ストーンコールド
第八回 Too Much Love Will Kill You 2
江波光則 Illustration/中央東口
この学校をコロンバイン高校にしてやろう。そう、決めていた。
二
月曜日が来た。
久しぶりの登校だった。
全員が俺を見て、視線を逸らす。いじめられる、という空気よりも、恐れられている、という雰囲気を感じ取った。
光輝が、殺された。
雅がいなくなった。
みんな俺に結びつけて考える。俺が殺し屋でも雇ったと思っているらしいのは、しばらくみんなを観察していて、耳をそばだてて知った事だ。笑いも浮かんでこない。
どうしたって無茶な発想で、みんなは俺を、光輝と雅に結びつける。
そうじゃなきゃ納得出来ない。安心も出来ない。
俺にそんな金も力もない、と知っている癖に、そう思う。それだけの事をしてしまった、という負い目がある。やっていてもおかしくない、という余地だって、みんな俺からは感じているだろう。やるなら、もっと早くやっている。
親父のアドレス帳には、殺し屋、なんているのだろうかとふと思った。
頼む気はなかったけれど、そんな奴がいるのかどうか、気になった。
誰かを殺したい、死ねばいいのに、と思った時、親父は誰にどんな頼み方をするんだろうかと、それを知りたかった。
教師の、授業の進め方もぎこちなかった。
ただ淡々と、元の日常通りにこなそうとする教師もいれば、授業の前に一席打つ教師もいる。全校集会も開かれ、時限の一つはそれに費やされた。周囲に気をつけるように、夜遅くの外出は控えるように、そんなくだらない事を校長が喋っている。
その様子はテレビカメラが捉え、全国に中継している。
悲しみの授業再開、惨劇からの再出発、そんなコピーが躍り、登下校時にもマスコミのインタビューが殺到する。
かなり長かったと言える休校期間は、そういう好奇心のみの外からの、不作法な視線に耐えられるぐらいの図太さを多くの生徒に与えていた。何も関係がないのに、被害者ぶったりもしている。
随分時間はあったというのに、聡美はまだ泣いていて、周りに慰められたりしている。
もう、二回ぐらいは泣けるんじゃないか、とは思った。
あと二回ぐらいはみんなもそれでちやほやしてくれるんだろう。
精々、ヒロインみたいな顔をしていればいい。
このクラスの女子は平均的にぼんやりと纏まっていて、リーダー格、みたいなのはいなかった。ピラミッドではなく、平坦に、やや高い丘、みたいな纏まり方をしていて、それは真波にとっては敵が誰なのか分からない、という空気も演出していたらしい。
そういう中で鮮やかにアイデアを披露してみせるのが聡美だった。
普通の顔立ち。特に目立つ美人ではないが、平均よりはやや上、みたいな顔とスタイル。光輝と劇的に愛し合っていた、なんてものでもなく、何となく付き合っておくか、みたいな関係で、いつ別れてもおかしくないし、その理由は『飽きた』でも良かった筈なのに、殺されたとなると途端に世界で一番愛していた、みたいな顔をしている。
光輝の死に動揺すればするほど、聡美は周囲に対して優越感を抱いていられる。
雅も彼女でもいればそっちに金を遣い、あんな事にならずに済んだのだろうけれど、雅は運の悪い事に、ちょうど彼女というモノがいなかった。別にモテない訳じゃなく、造っていなかった、という時期。
友達を誘って大盤振る舞い、というのもやりにくい。
俺から大金を受け取っていた事は、雅と光輝にとっては隠したい事に違いなかった。だから、個人的に遣って周囲に奢ってみせたりはしなかった。あいつらは俺から金を受け取ったその瞬間から、あの金に縛られていたのだ。
俺も自分が縛られ始めているのを感じている。
金じゃなかった。
それは真波であり、スカンクだった。失った目玉を取り戻せる、なんて戯言かも知れないけれど、試してみたいとは思い、その分だけ縛られている。クラス全員を撃ち殺して逃亡する。その為にわざわざ雅を一人、呼び寄せてもいる。光輝の時だって偶発的な代物だった。
ここにきてまた俺は時間を欲しがり、機会を造りたがっている。
