ストーンコールド
第九回 Too Much Love Will Kill You 3
江波光則 Illustration/中央東口
この学校をコロンバイン高校にしてやろう。そう、決めていた。
三
聡美を呼び出すのに使った手紙は、学校にあったPCで出力した。
何だって良かったけれど、俺個人を特定出来そうな痕跡を残すよりも、マシな気はした。漫画喫茶など遣えば、利用者の特定はすぐに出来てしまう。
夜に外出するな、と散々、言われている。
警察もうろついている。かなり濃いパトロール体制だった。今回の事件と関係のない悪さも出来ないような有様で、しばらく、日が暮れると若い連中の行き来やたむろする光景すら格段に減っていた。
そんな中で、怪しげな手紙で、一人きりで呼び寄せようとしている。
聡美がどのぐらい酔っぱらっているか、という話だった。形見としてのネックレスは、聡美のロマンというモノを刺激する筈だ。怯えて、信用せずに、親や警察にこんな手紙が届いた、なんて言ったら俺の目論みはハズレという事になる。そしてそれは調べられたところで、イタズラでした程度の話で終わるだろう。
光輝の死はそれなりにミステリアスで、探偵ごっこの気分にもなれる筈だ。
誰かに撃たれて死んだ。刺されたのでも、殴られたのでもない。銃で撃たれている。みんな、真相は知りたいと思っている。俺が殺し屋を雇ったなんて説を信じ始めるほどに、不安で、何が起きたのか、どうしてこうなったのかを知りたがっている。
失跡した雅も絡み始めている。雅と光輝が悪の組織みたいなモノに追われているんじゃないか、なんて言ってたバカまでいた。雅は逃亡中で、反撃を窺っている。ばかげている。でも真実は、もっとばかげている。
たまたま貰った拳銃で、たまたま殺した。それだけだ。
偶然が二度も続くような筋書きは実に粗い。だから誰も想像しない。面白くないからだ。面白がっているのだ、あいつらは。光輝の死や、雅の失踪を。
そういう筋書きを考え始めると、聡美のポジションはヒロインのそれなのだ。
そして秘密めいた形見を渡す、と言われれば、ロマンに酔っぱらった頭で、警察にも親にも言わずに一人で確かめようとする。怖ければ、誰かに声を掛けて、二人で来るかも知れない。それでも親や警察には言わない。
親には何も言わない。
警察も信用しない。
俺は親父を信用する。
そして警察は、利用する。
それがそんなに特別な事なのだろうかとも、思う。
別に独り立ちしろなんて言わない。俺だって元は、金持ちのドラ息子だ。遣えるモノは親でも警察でも遣えばいいものを、そうしない。その代わりクラスメイトの団結や友情なんて代物は、あっさり信用する。
スカンクから連絡が入った。
死体が出来たら、電話しろ、という内容の短いやり取り。大量に出来るというのに期待している、と言われたが、それはもう少し、先の話だ。
今日は、一つ。ひょっとしたら、二つ。
通話を終えてから、違う相手に、俺は電話をかける。
「……スカンクってのと、会います」
「何処で?」
「それは言えません」
「じゃあ何で電話してきて、そんな事を言う?」
桐雄だった。逃がし屋の夫婦が探し回っている相手と、会う。その場に居合わせて貰っては困る。俺は、眼を治したい。そして真波と一緒に逃げる段取りも整えたい。どちらか一つを選べと言われたら、両方取る方法がないのかまず考えろ。
どちらかを選べ、というのはその時点で相手の勝手なルールなのだ。こちらのルールと都合を混ぜ込む方法を考えるのは必要な事で、そうする事でやっと対等になれる。目線が釣り合う。それが思いつかない時だけ仕方なく一歩、譲ってやればいい。それは傲慢でも身の程知らずでも、我が儘でもない。むしろ下がるだけ謙虚ですらある。
親父の言葉。
一つ一つの説教が、俺の脳には染みこんでいる。
染みこむような説教をしないのだろうか、みんなの親は。
「……携帯電話の電源を、入れっぱなしにしておきます」
「なるほど」
「俺がどうなるのか、分かりません。意識を失うかも。その隙に、電源を切られるかも知れませんし、電波の届かない場所に行くかも知れません」
