ストーンコールド
第十一回 Keep Yourself Alive 2
江波光則 Illustration/中央東口
この学校をコロンバイン高校にしてやろう。そう、決めていた。
二
バッグを床に置いた。
ジッパーは、手が充分に入り、中から何かを取り出せる分だけは、あらかじめ、中途半端に開けてある。
向き直った。
友弥が突出して、前にいる。窓口だ。そして俺に、ガスガンで弾を叩き込んだ、数人のうちの一人。残りの二人は、ざこどもに紛れている。こいつだってざこみたいなモノだ。上がいなくなったから、前に出る。そして、出ざるを得ない。そういう責任を背負えるほどの器を友弥は持っちゃいなかった。
「……漸く、全員集合か。最初から、そうしろよ」
「お前、おかしいんじゃねえのか」
友弥がそう言った。全員の気持ちを代弁して。そうじゃなきゃ、友弥は自分の言葉さえ口に出来ない。みんながそう思っているから。みんながそう考えているから。そういう集団の中にいなければ、友弥なんてのは声さえ出せはしない。
雅は、出せた。
光輝も出せただろう。
その点であの二人は突出していたし、だからこそ俺に殺された。目立ったから。リーダーシップを取れる人間だったから、俺に狙い撃ちされた。金を受け取り、その金で自滅していった。
「おかしいのは、お前らだよ。何を信用してんだ、誠意とか友情とかか? 一円にもなりはしねえって事を、社会に出る前に覚えた方がいいぞ」
誰も信用するな。
親父はそう教えた。
損得抜き、は特別な事なのだ。それはきっと本当の意味での『贅沢』なのだろう。何も旨いモノを食ったり女を抱いたり、高いアクセサリーや薬物が贅沢なんてモノじゃない。それは対価だ。その対価をどう納得するかというだけだ。
その贅沢をこいつらは当たり前のモノとして享受している。
日常に贅沢だけが溢れている。
金に替えられないモノ、金では納得しないモノを周囲に置いて撒き散らして、そして他人にもそれを強要する。
だから金が絡むと、こいつらは敏感に反応する。
過剰に遣ったり、あるいは過剰に拒否したりする。
「金遣って、いじめろだの、いじめられろだのよ、おかしいだろ」
「受け取っただろ、お前ら」
友弥も受け取っていた。そしてこの中にいる、仲間ヅラした奴をいじめていた。そしてそいつも、俺から金を受け取って、納得していた。
「お前らに必要な言葉はな、『お金なんかいりません、僕たちは友達です』だったんだよ。それを言えた奴は、いなかったな。しょうもない、はした金で、お前らは何でもやったし、何をされても耐えた」
「人間を何だと思ってんだよ」
「俺に褒められたいなら、少しは意表を突いた行動をしろよ。金出すって言えば、大抵の事はしてただろ、くだらねえ。それで何で俺がいじめられて、目玉まで無くさなきゃいけねえのか、さっぱり分からない」
「異常なんだよ、お前は。守銭奴が」
「上等な言葉知ってるじゃねえか。辞書でも引いたのか?」
「カードだの通帳だの寄越せとか、そんな事言わないんだよ、普通は」
「金が無いってお前らに、払える方法を教えてやった。何が不満なんだ?」
「そんな気味の悪い事に従える訳、ねえだろ」
「気味が悪いか。勘はいいじゃねえか。そうだよ、薄気味悪くて、気分が悪くて、不安だ。その代わりお前らは、本来俺に払わなきゃならなかった金を払わなくて済む」
「何でお前に金なんか払わなきゃいけねえんだよ」
「目玉を潰したからだ」
「そうされて当然なんだよ、お前みたいな奴は」
それがクラスの総意か。
二週間は、時間を与えすぎたのか。
カード発行にはそれなりの時間がかかる。その間に、こいつらは思い悩み、不安になり、そして本当にこれでいいのかと考え始めた。そもそも、俺なんかを恐れる必要なんかないんじゃないか、という錯誤さえ抱いた。
その錯誤は、こいつらにとって救いそのものだ。
俺を怖がる事はない。
自分たちのやっていた事は正しい事だ。
そう信じる事は、今という不安に対する答えとして理想的だ。俺さえ排除できれば、こいつらは同級生が殺されたりいなくなったりした事など、怪談話のネタにする事だって出来てしまう。
いや、違う。
一番の過ちは、女子も全員揃えろ、と言った事だ。
男子だけなら従ったかも知れない。女子だけでも、巧くいったかも知れない。
