ストーンコールド
第六回 Crazy Little Thing Called Love 3
江波光則 Illustration/中央東口
この学校をコロンバイン高校にしてやろう。そう、決めていた。
三
月曜日はまだ来ない。
長い、連休になっていた。警察の捜査は、徐々に事情聴取という形で光輝の周囲にいた生徒には及び始めている。
俺も聴取に応じた。
対応したのは、壮年の警察官で、制服を着ていた。祥一が来るかと思ったけれど、完全に管轄が違う様子で、祥一が仮に俺を呼び出したとしたら完璧にバレているという事でもあった。
その前にどうにかしなきゃならない。
俺は訊かれるままに、適当に、何も知らないという事を述べた。演技をするプレッシャーは感じなかった。訊かれているのは光輝の生活などについてで、犯人だろう、お前がやったんだろう、なんて質問じゃなかった。
大体、思う訳がない。
一生徒が同級生を撃ち殺す、なんて日本でそうそう起きる事じゃない。
ただ、もしその線で考えるなら、俺は微かに、他の奴よりも容疑は濃くなる。親父の存在があるからだ。虐められていたという過去もある。それはもう過去の経験となっていた。そして警察は、それを加味した上でも俺を疑うなど馬鹿馬鹿しい、と決めつけている。
光輝に関しては、前に警察が補導した経歴もあったらしく、やくざか何かとモメたんじゃないか、という匂いも漂わせていた。そういう、大人を知らないか、という質問は結構、しつこかった。
「それと、同級生の、雅くん。知らない?」
そう付け加えられた時、俺はぴくん、と表情を反応させてしまった。
突然、そう尋ねられるとは思わなかったからだ。
「あいつがどうかしたんですか?」
「連絡が取れない。親には三日前に一度、帰らないけど心配するな、という連絡はあったらしいんだがね。携帯も出てくれないしな」
「携帯の電波で居場所摑めないんですか?」
「よく知ってるな、そんな事。裁判所の許しがなけりゃ流石に勝手には出来ないよ」
「心配するなってんなら、心配しなくていいんじゃないですか?」
「あんな事件の後だ。巻き込まれていなけりゃいいが、とは思うね」
警察は、雅を疑っているのかも知れない。
こんな時におかしな行動を取れば、疑われるのは当たり前だ。光輝とは親しかったのだから、尚更だ。俺からの申し出を折半しようという相手として選ぶぐらいの親密さだ。犯人まで行かなくても、何か知っているのでは、と警察だって思う。
その雅が、家に帰っていない。
突然の長期休暇で、月曜日はいつやってくるのかも分からない。
予定も何も立てられなかった、唐突な長い休み。多分みんな、ヒマを持て余している。そういう状況で、雅は俺からせしめた五〇万を持っている。何処か、旅行にでも行ったのだろうか。だったら彼女でも連れて行きそうなモノだ。一人旅なんてガラじゃない。
俺も、興味は涌いた。
警察署から解放されて、最初にしたのは、祥一への電話だった。
「……何か用事か? 自首の相談か?」
いきなり祥一はそう言った。そんな話を普通に出来る空間にいる。恐らくは一人。そう、俺に伝えてくれている。都合は良かった。
「何で俺が自首しなきゃならないんですか」
「同級生が死んだだろ、アタマ、撃ち抜かれて」
「俺を疑ってんですか?」
「個人的には」
「証拠でもあります?」
「ない。それに俺にお呼びがかかってる件でもない。余計な事をする気もない。めんどくせえ。些か派手にゃ過ぎたが、ガキが一人死ぬぐらいどうって事ァねえよ。どっかのやくざでも怒らせたんだろうさ。将道だってそうやって死んだんだ」
俺に銃を渡して。
それを、祥一は知らない筈だった。
ただ、検死解剖されれば遣った銃や弾丸は分かるだろう。祥一は、遣われたのが将道のベレッタだと知っているのかもしれない。知らなくても、調べればすぐに分かる。