「出来れば、スカンクの車の中にうっかり落としてくれたら有り難いね」
「電波発信機みたいですね」
「携帯電話が他の何だと思ってるんだ?」
「やってみますよ。それ用に一台、契約してもいいです」
どうせ、俺は死ぬのだ。自殺して、雅に成り代わる。携帯の契約など、止められてもいいのなら一円だって払う必要はない。
「……あいつの車に首輪を付けるなんて真似した奴はたくさんいるがな。みんなすぐ外された」
「今回も、そうなりますか」
「スカンクはお前を信用しているか?」
「あれは、誰も信用していないタイプですよ」
「だろうな。無理なら車に落とすってのは、しなくて構わない。お前の位置さえ特定出来ればいい訳だからな。それだけでも、かなりの代物だ。どうやって呼び出した?」
「新鮮な死体」
「分かった。詳しくは聞かないでおく」
「すぐに特定出来ますか、俺の位置?」
「すぐには、無理だ」
ならば良かった。桐雄も誰かを頼るしかないんだろう。事に依ったら、祥一に頼むのかも知れない。祥一でなくてもいいのだろうが、警察の調査能力はばかにならないし、スカンクの居所は誰も摑めない、と言っていたぐらいだ。興味を示すかも知れない。
「俺のいる場所に、スカンクがいるって期間は、そんなに長くないかも知れません」
「何をするんだ? 死体を渡して終わりか?」
「俺の目玉を治してくれるらしいんで」
「信用しているのか、お前こそ。そんな与太話を。ありゃドラッグ造るぐらいしか能のない薬剤師だぞ」
「出来ると言ってましたからね。冗談だったとしても、試すぐらいの価値はあります。片目に眼帯したままじゃ、逃げにくい気もしますし」
「そりゃそうだな」
「巧く運んだら、逃げる方の話、大盤振る舞いでお願いできますか?」
「南極にだって運んでやるよ」
「もう一人、逃げる人間が増える。距離や場所なんかじゃなく、そういう話です」
「女か」
「女ですね」
「厄介だな。捨てていくのをお勧めする」
「愛していますから」
電話口の向こうで絶句するのが分かった。俺がそんな事を言うなんて思わなかったんだろう。俺でなくても、そんな白々しい言葉を堂々と口にする人間なんて、余り、いない。俺はそれを堂々と口にする。他に、言いようがない。
「……いや、お前にそんな青臭いモノが残っているとは思わなかった」
「一七ですよ、俺」
「だろうけどよ。俺は一七の時にもそんな台詞言えなかったからな。それ考えたら、断言する方がむしろ大人か」
「奥さんに言ってあげてください」
「大きなお世話だ。んな事言ったら腰を抜かす。俺が言われてもそうなる」
「とにかく、お願いできませんか」
「全て巧くいったら、そうしてやるよ」
「俺に出来るのは、携帯の電源を切らないって事だけです」
「満充電にしときゃ一週間やそこらは持つだろ。着信音を設定していました、とか間の抜けたオチだけは勘弁願いたいな」
それは流石に、ない。新しく契約するのならばうっかり忘れるという可能性はあったが、それにしたってあんまりだ。
携帯を二台持つ、というのは有効な手段のような気もする。
そして同時に、携帯の電波なんかで位置を特定出来るのなら、祥一が魔術師呼ばわりしたり、桐雄の女房というのが血眼になるような事でもないようにも、思う。スカンクだって留守電は多いが、携帯は使っているのだ。水晶玉やテレパシーで通話はしていないだろう。番号がある。
俺の眼を治す、というのにどれほどの手間がかかるのか、分からなかった。
やっている最中に踏み込まれて、眼が治らないかも知れなかったが、その辺は、賭けになる。何なら治らなくたって構いはしない。治せるというのが本当かどうかも分からない。スカンクは、言った以上は何かしらの形で俺と一緒にいる事になる。
その時間に、桐雄が見つけられるかどうかだ。
そしてスカンクを呼ぶために、俺は死体を造らなきゃいけない。それは、俺の目玉の材料になるのだという。何処まで本気なのか分からなかったが、試すだけ試してみるのも悪くはない。
橋の下に、夜中に呼び出した。
俺は、繁みに隠れて聡美が来るのを待っている。待ち合わせ場所に立っているのは、真波だった。俺が立っていたら警戒する。同じ女性で、そして自分がいじめていた真波が、自分の死んだ彼氏から何かを預かっている、なんて連絡を寄越す。