確かに、真波の言うとおり、逃げるにしても片目じゃ目立つ。ただ、両目が揃ってしまえば、俺は逃げるほどの事をやらない、やる必要がない、という思いにも囚われてしまう。それはかつての、少し前の俺よりも、息苦しさを感じさせていた。
考えない事にした。
聡美を殺す方法でも考えている方が、よっぽど気が楽だ。
簡単じゃない。バレようが何だろうが知った事か、というのなら、いきなり銃で撃ち殺せばいい。それは出来ない。雅や光輝のように単独で俺と接触する機会もない。金を渡す理由もない。
接点、というモノがないのだ。
ついでに言えば、俺は、雅や光輝と一緒になってガスガンの弾を俺にぶち込んでくれた他の四人を殺したかった。
真波が、嫌っていたから。そういう理由で、聡美を殺す。そうでなかったらクラスの女子など『クラスメイト』という一括りの、曖昧な存在でしか無くて、個別に憎む理由などなかった。
接点のない相手を殺す、というのは実に難しい。
それこそ、イジメでも再開しないかと思ったりする。そうしてくれれば接点が産まれ隙が出来、俺はそこに付け入る事が出来る。殺そう、という意志も強くなる。誰かを殺そうと思った時に、その相手がこちらを虐待してくれるというのは、都合が良かった。
例えば雅や光輝なんていうのは、街中で、俺が一人で歩いていても向こうから寄ってくる。金が欲しい、とか、単にヒマ潰し、でも何でもいいが、あいつらには俺に近寄る理由があって、尚かつ、一人きりでも無防備に入って来てくれる。
聡美にそんな事をする理由は、ない。
他の男子にしろ、女子にしろ、イジメはしなくなった。俺が止めさせた。全員一気に殺すつもりだったからそうした。流石に虐待の中で時を待つのは苦痛だったから、そうさせた。その時間と環境が今、俺の足を引っ張っている。
殺すというだけなら、他の誰でもいい。それこそ、一人で歩いているビジネスマンでも散歩している老人でもいいが、それは強奪そのもので、俺の中で計算が合わなくなってしまう。有り体に言ってやりたくない。
おかしな話だったが、俺は、殺すというより取引がしたい。
そういう形でしか、俺は殺人を肯定できないし許容できない。目玉が治るかも知れない、と言われて、俺は少し、萎えたのだ。ましてや、俺の目玉を潰した連中じゃなく、真波を喜ばせたいみたいに聡美を狙うというのは、どうにも遣りにくい。
俺は、スカンクの言うように、商人だった。商人でしかなく通り魔にも、強盗にも、俺はなれないし、なりきれもしない。
金など扱わなくても、取引という形、回収という気持ち、精算という意識を常に捨て切れていない。そんな俺が真波に、聡美を殺すと言ってしまっていた。
それは、光輝が聡美に、何かを買ってやる、と約束して、その約束を今更破れない、という焦りと、きっと似ているんだろう。
こういう気分で光輝は金を欲した。
無茶な博打でずるずると金を減らし、俺を脅し、撃ち殺された。
これは破滅の可能性を含む間違った選択肢だと、俺は薄々気付いていた。それなのに、間違いを修正して違う形にする、という意志はか細くて頼りなく、聡美を人知れず殺す、という手間だけを悩み続けている。
愛している。
そう、言った。
俺の口からそんな言葉が吐き出されて真波に肯定されて受け入れられた。
それが噓だとしても構わなかった。
真波をアパートの前で見かけ、部屋に連れ込み、押し倒した時、俺は間違いなく商人ではなくなっていた。強姦魔でしかない。本能で動く、奪い尽くすだけで取引も何も考えない男になっていた。
人を殺した反動。
祥一はそんな風に言った。そうなのかも知れない。光輝を殺した、初めて、人を殺したという動揺。外に出して震え、転げ回ったりもせず、冷静さを保つ代償として、俺は真波だけにその反動をぶつけていた。
その真波のためにやる。
誰かの為に、誰かを殺す。リスクばかり高くリターンなど何も無い。
それでも、やる。あいつが殺せと言った女だけを特別に、その通りに殺す。