「んで、何の用事だ?」
「俺の同級生がいなくなってるみたいで、心配です」
「同級生が、何だって?」
「雅って奴なんですけどね。三日前に一度家には連絡したみたいですけど、ずっと家に帰っていないらしくて、心配です」
「心配なら電話でも、しろ」
「携帯に出てくれないらしいんですよ」
「そんなもん、知るか」
「出てくれない、って事は電源は入ってます」
「おう、だろうな」
「祥一さん、雅の居場所調べてくれませんか?」
「ふざけんな。俺はお前の私設用心棒か何かか? お前の親父に命じられたって俺は拒否するぞ、そんなもん。舐めるのもいい加減にしろよ」
「舐めてませんよ、何か報酬を用意します」
「はした金でそんな真似が出来るか。お前ははした金しか持っちゃいない。それとも、そんな同級生の居所一つに、残った貯金全額差し出すか?」
「割に合わない話ですね、それも」
「俺がその気になりゃ、そりゃ雅なんてガキの居所くらいすぐに分かる。でもそれは、俺にしか出来ない。そういう時は、幾らだってふっかけられる」
「知ってますよ」
「じゃあ諦めろ」
「……手柄、ならどうですか?」
「何の手柄だよ?」
「ベレッタ製のクーガー。四五口径。サプレッサー付き」
電話の向こうで息を吞むのが分かった。
俺が自分から、それを言い出すとは思わなかったんだろう。
将道の持っていた銃なのだと、すぐに分かる。そこまで合致する事などあり得ない。それを知っている、口にした俺は、自首したようなモノだった。祥一が俺を捕まえるかどうか、これは賭けみたいなモノだ。
「……俺も馬鹿じゃねえ。そこまで腹割って言うならこっちも言うが、あの事件、お前がやったんだろ? 最初に報告入った時からどうせお前だろうと思ったよ。無茶苦茶な事、やりやがって」
「迷惑でしたか?」
「俺はどうでもいいが、この辺のやくざもんの所に一斉捜査が入ってて迷惑してる連中なら知ってる。かなりご立腹だったな。昨今、やくざもんの所に拳銃なんかねえって、こっちも分かってっから形式上だけどよ」
「その拳銃、いずれ、祥一さんに渡しますよ」
「……それが手柄だってのか?」
「かなりの手柄にする予定です」
「お前はどうする? 捕まるのか?」
「自殺でもしようかと思ってます」
「生き返る予定は一〇年後か」
「悪くない話だと思いますけど」
雅が何をやっているか、自分で調べても良かったけれど、そういう能力はからっきしだったし、第一、目立つ。ただ、家に帰っていない雅の事が気になっていた。これが、チャンスなのだと俺の頭は判断している。
投資すべき潮時。
そういう時に確実に投資する。
光輝みたいに、アホ面下げて、道に小銭が落ちてないか探すような博打はしない。液晶に数字が揃ったところで、得られる金は所詮、小銭でしかないというのに、一日に数万円も注ぎ込むような真似がよく出来るものだと感心すら、する。金に、鈍感すぎる。
「……雅ってのがどこで何をしてるか知って、どうする?」
「さあ。ただ、ろくな事はしてない筈ですよ、あいつなら。金なんかすぐになくなる」
「お前を、頼るか」
「光輝の馬鹿はそうしてきましたよ」
「じゃあ、待ってりゃまた来るんじゃねえのか?」
「待ってて金が入る、なんてやり方は、親父は教えませんでしたよ」
「そりゃ大したもんだ。で、俺はいつお前を捕まえようとすりゃあいい? 独自捜査と勘でやってみたら大当たりってな話を段取ってくれんだろ?」
「すぐじゃありませんけど、用意が整ったら連絡しますよ」
「ろくでもねえガキが多すぎだな、昨今は」
祥一がわざわざけなす程度には、俺は巧くやれているんだろう。