それだけで聡美は何事かと踏み込んでくる。
俺では、渡したいのなら学校で渡せばいい、という疑いもかかる。聡美が舐めきっている、退学した真波なら、油断させ安心させるのに丁度いい。
影は、二つあった。
死体が二つ。まだ、死んじゃいない。これからそうする。
聡美ともう一人は、美紀か。いつもつるんでいる。雅にとっての光輝が、聡美にとっての美紀なんだろう。気軽に誘う。気軽に応じる。何の疑いもなく、何の裏付けもなく、友情とやらで。そして二人揃って破滅する。そんな事を、考えもしない。
聡美は怒鳴っていた。
何様の心算で呼び出しているんだ。
光輝とどういう関係だ。
そんな事を、喚いている。せっかくのロマンチックなヒロイン気分の所に、選りによって真波が入ってくるなどというのが我慢ならないようだった。美紀も図に乗って、さっさと渡したいモノっての寄越せよ、と口にしている。
お前には関係ないだろう。
つい、俺はそう思ってしまった。苦笑しながら、繁みの中をそっと移動する。距離が離れすぎている。この距離で四五口径を当てる自信は、さすがにないし、間違って真波に当てる可能性もある。
怒鳴り声は恐喝じみていて、さすがに抑え気味の音量だったが、聡美も美紀も、真波を責め立てるのに夢中になっている。真波も適当な事を言って焦らしていた。元から気が合わないのだ。幾らだって口喧嘩は続けられる。
それで良かった。当てられる、という自信のある距離になら、街灯の明かりも届いているし、動く気配や物音も感じ取れる。真波との会話に、夢中になっていて、気が立っていて、周りが見えなくなっていて貰いたかった。
ここだ、という距離に来た。
何もせず立っていたら、俺がいる事などすぐ分かる距離。
真波は俯くふりをして俺を確認した。
言い争いを続けている。何か言いたい事があるなら、言っておけ。そう思った。俺はもうベレッタの銃把を両手で握り、蹲っている。いつでも、引き金を引ける。
「……前から言おうと思ってたんだけど」
通じたのかどうか、真波が不意に、聡美に向けてそう言った。
「聡美さ、おっぱい、離れすぎ。なんなのお前のその残念なおっぱい。ウケる」
いきなりそんな事を口にした。
ぽかん、とした後、聡美は殴りかかりそうになる。いきなり、身体的なコンプレックスを嘲笑されたのだ。脈絡がないのに、突然。頭に血が上って当たり前だ。
小さな射出音は川のせせらぎに紛れた。
音に不似合いな威力で、鉛弾が聡美の胸にぶち当たり、横殴りに弾き飛ばしていた。入った反対側の胸が破裂したようになって、美紀の全身が血に染まる。その時には、真波は後ろに飛び退いていた。返り血は横に飛んだから、あれだけ離れれば殆ど浴びなかっただろう。
美紀が、真っ赤に濡れた自分の体を見下ろして呆然としている。聡美の体温で温められた生ぬるい体液が、何なのか理解していない。悲鳴を上げられない。何が起きているのか分からなくても、僅かな射出音と気配は、俺の存在を察知させていた。
こちらを、美紀が向く。
俺を見る。薄暗がりに、明らかな違和感を持った俺が、銃を構えて美紀を狙っている。
そこまで確認して悲鳴を上げようとした美紀の喉を、俺の銃弾が貫いていた。
この距離なら、正面を向いてくれれば何処でも当てられる。胸のど真ん中を狙ったのが、僅かに上へ逸れた。顔を壊さなくて良かった。俺は、聡美と美紀の目玉に用がある。四つもあればスカンクも文句は言わないだろう。おっぱいが残念かどうかは、別にどうだって良かった。
喉を貫通した四五口径弾は、美紀の頭をもう少しで切り飛ばす所だった。
倒れた美紀の首から上が、殆ど千切れそうになっている。聡美は体にでかい穴を空けられていて、制服が千切れ中身が見えている。残念なのかどうかは確認出来ないほどの有様になっていた。首に、光輝のネックレスが巻き付いていた。流石にそれを取り上げようとは、思わなかった。
俺が立ち上がって、銃を降ろすと、真波も近寄ってきた。広がり続ける二人分の血液を踏まないように注意しているようだった。どのみち、河原だ。石の隙間に入り込んでしまって、流れる分にはそれほど拡散しない。
