ストーンコールド
第十回 Keep Yourself Alive 1
江波光則 Illustration/中央東口
この学校をコロンバイン高校にしてやろう。そう、決めていた。
一
教室内の空気が、凍り付くのが分かった。
きん、と凍り付く音さえ聞こえそうだった。
俺の顔など見たくもなかっただろう。このまま、いなくなってくれていたら、良かったに違いなかった。これ以上の事件は起きない。こいつらはみんな、助かった人間でいられる。その喜びを勝手な妄想の中で享受できる。
俺がまた、登校した。
それだけでクラスメイトは凍り付く。
また何かが始まるのかと、恐怖する。
人が一人殺され、三人が失跡した。実際は全員、死んでいる。殺されている。俺が撃ち殺した。四人とも全部、俺の仕業で、そしてその証拠は何処にもない。それでも直感で、何の証拠もなく、こいつらは俺がやったに違いないと決めつける。
それは稚拙で、論理性も何もない癖に、正解に違いなかった。
教師でさえ息を詰まらせていた。
お前がその顔をするのか、と笑いたくなった。
学校には、眼の手術で入院していた、と言った。別に噓でも何でもない。誰もそれを信じようとはしなかった。俺も、眼帯は付けたまま学校に来ていた。付けていなかったら、ますます信用しなくなりそうだ。
こんな事件が起きている最中だから連絡をして休め、と注意された。それも、俺には親父もお袋もいないのだから連絡する手段がなかった、と言ってしまえばそれまでだった。
「……それで、眼は、いいのか?」
担任教師はそっと、瀬踏みするようにそれを訊いてきた。
これがいじめというモノで奪われた左目なのだと、分かっている。うっすらとそう気付いている。いつもなら、素知らぬ顔で通すだろう。こんな状況で俺に、大ごとになるような騒ぎを起こして欲しくはない筈だった。
金なら、あるんだろう。
そんな顔をしている。
お前の年収に少し欠けるぐらいは蓄えがある。言ってやりたくなる。そしてこの教師は、イジメだの何だのを誤魔化して知らない顔をして、教科書を解説して時間を潰していれば、毎年それが入ってくる。羨ましい限りだ。
そう言えば、私だって大変なんだ、ぐらいの言い訳はするだろう。
俺も教師がラクだなんて思っちゃいない。同じ事を繰り返していればある程度の金が入ってくる。そういう立場が羨ましいと言っているだけだ。欲を出せばきりがない。納得するか、どうか。この担任教師はきっと納得していて、そして、俺にそれを乱されるのは納得がいかないだけだ。
「順調ですよ」
そう答えた。順調どころか、見えているのをわざわざ、眼帯で覆ってやっている。
「見えるようになるかも知れません」
「それは、良かった」
良かっただろう。心の底からそう思っている。安心できる。治ったんだからいいじゃないか、という話にも出来る。治ってしまえば事を荒立てたところで、俺の言ったような大金は動かない。手間ばかりかかる。コストに、見合わない。
「……最近、おかしな事ばかりおこる。お前がいなかった間にも、女子生徒が二人、行方不明だ。こちらから頼み込んでニュースなんかには極力、取り上げるのを待って貰っているから、お前の事も気になっていた」
「ひょっこり登校してくるんじゃないですか」
「そう、願いたい」
何故いなくなったのか。何処に行っていたのか。
この教師にはどうだっていい。また登校してくれさえすればいいのだ。何ならこのまま行方不明でいたっていいだろう。この教師の責任じゃない。勝手に、いなくなったのだ。そして、その望みは、多分、叶う。
俺の眼が治ってしまえば、あとはごめんね、で済むという顔。
「……俺がいじめられてたって、先生、知ってました?」
「……何だ、突然」
「知っていたかどうか。それだけですよ、俺が訊いているの」
「気付かなかった。その眼も、事故だと思っていた。……誰がやったんだ」
「聞きたいですか?」
「それを言いたいんじゃないのか? それに眼の怪我をさせるほどの事は……」
「怪我?」
つい、聞きとがめた。口が滑った、みたいなバツの悪い顔で教師が黙る。
「……怪我、だろう?」
「指を怪我する、と、指を切り落とされる、じゃ違うと思いますけどね」
「治る見込みは、あるんだろう?」