ただ、祥一は、精々、俺が雅一人を殺す、ぐらいに考えていると思う。二人。銃なんか遣っているし、虐められていたという事情を考慮しても首を吊されるか、運が良くても、逆に親父を待たせるぐらい刑務所に入るハメになるだろう。
そして俺は、それ以上の事をする。
俺の左目は、それなりに、高く付く。それを分からせなければならない。
祥一にここまで譲歩するのも勿体なかったが、警察の権力と機動性、捜査能力を取引として遣えるのなら、悪くもなかった。祥一なら逆に、俺を見逃すかも知れない。こんな取引すら普通なら成り立たないのだ。
「調べてやってもいい。俺も、たまにゃ手柄立てたいしな」
「お願いします」
「……ところでお前、撃った後、吐いたりしたか?」
「吐くぐらいしか、してませんよ」
「女は?」
「四六時中、セックスしてます」
「ご大層なご身分だな。まあ、そこは安心したよ」
「安心って、何でです?」
「お前みたいな規格外のガキでも、人、殺したりしたら動揺するんだなって話だ」
俺の嘔吐はともかく、真波との執拗なまでのセックスが、人を殺した事への動揺だ、と指摘された。それは考えてもみなかった。真波に、強姦そのものの勢いでのしかかった時の自分の感情や、今も執拗に真波を求める絶え間ない性欲が殺人の反動だとは思っていなかった。
「そうじゃなきゃ、薬物だな。ケロッとして普通にしてたら、お前、バケモンだよ」
「薬物には興味ありませんけどね」
「お友達の方は多分、興味津々だろうよ。そのうちボロボロになってお前んとこに来る」
「知ってるんですか?」
「知らん。ただ確認程度の事で済むな。んなガキの行動パターンなんか限られてる」
「そりゃ、俺ちょっと支払い、大盤振る舞いしすぎたって事ですかね」
「ま、少しはこっちも色、つけてやるよ」
俺の話を聞いて逮捕に駆けつけない以上、祥一も共犯みたいなモノだった。少なくとも警察官として許される行動ではない。だから俺の話は、祥一への手柄、という報酬と同時に、祥一を共犯関係にも引きずり込んでいる。
「……そう言えば、薬物と言えば誰、って祥一さん、言ってましたっけ?」
「ん? ……ああ、スカンクの事な」
「スカンク・バッツ? 黒人の?」
「よく知ってんな。やっぱ薬物に興味あったのか? あいつは今回、関係ないと思うけどな。姿、隠してる。あいつは魔術師だから透明になるマントでも着てるんだろうよ」
「何言ってんですか」
「そう名乗ってる。魔術師なんだと。くだらねえと思うだろうけどな、実際、俺が本気出してもあいつの居所だけは摑めない。その癖、妙なタイミングで出て来る。警察が探せねえんだから、他の誰にだって探せねえよ、あんな奴」
逃がし屋の、桐雄の女房が血眼になって探していると言っていた。
息子の仇討ちらしい。
警察も探せないという相手を、探し回っている。
完全にいなくなったのでもないのだろう。妙なタイミングで出て来る、と祥一が言うくらいだ。向こうの意志次第で神出鬼没、と言った感じなのか。
「薬物はともかく、そのスカンクってのには会ってみたいですけどね」
「何でまた? 薬物買わないんなら、あんな変人に会ったってしょうもない話、されるだけだぞ。魔法がどうとかよ」
「好奇心ですよ」
桐雄との取引に遣えるかも知れない、とは思った。ただ、そんなにふらりと出会えるのなら、警察も、桐雄の女房も血眼になったりはしないだろうから、期待はしていない。単に一本、川の流れに棒を突き刺したようなモノだ。網ですらない。何かが絡みつくかも知れない、というだけの事で、光輝のやっていたパチンコとさして違いはない。
「……とりあえず、雅ってガキか。何をして何処にいるのか探すんなら、多分、担当してる連中より、俺の方が早い」
「祥一さんの方が有能って事ですか」
「犯人でもねえガキの捜索なんか誰も真面目にやんねえってだけだよ。俺は、真面目になるだけの理由がある。そんなもんだ、警察なんてのは」
