くくるの異常な空想――または私は如何にしてリア充するのを止めて演劇を愛するようになったか――

演劇少女・原くくる 1stインタビュー 中編

都大会優勝、関東大会優秀賞受賞と、2010年度の高校演劇界を文字どおり震撼させた都立六本木高校演劇部による『六本木少女地獄』。脚本、演出、出演のすべてを務めた18歳の女子高校生演劇家・原くくるはいかに生まれ、どこに旅立っていくのか――!? 『最前線』が迫る1stインタビュー!! 聞き手:さやわか・太田克史(『最前線』編集長)、構成:さやわか、撮影:青山裕企

映画を観て立ち直る

さやわか さて、アスカ状態から六本木高校に入ることになったのは、どういったきっかけがあったんですか?

アスカ生活を3カ月くらいして、その間、ひたすら映画を観ていました。で、ここで運命的な出会いがありました

太田 おいおい、運命ありすぎだろ! 君は!

(笑)。お母さんが、私をなんとかアスカ生活から脱却させようとして、感情を取り戻させるためにいろいろなことをしてくれたんですよ。それである日、映画を観ることになってTSUTAYAに借りにいったら、妹が『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』を観よう! と言って

さやわか それはアスカ生活をしている人のリハビリにはあんまり効かなそうな映画ですね(笑)。

太田 妹さんはパンクロッカーらしいですよ?

ですね。あ、でも最近はカントリーミュージックにも傾倒してきてます。なんかニール・ヤングにハマってしまったらしくて。まあ、それを観たら「映画を観ているあいだは、私の人生のことって関係ないんだな。なにもつらいことを思い出さない」って思ったんですね。

太田 ああー。なるほど。映画がセラピーになったんだ。

それから1日に5本映画を観る生活が続いたんです。起きているあいだは映画を観る、みたいな。お小遣いを3000円くらいもらって、TSUTAYAで半額セールをしているときに一気に15本くらい借りて、片っぱしから観るという

さやわか 観たのは主に洋画ですか?

完全に洋画しか観なかったです。というのは邦画だと舞台が日本なので現実を思い出してしまって

さやわか なるほど。なるべく現実離れしているほうがいいんですね。ジャンルはどんなものを観たんですか?

アクションもパンクもヒューマンもサスペンスも、すべてのジャンルを観ました。で、だんだん、どの映画がいいか悪いかがわかってくるんですね。

さやわか 好みとかは、できましたか?

いっぱいできました。ミヒャエル・ハネケ、ギャスパー・ノエ、ガス・ヴァン・サント、デヴィッド・リンチ、フェデリコ・フェリーニ、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、ヴェルナー・ヘルツォーク

さやわか なかなか芸術性の高いものが多いですね

いい悪いがわかってくると、そちら系のほうが見応えがあるな、と。

さやわか でもそこで「じゃあ私は演劇じゃなくて映画を撮ろう」とは思わなかったわけですね。

というより、そもそも「私は既に社会のレールから外れてしまった」と思ったんですね。「モラルない」子も作家志望だった子もみんな別の学校に行っていて、私がアスカ状態で家でニートをしている間にも、ちゃんと学校で授業を受けてるわけじゃないですか。

さやわか そこで焦ってしまった?

いや、もうひたすら死にたいと思ってました(笑)。

さやわか 「人生終わった」と(笑)。

そうです。ミュージカルで歌も歌えないですし

さやわか エヴァンゲリオンを操縦できないわけですからね。そこにアイデンティティを求めていたのに。病院には通っていたんですか?

行きました。即効でうつと判断されました。「ソラナックス1日4錠まで!」みたいな。だから私、治ってからも劇団の名前を「東京ソラナックス」にしようと思ってました。で、そういう生活を見るに見かねた中学時代の恩師が、「そんな生活をしていてはいけない!」と言ってくれて

太田 そりゃいけないよ!(笑)

経緯を説明したら、「うちの学校の演劇部のために芝居を書いて、演出をしなさい」と言ってくれたんです。

太田 精神的なリハビリだね。

それから中学校に行って脚本を書いたり、演出を指導したりしました。卒業してから一番学校に出入りしたOGになりましたね(笑)。

さやわか 演劇にもう一度触れてみて、手応えがあったんですか?