クラスメイト、という単位を揃えさせた。それはおかしな団結力を促してしまう。みんなで戦おう、抵抗しよう、過ちを正そう。そうやって声を揃えてしまえる単位だ。
「……それで? 金もない、俺が言った条件も納得いかない、どうすんだ? 全員で土下座でもすんのか? やるんなら全員、全裸な。あと俺が言った組み合わせでセックスして見せろ。そのぐらいやってくれりゃ納得してもいい」
「するわけねえだろ」
「じゃあ、あとは一つしかねえんだろうな」
しゃがみ込んで、バッグから銃を引き抜き、撃つ。
そんな時間はなかった。
それは、諦めるしかない。
友弥が、腰から短く切った鉄パイプを引き抜いて、俺に振り下ろす方が早いに決まっている。脳天に浴びた。意識が飛んで、不様に倒れ伏した。そこに蹴りが来る。
何本もの足が俺を踏みしだく。
男の足があり、女の足がある。
様々な足が体重を乗せて俺を蹴り、踏み、叩きのめす。俺は亀のようになって耐えるしかなかった。全身の骨が砕け散りそうになる。たまに、恐ろしく鋭い足が入ってきて、それだけで泣きたくなってくる。
昼飯がこみ上げてくる。
吐いた。
それでも蹴りがやまない。吐瀉物の中を俺は這いずり回る。
その俺の襟首を摑んで引き上げたのは、友弥だった。
「お前を、黙らせる。おかしな事を始めたら、何度でもこうする」
「……なるほど」
「何だよ」
「見ているだけでもいじめだ、ってのは、本当にそうなんだな。見ていただけの連中まで、口実がありゃ参加しやがる」
「お前が異常なんだよ!」
怒鳴って、俺を体育用具室の扉に叩き付けた。
背中を強く打つ。後頭部が跳ねる。
そのままずるずると蹲る。
集団リンチ。クラス全員をくまなく集めた、集団リンチなど、そうそうない。みんな何処かで距離を取る。俺は、取らせなかった。こいつら全員を間違えようもなく、誰が見たって加害者だと、そういう位置に引きずり込んだ。
「……全裸がどうとか言ってなかった、こいつ」
女子の声。
「こいつ裸にして写真とか動画とか撮影したら、おかしな事言えなくなるんじゃね?」
「そら、おもしれえ」
「そうでもしないとコイツ、おとなしくならないよ」
そんなモノでこいつらは黙るんだろうか。そういうモノを握られてる事で、何もかも諦めてしまう。真波は違った。金を受け取り、その分は好きにしろと俺に言った。俺だって、黙ったりはしない。その分の金は必ず請求する。
全身が軋む。体が動かない。
痛みには馴れつつあったけれど、耐久力とはまた別だ。
たまに入ったいい一撃。あれだけめったやたらに蹴られれば、一つぐらい偶然にそういうのが入る。それが何度もやってくるほど、こいつらは俺を蹴り続けた。鼻血が、溢れている。吐瀉物に紛れていて、気付かなかった。
「……大体、目玉目玉ってうるせえんだよ、一つありゃ充分な癖によ」
友弥の声。
俺の眼帯を、はぎ取っていた。
俺の、両方の目が周囲を見る。左目が、初めて外の景色を見る。美紀の目玉。それは確かに、俺に違うモノを見せていた。周囲にいるバカ共に、個人個人の感想を書き加え、上書きしていた。
こいつが好きだ。
こいつは嫌いだ。
こいつは下で、こいつは上。そういう、どうしようもない人間関係が俺の中に流れ込んでくる。美紀の目玉は、俺に、余り気にしていなかった個々人の感想を、実に身勝手な感想と同時に、俺の脳内に流し込んでくる。
「……こいつ、目、治ってんじゃねえか」
そんな声がした。
左目はきっと、右目に追随して普通に動いている。
見た目は何も変わらない、普通の目だ。
「ふざけやがって、金、だまし取ろうとしてたのかよ」
そんな声も聞こえる。集団リンチにまた、口実が増えた。俺は、女子の一人を左手で指さした。
「お前」
そうされると、集団の中から自分一人を摘み出された錯覚に、その女が震える。
面白かった。
こいつらは一人にされると途端に怯える。
「……光輝の事、好きだったろ。聡美が嫌いだったんだろ?」
「何だこいつ、いきなり何言ってんだよ!」
「分かるんだよ」
「何でてめえなんかに分かるんだよ!」
「俺じゃない」
右手。そいつを指さしているのは、左手だ。俺の右手は、バッグの中に突っ込まれている。サプレッサーは付けられない。残念だ。
「美紀が、そう思ってた。お前のことを」
轟音が、体育用具室に轟いた。
外にも聞こえただろう。
