ストーンコールド

第十二回 Keep Yourself Alive 3

江波光則 Illustration/中央東口

この学校をコロンバイン高校にしてやろう。そう、決めていた。

動けなかった。

体力というモノを、遣い果たしていた。

血の海、死体の山、その中で俺は尻を落とし、項垂うなだれている。

力ずくで、黙らせる。

こいつらはそれを選択した。だから力比べになった。そして俺の持っている力は、こいつらの比じゃなかった。友弥の鉄パイプなど問題にもならない。四五口径のベレッタ・クーガーだ。

右手首が痛む。

全身、どこもかしこも痛んでいるというのに、そこだけが突出して痛む。

もう、銃が撃てない。

俺にベレッタをくれた将道は、そう言っていた。

あの男が戦っていた相手は、クラスメイトなんかじゃない。だから、右手が遣えなくなった事は銃の意味を消失させた。俺は、相手がどうしようもないガキ共だったから、右手首が折られてもそれなりに、撃つ事が出来た。

こんな惨状を、将道は想像できただろうか。

どうでもいい。何をしても、勝手にしろ。

そう言いそうだった。

娘のためにそうしたかった。それを果たせなかった。そういう人間が俺に、銃をくれた。このぐらいやっても、まだ物足りないと言い出すかも知れなかった。

血の臭い。

小便と、大便の臭いが混ざる。

雅を殺した時のように、男も女も、そうなっているんだろう。

括約筋が緩み、全てが垂れ流しになる。

命を失った人間に、そんなモノは、どうでもいいに違いなかった。

電話をかけた。

真波が出た。

どうしたの?」

「動けない。体が痛い」

「怪我してるの?」

「それもあるけど、血塗れだ。外に出られない」

「どうしたらいいの?」

「俺が用意してたモノと、着替え。靴も欲しい。それを持って、体育用具室に来て欲しい」

「体育用具室って、高校の?」

「辞めた高校には、来たくないか?」

「ううん。行くよ。待ってて」

「待ってる」

「絶対だよ」

そう念を押されて、電話は切れた。

真波を思い出す。

殺人を犯した動揺を誤魔化すために、俺は真波を愛したのかと、問いかける。いくら考えたって、分からなかった。でも少なくとも、俺は光輝を殺す前に、異性にそんな感情を抱いた事なんてなかった。

金で、何もかも解決した。

金が遣えなくなってからは取引を考えた。

何もかもが、トレードだった。

真波だけは、違った。俺は何もかもをうち捨ててでも、真波と一緒にいたかった。その理由が、何一つ分からない。外見も、セックスの相性も、取り立てて理由だとは思えない。それなのに、一緒にいたい。ずっと、一緒に、生きていきたい。

血の海の中で尻を落とし、俺はずっとそんな事を考えていた。

左手だけで、ベレッタの弾倉を外す。遣った分だけ、補充する。

右手首が、熱い。そこから先の感覚が戻ってこない。左目が元に戻ったというのに、今度は右手が、このザマだ。どうしようもない。

カートンを見た。弾はもう、それほど残っていない。

それを思うさま、撃ちまくれる右手ももうありはしない。

こういう中で将道は死んでいった。

なるほど、見知らぬガキに銃を渡す訳だった。どうせまともに扱えないのなら、面白い方向に転がしながら捨てた方が、幾らか、マシだ。

何も、聞こえない。

外に誰かいるのかも分からない。

装塡を終えたベレッタから、手を離す。

真波は、まだ、ここには来ない。

絶対だよ。

そう、言った。真波はそう俺に言った。

真波が言うのなら、絶対なのだ。真波は必ず、来てくれる。そして俺と一緒に、何処か遠くに逃げてくれる。そうする心算でいた。ここに、無残に転がっているこいつらが、素直にカードと通帳を渡していれば、死なずに済んだ。