俺は多分、真波を本当の、殺人に関しての共犯者に引き込みたいのだと、そう気付いたのは、月曜日も終わりかけの頃だった。
浅ましいな、と自分で自分を笑った。
共犯も何も、一緒に死体を片付けたりもしたのだから、今更だ。
そういう形ではなく、俺のやった事の片付けを手伝うみたいな形ではなく、真波の意志が、言葉が、誰かを殺してしまう。それを、俺は望んでいたのだ。
そういう女を、親父も、持った事があるのだろうかと気になった。
損得抜き、なんてモノじゃない。相手を引きずり込もうと、自分の手の中に握り込んで離したくない、というほどの、強烈な欲望。
俺のお袋は、『一番マシ』というだけの女だった。
親父にそう評価されたのは、それなりに誇っていい事だ。そんな風に他人を評価し、ましてや俺まで産ませているのだ。そして金をきっちりと確保し奪い取って、俺などあっさり、捨てていった。その判断力は親父が選んだだけの事はある。
そして、親父の気持ちも、俺は多少、理解している。
それは息子である俺に対する感情や、自分が選んだ女への愛情といったモノがごちゃ混ぜになって、俺の中では真波という形で結実する。
あいつが、真波が、俺の金を持ち逃げしようと、俺を殺そうと、通報しようと、それはそれで構わないと思う。ただ、寂しいと思うだけだ。真波を、愛している。そう口にして言った相手が何をしようと、俺の評価は下がらない。
他の男に抱かれようと、俺を嫌って離れて行こうと、構わない。
ただ、単純に、寂しくなる。
そうして欲しくないから、俺は真波の為に聡美を殺す。
お前の為に。
そう言いたくて。ただそれだけの為に。
誰かに傍にいて欲しいというただ、それだけの為に人を殺す。
俺の、制服の上着の、ポケットの中に手を入れる。そうすると金属が指に触れる。金属同士が当たってかちゃりと、音を立てる。
光輝のしていた、太い、目立つネックレス。
あいつから回収した債権の一部。それを遣う方法を、俺は考えていた。
死んだ彼氏、殺された彼氏の、形見。
俺の持っている、光輝の死体から奪い取ったネックレス。
それは二〇万前後の代物で、そんな代物でも、聡美という女を呼び出すには充分な代物だった。光輝から、あげたいと言っていた物を受け取っている。預かっている。自分に何か危険が迫っている事を察していたのかも知れない。
そんなばかげた文章が書かれた紙切れ一つに、光輝の着けていたネックレスを同封してやれば聡美はやって来る。
ロマンというモノに酔っている。酔いしれている。今の聡美は、そんな文章一つ、くだらない手紙一つで幾らでも行動に移す。
極秘にしたいから一人で、指定された場所に来てくれ。
おかしな文章だ。何だそれは、と自分で突っ込みたくもなる。
そんな文章に聡美は踊らされてしまう。
光輝が何故死んだのか、殺されたのか、誰も正確には把握していないからだ。俺が殺し屋を雇った。そんな妄想にまでリアリティを覚えてしまう。そしてそれは、そんなに間違っちゃいない。殺し屋が俺自身だというだけで。
ばかげた妄想と自分で分かっていながら、それを信じる。
信じることで気持ちを落ち着かせる。
自分には関係のない事で、自分が殺されるような事にはならないのだと、安心を得る事が出来る。俺は、俺という存在は、同級生の謎の死や失跡というモノに、曖昧でありながら安心できる説得力というモノを持たせてしまっている。
個人的に、誰にも知られずに光輝から預かっているモノを渡したい。
何という夢見がちな、ロマン溢れる手紙だろう。
そんなモノに聡美は容易く夢を見る。
秘密を共有する、誰にも知られてはならないモノを自分の中に抱く。それは冒険心と言ってもいいんだろう。聡美は、どうでもいい、何となく付き合っただけの光輝という存在を、その死を、余す所無く享受し楽しめている。
人の死でさえも、娯楽になる。
娯楽として、死んでいく奴がいる。
聡美はそれを娯楽だなんて絶対に認めないだろう。一生忘れない、大切な思い出と出会いだったとほざくだろう。そんな事を言えるようになったのは、光輝が殺されたからだ。俺が、撃ち殺したからだ。感謝されてもいいぐらいだ。