空薬莢を二つ、拾い上げて仕舞ってから、手袋を外した。
バッグに全てを収めて、背負う。
「……死ぬ前に言ってやれて良かった」
真波はぽつりと、そんな事を呟いた。
「そんなに残念だったのか」
「いや言うほどでもないけど、なんか一本余計な道が入ってる、みたいな胸の離れ方してんの、聡美。すっげ気にしてたっぽいから、言ってやったらさぞかし怒るんだろうなって思ってた」
「美紀は?」
「おっぱいは綺麗な方だったかな」
「お前よりでかそうだしな」
「でかけりゃいいってもんじゃないでしょ」
「そりゃそうだ」
どうでもいい。真波は、腐り果てた雅の死体にずっと接していた所為でか、吐き気すら感じていない様子だった。ただ冷静に、何の動揺もせず、同級生二人の死体を見下ろしている。
「……これからどうすんの?」
「死体処理業者を呼ぶ」
スカンクはそうじゃないと言っていたが、俺はあいつの造る薬物なんてモノに興味はなかったから、結局、死体処理の依頼だけしか用事は無かった。
電話で呼び出している。出なかったが、河原の道にはするすると、あの大きくて黒いピックアップトラックが走り寄ってきて、停止した。この場所は教えてあったが、こんなにいいタイミングでやってくるとは思わなかった。
何処かで見ていたのか。俺は、警察の巡回なんかにでくわしたくなかったから、周囲にはかなり気を払っていた。それなのに、スカンクのこの、見るからに目立つトラックなどまるで見えなかった。
祥一が魔術師呼ばわりするのも、分かる気がする。
スカンクは堂々とトラックから降りて、こちらに歩いて来ていた。聡美と美紀の死体を見下ろして、満足げな顔をする。
「……こういうのだよ、俺が欲しいってのは、まさに」
「ご提供しますよ」
「二体か。大量、ってほどじゃないな」
「それはまた先の話です」
「まあいい。……それで? 俺の外科手術をご所望だったか?」
「こういう死体があれば治せる。そう言ってましたよね。冗談でした?」
「いや。やろうと思えば、やれる。お前が望むならそうしてやる」
「幾らかかります?」
「死体が二つ。これで丁度いい。こんなのは滅多に手に入るもんじゃない」
聡美の、裂けた死体。制服の後ろ襟を握りしめて、スカンクは聡美をずるずると引きずって土手を上っていく。片手で、聡美を引きずっている。力は見た目よりもありそうだった。ピックアップトラックのトノカバーを開けて、聡美を放り込む時も、片手だ。
美紀の千切れかけた首が鬱陶しかったのか、トラックからばかでかいボウイナイフを持ってきて、ずっぱりとひと思いに切断する。頸骨は弾丸で砕けていたし、そもそも取れかかっていたから、切り分けるのは容易そうだった。
今度は美紀の足を持って、やはり引きずっていく。
スカートがめくれて、パンツが丸見えになり、足がだらしなく開いていた。何の色気もないどころか、死体のそれは気の毒にすら見えた。
河原には、美紀の生首だけが残っている。眼を見開いて、俺を見つけた時の驚愕の表情をしたまま、凍り付いている。スカンクは美紀の体もトランクに放り込んだ。何という、雑な処理かと、そう思う。
「……あなたいつもこんな処理してるんですか?」
「こんなもんだが、どうかしたか?」
「警察によく、捕まりませんね」
「魔術師だからな、俺は。魔除けの護符を持っているから、あいつらには見えない」
そして美紀の生首を、髪を摑んで持ち上げ、目玉を確認した。
「さっきの奴より、こっちの方が良さげだな」
「何が違うんですか、血液型とかですか」
「瞳ってのには、相があるんだ。手相みたいなモノでな。お前にはさっきの奴より、こっちの方が似合いそうだ」
「ちなみに、どんな相なんですか」
「さっきのは熱情型。こっちは冷静だ。それとも、少しは熱い視線みたいなのがあった方がいいか?」
「どっちでもいいです」
「お前の眼はもっと貴重だぞ。物事を見抜く類の相だ」
「見えなきゃ意味ありませんよ」
