彦氏の推薦と、仁木英之氏の解説に後押しされ、ここに衝撃デビュー!

作者紹介

前野 ひろみち

あまりにも長い雌伏を経て、
ついに世に出た“在野の遺賢”──!

自営業。奈良県生まれ。高校卒業後、作家を目指すも挫折し、大学卒業後家業の畳店を継ぐ。2011年より同人誌『NR』に3本の短編を発表する。『ランボー怒りの改新』で念願の商業デビューを果たした。

特別対談

森見登美彦 × 前野ひろみち 特別対談 —— 森見「なんだこれはと思いましたよ(苦笑)」 前野「書いてるときは夢中やったから……」 —— イラスト:KAKUTO / ロゴデザイン:川名潤(prigraphics)/ 構成:平林緑萌(星海社)

謎の新人・前野ひろみちが、ついにそのベールを脱ぐ!
初対談、ここに公開──!

2016年9月某日、奈良県近鉄生駒駅前のとある喫茶店──。

ある邪悪な策謀により、奈良が生んだ「京都作家」森見登美彦氏と、デビュー作『ランボー怒りの改新』を上梓したばかりの前野ひろみち氏が鉢合わせすることとなった。

果たして、謎の新人の次回作はあるのか? そして、森見氏は本当に怒っているのか?

これは、その希有な対談の一部始終である。

騙し討ちの初顔合わせ

前野ひろみち

前野:平林さん、遅れてすいません。

──あ、どうも前野さん。大丈夫ですよ。

森見登美彦

森見:(立ち上がって)どうも初めまして。

──前野さん、こちら森見さんです。

前野:森見さん? あの、聞いておりませんが……。

森見:申し訳ありません。僕は「やめよう」って言ったんですけど。

──実は、サプライズということで、同時に打ち合わせをセッティングさせてもらいました。

森見:ぜんぶ平林さんのたくらみですから。

前野:いや、そんなの前もって言ってくれたらええじゃないですか。それならそれで、ちゃんと用意してきたのに。こんな格好ですいません(※注:前野氏は仕事帰りで作業着姿)

──だって、普通に「顔合わせ」を打診したら、おふたりとも渋るでしょう。

森見:まあね。

前野:そうかもしれんけど、だからって騙し討ちは……。

──とりあえず、もう会ってしまったわけですから(ICレコーダーを取り出す)

森見:え、録音するんですか?

──せっかくなんで、対談にしましょう。

森見:……こんな感じで前野さんを口説き落としたんですね。

前野:ほんまに強引な編集者さんで。お会いしたときから。

森見:なるほど。今わかりました。

前野:申し遅れました、前野ひろみちでございます。このたびは推薦の言葉をいただいたり、本当にお世話になりまして。これ、会社の名刺しかないんですけど。

森見:あ、ご丁寧にすみません。僕、名刺ないんですよ。

──じゃあ、早速始めましょうか。あ、前野さん、飲み物どうしますか?

前野:(平林氏を睨みながら)アイスコーヒーを……。

──まあ、この機会に聞きたいことも色々あるでしょうし、気持ちを切り替えていきましょうよ。

森見:前野さんが納得してくださるなら。

前野:まあ、ええですけど。何を喋ればいいんですか。

──プロモーションですから、気楽に行きましょう。

前野:そう言われてもね。

森見:いや、分かりますよ。困りますよね。

(以下しばし会話盛り上がらず)

『ランボー怒りの改新』への怒り

前野:……実際のところ、『ランボー怒りの改新』いかがでしたか?

森見:なんだこれはと思いましたよ(苦笑)

前野:ほんまに申し訳ない。恐れ入ります。

──僕が、いきなりゲラを送ったんですよね。

森見:夏前ですかね。「とある新人作家がデビューすることになりまして、つきましては帯に推薦文をいただきたい」というメールが来て、返事を出す前にゲラが送られてきて。ちょうど『夜行』(小学館、2016年10月発売予定)の執筆が終盤にさしかかっていて、けっこう忙しい時だったんですが。

──すみませんでした。……でも、快く引き受けて下さって。

森見:僕は、京都のことばっかり書いている作家として知られているわけですが、奈良の生まれですから、いずれは奈良を書きたいという気持ちがあったんですよ。それが、前野さんの作品を読んで、「これはあかん」と。まあ衝撃で。

前野:いや、こちらは戦々恐々というか。

森見:え、それはどうして?