スカンクに電話を入れた。留守電だった。
今日、死体が出ます。
そう吹き込んで、大体の時間と場所を告げようとした。
「雪路」
後ろから声を掛けられて、俺は反射的に、通話を切ってしまった。何も吹き込んではいない。振り返ると、男子が数人、俺を見ていた。
いじめられる日々が再開される。
そうは思わなかった。
全員が俺を怯えたような、不可思議なモノを見るような眼で見ている。それはかつて、俺が金で踊らせていた時のへつらうような視線とも違っていたし、正義感に裏打ちされた残虐性とも、当然、違った。
校門の前だった。
もう帰ろう、という時に、俺を見つけて慌てて駆け寄ってきた、という気配だった。
「話があるんだ。良かった、帰る前に間に合って」
「……話って何だよ?」
「ここじゃ、話せない。三〇分くらいしたら、体育用具室に来て欲しい」
「体育用具室、ね」
いい思い出はない単語だった。拷問部屋に来い、と言われたような物だ。かつては俺は、そこを取り仕切っていた獄長であり、哀れな囚人でもあった。両方を経験している。そこで何が、どういう心理で行われるのか、両方を知り尽くしている。
「……分かったよ」
三〇分、というのが気になった。
今すぐじゃなく、それだけの時間を空けてくる。サプライズパーティか何かでも遣りかねない時間だ。俺には、祝って貰うような事はない。駆け去っていく連中を見ながら、そいつら個人個人に対する怨みみたいなモノが薄まっているのに、愕然とした。
時間を与えると、与えすぎると、交渉が成り立たなくなる。
契約を結ばなくなり考え始める。
親父がそう言っていた。だから俺は一気に雅を追い込んだ。同じ事が、俺に起きている。そうでなくても二人を殺していた。平然とした、冷静な商人の眼を保つ為に、俺は真波を愛してさえいた。
聡美一人を個別に認識して殺す事さえ億劫に思えている。駆け去っていった数人の中には、俺にエアガンを撃って目玉を潰すのに荷担した奴だっていたというのに、雅や光輝に向けたほどの憎悪がない。
三〇分。
図書室に行って、適当に本を読んだ。携帯のデータ通信は従量制にしてある。四六時中ネットを見たりゲームをやったり動画を見たり。そんな事をしなければ、定額制よりも遥かに安く済むからだ。定額制など安定収益の確保とより多くの依存をもたらすだけだと、そう決めてしまっていた。ヒマ潰しなど他で幾らでも出来る。
江戸川乱歩の短編を一本。
丁度それで、言われたような時間になった。何度も読んだ話だった。俺は、小説の類は短編しか読まない。ヒマ潰しだから、それでいい。短編や掌編は何度でも同じモノを読む代わりに、長いのには付き合いきれない。本一冊で終わる話でも長いと感じる。
体育用具室に向かっている時、俺は何が待ち構えているのかと考えていた。
俺を糾弾し、裁判にかけて処刑するつもりだろうか。それにしては、呼び出し方が真っ当にすぎるな、とも思った。
体育用具室には、狭い室内にたくさんの男子がいた。
女子は一人もいない。クラスメイトの男子全員。雅と光輝と俺を除いた、一七人。三〇人編成のクラスは、男女の数が一人か二人、偏るが、大体、二対一の比率で、うちのクラスは綺麗に二〇人と一〇人に分かれていた。
真波が辞めたから、女子も九人しかいなかった。
男子生徒全員が、そこにいる。置いてある体育用具を片付けて空間を作り、そこで、座り込んでいた。何だ、と疑問符でいっぱいになった。
一人が、代表するように立って、俺と差し向かいになっている。そいつはリーダーというよりも、押しつけられて前に立たされている、という気配があった。
俺は、扉を後ろ手に閉める。
体育用具室が完全に閉ざされる。その扉に、俺は背中を預けた。
「……何だ、またイジメか?」
「やんねえよ、もう、そんな事」
勢いのない声でそいつは言った。友弥だ。三番手、ですらない。最早このクラスの男子には、飛び抜けた存在というのがいない。号令などかけられない。だからこの集まりは、集団の合意でしかない。