「信用するな。利用しろ。そう教わりましたよ」
「お前の親父はろくな事を教えない」
それをきちんとした言葉で教えてくれたのは親父じゃなかった。
将道だった。それは、言わないでおいた。
雅は案の定、俺のやった金を殆ど遣いきっていた。
ハメられてたな、と祥一は言っていた。
薬物だけじゃなく女もセットで、異常な快楽を追求するのに、五〇万など水の一滴にすらなりはしない額だった。
いきなりじゃなく、数千円、という額から、薬物と女をあてがう。
何度もそう、やってやる。数度でいいらしい。額に見合わない量の薬物と女を大盤振る舞いの赤字決算でくれてやると、大抵、そこで落ちる。ましてや雅が持っていたのは、俺がただでくれてやったような金だ。あっという間に注ぎ込んでしまう。そして薬物と女に飢えた状態に落とされる。
いつもの、普通の、数日前の状態に戻っただけなのに、雅は耐え難い惨めさを覚える。
飢餓感が激しくなる。
揺り戻しに耐えられない。
光輝よりも酷かった。雅は、土下座だろうと裸踊りだろうと、それを画像に収めてバラ撒かれようと、金をやると言ったら喜んでやる、という所まで追い込まれて、繁華街をフラついていた。
一度、家には戻ったらしい。
親の金に手を付けて、雅はまた自分から悦楽の渦に飛び込み、金をまたしても遣い果たしている。もう、親もそうそう、金を気軽に盗まれるようにはしていない。普通預金分は全て遣い込まれたのだと祥一は言っていた。
さすがに、本気を出すとそのぐらいは調べ上げてくる。
雅は、今すぐに強盗でもやりかねないぐらいに荒んでいた。
普通は、薬物だけならこう容易くボロボロにはならないし、こんなに強引に金を巻き上げたりもしないのだという。細く、長く、中毒患者に仕立てた方が結果的に効率はいいらしい。単に、雅は最初の遣い方が余りにも粗すぎて、金を大量に持っている、と勘違いされただけだ。仮に期待通りの金持ちであったなら、雅はいつまでも薬物に酔いしれていた。
雅が小遣いの中でちょっとずつ薬物を買う、みたいな真似をしていたら、こんな風にハメたりはしない。こんなんじゃ、すぐに枯渇する。そして、枯渇したのが分かったから、容赦なく雅は放り捨てられていた。勘違いさせやがって、ぐらいの罵りと共に。
今こいつに五〇万を与えたら、薬物を売ってくれた奴らの所に駆け込むだろうけれど、同じ快楽は二度と与えては貰えない。
それなのに雅は、もう一度、あれをもう一度、としか考えられなくなっている。
持ち馴れない、遣い馴れない金額。
はした金としか思えない金額でも、人間なんて容易く一人、叩き壊せる。
壊れきった雅は、道ばたで俺を見つけると縋り付いてきた。頼むから金をくれと懇願してきた有様で、脅し取ろうとした光輝よりも酷い。何でもします、何でもしますと連呼していた。
たった一週間かそこらで、人間がこんなに惨めになる。
逃がし屋の、息子。
薬物中毒で自分の後頭部を裂いたという桐雄の息子も、こんな有様だったのかと思う。それは、こんな風にした奴を殺す、と思わせるに充分だった。俺の親父がこんな風になったら、俺はそうした奴を殺すかも知れない。
俺の左目と同じぐらいの痛みには違いなかった。
俺は雅の親ではないし、息子でもない。俺の目玉を潰した同級生の一人でしかなく、こんな有様になっているのは滑稽でしかなかった。
「……雅。お前に薬物を売ったのは、黒人か?」
「え? いや、違うよ、普通の……って言うか日本人だよ」
言葉も思考も、雅ははっきりしていた。脳がやられたりはしていない。
単に、水準が馬鹿みたいに上がってしまって、一人で溺れているだけだ。薬物の禁断症状に苦しんでいるんじゃない。自分の惨めさに苦しんでいる。あんなに良かったのに、今は何でこうなんだ、という比較の話だ。