部活をやっていたかどうかは、覚えていない。巧くすれば、誰もいない。ただ、ぱあん、と弾けたような音は、銃声だとも思われなかったかも知れない。俺がバッグから引き抜いて付きだした右手の先で、その女の頭が弾け飛び、血が辺りに飛び散っていた。
片手撃ちで当てられたのは偶然に過ぎない。片手じゃ、この四五口径を巧く扱えない。もっともこれだけ人がいれば、目を瞑って撃ったって誰かには当たる。
みんな何が起きたのか分からない。
いきなり、同級生が脳天を撃ち抜かれて、殺された。
そんな現実をすぐに理解できる筈がない。だから、俺はその隙に、グリップに両手を添えた。これで、自在に扱える。
残り、八発。
立て続けに撃った。
残っている相手は二三人。サプレッサーもなく減圧もされず、四五口径弾はその威力を存分に発揮出来ている。悲鳴を上げそうな女から撃った。貫通して、背後の女も殺した。ヒット数を稼げた、という気分になる。
立ち上がり、構え直す。
意外だったのは、友弥が体当たりしてきた事だ。ビビって、何も出来ないかと思っていた。傷んで弱った俺の体は、友弥の体当たりに一溜まりもなく体育用具室の扉に押し当てられて息を詰まらせる。
友弥が、銃を奪い取る。
俺に銃口を向け、引き金を引く。まだ一発残っていたから、俺を殺せる。
友弥はバカだから、片手で撃った。
四五口径の銃で、火薬の量も減らしていない銃を片手で。当てたいのなら、接近して、銃口を押し当てて撃てばいいものを、わざわざ距離を取って引き金を引いた。撃ってみたかったのか、イメージ通りに。そう、訊きたくもなる。
銃口が跳ねる。遠慮無しのガチャ引きをしやがった。スイッチオンの心算で引いて準備も何も無い。四五口径のリコイルショックに友弥が悲鳴を上げて銃を落とす。肩が外れているんだろう。撃った事もない銃の引き金なんて、そうそう、気楽な気分で引いていいものじゃない。
友弥の落としたベレッタをすかさず拾い上げる。
弾丸は明後日の方向に飛んで、そこにいたクラスメイトを撃ち抜いていた。
ヒット数を奪われた。そんな気分になった。
腹が立った。
スライドが、残弾がないことを示してホールドオープンしている。
空になった弾倉を引き抜き、バッグの横に付いたサイドポケットから、予備の弾倉を取り出して、装塡した。ついでに、サプレッサーを取り出して、ねじ込んだ。そこまでやってもみんな動きもしない。声もない。
体当たりしてきた友弥だけが、実効的な反応を示していた。
三番手。
そう、認めてやってもいいな、と思った。
発砲音が格段に小さくなる。女子生徒の脳天が弾け、胸が貫かれる。逃げようと思ったって、ここには窓もない。俺が背にしている、扉。ここを開けるより他に、逃げる道は存在しなかった。
どこもかしこも、血塗れだった。
跳び箱も、マットも、バレーボールもバスケットボールも血塗れでいくつかは破裂して萎んでいる。赤く染まり、死体が大量に転がり、死臭よりも生臭さが際だった。そして血の熱量が失われずに、この部屋の中を暑苦しくさせる。
もう八発、弾丸を放つ。
それはさっきよりもまるで静かな殺戮だった。抵抗しようとしたのは、友弥だけだった。あいつが、こいつら全員の代弁者なのは間違いなかった。みんなの、言葉に出来ない言葉、やりたくても出来ない事を友弥はやらなければならなかった。
俺の目玉を奪っていたから。
三番手、と呼ぶに相応しいだけの器量があったから。
それでも所詮は三番手だった。他は、それ以下のざこにすぎない。女子生徒を全て、殺した所で、弾が切れた。俺は弾倉を引き出す。バッグの中から、カートンを取りだして、弾を一発一発丁寧に装塡していく。
その間、誰も、俺を襲ったりしない。
代弁者たる友弥は、肩の外れた痛みに悶えている。撃ち方が悪い。最悪だ。四五口径をあんなあほみたいな撃ち方で引き金を引いたら、そうなるに決まっている。俺だって何度か、似たような痛みは経験している。カスールやエレファント。火薬量を増やして口径を大きくした、そういう桁違いの弾丸を舐めて撃ったら、リコイルショックに悶え苦しんだ。
だから撃つ時は丁寧に、慎重にやる。
適当に乱射なんかしやしない。そう見えても、一発一発は俺なりに丁寧だ。
残っている生徒を見た。三人しかいない。
思ったより貫通して、纏めて殺していた。サプレッサーを付けずに撃った最初の九発が、効いた。一人分は、友弥に奪われている。