「お前に、酷い事をした。だから、謝りたい」
「……道徳の教科書でも読んだのか?」
「謝りたいんだ、本当に」
「……殺されたくない、とでも思ったのか?」
そう言うと微かに、びくりと友弥の肩が震えた。座っている連中も俯く。
「俺が殺したんじゃないぞ。大体、銃なんかどうやって手に入れるんだよ」
「……そんな事は、思ってない」
「だから何に目覚めたんだよ、お前らは。気持ち悪い。教科書じゃなかったら漫画か何かか? いじめはいけませんって書いてあったのみつけたのか? それとも宗教にでも入ったのか、お前ら。教祖にそう諭されたのか?」
「怖いんだよ」
吐き出すように、友弥が言った。
怖い。ただ、怖い。
俺から好き勝手に強奪していった事が怖くなっている。光輝が殺され、雅がいなくなった事が、怖い。それを俺に結びつけて考えて、勝手な恐怖を抱く。その恐怖は、俺という詫びる対象があれば打ち消せる恐怖でもあった。
俺がやったとしか思えなくなっている。
何の証拠もいらない。俺が犯人じゃなくても、構わない。
こいつらは茫漠とした不安を何処かに打ち付けたいだけだ。
俺が、真波を強姦まがいのやり方で抱いたように。
「……そう、言われてもな」
溜息が漏れた。苦笑さえ浮かんでいたかも知れない。
「本当に俺は関係ない。光輝が撃ち殺されたり、雅がいなくなったり、そんなのはあいつらが勝手にやらかした事だ。お前らにもそうする、と思ってるのか? 警察に俺を調べろ、なんて言ったりしたか?」
「……正直に言うけど、お前をいじめてたってのは、言った」
「あいつら二人におっかぶせたのか、お前ら」
「だから、謝ってる。みんなで、こうして」
何となく見えてきた。マスコミが注目しているクラスだ。そのクラスで、俺が集団でいじめられていた、なんて報道されたくないんだろう。例えば、俺がそういう告訴なんかをしたりしたら、巻き添えになる。
問題児が二人、いなくなった。
光輝も雅も、元から素行には問題があった。だから、その二人に全部被せられる。
俺さえ黙っていれば。
「許してくれ、って言われても、俺は左の目玉、無くしてんだよ」
「それは、雅か、光輝が……」
「誰の撃った弾かなんて分からないぐらい、好き放題撃たれたもんでな。お前もそうだろ、友弥。お前の撃った弾かも知れない。まだいるぞ。そこで座って、有象無象の一人です、みたいな顔してるお前らだよ。お前らも容疑者だ」
「だから、ごめん。それは、何とかするから」
「目玉を何とかする? お前らの中に天才外科医でもいるのか? それとも誰か、俺に角膜でも譲ってくれるのか? 角膜だけじゃ済まないって医師には言われてるから、目玉一つ丸ごと、俺に寄越すって奴がいるのか?」
みんな、しんと黙り込んだ。
頭を下げて反省する、詫びる、というのが、こいつらにとってどれだけの価値とインパクトがあるのか知らないが、俺にとっては何の価値もない。時間を無駄にしただけ、損をしたようなモノだ。
「賠償金を払え」
そう、口にした。
「俺の左目を台無しにした分の額を、寄越せ」
「……それって、幾らぐらいの」
保険に入っていた場合で、数百万といったところだ。それは事故などの場合で、故意にやったモノなら慰謝料や賠償金、という話になる。桁が変わる。実刑判決を避けようとすれば尚更だ。
一七人いる。一人頭、一〇〇〇万。一億七〇〇〇万。
そんなところか。
そう言った。桁が大きすぎて実感が湧かず、みんなきょとんとしている。
「誰もお前ら個人に払えなんて言ってねえよ。親に払わせろ」
「親ったって……」
「だから、泣きつけよ。全部話せ。怒鳴られようが殴られようが、それで金が出るんなら安いもんだろ。一〇〇〇万ったってすぐに全額じゃなくたっていいし、お前らのうちの何人かがバカ大学に親の金で行くの諦めりゃすぐに出る」
「それって、でも、俺らは……」
奥から不満げな声が出た。
俺は顔を硬直させた。
その覚悟でここに来ているんじゃない、と白状したようなモノだ。みんなで謝る。反省する。壮観だ。なかなか見られるモノじゃない。道徳ドラマのうそくさいエンディングかとさえ思う。そんなモノで俺は、納得なんてしやしない。