「ありますね」
「良かったじゃないか」
例えば、何千万という損失を出したとする。その後で数百万だけ、返ってきた。それを『良かった』で済ませようとする。仮に全額返ってきたとしても、一度は失っている。良かったなどと思う奴はどうかしているか、人を虚仮にしているかだ。
「……とにかく、誰だ、やったのは。学校側から……」
「雅と光輝ですよ」
その名前で、担任教師の表情は凍る。知っている癖に、凍り付く。俺がその名前を平然と出したからだ。殺された生徒と、いなくなった生徒。表向き、殺人事件の被害者は一人だけだ。雅も聡美も美紀も、失跡、になっている。
そう思いたい。
そのうちの二人を、俺が強引にくっつけてやった。俺をいじめていた、眼まで奪った。そう言われて教師は、どんな対応をするのだろうと思った。
給料を貰っているだろう。
俺がくれてやってる訳じゃないから、そこまでは言わない。
この教師の給料には、こういうトラブルの分も入っている。面倒だから、放置する。三年すれば新顔に入れ替わる。人の人生における三年間なんてモノに、教師は入り込んだりしない。
「……光輝が殺されたり、雅がいなくなった事について何か知っているのか?」
「知っていたら、警察に言ってますよ」
「まさか、お前が」
「何です?」
「……いや、何でもない」
誤魔化した。俺がやった、とまでは思わなくても、俺が関与しているかも知れない、とは充分に思った。こんな風にわざわざ言わなくても、頭の片隅では思っていた筈なのだ。気付いていて、気付かないふりをしていた。
だからわざわざ、言ってやった。
どの程度の仕事をしていれば教師は金を貰えるのか気になった。
「……とにかく、ごたついている最中だ。また休むようなら、出来れば事前に言って貰えたら心配しなくて済む」
その言葉で、終わりにした。
お前の年収はそれで貰えるのか。
それを定年まで繰り返していれば退職金まで貰えるのか。
モノのやり取りだけで言うなら、教師なんて詐欺みたいなモノだ。教科書に書いてある事をただ解説していればそれでいい。覚えようが、覚えまいが。出来が良かろうが悪かろうが。そしていじめられていようが、いじめを指揮していようが。三年間、勝手に過ごせと思っていればそれでいい。
そして自分を脅かすような問題を起こさないかどうかだけを、指導の名の下に監視し、叱る。叱るといったって昨今じゃ、殴れもしない。殴りもしないだろう。
虚業だ。
親父が嫌っていた仕事だ。投資とそのリターン、リスクが分からない。
まだ芸能人の方がいい。そう言っていた。
俺がまだいじめられています、と言って友弥辺りの名前を出したら、何か対応するんだろうか。目玉の賠償金を支払わせるために裁判を起こします、と言ったら止めるだろうか。それは何一つ、俺の為じゃない。自分の年収のためで、それが正しい。
得な商売だ。親父のように、大金持ちにはなれないだろうが、やっている事の割には金が貰えている。そう、思った。
職員室を出る。
放課後だった。
俺を待ち構えていたように、友弥が二人の男子を連れて、俺を見つけて寄ってくる。声を潜めるように、呼びかけてくる。
「……眼の手術ってそれ、治るのか?」
「治ったらチャラだなんて思ってねえだろうな? 治療費とかどんだけだと思ってんだよ」
「そうじゃないけど、治るんだったら、お前もあんな無茶言わないだろ」
「無茶かどうかは裁判で決めるもんだ」
「だから、そういう形にしないでくれって言ってるんだよ。……眼の保険金って、数百万なんだろ? それも治らなかった場合だろ?」
調べたらしい。いい事だ。そうやって金の事をもっと覚えたらいい。
人間の体なんて金に換算したら大したもんじゃない。
「……何だ? 数百万にしたら払う、ってのかお前ら? 親にも言わずに?」
「だから、そこを、さ」
「あんまり俺を不愉快にさせるなよ? 裁判はイヤだ、親にも知られたくない、そんな贅沢ぬかして、俺の目玉を安く見積もりすぎだ」
「だから、頼んでるんだよ。女子にも、話した」
「どうだった?」
「不満そうだったけど、聡美と美紀がいなくなっちゃったのもあって」
友弥は焦っていた。何としてでも、小さな形で、俺を納得させたがっている。