前野:ご気分を害されないかと。ちょっとね、作風がね。

森見:最初「佐伯さんと男子たち1993」を読んだ時は、確かに似たものを感じましたね。謎の違和感を覚えたというか、既視感があるというか……。でもね、あの作品って、ちょうど僕が中高生時代を過ごしたあたりが舞台になってるんですよ。なので、影響云々と言うよりも、「自分が大事に取っておいたところをやられた!」という気持ちのほうが強かったですね。それで、残りの3編を読み進めていくうちに、どんどん僕の中の奈良が奪われていく感じがして、「よくもやってくれたな」という怒りがふつふつと……。

前野:怒りが……(苦笑)

森見:万城目(学)さんに『鹿男あをによし』を書かれたときも、すごい悔しかったんですよ。でもまあ、ほとぼりが冷めたら自分も奈良を書けばいいと思っていて。『鹿男あをによし』からだいぶ時間も経ったんで、「そろそろかな」というところもあった。それなのにいきなりコレ(『ランボー』)ですからね。

──あの推薦文はストレートな感想だったんですね。

前野:私はてっきり、お世辞的な何かだと思っていました。

森見:いやいや(笑)

前野:しかし光栄なことだと思います。ほんまに。

──そう言えば、森見さんはあまり歴史的なモチーフを描かれないですよね。京都も歴史が持ち味なところがありますけど、直接的には言及しないというか……。

森見:まあ、僕の書くのは妄想ですからね。妄想にしか興味ないんですよ。だから歴史を混ぜこんでいくことに遠慮があるというか、だって自分の妄想の方が大事なんだから。たとえば万城目さんだったら、しっかり調べて、その土台の上に立ってヘンテコなことをやるでしょう。だから万城目さんとはちがった歴史の使い方、遊び方はないかなあ……と考えてはいたんですよ。そういうところに『ランボー怒りの改新』がきて、「ああ、こういうふうにすればいいのか」と思ったところはあります。

前野:いやいや、あんなのは偶然できたもので。

森見:思いっきり歴史を材料に使ってるのに、まったく考慮してないというか……いや、してるけど何か違うでしょう。謎の生々しさがある。

前野:あの頃は若かったから(注:執筆時、前野氏は18歳)

森見:いやいや、若ければ書けるってもんじゃないでしょう、あれ。

前野:でも自分としてはそう言うしかないんです。

森見:「佐伯さんと男子たち」は若々しかったけど。

前野:あれはね、自分の身のまわりのことを材料にして書いたから。ようするにあれは吉本新喜劇のギャグですよ。ローテーショントーク。あれをいじって、ローテーション失恋にしたんですわ。

──えっ! それはそれでめちゃくちゃな合体ですね(笑)

森見:そうか、ローテーショントークから……。

前野:それでまあ「佐伯さんと男子たち」は完成したんですけど、まあただの浪人生ですからね、次の作品を書くにしても、人生経験がありませんわね。

森見:ああ、その感じはわかります。

前野:それで、次のネタを考える時に「奈良と言えば歴史ある土地柄やな」とは思ったんですけども、当然歴史のことも分からんし、歴史小説の書き方も分かりません。ただ、大化の改新っていうのは歴史の教科書にも載ってるもんでしょ? それでまあ、ちょっと図書館へ行って大化の改新の解説書を拾い読みしたり、『日本書記』の現代語訳を読んでみたりしてね。そのまんま書いたら、あんな風になったんです。

森見:いや、そのまんま書いてもあんな風になるかな。

前野:書いてるときは夢中やったから……。

森見:でも、出版されるときにも書き直されてるわけですよね。

前野:それはそうです。書いたときのまんまというわけではないです。

森見:仁木(英之)さんが最初に読まれた状態から、どの程度手が入ってるんですか?

前野:といっても、展開はそんな大きくは変わってないと思います。頑張って手を入れる情熱みたいなものは、こちらには全然ないわけですよ。「満月と近鉄」は親父が亡くなってから後のところを書き足してますけど。もうそれだけで私としては完全燃焼。終わった、という感じ。

──本来なら、そのまま眠っていたかも知れないわけですよね?