俺も真波と、気兼ねなく、逃げられた。

生活費は充分に確保出来ている。

一〇年間、真波と二人で暮らしながら、親父を待っていられた。

携帯が、震えていた。着信を報せていた。

左手でそれを取り、通話ボタンを押した。

「何度も電話を貰ったみたいだな」

スカンクの声だった。

自称、魔術師の、あの奇妙な黒人。

「逃がし屋はどうなりました?」

「死んだよ。おかしな事を企んだのは、お前か?」

「頼みたい事がありましたから、売りましたよ、あなたを」

「お陰でこっちは散々だ。もう少しで俺が死ぬところだった」

「でも、生きてる」

「色んなモノの比べ合いで、奪い合いだった」

「どんなモノを奪い合ったんですか?」

「あいつらは車を二台と、命。俺は気に入っていたナイフをなくした」

「巧い事、取引したモンですね。勝ちですよ、その商談」

「ひょっとしたら、お前に貰った、お前の目玉が俺を助けたのかも知れない」

「俺の左目、どうしたんですか」

「言った通りさ。指輪にしてる。お守りだ」

俺の、見えなくなった、潰れた目玉が何かの役に立つというなら、そうして貰って構わなかった。俺が持っていたところで、ただ単に、モノを見られなくなった左目でしかない。それが、桐雄たちとのせめぎ合いに何か有効に働いた、というのなら、桐雄よりもスカンクに、俺は縁があったんだろう。

ここに、死体がありますよ。新鮮なのが。二四体」

「そりゃまた豪勢な話だな」

「これと引き替えに、俺と真波を逃がしてください」

「やれるなら、やるさ」

「お願いします」

「やれなきゃ、諦めて貰うしかない」

「そりゃ仕方ない事です」

俺が払うのは、スカンクに払わなきゃならないのは、ここにある二四体の死体だった。それを渡せなかったら、何かをして貰う義理なんてない。金を渡したなら、その分だけ要求してもいい。だけど渡すのは、渡す方の義務だ。代価を渡せていないのに何かをして貰おうなんて図々しいだけの話だ。

俺が失った左目。

半分になった世界。それは俺を、こんな血塗れの世界に引きずり込んだ。もっと早く、美紀の目玉をはめ込んでいたら、また違ったのかも知れない。友弥の言った『クラスメイトの輪』なんてモノを少しは理解したかも知れない。

俺は、俺の持っていた世界を削られていた時間が長すぎた。

違う目玉で世界を見ていた時間は、短すぎた。

真波を待っている時間。それが果てしなく長く感じる。

やっぱり、何も聞こえない。目を閉じていると、右手首の痛みだけが鋭く、定期的に突き刺さってきて、それが時報代わりに思えた。

真波。

いつ、来てくれるのか。

俺はそれだけをただ考えている。

血塗れの、悪臭に満ちた体育用具室の中でそれだけを考えている。

復讐を成し遂げた、という達成感はなかった。むしろ、おかしな方向に舵を切ってしまったようにしか思えなかった。何かを間違えた、という違和感。それはきっと、美紀という普通の、ごく普通の女が持っていた目がもたらす光景に違いなかった。

普通はこうなのだ、と俺に教えてくれている。

これは異常なのだ、と俺に教えてくれている。

それに右目が反論する。俺に産まれつき備わって、そして育て上げられた目が、こんな金にもならない行為をして、と反省させる。

損得抜きでやりたいと思ったのなら、やってみろ。

親父はそう言った。

それを俺は、やり遂げた。

もう、こんな事はしない。精々、真波との関係だけで、それは親父だってお袋を選んだのと、同じ事に違いなかった。

思い出して、祥一に電話をした。

出なかった。

留守電に、手柄が体育用具室にあると、そう伝えた。

もう、知っているかも知れない。

最初の九発はサプレッサーなしの、おかまい無しの発砲だった。知っている、という事は、祥一に手柄を立てさせる事が出来ない、という事だ。そこはしくじったし、申し訳ないとも思う。適切な代価を支払ってあげられない。それが心残りだった。

この俺が、借りた金を踏み倒したのか。親父に叱られるに違いない。クラスメイトを皆殺しにした事などより、親父はきっと、そっちを責める。

外から、扉をノックされた。

「来たよ。私。真波」

「待ってた」

扉を開けると、中から血が、溢れだした。体育館の板張りになった床にその赤が、止めどもなく、流れ出していく。遠くに人の波が見える。拡声器で何か叫んでいる。何も聞こえなかった。真波の声しか、俺は、聞こえなかった。