そもそもガスガンなんか俺に撃ったのが悪い。
集団で殴りつけていても、一番強く殴った奴が悪い。あいつらは、平然とそう言うだろう。そうじゃなきゃ安心できない。女子まで、行方不明者が出ている以上、他人事じゃなく、それだけにストレスのぶつけ先を探す。
金で揺さぶるよりもラクだ。
暴力、圧倒的な殺傷力、それは金で他人を動かすよりもストレートで、そして確かにちょっと粗っぽく、賢いやり方ではなかったけれど、恐怖で人を揺さぶるというのは、方法として考慮してもいい。
「もう一遍、訊くぞ。数百万なら出せるのか?」
「わかんないよ、みんなに言わないと」
頭数も二人、減っている。その分は考えて遣ってもいい。聡美と美紀は、俺への返済を終えているのだから、その分は引いてやったっていい。
数百万。
残りの生徒は、二四人。一人から一〇万ずつ貰ったって、二四〇万だ。そしてこいつらは、一〇万二〇万という額であっという間に転落するぐらい、金の遣い方がなっちゃいない。二〇〇万も集まるか、俺は怪しいと思っていた。
そういう連中から一気にむしりとる事は出来ないし、しない方がいい。
もっと長いスパンでモノを見る。
そうやって親父は、目の前の事しか見えていない連中に、目の前の事だけに集中させて、小銭で遣い潰し、大金を稼ぎ出していた。毎月の一〇〇〇円より、一度の一万円を選んでしまうように仕向けて、そうやって走らせて、走り切らせて潰し続けた。
俺はそういう方法を知っている。叩き込まれている。
「……じゃあ俺が、お前らに無理のない、返済プランを教えてやる」
「返済、って……」
「俺の目玉を弁償するって話じゃないのか? 俺はお前らに金、貸してんだよ。それを一括じゃなく分割にしてやるって言ってんだ。俺の言うとおりにするんなら、考えてやってもいい」
「それって毎月、少しずつ払えばいい、って事か?」
「そういうこった」
「幾らずつ?」
「……そんなんじゃない。お前らに現金なんか期待しちゃいねえよ、俺は」
俺の視線で友弥がたじろぐ。俺が何を言い出すのか、理解できなくて戸惑っている。
裁判にすればいいモノを。
呆れてくる。
こいつらはなるべく損をしたくない。責任を取りたくない。俺が納得して、俺を誤魔化してしまえば凌げる、そう思っている。毎月払えといったって、何のかんのと払わなくなるだろう。払えない、無いものはない。そう開き直る。払う必要もないとさえ言い出す。
親父は、そういう奴を山ほど俺に見せてきた。
人間が誤魔化して金を出さずにいようとする時、どれほど醜く、そしてばかげた事を言い出すのかを教えてきた。
「お前らは、目玉だけじゃなく、俺を虐待し続けた。俺は金を払っていたにも拘わらず、だ。まるで金を払うと脅された、ぐらいおかしな言い分だ。金を払うぞ、なんて脅しがどこにある? どんな冗談だ、それは? 俺はきっちりと、納得する額を払ったのに、お前らは正義だなんだと訳の分からない事を並べ立てて、俺を追い立てた。面白かったか? 権力者が落ちぶれる様は、よ?」
「だから、それは、悪かったって……」
「謝罪の言葉、なんてモノをどんな名文で一流小説家に書かせて、そいつを一流のスピーチで読まれたって、俺は一円も譲る気はない。お前らは、そういう得体の知れないモノを大事に思ってる。そりゃそれで仕方がない。裁判もしたくない、親にも知られたくない、そういう厄介な客だ。そして俺はな、そういうお前らに譲歩してやる。お前らがやれる事で、納得してやる」
完全に友弥は黙り込んでいた。他の二人は俯いていて、どこか不満げだった。
せっかく、二人も付けてきたのに、三人で俺を圧倒できない。一万人の圧力が加わったって、俺のソロバンは計算を間違えたりしない。
「クラス全員、新規でクレジットカードを造れ。そして俺に、寄越せ」
「クレジットカードって、何だよ、それ」
「安心しろよ。どうせガキの造るカードなんて限度額、知れてる。定額払いで遣うようにするから、お前らの支払いは、毎月一万円かそんなもんだし天井だって決まってる。ガキがカード造るなんて言ったら喜んで発行する会社も俺は知ってるから、教えてやる」
その辺のいい歳をした大人よりも、ガキの造るカードの方が信販会社は喜ぶ。
親に支払いを請求出来るからだ。