前野:「いずれ自費出版」と思ったこともあるけど多分やらんかったでしょう。そうまでして世に出してもね。まあ仁木さんから声がかからなかったら、同人誌なんてのも知らんかったと思いますし、それは解説の通りですよ。色んな偶然が重なって、世に出してもらって……。

不真面目な森見ファン

森見:そもそも平林さんは、なんで僕に帯を依頼したんですか?

──前野さんが、森見さんのデビュー作の『太陽の塔』を読まれてたからですね。

森見:あれ、そうなんですか?

──たぶん、出てすぐ読まれてるんじゃないですかね?

前野:どうやったかな。でも単行本で買った記憶があるんで、わりと出版されてすぐだったのかもしれません。たしか仕事で京都へ行ったときにたまたま見つけたんですよ。

森見:ああ、デビュー当時から、京都の書店さんでは沢山並べてくださったから。

前野:それで、何となく手に取ったら、腐ったような大学生の話で「これ、おもろそうや」と。小説が読みたいと言うよりも、なんか自分と近いもんを感じた。

森見:今でも小説はよく読まれるんですか?

前野:うーん、現代の作家では森見さんくらいで。それも、全部読んでるような真面目な読者やなくてお恥ずかしいんですが……。森見さんが奈良ご出身だったのも知らなかったぐらいです。

──そんなわけで、森見さんに依頼するしかなかったんですよ。

前野:それなりに仕事も忙しいし、小さい子どもが二人おるんで自分の時間がなくて。読んでる現代の作家というのは森見さんぐらい。それで平林さんに言われて書き直しているとき、どんどん森見さんに似てくるような感じで、「いかん、このへんでやめとこ」って思った(笑)

奈良に育まれた時代

──しかし、お話をうかがっていると、お二人は高校卒業まで、かなり近い場所で生活されていたんじゃないですかね?

森見:そうかもしれない。

前野:森見さんのプロフィールを拝見するかぎり、年齢は私のほうがひとつ上になるんですかね。でもまあ、ほとんど同じようなところをうろついてたと思う。

森見:僕も学校があの辺だったんで、鹿の糞が転がってる感じとかはよくわかります。確実に奈良公園あたりですれ違ってますね。

──僕も奈良の出身ですけど、盆地の南のほうなんで、鹿ってそんなに身近な存在じゃないんですよ。

森見:ああそうか。でも、鹿はそこらへんにいっぱいいましたね。あまりにも当たり前の存在というか、とにかく毎日見る存在でした。

前野:そこに当たり前におるもんというか、おって当たり前ですね。昨日も、ちょっと用があって奈良県庁に行ったら、中庭で草食ってました(笑)

森見:だから、観光客の人たちみたいに「かわいい」とか、そういうことをあんまり思わないんですよ。

──そんな、鹿が身近にいる毎日を送りながら、森見さんと前野さんは作家を目指していたわけですね。森見さんが作家になろうと思ったのは……。

森見:僕は小学生の時からですね。だから中学・高校時代も割と書いてました。

──恋愛とかはなかったんですか?

森見:なんで恋愛? それはもう初恋もあり、失恋もあり……いや、そのふたつはイコールですけど。でも、ずっと小説は書いてましたね。逆に前野さんはどうだったんですか?

前野:まあ、ウチは畳屋ですし、小説に書いたような親父がおったんで……。

森見:ちなみにあれはどこまで本当というか……事実というか……。

前野:多少、誇張してるとこはありますけど(笑)

森見:じゃあ、「いずれは畳屋を継がないと」っていうのは本当?

前野:やっぱりそういう雰囲気はあってね。はじめは「継ぐのが当然」という感じやったんですけど、じわじわと「畳屋はイヤやなぁ」という気持ちが溜まっていって。

──前野さん、なんで小説家になろうと思ったんですか?

森見:サラリーマンになって、よその会社に勤めようとかは?

前野:うーん、高校生のアホな時やったから、そこまで頭がまわりませんでした。自分の手近なとこというか……一人でできることで身が立てばええなという風に考えてしまって。

森見:それで小説家?