「真波。黒い、ピックアップトラックまで連れて行ってくれ。スカンクが俺たちを逃がしてくれる。この、バカ共の死体と引き替えに」

「雪路、もう、無理だよ」

「何が無理だよ」

「警察が囲んでる、ここ」

「それなのに、お前は、来たのか」

「絶対、って約束したから」

「だよな。俺は、お前に愛されてるって自信があった」

自惚うぬぼれてるの?」

「自信だ。確証がある」

「うん。それ、間違ってない」

「愛してる」

「私も」

そう返される事が何よりも嬉しい。

銭勘定には代えられない、何か。他よりマシだなんて言っておきながら、親父も、お袋に、そう思っていたのかも知れない。

「真波。生理、来たか?」

「分かんない。まだその時期じゃないから。何で?」

「もし妊娠してたら、産め。一〇年間だけ我慢して、育てろ」

「雪路のお父さんが、何とかしてくれるから?」

「そういうこった。何ならここで種付けやったっていい」

「それは、ちょっと。ああいうのは、秘めようよ」

「じゃあ、今朝のが最後か」

「あれが最後だね」

「分かった」

「自首、しようよ」

「知らないのか? こうなったら自首なんてない。ただの投降だ」

「そうなの」

減刑など、どうしようもない。二四人。いや、二八人だ。俺と真波以外のクラスメイトは、みんな俺が、殺したのだ。一人だけは俺じゃありません、なんて言うのもばかげている。もう少しだけスムーズにやれていれば、俺は真波と逃げられていた筈だった。何かを、間違った。あるいは、戸惑った。

俺が取り戻した、左目の視界。

それはスカンクを救い、俺の足を引っ張った。

仕方ない。

取引なのだから、終わった後でああだこうだと言ったって仕方がない。

左手に、ベレッタを握った。サプレッサーなど必要なかったけれども、もう右手が動かせない。将道のやれなかった事に挑んでみよう。そう思った。思うさま、撃ちまくってやろう。左手一本だってそれなりの事は出来る。

撃ちまくって、撃ちまくられて、死のう。

そう決めた。

その瞬間、真波に、顔を引き寄せられた。唇を重ねられた。

頭が白くなる。何も考えられなくなる。

舌が絡む。歯茎をなで回す。唾液を交わす。それがたまらなく心地好かった。ベレッタを落として、真波の小柄な体を抱き寄せて、力の限りに抱きしめた。真波の全身を、俺の服に染みこんだ血液が汚していく。

クラスメイトを殺して浴びた、体液が、俺と真波をより堅く結合させていく。

「死なないで」

真波は、そう言った。

俺にそう、懇願した。

「一〇年、凌げば、お父さんが何とかしてくれるんでしょう?」

「俺を一〇年、待つ心算、あるのか、お前」

「一〇〇年だって待つよ」

「何で?」

「愛してるから」

「俺も、愛してる」

もう一度、キスをした。それは性器を突っ込むよりも俺にとっては大切な儀式に思えた。子供を作る、という行為に繫がらない。目の前のお前を好きだ、愛している、という意志表現。それが俺の左手から、ベレッタを奪い取っていた。

唇が、また離れる。

こういうのやっぱり、秘めようよ。見られてるの恥ずかしい」

「だよな」

「待ってるから」

「待つだけ損かも知れない」

「それはそれで。待てるってのも、悪くないよ」

二八人もの人間を殺して、のうのうと生きていられるほど、世の中は甘くない。

親父がどれだけ再起して権力を握ろうが、無理に決まっている。

それでも、俺は、投降しようとそう決めた。何年か分からないけれど、死刑が執行されるその日まで、真波を喜ばせていられるのなら、ここで死ぬよりもいい。二八人の命を奪った責任など、どうだっていい。あいつらは金勘定もろくに出来ないクソガキだ。

俺が生きている時間は、真波が寄りかかる事が出来る壁で、信じていられる幻想で、頼る事の出来る柱には違いなくて、俺はそういうモノをここで死なずに、生きている事で、真波に与えてやる事が出来る。俺がいなくなっても、親父がいる。

真波を、抱きしめていた。

警官隊に引きはがされるまで、力の限り、俺はそうしていた。

                                     (終)