そして、高校生まで子供を育てた親なんてのは、それなりに社会的信用がある。
フリーターの四〇代独身、なんてのには出さないカードも、ガキには発行する。スーパーホワイトと言われる、今までに一切カードを利用したことのない、そんな言わば清廉潔白な高齢の人間にはますます、発行しない。借りて、返す。そういう実績が無ければカード会社は信用しない。借金を背負ったことがない、なんてのは信用にならない。借金を背負い、それを返せている。それで信用が産まれる。
学費や養育資金、そういうものの借り入れで、それをきちんと返せてさえいれば実績となり信用となり、喜んでカードなど発行する。
そういう会社も知っている。
二四人。限度額は多分、ショッピングとキャッシングそれぞれ、一〇万かそこらだろうか。二四〇万。枠を合わせて考えれば、四八〇万。中々の額だ。そして毎月返済している限り、カードは利用し続けられる。
更新まで、三年かそこら。
その間、俺は、そういう金を確保出来る。こいつらに払えと言ったって、払わない。信販会社を通せば、こいつらが払えなくたって親が払う。小銭と思える程度の額だ。
更新まで三年、と考えれば、三倍の金になる。
一〇〇〇万は軽く超える。
落とし所としては充分だった。
それでも俺はついでに要求した。
「カードと、契約書類。口座はどうせ親の口座じゃなきゃ通らない、そのぐらいは親に言え。何かの契約に必要だ、とでも言えば誤魔化せる。それとは別に、全員分の、新規で造った銀行口座と、その通帳、カード、印鑑も俺に預けろ。手間だけで、お前らがかかる金は数千円にもならない」
「……何で、そんな……そんなんして、俺ら大丈夫なのかよ」
「俺だって無茶はしないし、したって仕方がない。毎月、定額払いが来る。それを払ってりゃいい。銀行口座だって悪用したところで、捕まるのは俺で、お前らじゃない」
友弥は、また黙った。考えている。
現金は、払えない。俺が納得する額は無理だ。
そこで俺が出した案は魅力的な筈だ。こいつらは容易く、そういうモノを売り払う。現金じゃなくていいならと、目の前の条件に飛びついて、それ以上の事を考えたりもしない。そして現に、俺が数年間で一〇〇〇万を遣おうと、二四人で分担して数年スパンなら『大した額じゃない』とさえ考えてしまう。
大した額だ。
冗談じゃない、というような額でさえ、こいつらは、ローンでなら払う。
自分が払わなくても親が払う。そういうのは信用じゃない。親をアテにしているだけだ。
「みんなに、言ってみるよ」
「それじゃなきゃ現金を要求するし、裁判になる。覚えておけよ、そこは」
友弥と仲間二人が、すごすごと帰っていく。
俺は不機嫌に、壁に背中を預けた。
これは、取引だ。あいつらがどっちを選ぶかという話だ。カードと通帳。それは目玉の賠償だけじゃない。あいつらを殺さないという事だ。死んだ人間のカードや通帳など遣える訳がない。
お前らを殺すのは、止めにしてやる。
その代わり、カードと通帳を渡せ、という話だ。
それだけあれば、俺と真波が適当に暮らすには足りる。そこで俺は手を打ってやる、と思っているのがあいつらに伝わったかどうか、それは自信がなかった。
何となくでいいから、そこで納得しろ。
殺させるな。
そう、考え始めている自分がいる。
それに少し、啞然とした。
真波と、何をするでもなく一緒に、裸で、ベッドに横たわっている。
朝だ。
眼が醒めて、そのまま微睡んでいる。時間は、まだ早い。
横で、俺に釣られて真波も眼を醒ます。まだ寝ぼけたまま、俺にしがみついてくる。大して大きくもない胸が当たる。硬くなっている乳首が、俺の肌を突き、動く。その感触が、楽しかった。
「真波」
「……何?」
「数年、お前と暮らせる金の、アテが出来た」
「あの貯金でもいける気がするけど」
「それに、プラスだ。つまり一〇年、いける」
「一〇年後も私といてくれるの?」
「親父に、お前を見せたい」
「バカにされると思う」
「それはそれで仕方ない」
「仕方ないじゃねーよ、庇えよ、そういう時は」
「庇いぐらいはするけど、怒りゃしないだろうな」
「ふーん。ま、仕方ないか。……どうやってそんなお金造るの? 銀行強盗?」
「日本で銀行強盗が逃げ切ったなんて話、あるのかね」