「じゃあ見えなくなった方は、俺が貰うとする。その代わりに、情熱か冷静かどっちかを入れてやる。視力は戻るが、その代わり、見えなくなるモノもあるかも知れない。……ま、どのみち見えない目玉なら、何かしら見えていてもいいとは思うが」
「俺の潰れた目玉なんて貰ってどうするんですか」
「指輪にでもして、お守りにする」
本気とは思えなかった。冗談にも、聞こえない。そもそも、聡美や美紀の目玉をくりぬいて俺にはめ込むなんて事が到底、信用出来ない。それでも、スカンクはやるという。この奇妙な風体の黒人には、魔術師を自称するだけのおかしな説得力がある。
「じゃあ、車に乗れ。ここじゃ幾ら何でも出来ない」
「私はどうしたらいい?」
真波に言われて、悩んだ。一緒に来いというのも憚られる。
ひょっとしたら、桐雄とその嫁が乗り込んでくるかも知れないし、そもそも何処に連れて行かれるのかも分からない。
スカンクは好きにしろ、という顔をしていた。
「……眼を戻すのにどれぐらいかかりますか?」
「邪魔が入らなきゃ、丸一日ってところだ」
邪魔が入らなければ。
スカンクはわざわざそんな事を言う。俺が、桐雄と連絡を取っているのを見通しているように、そう言う。見通しているのなら、俺の目玉を治す事すらしなくてもいい。俺の目玉。何かを見通す相があるという、瞳。スカンクは本当に、俺の目玉を遣って指輪でも造ってしまうのかも知れない。
俺を治す、というより目玉を欲しがっているような、そんな印象すらある。
「真波、帰ってろ」
「分かった」
「多分、丸一日って事は二日三日、戻らない」
つまり学校にも行けない。
行方不明者が三人、増える。
聡美と美紀と、俺だ。
「警察が、来ると思う。適当に応対しとけ」
「一緒に住んでる彼女ですって言っちゃっていい?」
「そう言ってくれるなら、嬉しい」
「私も言えて嬉しい」
スカンクが苦笑していた。こんな場面に居合わせるような事は、多分、少ないだろう。面白がっているのも感じている。好きに見せておいた。
「……ひょっとしたら、帰れなくなるかも知れない」
「何で?」
「これから、何をされるのか、分からん」
「俺を疑ってるのなら心外だな」
漸く、といった感じでスカンクは発言出来ていた。俺と真波の空気をどうしたモノかと悩んでいたみたいだった。そして俺は、スカンクを欠片も信用しちゃいない。このまま何処かの洞窟か何かで、聡美や美紀と一緒に大鍋で煮込まれたって不思議じゃない。
「もし、俺がずっと戻らなくて、あの部屋にいるのも飽きたら、家に帰れ。貯金は、やる。通帳と印鑑のある場所は知ってるだろ」
「それは、つまんない」
「俺も面白くないけど、そうしてくれた方が気が楽だ」
「雪路が喜ぶんなら、キリのいいところでそうしてもいい」
「そうしてくれ。愛してる」
「私も大好き」
そう言い合ってから、真波は駆け去っていく。そんな言葉を交わす傍には、女子高生の生首をぶら下げた黒人が、おかしなコントラストで立ち尽くしている。手の中で凍り付いている美紀を見下ろしていた。
「……もう少しで俺は、寂しさの余りコイツと愛を語らうところだったぞ」
「すんません」
「ま、俺もそういうのを間近で見る機会はそうそう、ないからな」
「生首と愛を語らう人も、そうそういませんけどね」
「お前の眼は、そもそも、そういうモノを余り見ようとしない眼だ」
「片方、なくなっちゃってますからね。その分じゃないですか?」
「それにしちゃ堅い結びつきだ。まあ、そんな事もあるか。行くぞ」
スカンクは生首を、ポーチみたいにぶら下げながら土手を上っていき、トランクに放り込んでトノカバーを閉めた。助手席に乗れと促される。血の海みたいになっている河原の処理など気にもしていなかった。
学校の近く、という訳でもない。パトロールの緩そうな郊外を選んだ。
一雨来てくれれば、何も分からなくなってしまいそうな河原だ。
助手席に座ると同時に、小さなビニール袋に入った錠剤を二つ、投げ渡された。
「それを吞め」
「どうなるんです?」
「死ぬほど、眠れる」
「睡眠薬には用事ありませんよ」
「死んでいてくれ、と言っている。心配するな、辛くない死だ。眠るように死ぬ」
「死ぬように眠る、って言ってくれないと不安なんですけど」
「日本語を間違えただけだ」