前野:そうですな。アホですよ、だから。今にして思えば。

森見:よっぽど本が好きだったとか。

前野:うーん、それがですね……今から考えると、どこにでもおる「ちょっと本好きな高校生」というだけのことでね。それは、大学で文学部に入って、まわりの同級生を見て気がつきました。私なんかよりも、もっと本を読んどるやつが、普通にごろごろしてるでしょう。

森見:それはまあ分かります。

前野:そういうわけでいっそうやる気がなくなって。

森見:大学時代には書かれなかったんですか?

前野:今回こうして本にしていただいたのも、ぜんぶ浪人時代に書いたもので。それはまあ「そこそこ書けた」と思ったんですが。で、そのあとも書きたい気持ちはあったんですけど、「満月と近鉄」に書いたようなことがあった……かどうかはともかくとして、とにかく書けなくなったわけです。それと大学で文学部に入ったのは関係があって、ようするに「勉強したらまた書けるようになるんちゃうか」という甘い期待があった。ただ、そんな甘いもんではなかったということですよ(笑)

──森見さんは一浪されてますが、浪人時代はどんなことをされてたんですか?

森見:難波の予備校に通って、普通に勉強してましたね。面白いことはまったくないです。

──前野さんは……。

前野:私は二浪です。予備校は行ってないですな。

森見:なんで行かなかったんですか?

前野:今から思うとなんでなんやと思うわけですが、当時は行きたくなかったんです。おまけに、うちの父親は、「予備校に行け」というようなことは言わんわけですよ。「最終的に畳屋を継げばそれでええ」というかまえで、「どこどこの大学へ行け」とさえ言わない。

──教育熱心というわけではなかった、ということなんですかね?

前野:大学を目指して勉強さえしていれば、それ以上はうるさく言わんような感じですよ。つまり畳屋ルートからよそへ外れないかぎりは、何年か延びたとしてもまあええやろ、ということでしょう。むしろ母親のほうが気を揉んでたと思いますよ。うるさいことは言わなかったけども。

森見:いずれあとを継ぐわけですから、「経営学部に行け」的なことは言われなかったんですか?

前野:ああ、それは受験の時に多少の話し合いが持たれまして、最初は父親も「それはどうなんや」という顔をしてましたけどね。でもまあ、「どうせ家を継ぐんやから大学の間ぐらいは好きなことやれ」ということになったんです。まあ、うちの父親は少々野性的なところがあって、経営学とかそういうものも、なんとなくうさん臭がるというか……そのおかげで文学部に進めたんですな。今から思えば妙な話ですが。

──ところで、前野さんは畳についてどうお考えだったんですか?

森見:聞きにくいことをストレートに聞きますね(笑)

前野:そらまあね、「畳かっこええ!」みたいな感じではなかったですよ(笑) でも、東京で下宿するようになって──住んでた部屋は畳やなかったんですけど、実家に帰省して畳の部屋で寝そべってると、落ち着くものがあるというか……。そんな大したことやないけど、畳を再発見するような気持ちになることはありましたよ。

森見:四畳半で暮らした身としては、畳じゃない下宿が逆に想像できないです(笑)

前野:なんか、べたべたするカーペットみたいなのが敷いてあって……古い建物なんでしたけどね。まあそれで、奈良に帰ってホッとする気持ちと畳が結びついて、「畳も悪くないかもしれん」みたいな風に、徐々に変わっていったんです。だから、東京に行ったことが、結果的にはスムーズに実家を継ぐ気持ちにさせたとこはある。人生そういうもんですよ。うまいことできてますよ。

──やっぱり、実家から離れたくて東京の大学に進まれたんですか?

前野:そういう気持ちもあったかな。最初はもちろん、京都の大学も検討したけれども、奈良から京都の大学に行くっていうのに、なんとなく謎の抵抗感がありましてね……。

森見:まあ、近いですからね。実家から通えてしまう。

前野:うちの父親やったら、頼めば下宿させてくれたやろと思うんですけどね。まあでも、どうせやったら離れてしまおうというか、大学出て実家継いでしまったら、ずっと奈良にいるわけだから。まあ、母親は東京行きにかんしては父親とは違う感情を持ってたみたいですけども。

──手の届くところにいて欲しい的な?

前野:それが母親ってもんでしょ。だから、けっこう頻繁に帰省してましたよ。下宿が父親の口利きで借りたところなんで安かったですし、その割に仕送りも多めにもらっとったんで。

──森見さんは、奈良から通わずに下宿されたわけですが、やっぱり家を出たかったんですか?