一ヶ月ほど放置しておけば、少しずつ元に戻るかも知れない。
このまま、本当に心身ともに破壊するほどの薬物に溺れるのを見るのも、悪い事じゃなかった。こんな有様になったというだけでも、それなりの満足はある。俺のやった金は無駄じゃなかったと思える。五〇万で済んで良かった、とさえ考えている。
俺が、金をやるからやれ、と言えばコイツは何でもする。
一本に付き一〇〇万やる、と言えば、指の一本や二本は切り落とすかも知れない。指が、指ではなく金に見えてしまう。そして遣い途を考えてしまう。指そのものの価値などどうでも良くなってしまう。
壊れていた。
壊れた雅を見るのは、気分が良かった。
スカンクという男と接点があれば尚、良かったが、関わっていない様子だった。姿を消している、と祥一も言っていた。俺も、そこまでは期待していなかった。ただ雅のこの無残な有様は期待以上だった。
雅に、金を貸してやる。
そう言うと目を輝かせた。
「……幾ら欲しい?」
「幾らでも、いいよ。少しでもいいよ」
「ダメだ。欲しい金額を言え」
追い込んでやる。こっちから区切ったりはしない。ここで雅が口にする金額は、そのまま雅という人間がどれだけ壊れたかという金額だ。そしてこちらから額を言ってしまえば、その分だけ雅は喜んでしまう。喜ばせる心算はない。惨めに追い込んでやる。
「……また、五〇万、って言ったら、ダメか?」
「一〇〇万じゃなくていいのか?」
「貸して、くれるのかよ、本当に?」
「やるんじゃないぞ。貸すんだ。分かってんのか?」
「分かってるよ、必ず返すよ」
何処にどんなアテがあってそんな事を口にしているのか分からない。とにかく何でもいいから、雅は現金というモノが欲しい。そのためなら家族を殺したっていい、手足を無くしたっていい、というぐらいに。
親父がよく、こういう奴に金を貸していた。
そのやりとりも見せられた。俺みたいなガキに見られているというのに、いい歳のおっさんは土下座をして、恥も外聞もなく金をくれと喚いていた。俺に見られている、なんて事はどうでもよくなっていたのだ。
親父は、僅かな現金と引き替えに大量の書類を書かせた。
権利、というモノを全て吸い上げて、はした金を、しかも高利で貸した。
貸した時点で既に回収を終えている、というやり口だった。弁護士やらが間に入って、債務整理や自己破産、借り逃げ、自殺、そういったやり方を取られた所で、それ以上、吸い上げられなくなったというだけの事で、赤字になどなりはしなかった。
高利貸し、というのではなかった。
少なくとも闇金のようなモノを会社としてやっていた訳じゃなく、相手を選んでやっていた。つまり、資産を持っている、自分ではもうどの程度の資産なのかも分からなくなっているという連中相手の商売だ。
鍵の権利まで譲り渡させていた。そいつの家にある全ての錠前は、親父の許しがなければ開け閉めも出来ない有様だ。そしてそうなった相手は、鍵の権利なんてどうだっていい、と考えてしまう。
雅が俺の親父に泣きついたって、恐らくビタ一文、貸しはしない。
こんなガキから奪い取れる資産など、ある訳がなかった。貸した金を回収する手間だって尋常じゃないし、そもそも、回収できない。
そういう雅に、俺は金をちらつかせる。
「貸す、借りる、って形なら一〇〇万でもいい」
それならくれてやる、という風に雅には聞こえる。返す気などある訳がない。俺の左目を潰しておいて、訴えたければやれ、賠償金なんか払わない、と開き直れる奴なのだ。霞のかかった脳みそで、金に犯された体で、雅は俺に縋り付く。
必ず返す、と口にすれば現金が出て来る。
そう思っている。
そんなモノで金が出てきたら苦労はない。五〇万だの一〇〇万だのと簡単に口にしているが、親父の使っていた連中の最底辺なら、それは半年や一年という時間、泥にまみれて這いつくばり、それこそ命すら賭けて稼ぐ金なのだ。