「そういやみんな立て籠もって終わりだよね」
「ありゃバカのする事だ。現金だってそんなに銀行にゃ置いてない。その日のやり取りした金があるっくらいなもんでな。三億円強奪したなんて話もあったけど、ありゃ銀行に殴り込んだ訳じゃない」
「じゃあどんな方法?」
「取引だよ。あいつらが、少しは賢いと期待しなきゃならない」
「賢くなかったら?」
「あいつらが死ぬだけだ」
「それちゃんと分かってるのかな?」
「多分、分かってない。分からせても面倒だ。自分の命がかかってるって事を匂いで判断して貰わなきゃ困る」
そう言って、俺は起き上がった。
ベッドの下から、箱を取り出す。中身を、テーブルの上に出す。
ベレッタ・クーガーの四五口径。
分解して、清掃する。それなりに汚れていた。弾倉に、弾を込める。予備弾倉は一つしか手に入らなかった。それぐらいなら、という事で、俺が弾を買った南雲という人が、送ってくれていた。取りに行く手間はなかった。ただ、一つしかない、とも言われた。
八発ずつ、一六発。銃本体に弾を装塡した状態でなら一発、稼げる。一七発だ。
クラスの残りは二四人。途中で、弾を込め直さなきゃ一気には殺せない。
これを一発も遣わずに済めば、それでいい。そう思っていた。
あれから二週間が過ぎて、また、月曜日だ。カードや通帳といったモノを用意するには充分な筈だった。カード会社は申請が甘い所を紹介していたから、滞りはない筈だった。既にそこのを持っている場合は、別の会社も紹介した。今持っているカードで問題ないなら審査は通る。
高校生まで育て上げた親、という後ろ盾は、信販会社にとっては鉄板そのものだ。
問題はそこじゃなかった。
俺がここまで譲歩してやっているにも拘わらず、また、あいつらが面倒を捏ねださないかという、それだけだった。俺は、あいつらの親でも教師でもない。そんな事まで教えてやらなきゃならない義理はない。
分からなかったのなら、死ぬというだけだ。追試はない。
分解清掃を終えて、ベレッタに弾倉を突き刺した。安全装置を下げ、バッグにしまう。サプレッサーを付けっぱなしにしたかったが、折れたりしても面倒だから、付けっぱなしには出来ない。
予備弾倉はバッグのサイドポケットに収めた。
「真波。荷物、纏めておいてくれ」
「……それって、今日、出ていくって事?」
「出来れば、そうしたい」
カードと通帳を滞りなく受け取れれば、後はあんな学校に用はない。退学届を郵送しておけばいい。俺という厄介者がいなくなってみんな万々歳だ。ついでにお袋も、学費を払わなくていい。
「……逃がし屋の人、連絡来たの?」
「来ない」
スカンクも相変わらず、留守電のままで、向こうから連絡もない。桐雄も同じだ。どちらも、捕まらない。殺し合いの最中なのかも知れなかった。俺には、魔術師も逃がし屋も必要ない。
全てが滞りなく終われば、必要ない筈だった。
遺書を書いて、テーブルに置いてある。
拳銃は何処かに捨てて、祥一に場所を教えればいい。
俺は雅を名乗って生きていけばそれでいい。風呂場は、スカンクに教えて貰った洗剤を山ほど買って清掃してある。それでも古ぼけた感じが消えないように、死体があったという痕跡は消えた気分にならなかった。そこにあったと知っているからそう錯覚するのかも知れない。
真波と二人で毎日、交替で掃除をした。
それは何だかとても楽しかった記憶になって残っている。
そして雅の地縛霊みたいなモノも、いつまでも残っている。洗剤をぶちまける度に、雅の地縛霊は少しずつ薄れていって、殆ど見えなくなる、という錯覚。結局、風呂場は交換しなかった。金がかかる。それは雅をここに誘き寄せて、殺す、死ぬハメになった五〇万かそこらの工賃で済む工事でしかなかった。
五〇万、一〇〇万と並べたところで、額面だけならその程度のモノだ。ガキだから、毎日の生活に金を自分で工面する必要のないガキだったからこそ、その額が致命的になる。降って湧いたと考えるなら命を落としかねない金額。
俺はそんなはした金で命を賭けるようなガキじゃなかった。
その金で半年、一年、生きて暮らしていく事を考えなきゃならなかった。
それを繰り返していかなきゃならない。
真波と一緒に。一〇年間。