森見:いやいや、逆に僕は通うつもりだったんですよ。あんまり家から離れたくなかったし、通いは多少きついけど、最初のうちは通いでもいいと思ってた。

前野:そうなんですか? 父親との確執はなかったんですか?

森見:人並みの反発心はあったと思うんですが、うちは前野さんのところみたいにあとを継がないといけない家業があるわけでもなかったので、もっとゆるかったですね。それで、父親が「下宿したらええがな」みたいな感じで四畳半を見つけてきて、僕を放りこんだわけです。

──あの「立派なものだ、鍵がかかる」ってやつですね。

森見:そうそう(笑)。僕は父親と同じ大学に進んだんですが、父親はもっと苦労していて、最初は大阪から通ってたし、下宿するようになってからも「間借り」だったらしいから。それに比べればね、僕なんかはたいへん快適な京都時代を送らせてもらったことになる。

前野:親心や。通いの辛さも、鍵がかからないプライバシーのなさも、知ってらっしゃるから……。

森見:それで四畳半(笑)

前野:四畳半は美しいですよ(笑)

森見:いや、それはそう思います。四畳半には感謝してます。

前野氏の大学時代

──このへんで大学生活について伺おうかなと思うんですが……。

森見:僕の大学生活については、もう話すことは何もないですよ。ありもしないことまで含めて、全部作品に投入したので……カラッカラです(笑)

──じゃあ、森見さんの大学生活については、森見作品を読んでいただくということで(笑)

森見:前野さんの大学生活は?

前野:そんな面白いもんでもないなあ。

森見:下宿は東京のどのあたりで?

前野:うちの大学は私立で、キャンパスがふたつあったんです。で、父親の口利きで借りられる物件が、千駄木にあって、そこやったらどっちのキャンパスでも楽に通えるんで、ずっとそこに住んでました。

──それはどんな物件なんですか?

前野:うーん、説明が難しいんですが、親父の知り合いが管理にかかわっていて、県人会というのでもないんですけども、奈良出身の学生が安く住めるアパート。もうだいぶ古い。

──下鴨幽水荘よりは……。

森見:あれは古すぎる(笑)

前野:でも、めちゃくちゃ安かったですよ。今でも覚えてますけど、3万5000円。

森見:3万5000円!

前野:六畳一間で、風呂とトイレは共同やったんですけど、朝食は通いのおばさんが作ってくれるんです。だから、当時の相場としては破格じゃないですか。

──それは、普通の人は入れないんですか?

前野:ちょっと特殊な施設というかね。奈良出身の学生で、しかるべき紹介がないと入れない。もともと高度成長期に篤志家が集まって作ったとか、そういう話で、まあ古いですよ。できた当時はそれなりに先進的やったんでしょうけど、私が入った時点でもう築40年近かった。

森見:実際に東京に住んでみて、どんな感じでした? 僕も一時期東京に住みましたけど、イメージの中の東京と実際の東京って、けっこうギャップがあったんですよ。

前野:ありましたわ、そういう感じ。

森見:ありますよね。

前野:私らが小さい頃ってバブルでしょう。だからテレビの中の東京っていうのは、奈良と全然ちがいますからね。ディスコとかなんかそういうの……よう分かりませんけど、とにかく派手でピカピカしてる。

森見:そうそう、そういうイメージ(笑)

前野:ところが、千駄木に住んでみると全然そんなことあらへん(笑)。二年生までは電車通学でしたけど、郊外に向かっての移動やったし、三年生になって駿河台に通うようになっても、まわりは古書店街やし、キャンパス内でまだ学生運動もやっとるし(笑)

森見:京都とそんなに変わらなくないですか?(笑)

前野:そうでしょ? そうなんですよ。詳しい経緯は知りませんけど、学園祭が中止にされたりして。まあ私は学園祭の賑やかな感じとはかかわりのない生活でしたけどね。

森見:真面目に講義とか出てたんですか?

前野:最初は真面目でした。もう、この4年間しか自由時間がないわけやし、真面目に勉強したらまた小説も書けるかもしれんというアホな期待もあり……。

──どこかで堕落していくわけですか?