手応えというか、とても楽しかったですね。やるだけで楽しい、という感じでした。全然難しいことを考えずに、演出を指示して、人を動かして、作品をつくっていくというのが楽しかったです。で、立ち直ってきてこれからどうするか、というときに「やっぱりどうしても演劇をやりたい」って思って、それで演劇のできる学校を探しました。ただ、前の学校のように、上の人に押し付けられる演劇だけは嫌だったので、都立高校のしょぼい演劇部に入って一からやり直そうと思ったんです。それで恩師に都立六本木高校を教えてもらったんです。

さやわか なるほど。

で、六本木高校の演劇部は、幸いなことに本当にしょぼかったんですね(笑)。なので一から立て直して、好きなことをやろう、と。六本木高校自体がチャレンジスクールで、病んでる人ばっかりなんですね。それこそ22歳ぐらいまで引きこもっていたけど一念発起して高校に入り直した、みたいな人がたくさんいるところです。だからこそ繊細で優しい人が多いと聞いたんです。当時の私は弱虫だったので「普通の高校へ行くと、周りはリア充とDQNばかりで怖いな」と思っていたので、優しい人たちばかりなら入ろう、と思って入学したんですね。それで渕野ふちの三輪みわという同級生と仲よくなって、3人で演劇部に入部しました。

太田 どんな経緯で仲よくなったの?

三輪とは教室で席が隣同士だったんですよ。

太田 それはTYPE-MOONの武内崇たけうちたかしさんと奈須なすきのこさんみたいなものだねー。うん、美しいなあ。

でも、私は「ぼっち」なので、「絶対に人に話しかけるものか」と思ってて

太田 まだアスカ状態が残ってたんだ(苦笑)。

そうです。で、そう思ってたら渕野に「ヤッホー!」って話しかけられて、「入学式のとき歌ってた君が代、すごくうまかったよ!」と言われて。で、入学してしばらくしたら先生との個人面談があるんですけど、その面談のために教室で待機していたときに三輪と2人で話す機会があって、気が合いました。でも仲よくなってしばらくしてから「あのとき、あんたすごい猫かぶってたよねー」って言われましたけど(笑)。

さやわか 最初はおとなしくしてたから。

太田 原くくるは腹黒い女やでー。

いやいやいや、違うんです! つつしみ深いんですよ(笑)。

太田 いやいやいやいや、「慎み深い」なんて、普通は自分じゃ言わないよ!

でもそのときに話して、そこで三輪が演劇をやりたいことがわかったんです。それで入部して。私は大会に出る気満々だったんですよ。やってやるぜ! って感じで。そしたら連盟に入っていなくて。ガーンって感じですよ。

さやわか すごく高校野球マンガじみてますね。挫折したエースが寂れた高校野球部を立て直そうとしたら、同好会だから甲子園に出られない、とか(笑)。あだち充『H2』もそんな話だった。

太田 『原くくる物語』が『週刊少年マガジン』で連載される日も近いな

しかたないので、とりあえず文化祭で劇をすることを目標に活動することにしました。

太田 たしか最初は演劇室もダンス部に占拠されてたんだよね。

はい。

さやわか グラウンドをどちらの部が使うか、みたいなもんですね。なんか本当に高校野球マンガっぽい

太田 渕野さん、三輪さんとはどんな感じで付き合えるようになったんですか?

渕野は私とは全然違うタイプですね。私は部の後輩たちに左翼思想とかを植え付けているんですけど

さやわか 「後輩たちに左翼思想とかを植え付けている」!?

太田 本当に迷惑なやつだな

(笑)。渕野もその場にいるんですけど「やっぱり原さんとは考え方違うわー」っていう感じで、主義主張やイズムを持っていないニュートラルな人です。でも仲よくやってますよ。

太田 渕野さんはちゃんとノンポリがポリシーになってる人だね。本質的に頭のいい人。

そうですね。ひたすら自分の楽しいことやエンターテインメントを追求してる人です。それがいいところだと思います。

太田 彼女は役者としてはどういうところがいいの?

くせがないところですね。うちの演劇部ってトリッキーな脇役しかいないんですよ。そういう人たちが主役をすると濃くなりすぎちゃうんです。でも渕野はそうならない。本来は主役っていろいろ染められていく立場なので一番ニュートラルでいるべきなんですよ。かつ、渕野はトリッキーな役も演じることができる。その癖のなさがすばらしいです。なかなかできないことだと思うので。

太田 三輪さんは?

三輪はすごいしっかりしています。重要な役をすると、劇自体に安定感が出ます。それがすごい。

太田 バンドでたとえると?

そうですね。渕野はギターかな。

太田 原さんはやっぱりボーカル?