「真波、お前、親のところに帰りたいとか、思うの?」
「どうだろ。このままいなくなった方が、私の中ではいい両親で終われるって気もするし。大金稼いで帰って来なくても、私がいなくなっただけでも生活費、助かるだろうし」
「このまま逃げて、もう連絡しない。それで大丈夫か?」
「どうしても会いたい、ってなっても、一〇年後なら出来るんでしょ?」
「出来る。俺の親父は、信用出来る」
「そういう親が良かった」
「みんなそうかも知れない。クソガキにもはっきり分かる価値を持ってる親なんてそうそういないってだけで、みんなそれなりに価値はある」
信販会社が信用する、程度には。
子供をその歳まで養った、という実績の分ぐらいは価値がある。
俺と真波に子供が出来たら、俺は養える自信がない。それだけでも、充分に理解できる。
遺書には『同級生を殺した』と書いてある。光輝と雅を殺した、とは書かなかった。曖昧に書いた。殺す相手が飛躍的に多くなる事にも対応した。
眼帯を相変わらず、俺は巻き付けていた。外出する時は必ず付ける。
せっかく治った左目も、見ている風景はこの部屋の中だけだ。
時間は少し余っていた。学校に行く前に、真波を抱いた。それは、ちょっとしたつまみ食いのつもりで、いつまでも続けていたいような欲望に変化した。真波の反応が、激しい。それが演技でも自慰でもなく、俺が与えていると、そう分かった。
俺の動きについてくる。俺を、貪っている。
俺も貪り続ける。それは飽きる事が無く、目覚まし時計の音がならなかったら、意識を失うまで俺たちは交わり続けていた筈だった。
シャワーなど浴びなかった。避妊もしなかった。
真波の体液と体臭をまとわりつかせたまま、俺は制服に、身を包む。
「……行ってくる」
バッグを背負った。
「行ってらっしゃい」
そんな言葉を背中に受ける。受ける背中に担いだバッグの中には、ベレッタと実弾と、サプレッサーが収まっている。
月曜日は、滞りなく、過ぎた。
二週間以上の時間、事件に進展はなく、新しい犠牲者もなかった。
警察の捜査は難航していた。当たり前だ。実銃を振り回す高校生なんてバカらしくて捜査対象にも挙がらない。
クラス中の視線がずっと俺を追っていた。今日、全員から、受け取るべきモノを受け取る。それで何もかも、終わる。俺という人間は死に、雅という名前で生き返り、何処かよそで、真波と、暮らしていける。
放課後が待ち遠しい。
月曜日。今日という日を俺はずっと待っていた。
アイ・ライク・マンデーだ。
嫌いになれる訳がない。
何かを行動できる、決算し精算できる。それがこの日だった。日曜日じゃ取引市場だってやっちゃいない。何も変わらず、何も終わらない。そんな曖昧な中で漂っているのなんて、俺はまっぴらだった。
授業が終わっていく。
昼を回り、消化試合のような授業になる。
放課後が訪れる。俺を見る全員の視線は、強く、濃くなっていき、殺気や怒気というモノさえ感じさせるようになっていた。殺されたり怒られたりされる謂れはない。俺はどれだけ緩やかな取引を持ちかけたと思っているのか。
多分、何も分かっちゃいない。
一円だってこいつらは、損をしたくない。投資ですらしたくないし、損切りだって出来ない。ただ奪われる事にだけ敏感で、その癖、他人を奪う事には躊躇も何もありはしない。甘えた、世界の狭い、クソガキの集まりでしかなかった。
放課後が、やってくる。
全員がのろのろと、一度散り、そして集まってくる。俺はその間ずっと、図書室にいた。時間が来るまでに短編小説を読んでいる。
海外SFを読んでいた。
美しい羊飼いの話だ。それがどういう結末を迎えるのか知る前に、時間は来た。俺は本を閉じる。結末など、いつだって読める。結末を読まずにいれば、また同じ話を読むのも楽しめる。
体育用具室に、バッグを背負って向かった。
扉を開ける。中に入って、後ろ手に閉める。
俺の前に広がる、空間。跳び箱やマット、バレーボールとバスケットボール、そういうモノが乱雑に置かれた空間に、人が、ひしめくように立っている。不満そうに。居心地が悪いという顔で。
俺のクラスメイト、二四人。
俺と真波と。光輝と雅と。そして聡美と美紀。
その六人を除いた全員と、俺は向かい合っていた。