前野:あんなに堕落してた時期ないと思います。周囲に私よりももっと文学が好きで、もっと真面目に勉強してるやつがおりましたから。そいつらを見とると「ああ、私はあかんのや……」というような気分になってきて、結果諦めるというか、サボるようになって。いわゆる自主休講ですな。

森見:自主休講(笑)

前野:森見さんはいかがでしたか?

森見:どうかな。真面目なところもあり、堕落したところもあり……。

前野:森見さんは理系でしたか?

森見:小説家になりたいとは思ってたけど、「小説は自分で勝手に読んでればいいや」みたいな感じですね。文学を研究するっていうことに興味はなかったし。むしろ他のことを勉強したほうが小説の役に立つかもという感じでした。

──それがいずれ『美女と竹林』や『恋文の技術』という形で……。

森見:役に立ったと言っていいのかな(笑) まあでも、あんまり真面目に考えてなかったですね。

前野:私は考えすぎていたんでしょうな、今になって思えば。

──そうすると、どこかで畳屋を継ぐ決意をされたわけですか?

前野:自分が思ってたような薔薇色の大学生活は無理なんやと気がつくと、グズグズと大学生活にしがみつくのもなあという気がしだして。あと、案外小心者なんで、最低限の単位はちゃんと取っとったという。だから決意をしたというより、ただ予定通りに奈良へ戻っただけ。

森見:東京でいいことはなかったんですか?

前野:うーん、傷つくことは色々ありました。それで、さっきも言いましたけど、奈良に帰ると心が安まるんです。そのへんでじわじわ……。

森見:心が安まる感じはわかります。僕は東京を引き払う時、忙しすぎて体調を崩したりしてたんですけど、奈良に帰ってくると確かに落ち着く感じがありましたね。

奈良の未来について

──その奈良について、ちょっとおふたりの意見を伺いたいのですが……いずれ開通するリニアについて、どう思われます?

森見:うーん、難しいですね。アクセスがよくなるのはいいことだとも思うんですけど、個人的には奈良ののんびりした雰囲気が好きというのもあるんで。あと僕は個人的に、新幹線でさえ速すぎて怖いことがあるんで、たぶんリニアなんて怖くて乗れない。

──前野さんはいかがですか?

前野:私はもちろん歓迎ですよ。いい影響があればと期待してます。

森見:やっぱりお仕事に影響ありますよね?

前野:もちろんそれはあります。新しい風が入るっていうのは大事なことで。たとえば奈良も最近は若い人たちが新しい店をオープンするようになってきてね。ゲストハウスとか、イベントスペースとか、あとは雑貨屋とか、色々あります。ちょっと近鉄奈良駅から歩いても、私らが中高生の頃とは、やっぱり雰囲気が変わってきたとこがあります。弊社も最近は多角化を進めておりまして、そういうお店の内装なんかも手がけます。だからこの奈良で若々しい力が勢いを増してきたところへですね、リニアがお客さんを運んできてくださるなら、弊社としても万々歳やなと。

森見:前野さんとしては、京都みたいに賑わったらいいなという感じですか?

前野:いや、京都と奈良はやっぱりちがいますよ。京都の良さっていうのはね、やっぱり東京とは対極にある『都会』っていうところやと思うんです。あれはやっぱり『都会』なんです。でも奈良はちがいます。京都みたいな都会を目指しても、柄に合ってないというか。地元のよさっていうのはうまいこと言えないですけど、奈良は京都みたいな『都会』っていうんでもなく、かといって『田舎』っていうんでもなくて。なんかそこらへんに安らぎというか、癒やしの秘密がある。

森見:京都でも癒やせない傷を奈良で癒す、というんですかね。

前野:ぜひ、朝の早い時間に、奈良公園のあたりを散策していただきたいです。

森見:その際は是非、前野畳店さんが内装をてがけたゲストハウスにご宿泊いただくということで(笑)

次回作はあるのか?

──最後に、前野先生にお聞きしたいんですが、本の現物をご覧になった時の気持ちはいかがでしたか?

前野:うーん……たとえるなら、「3番目の子供」というような感じで。

森見:書店さんに並んでいるところはご覧になられましたか?