だとしたら、三輪はドラムですね。

太田 ポリスみたいなバンドなんだね。

私と渕野がけっこうやりたがりなんでグリーン・デイみたいな感じですかね。でも今度、本当にバンドをする予定があるんですけど、三輪がリードギターなんですよ。ベンジーをやるんです。

太田 ベンジー、僕は大好きなんでぜひそのバンド、DVDに撮って、観せてください(笑)。

了解です(笑)。

「実存」か「構造」か?

でも私は今、こうやってすごく元気なんですけど、全てが元気になったというわけではないんですよ。というのは、やっぱりアスカ状態が治っても「体にヤニが溜まってる感じ」なんですよね。どこかに、ものすごく苦しいものがあるんです。それがいつでも心の底辺にあるんですよ。それを私は「鬱屈うっくつ」って呼んでるんですけど。「人生のレールから外れた」というのが私にとってすごくショックだったんですね。私は普通に小・中・高・大学と進んで、普通に就職してそのまま死ぬと思ってたんです。それが真っ当な人生だと。だけど自分はもう真っ当な人生から外れた、だから人間じゃないんだ、と思ったんですね。それがものすごくつらくて。アスカ状態から立ち直った普通の思考回路でも「逸れてしまった」と考えてしまって、つらかったです。ただ、そこで一つ気付いたというか、閃いたんです。「自分で自分にケジメをつけなければやってらんねえな!」って(笑)。

さやわか 急に気っ風がよくなりましたね(笑)。

「いいじゃん! 駄目で!」と思いました。なんというか実存主義に近いんですかね。それまで過去のことや未来のことばっかり考えて生きてきて、人生のレールのこととか「将来はミュージカルやるはずだったのになあ」とか考えていたんですけど、「そんな未来は本当にあったのか?」と思って。本当は触れられるものしか信用しちゃいけないんじゃないか、と思ったんです。

さやわか 「今、ここ」にあることを重視するようになったということですか。

一周回って、ある日突然「今のことだけ考えていたらいいじゃないか」というところに行きついたんです。「確信できるものは今だけだ」「さわれるものだけしか信じなければいいんだ」って。だから、そこらの壁とかをさわりまくりました(笑)。「あ、これはさわれるけど、過去や未来はさわれないじゃん!」って思ったときに、「私は生きていける!」と思ってすごく元気になったんです。今の日本の社会って、世間体というか学歴社会とかそういうものでできてるじゃないですか。でも、理由も希望も信念も道徳とかもどうでもよくなってなんというか「愛と勇気」がなくなったんですね。

さやわか なるほど、わかります。社会規範やレゾンデートルみたいなものは自明なものではない、という考え方に至ったんですね。

そういうときにギャスパー・ノエとか観て、娘とセックスする父親とかが出てきても「いいじゃん、別に!」と思えるようになったんです。「それはそれで世界だ!」「世界はあたしの考えているようなものじゃなかったんだ」っていう、月の裏側が見えた、という考えがある日突然閃いて。それで自分の鬱屈を、鬱屈のまま捉えなければならないと思ったんです。

さやわか なるほど。そこを病理として切り捨てることを考えるのではなく、受け入れる、と。

そうですね。「善悪ってないな」「価値基準なんてないんだ」ということに気付いたというか、そうしないと生きていけないな、と思って。私は基本的には善良な市民の部類に入るので、見た感じは普通の女子高生と変わりはないんですけど、心の中では、そういう世界の見方になったんですね。それしか、自分の苦しみから逃れる方法がなかったんです。ある意味、映画がそれを教えてくれたところがありますね。フランス映画とかには「こんなに残虐な映画があっていいいのか!」と思うようなものがたくさんあるじゃないですか。でもそれも「いいじゃん!」と思えるようになったので。昔はホームレスとか、人生の落伍者になるみたいに感じて怖かったんですけど、「落伍ってなんだ? それこそ姿だ!」と思うようになりました。私の演劇には、そういう考え方がかなり反映されてますね。

さやわか そういう思想の反映されたものをつくるようになっていったんですか?

そうですね。だから私の演劇はいっぱいひどいことが起こるんですけど、きっとこれからも起こり続けると思います。今までの短い18年間は思想を組み立てていく作業だったんです。私の鬱屈は言わば「バグ」だったんですけど、それを利用して思想をつくったというか。ただ、それでつくった演劇で優勝しちゃったんですよね。

さやわか 優勝したのはいつになるんですか?