スカンクがそんな間違いをするとも思えなかったが、俺は躊躇ってから、その錠剤を口にした。水もなしに飲み込むと、喉に引っかかったような感覚がある。ピックアップトラックは走り始めた。どのみち、麻酔はかけて貰う。麻酔も無しに目玉を切ったり貼ったり抉ったりはめ込んだりなど冗談ではない。
すぐに意識が霞んでくる。
手足の感覚が曖昧になってくる。
かなり、効きがいい。
「……睡眠薬も処方する訳ですか」
「睡眠薬なんて言った覚えはないな」
「死ぬ、って言ってましたね」
「死ねる薬だよ、それは。死んでいて貰わなきゃ目玉の塡め替えなんて出来ない」
「そういうモノですか」
もう何を言われても、何とも思わなくなっていた。
ぼんやりと外を見ているうちに意識は混濁し、どれほど時間が過ぎたのかも分からなくなってしまう。携帯電話の電源。切ってはいない。桐雄が俺の携帯に辿り着けるかどうか。何もかもどうでもいい。
ぽつり、と水滴がウィンドウに落ちた。
それは見る間に大きく、重くなり、豪雨となって車体を叩く。
都合のいい、豪雨。河原の有様など何も分からなくしてしまう雨だ。
スカンクが呼んだ雨雲なのかな、と思ったのが、最後の思考だった。
目覚めると、真波がいた。
俺は自分の部屋の、汚いベッドに横たわっていた。まだ全身の感覚が鈍い。物事の前後関係が曖昧で、はっきりしない。真波の顔。触ろうとする。指を伸ばすと、真波の顔が確かにそこにあった。
「死んでるのかと思った」
真波はそう言った。
部屋の前に倒れていたらしい。意識はなく、どうしていいか分からずに、真波はベッドに寝かしつけていたようだった。
「何で、生きてるって思った?」
「たまにちんこ勃ってたから」
「そりゃ確かに生きてるな。死にそうにもない」
「触ったら反応したから面白かった」
「意識不明の人間で、遊ぶな」
死んでいたのかも知れない。
生き返る、というのはこういう気怠さがあるのだと、そう教えて貰っているような気がした。全てを再起動する。体を一から組み上げ直す。それは疲労感ばかりが激しくのしかかってくる。
「見えてるの?」
「何がだ?」
「左目」
言われて、思い出した。その為に死んだのだ。死ななきゃ目玉を塡め替えられないと、スカンクがそう言って、俺に死ねる薬、死んだように眠る薬、眠るように死ねる薬を渡してきたのだ。
左目に、手を当てる。
眼帯はない。
右目を閉じてみる。まだ、見えていた。何の不自由もなく、俺の左目は見えるようになっている。起き上がって、風呂場に行こうとして、足がもつれた。全身に力が入らない。枯渇したような感覚だった。
真波が心配して駆け寄ってくる。支えて貰って、風呂場に行った。酷く空腹だった。
やつれた顔が、風呂場の、曇った鏡の中にある。
左目はちゃんとそこにあった。潰れても、白濁してもいない。近寄って、よく見て比べてみる。僅かに、右目よりも、色が濃い。他人の、美紀の目玉。よっぽど注意深く見ても、そういう意識がなければ、違いなど分からない。スカンクの言う『相』など勿論、理解が出来ない。
見えている。治っている。
失ったモノを、俺は取り戻せている。
その実感すら、まだ薄い。
ふらつく足取りでベッドに戻った。
「……どのくらい、寝ていたんだ、俺は?」
「別れてから五日。ここに来てからは、三日半くらい」
「その間、飲まず食わずか」
「だって点滴とかないし、食べさせる事も出来ないし、水飲ませていいのかどうかも分からなかったし」
「いいよ。責めてない。警察、来たか?」
「いないうちに来たよ。帰ってませんって言ったら、また来るって」
「俺がぶっ倒れているうちに来てたら、面倒がなくて良かったのに」
「私がめんどくさい」
「それもそうか。……腹減った。コンビニで何か買ってきてくれ」
そう頼むと、真波は財布を持って外に出ていった。
五日。
思ったよりも、長い。
クラスはどんな混乱を呈しているか想像できない。聡美と美紀がいなくなり、俺までいなくなったのだ。
眼が見えるようになっても、まだ殺したいと思っているか。
考えてみてもはっきり分からなかった。