前野:いや、それが奈良ではとんと見かけなくて、最初は騙されとるんやないかと(笑) 仕事で大阪に行った時に見かけて、「あ、ほんまにでとる」と思いました。

──そんな大がかりなドッキリはやりませんよ!

森見:次回作のご予定はないんですか? 大学時代のお話とか。

前野:いやぁ、私は森見さんと違って、大学時代は特に楽しいこともなかったですから。

森見:僕だって、特別に楽しかったわけじゃないですが(笑)

前野:いやいや、あんな作品が書けるからには楽しかったでしょう。薔薇色の大学生活だったはずですよ。私はもう森見さんに比べたらなんにもないですから(笑)

──そう仰らず、是非とも引き続き執筆いただきたいです。本業もお忙しいでしょうけど、寡作でも書き続けていただきたいです。

前野:うーん、もう書くことがないです。

森見:それ、僕も『太陽の塔』を書き上げた時に思いました(笑)

──ほら、大丈夫ですよ!

前野:いやいや、その手には乗りませんよ。

──『ランボー怒りの改新』で前野さんのファンになった読者のためにも、是非!

前野:……いやいや。

──年に一本短編を書いていただいて、オリンピックの年に本にまとまるとかどうでしょう? 大学時代の話は是非読んでみたいです。

前野:大学時代の話はほんまに面白いことないですって。惨めなだけ。

──じゃあ、奈良に帰ってきてからの話はどうでしょう? 畳屋探偵とか。

森見:畳屋探偵!(笑)

前野:私の器量からして、子供は3人が限界ですわ。

──なかなか首を縦に振っていただけないですが、僕は読者と共に待ち続けますので……。

森見:僕も気長に待ってます。でも、安請け合いをすると僕のように破綻しますから(笑)

前野:となると、余計軽々に引き受けられへん感じですな。

──いやいやいや、そこをなんとか!!

(2016年9月)

試し読み

読んだら分かる、この違い。
「ランボー怒りの改新」冒頭を公開!

ランボー怒りの改新

ある夏、ひとりの青年が斑鳩の里にフラリと現れた。

たくましい身体と日焼けした肌、髪は長く伸ばしている。彼の名はランボー。遠い異国ベトナムの奥地からやっとの思いで故国の島国へ帰りつき、難波津から飛鳥を目指して歩いてきたのだ。

ランボーは今、一つの焼け跡を前にして呆然と立ちつくしていた。そこにはかつて山背大兄王らの住む斑鳩宮が建っていたはずだが今は見る影もなく、焦げた材木が夏草に埋もれているばかりである。

その変貌ぶりにランボーが戸惑っていると、供を連れて焼け跡を見てまわっていたらしい貴族の男が声をかけてきた。年の頃は三十代前半、柔和な笑みを浮かべた男である。

「やあ、まったく蒸し暑いですな」

そこで彼らは二言三言言葉を交わした。

ランボーがベトナム帰還兵であることを知ると、その貴族は急に礼儀正しくなった。

「無事のお帰りなによりです。なにしろたいへんな戦争だそうですね」

推古天皇の御代、トンキン湾事件をきっかけにして蘇我馬子が火蓋を切ったベトナム戦争は泥沼化し、馬子が世を去ってその息子蝦夷の代になっても終息の兆しを見せていなかった。

前年に南ベトナム解放民族戦線いわゆるベトコンが全土で奇襲攻撃に出たテト攻勢によって、飛鳥の朝廷は激しく動揺し、ときの大王は蘇我蝦夷に空爆の一時停止と北ベトナムとの和平交渉を命じた。しかし事態は思わぬ展開を見せた。蘇我蝦夷の息子入鹿が独断で北ベトナムへの空爆を再開し、和平交渉を頓挫させてしまったのである。親子三代にわたって着々と政治の実権を掌握してきた蘇我氏は、大王の権威をすら意に介さず、ベトナム戦争を継続する意志を見せていた。

蘇我氏め、とランボーは思った。やつらはぬくぬくと飛鳥の里に暮らし、大勢の兵士を異国のジャングルの奥へ追いやっている。そんなに戦争がしたいなら自分で出かけていくべきなんだ。ジャングルと泥の中を這いずりまわって、好きなだけベトコンとやりあうがいい。俺はもう御免だ。

「くだらない戦争だ」とランボーは呟いた。

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