去年です。そこで、「ゴミじゃなくなったー! ゴミじゃなくなってしまったー!」と思ったんです。

さやわか なるほど。ゴミであることを前提としてつくっていたはずのものが、今度は「いいもの」として評価されてしまったわけですね。

自分のなかで実存主義が固まっていたのに、ゴミじゃなくなってしまった。負のものを肯定してきたことを自分のアイデンティティにしていたのに、それがくつがえされてしまったんですね。だけど、既に信念とか希望とかを失っていて、そういうものがこの世の中にはないと確信していたので、全てが「空」のもの、「構造」として見えるようになっていきました。

さやわか 要するにゴミでも素晴らしいものでもなくて、構造しかない、中身が空っぽのものであるというふうに考えるようになったと。「実存主義」から「構造主義」へというのは、思想史の流れに比しても、とてもおもしろいですね。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」の典型ですね(笑)。

さやわか そこで今度は物事が構造としてばかり見えるようになって、どうしたんですか?

また、「ああ」って沈みました(笑)。「触れられるけど、全部構造にすぎないんだよ!」みたいな。「芸術みたいに感動的なものも、感動自体ですら、空なんだ」と思ってました。

さやわか その境地から、今度はどういうふうに脱出するんですか?

自分で「論」を求めることが大事だと思ったんです。空のものであっても、それに「色づけをすればいい」という思想になったんですね。

さやわか 空でしかないことを受け入れた上で、何かをそこに当て込む、ということですかね。それもまた、現代思想史をなぞっているような感じですね(笑)。

(笑)。ああ、ほんと愚者ですね。なので人間に対しても「ああ、今ここにいる人たちは全員が空なんだ、なんてかわいそうなんだろう」って思ってしまって、だから「私が愛してあげなきゃ!」と思って。「愛と勇気」に戻ったんですね。

さやわか あ、なるほど! そこでアンパンマンに戻るんですね。おもしろい!

自分でもその行為自体が空だとは思っているんですけど、実存とか構造をグルグル回ったあとに、それを耐えられる強さを身につけられたんです。

ただ、結局は「構造」だって「実存」じゃないですか。だから自分のなかで「構造」と「実存」の波が交互に来ていますね。

さやわか でもその波を乗りこなせれば、最低限、自分の人生はなんとかなりますよね。

なんとかなるか、サイババになるか、です(笑)。

さやわか 左翼的な思想も空だとは思わないんですか?

何もかもが空の世界で生きている人間、その哀れな人たちをせめて、ちょっとは楽にするためには、という意味での左翼思想なんです。

太田 それは仏教的な感じのものなのかな?

私、とっても仏教徒なんですよ。自分が人として生きるんならルーツを探らなければならないと思ってて、日本でなら、それは仏教なんだな、という考えが昔からあるんです。なんか好きなんですよね。民族とか、ちゃんと誇りを持って生きていて。

太田 ああ、それはきっと「大乗・原くくる教」ですね。

原くくるの演劇論

太田 だけどそういう仏教的な人が『六本木少女地獄』みたいなバリバリのキリスト教的な話を書いちゃう、というのもおもしろいね。

それはキリスト教が一番有名な宗教だから使いました。

太田 そうしたほうが受け入れられると思ったから?

そうです。みんながわかるからです。

さやわか 「みんながわかるから」というキャッチーさを求めるのは興味深いですね。たとえば『六本木少女地獄』では謎のスポーツが出てきたり、必殺技があったりしますよね。それってアニメとかマンガの想像力だと思うんです。じゃあ、そういうライトなものを採り入れるのもみんなに受け入れやすくするためなんですか?

人生ってユーモアが必要じゃないですか。ビジネスでも軽くジョークを交わしあったりするほうがうまくいく場合とかあるじゃないですか。

さやわか あれはユーモアなんですか! 自分の中から出てきているというわけではないんですか? もしくはアニメやマンガの表現をあえて演劇に採り入れたいとか。

いや、手塚治虫てづかおさむがマンガにしょっちゅうヒョウタンツギを出すみたいな。そういうニュアンスです。シリアスな場面なのにヒョウタンツギ、みたいな。

さやわか なるほど。自分の思想性を表現するなかにユーモアみたいなものを採り入れなきゃ、と思うんですね。

たとえば「愛してるぜ!」という台詞せりふだけだと何か白けるから、「愛してるぜ! なーんちゃって」となるとちょっとかわいいなというか、逆に伝わったりするじゃないですか。ツンデレの「別にあんたのために~したんじゃないんだからね!」みたいな。その「なーんちゃって」の部分が緩和剤として必要だなと思っていて、自然に入ってくるんです。

さやわか しかし、原さんの演劇はたとえばキリスト教とか宗教のテーマがあって、重いじゃないですか。一方、姉と弟の近親相姦的な恋愛っぽさはわりとマンガっぽいパターン化されたものとして出てきますよね。そこは分離しないんですか?