俺を懐柔しようとした、あのばかげた集まり。体育用具室でのやりとりだけで、あいつらを殺す理由に、事、足りる。
そこまで考えてから、携帯を探した。
真波は、充電していない。放り投げられている。気の利かない女で助かった。バッテリーの減り方は、五日、付けっぱなしにしていた程度の減り方をしている。着信もない。ネットの接続もない。ただ待機していただけ、という減り方。もうじき、尽きようとしている。コンセントに充電器を突き刺して、繫いだ。
スカンクの薬物で意識不明だった間、ずっと電源が切られていないかどうかは、確認のしようがない。数時間程度なら分からない。ただ、いなくなっていた二日かそこらなら、待機だけならもう少し、バッテリーが残っていてもいいようには思う。
巧くいったのか。それとも、何も変わっていないのか。
眼が戻った以上、俺はスカンクが殺されていて欲しい。そうすれば、万々歳だ。
スカンクが競り勝って、桐雄たちを殺していても、困る。勝敗が付いていない、というのなら、振り出しに戻るだけだ。俺は金を吐き出す事になる。それでも、片目の時よりは厄介事は少なくて済んだ。
真波がコンビニの袋を下げて帰ってきた。
二リットル入りの、水のペットボトルを一気のみで空にする。それほど、渇ききっていた。まだ入る。二本目は半分で止めておいた。弁当の山を、片っ端から平らげていく。呆然として真波が、それを見守っていた。
「……私の分もと思って買ってきたんだけど、そんでも足りなそう」
「正直、足りない」
「じゃあもうひとっ走り、行ってくる」
俺の食欲を面白がっている。真波がまた買いに出掛けている間に、俺はスカンクに電話をかけ、桐雄に電話をした。どちらも留守電だった。留守電の方が当たり前、という二人だからいつもの事なのだろうけれど、落ち着かなかった。
ここに俺が辿り着いた理由も分からない。
スカンクが運んできたのか、桐雄が運んできたのか、自力で帰ってきて力尽きたのか、それすら確証が持てない。意識を失っていた五日間は、俺の中からすっぽりと抜け落ちてしまっている。
大量に食べ、それでもまだ物足りずに横になっていると、体に力が蘇ってくる。面白いほどに、デジタルだ。食べて吞んだ分だけ、回復している気分になる。久しぶりに回復した世界の厚みと広さは、俺が見飽きていたモノをもう一度、見せられているというだけで、感動も何もなかった。
網膜や角膜の移植じゃない。
他人の目玉を、丸ごと移し替える。その他人が持っている何かまで、埋め込んでしまう。そんな事が可能なのかどうか、俺には分からない。部分部分を切り貼りするよりも簡単な事のようにも思えてしまう。
車のヘッドライトを交換するように、そんな事が出来ると言われれば、それはそれで噓くさい。しかし現実に、俺の左の眼窩には、美紀の目玉が収まっている。
汗だくでふらふらになりながら、真波が帰ってきた。肩で息をしている。当たり前だ。水と弁当で十数キロにもなりそうなモノを両手にぶら下げている。俺の前に置いて、食欲もなくなったみたいにベッドに転がった。俺は遠慮無くペットボトルを飲み干して、弁当に手を付ける。
渇きと飢えは少しばかり収まった。
胃が破裂しそうになっている。その膨満感を抱えて尚、まだ足りないと体が求めていた。ただ、胃に入らない。消化が追いつかない。適当なところで、俺は苦しくなってきたのを癒すようにベッドに、真波の隣に寝転がった。
「……満足した?」
「入らない。でも、まだ入れ足りない」
「その気持ち分かる」
「何で分かる」
「雪路のセックスがそうだから」
「こんな感じなのか、いつも」
「もう無理なんだけど、もっと欲しい。そういう時もあるよ」
真波を抱き寄せる事は出来なかった。下手な事をしたら、胃の中身が逆流する。
ただ隣に横になって、天井をぼんやりと見上げていた。
真波もそうしている。二人揃ってアホみたいに汚い天井を眺めている。
「……俺が見える」
「何言ってんの?」
「銃を俺に向けている、俺が見える」
一瞬、そういう感覚になった。
俺が俺に銃を向けている。そんな幻覚が見えた気がする。気のせいかも知れなかった。
「死んだ人間の網膜には、最後の光景が焼き付いてる、って言うしな」