弾倉を、銃に込める。
その音で、二人が同時に失禁してへたりこんだので、ちょっと笑えた。
二人は口々に何か言っていた。聞こえなかった。
俺の、左目。美紀の目玉。
興味なし。嫌い。
その二人をそう評価する。その評価を理解してから、俺は引き金を二回引いた。無情な、炭酸ジュースのプルタブを引くような音。二人が何か喚きながら、胸と腹を撃たれて転がった。腹を撃たれた方は即死しなかったから、もう一発撃った。この辺りが、俺もそんなに射撃が上手じゃないと思い知らされる。
死体が、二三体になった。
血の海だ。
流れ、溢れる血液は俺の体を真っ赤に染めている。足を動かすたびに粘ついた音がする。スライド式の、体育用具室の扉にまで到達している。外に漏れだしているかも知れない。そうでなくても、最初の九発はサプレッサーを付けていないから、それで何事かと、外に気付かれているかも知れない。
この部屋を覗きに来る奴はいない。
だから誰も気付いていないかも知れない。
全身の痛みが耐え難い。好き放題に蹴られまくったのだ。骨が折れていたって不思議じゃない。腹の中には灼熱の石が埋まっているような感覚が、消えない。
死体と血の海。
そのど真ん中で友弥が蹲っている。
肩を押さえて、俺を見上げている。
その顔を見て、俺は少し、好意を覚えた。こいつぐらいは、見逃してもいいかな、なんて思ったりもした。それは、俺の左目の判断だった。美紀は、きっと、友弥が好きだったんだろう。
その一瞬の隙に反撃された。
友弥もここで動けるのは大したモノだった。
左手に握った鉄パイプを振り回し、俺のベレッタを打ち落とそうとする。ベレッタを庇ったせいで、手首に命中した。多分、折れた。俺の手首から先が、痺れたようになって、繫がっているけれど動かせない。
友弥はベレッタを拾い上げた。鉄パイプを捨てて、銃を。
懲りない奴だった。
銃を左手に握りしめ、俺に銃口を向ける。
その顔は、ガスガンを俺に向けていた時とはまるで違っていた。面白そうじゃない。楽しそうでもない。俺を殺してしまう事すら躊躇っている。引き金を引いたら、俺が砕けて死んでしまう。
そうなったら友弥は、この死体の山、血の海のまっただ中に取り残される。
一人じゃ、何も出来ない。
みんながいたから、みんなの思っている事だから。
これが正しいから。
そういう幻想がなければ、友弥は何も出来ない。
呻きながら、恐怖に引き攣らせた顔で、それでも引き金を引けない。
俺は、右手首が痛むのを気にしながら、友弥の手からベレッタを奪い取った。それは何の苦労もない、ただ、置いてあるモノを拾ったという程度の労力しか必要とはしなかった。
サプレッサーの先、その先端を、ぼんやりと突っ立っている友弥の額に当てる。
左手の、片手撃ち。
それだってこうなれば、確実に殺せる。
友弥が俺をぼんやりと見ている。
「……こんな事、なんで出来るんだ、お前。こんな中に一人で立ってるなんて、俺には、無理だ」
「クラスメイトだもんな」
「クラスメイトだって思ってなきゃ、知らない奴と仲良くなんか出来ねえよ」
「だよな。それがお前らの共通言語だ」
「お前は、雪路。クラスメイトの輪に入らないで、何で、そんな」
「俺の共通言語は、金だよ。お前らもあと数年、生きてりゃそうなってただろうな。クラスメイトなんて言葉に踊らされてるお前らが哀れにも思ったよ」
「悔しい、って気分さえ湧いて来ない」
「俺の左目は、美紀の目玉だ。お前の事が好きだったとよ」
「そうか。そう言われるのは気分がいいけど」
「お前の気分を良くしてやる理由なんか、なかったけどな」
引き金を引いた。
減音された射出音の先で、友弥の脳天が炸裂してぶっ倒れた。
俺はたった一人で、この死体の山に立ち尽くしている。
二三体。プラス四で、二七体。
仕方ない。そのスコアで我慢するしかない。津山の豪傑には少し敵わない。
右手首が酷く痛んだ。周囲の惨状よりも何よりも、それだけを俺は考えていた。
撃たせやがって。
殺させやがって。
ずっとそう思っていた。後悔に近い。その感情は、俺の左の眼窩にはめ込まれている、美紀の目玉がもたらす動揺かも知れなかった。もう吐くモノが残っていないというのに、俺は溢れかえる血の海の中に、胃液をえずきながら撒き散らしていた。