しないんです。そこはある意味、私の手法なんですけど、ものすごく大きな好きなものの上に、とても小さいものを乗せるのが好きなんです。私の中でものすごく大きなものというのが、『六本木少女地獄』では宗教なんですよ。なぜ好きかというと文明の基盤だから。で、その次に大きなものが人間関係で、その上に小さい東京の六本木を乗せたい、という。それはただの私の洒落っ気です。とても大きな文明なのに、乗っているのは六本木、という。

さやわか なるほど。宗教だけを描きたいわけではなく、宗教の上に小さな六本木が乗っているかたちを作品にしたいと。

そうですね。たぶんSFに憧れる人もそういう気持ちだと思うんですよ。ものすごく大きい宇宙のなかで、いろいろなことが起こったりするじゃないですか、すごい小さな人間関係だったり、子供たちの思い出だったり

太田 ショートケーキのイチゴみたいなもの?

そうですね。イチゴよりは重要度は低いと思いますけど。『月の爆撃機』の場合だと「地球の破滅のなかでホームドラマ」を描くとか。

さやわか 膨大な世界観のあるなかで、ものすごくミニマムな話をやる、という手法はアニメやマンガ、もちろん小説なんかで、ここ15年くらいずっとあったと思うんですけど、今どき流行りのものには、そこに乗っかっている物語に本当に何も込められていなかったりもするんですよ。世界ではいろいろなことが起きているにも関わらず、ご飯を食べてるだけとか。そういうのとも少し違いますよね?

違いますね。そこはたぶん、私が人間を信じているからだと思います。私はものすごく悲しくて、ものすごく虚しくて、ものすごく楽しい人間が好きなので、そんな大好きな人間につまらないことはさせたくない、と思います。

さやわか なるほど。なんかいい話ですね。

いい方向に持っていこうとしてますよ。フフフ(笑)。

さやわか (笑)。『六本木少女地獄』で処女懐胎かいたいというテーマを扱ったのも、女性性の問題が自分にとって好きなテーマだったからですか?

そうではないです。なんか「女の人は恋愛話しか書かない」っていうイメージって、ありませんか? 私はそれが怖くて。自分が主婦とかになって子供ができて、家庭を守るあまり保身的になったりするのが。

さやわか まあ、それが女性にとって大きな問題になりますからね。

むしろ、そういうことに対する恐怖心が『六本木少女地獄』のような劇をつくったのかもしれないです。ただ、テーマか? と聞かれるとそこまでではないですね。というか性のこと、セックスとか生理ということを言うと、みんなビックリするじゃないですか。

さやわか そんな理由なんですか!?(笑)

『うわさのタカシ』とかに登場する性的な表現は、お客さんをビックリさせるのが目的ですね。私が最初に入ったときの高校演劇は、ほんとに「清く正しく美しく」の世界で「へー、ヤッてないんだ?」とかいう台詞だけで「おおー!」ってなる感じでした。だから、家族団欒でテレビを観ているときにそういうシーンが流れて、お父さんが「こら! テレビを消しなさい!」みたいなのがあるじゃないですか。ああいう感じを観客席にもっていきたいな、と思って。ただのいやがらせなんですけど(笑)。

さやわか 「なんだコレは! けしからん!」みたいな(笑)。

そうです。でも『六本木少女地獄』に関しては、宗教の次に来るものは性的なものだろう、と思って採り入れていますね。今はセクシャルマイノリティを語る人はいますけど、昔は性と言えば「男」「女」という二種類だけの概念だったんですよね。私はある意味、子供ができるというのは「生産がつながる」というか「救い」だと思ってるんですね。その行為と結果自体は何の救いでもないし、それこそ構造しかないんですけど、一世代、一世代に対しての救いだと考えています。ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』も最後、一族が途絶えて本当に孤独になる、という話じゃないですか。そういうことを踏まえて、「男」と「女」、「父性」と「母性」という物語にしたつもりです。

さやわか そういうことだったんですね。

ただ、怖ろしいですね。幸せな恋愛とかすると、それしか書けなくなるんじゃないかと。「やだー」とか思っちゃいますね。

さやわか なるほど。妊娠とか子育ての話ばかりする女性に嫌悪感があるわけではなくて、そういうものしか書けなくなるのが怖い、と。

そうですね。

最終回は 2011/08/24(水)掲載予定!