「……そういや、それって美紀の目玉なんだっけ」
「俺のが治った訳じゃない。代わりのを入れた」
スカンクが言うには、そうだ。俺の目玉は取り外されて、指輪か何かにされてしまっているんだろう。
真波が起き上がる。
俺の顔をじっと見ている。何処か、怨みがましい顔をしていた。
「……何だよ?」
「そこにずっと美紀の目玉があるってちょっと気にくわない」
「仕方ないだろ」
「潰そうかな」
「せっかく治ったのにまた潰されちゃ敵わない」
「そしたら次は私の眼を入れて」
「お前はどうするんだよ」
「私は片目でもいい」
「俺の気分が悪い」
「なんか悔しい。ムカついてくる」
「そういう嫉妬のされ方は想像してなかった」
「困ってる?」
「そりゃ困る」
「じゃあセックスしよう」
「腹が」
「いいよ動かなくて。そのまま寝てていいから」
「そんな気分じゃない」
外に出したい、というよりも吸収したい気分なのだ。ただ、断り切れなかった。本当に俺の眼を、真波は潰そうとしかねなかった。そういう感情をぶつけられる事が、楽しくもある。幸福だと、そう思える。
俺の下半身を脱がす。
跨ろうとするのを、止めた。
「真面目に、腹はまずい。本当に吐く」
「何だそれ。じゃあ舐めろ」
「その方がいい」
真波の体液を吸い取る。俺の中に入れる。渇いた今の俺なら、吸い込めば、それは俺の一部になって動かない気がする。それで、勘弁して貰うしかなかった。そして俺も、そうしたいと、思っている。真波を直接食いたい、とさえ思っている。
「痛い、強すぎ。いつものサービス精神どうした?」
「ごめん、何か、食いたい」
「私を?」
「お前を」
「そうされてもいいけど」
「その前に腹に何も入らない」
「あー、何か納得いかない。満足しないんですけど、私」
「復帰するまで、待ってくれよ」
駄々をこねられるのも、俺は楽しかった。求められている事が嬉しかった。真波と一緒にいられる事が、他の何よりも俺を満足させていて、この感覚を数字や金、他の何かに置き換えるという事が出来なかった。
真波が諦めて、また俺の横に寝る。少し、むくれていたその顔が、緊張が緩むように真顔に戻った。俺をぼんやりと眺める顔からは、嫉妬や不機嫌さというモノが感じ取れなくなっている。
「……どうかしたか?」
「いや。眼が治ったんだし、殺す事も、逃げる事もいらなくなっちゃったのかなって」
「逃げる、に関してはまだ、いるな。何しろ四人殺してる。発覚すりゃ死刑だな」
「発覚しないでしょ」
「光輝以外はな」
その光輝に関しても、俺が銃を持っている、と分からなければどうにでも出来る。
このままここで暮らす。素知らぬ顔をして。そうする事も出来る。
「……単純に、ここにはもう、うんざりだな」
「遠くに行きたいって事?」
「知らない街で、やり直して、適当に一〇年生きる」
「一〇年生きたら何か起きるの?」
「親父が助けてくれる」
「また金持ちになるの?」
「親父なら、なれる」
「いいな、そういうの。金持ちになるのがじゃないよ? お父さんをそんなに信用出来てるのが、羨ましい」
「一緒に行こう」
「そう言ってくれるの、待ってた」
「待たせてたら、ごめん」
「言ってくれるって自信あったから、楽しみにしてた」
それは俺が、一〇年後に親父が助けてくれる、という信頼と同じモノに聞こえた。そういう信頼を真波に抱かれている。親父に、一〇年後に、真波を見せてやりたい。俺の選んだ女はどうだと、評価を聞きたい。
けなされるかも知れない。
捨ててしまえと言われるかも知れない。
俺はそれでも、怒ったりなんかしない。親父の指示に従えない事を謝る事しかできない。
「……クラスのみんな、まだ殺しちゃうの?」
「腹は立ってる。でも、どうでもいいと思い始めている」
眼は治った。
元に戻って見えるようになってしまっていた。そうなってしまえば、あんな奴らをわざわざ殺す事もない。見えないままのフリをして金をせしめたって仕方がない。そうでなくとも、今、あいつらは恐慌状態だろう。
それでいい、と割り切れるのかどうかは、顔を見なければ、分からなかった。
見に行こう、とそう、決めていた。