金を、借金を、全員が均等に受け入れる。
「いじめを放置して見ていた奴も同罪だ、って俺はよく聞くがな」
「それにしたって一〇〇〇万って……」
「お前の目玉も潰してやろうか? 俺は一生かけてでもお前に一億七〇〇〇万、払ってやるよ。お前の目玉なんか欲しくないし、俺はそういう可能性があるのも知らずに、人にガスガンで弾、撃ち込んだりもしないんだ。お前らは、やった。放置した。止めなかった」
「そもそも、だって、お前が」
「……おい、何なんだこの集まりは。俺に詫びる会か? それだけか? 商談をするんじゃないのか?」
馬鹿馬鹿しくなってきた。
こいつらは、親に言いたくないだけなのだ。内々で収めたい。マスコミに知られたくもない。だから、謝る。そしてこいつらの小遣いや、バイトで収まる額なら、支払おうと思っていたんだろう。
値切り交渉にしたってなっちゃいない。
事故で片目がなくなった時の保険金ぐらいは持ち出すかと思っていた。それすらしない。
いじめられるよりも、それは俺を苛立たせた。他人がこうして、甘く見積もって、逃げようとするのは神経に刺さってくる。それはただ激しく頼み込んでいるというだけで、幾らみすぼらしく縋り付かれようと、値札の数字は変わらない。
何なら、本当に話を親にして正式に弁護士でも入れて裁判でもすればいい。恐らく、俺の言い値は通らない。かなり減額される。そんな事さえ出来ない。話を大きくしたくない。人の目玉を潰しておいて、ぬけぬけと。
ベレッタを持っていたら、この場で全員撃ち殺している。
間違いなく、そうしている。
こいつらは金というモノを舐めている。
払えないどころか、親に泣きつく事すらしたくはない。その上で、俺の目玉をチャラにしようとしている。殺しても飽き足りないぐらいだ。
「……ところで女子はどうした? あいつらも引っ張り込むんなら多少、支払い減るぞ」
「女子は、その、関係ないって……」
「見てて止めなきゃいじめに参加したのと同じだ。聞き飽きてるだろ、こんな台詞。そんなんで止める奴なんて、そりゃ、いやしねえよ。お前らは同レベルの事を、わざわざ俺を呼び出して、そんな能書きを垂れてんだ。いい加減にしろよ」
「いや、だって」
「だってじゃねえよ。あいつらも揃えろ。クラス全員だ。そうしなきゃ俺は、お前らに目玉を潰されたってこのタイミングで大ごとにしてやる。俺の親父が捕まって、俺がどんなドラ息子かって散々ゴシップ誌に書かれたけどな、そんなもん、簡単にひっくり返るぞ」
こいつらはそれを知っている。
それを恐れている。
俺がどんな奴だったかを、ある事無い事吹聴して回ったに違いなかった。それを知っているから、同じ思いをしたくないから、こうして集まっている。人の顔写真までバラ撒いておいて、平然と、そうする。
自分から弱みを差し出している。
それが交渉事の、材料になるとでも思っている。
こんなに弱いから、ここは狙わないでください。自己申告すれば狙われないとでも思っているのか。そんなモノは勝手な自殺行為に過ぎない。
「……次は女子も揃えろ。俺はそうじゃなきゃ、納得しない」
そう言って体育用具室を出た。
実に不愉快な時間だった。追いすがってくる者もいない。俺が頑として納得しないというのも伝わったんだろう。女子に話をして、みんなでまた何か考えよう、とも思っているだろう。
金、金って何なんだよ、あいつ。
ぽつりと、そんな言葉が聞こえてきた。
交渉相手を罵るのは感心しない。しかも、聞こえるような声で。
あいつらが俺の言った額を支払う、という事にはならないだろう。仮になったとしたって、分割で払うの何のと言って、じきに、支払いは滞る。その頃には俺に対する負い目もなくなっているし、光輝が撃ち殺されたのも、雅がいなくなった事も、過去の事だ。
学校を出て、また電話をかける。
スカンクは相変わらず留守電だった。
「死体が出ます。多分、大量に」
吹き込む内容は、少しだけ、変わってしまっていた。