こうなる前の雅だったら、そんな事は分かっていただろう。
だからこそ、俺のやった一〇〇万、折半しても残る五〇万、という金の衝撃が強かった。強すぎて弾き飛ばされた。光輝はまだ、彼女に面目が立たない、なんて程度のレベルだったが、得られた快楽も緩い。高いシルバーアクセサリー。その程度だったから、揺り返しも弱い。
雅は選りによって薬物と女だ。
ヒマ潰しと好奇心、というお決まりの動機も、急に訪れた休校期間と大金によってガタガタにされてしまっている。
「一〇〇万、欲しいか」
「頼むよ、くれよ、お願いするよ」
「くれ、って今言ったか、お前」
「あっ……違う、そういう心算じゃない、そんな心算で言ったんじゃ」
「いいよ。揚げ足を取ったって仕方ない」
こういう言い方は親父から覚えた。揚げ足を取っておいて、許す。そういう事を繰り返す。口を滑らせた、態度が悪かった、そういうモノを見逃さず、指摘し、そして許す。こうしているうちに相手は訳が分からなくなってしまう。
許されている、許して貰っている、という完全に奴隷みたいな心理になる。
本来なら、金の貸し借りなど対等の取引なのだ。これだけ投資してくれたら、これだけ返す。お前はこの期間を遣ってこれだけ儲ける、だから貸せ。そういうやり取りであって然るべきなのだ。
その関係性を上下にしてしまう。
それだけで、どんどん相手から搾り取れる。過剰に。殺すほどに。
「……ちゃんとした書類を造る。それにサインしろ」
「しょ、書類って……」
「口約束で貸せる額かよ」
「それって、返せなかった時は、捕まったり……?」
「返せなかった時、なんて聞きたくねえんだけどな、貸す方としちゃ」
「ごめんなさい、ごめん、でも、万が一、その」
「心配しなくてもお前の親から取る。それとも、絶対払いませんって開き直るか? 俺の目玉潰して置いて、そうして当然だ、なんて言ってたなお前、そう言えば」
「ごめんなさい、ごめんなさい、すみませんでした」
土下座している。俺は訊き返しただけだ。
一番触れられたくなかった場所。俺に気付かないでいて欲しいと思っていたやり取りには違いなかった。
ゲームセンターのクレーンゲームやシルバーアクセサリー。
その程度ならここまでにはならなかったモノを、運の悪い奴だった。
「今更、目玉の賠償金なんか請求しねえよ。事故じゃなくて故意だ。何千万って額になる。どのみち、お前の家族が払えるような代物じゃない」
払って貰えるなら。
代価を払える程度のモノを奪われていたとしたら。
俺は、ここまでしなかったかも知れない。俺の目玉は潰されて、恐らくは奇跡でも起きなきゃ回復しない。それなのに俺は、満足のいく金を貰えなかった。相手は払うという気さえなかった。
だから、こうなった。
俺は、俺が支払って貰って当然のモノを請求する。
「……雅、お前、原付免許持ってたよな?」
「あ、うん……それが、何?」
「一度、家に帰れ。明日の夜、俺の家に来い。その時に持ってくるモノを教えておく。まず免許だ。それから保険証。実印も持って来い。あと、役所に行って戸籍謄本と、登録カードがあるならそれもだ」
「そんなもの、何に……」
「もっとあるぞ。代わりに大金を貸してやるって言ってんだ。全部キッチリ用意して来い。親なんかぶん殴って黙らせて来い。お前だって説教は聞きたくねえだろ?」
「分かったよ」
あっさりと雅はそう言った。
俺は、金を貸すというやり方で、そいつの持っている権利を全て確保する。親父に教えて貰った事を、同じ事を繰り返す。親父にとっては、クソガキの権利なんてモノも資産なんてモノも用はないだろう。
俺には、ある。
そして言うまでもなく、俺は雅に、一銭も貸してやる気はなかった。
雅が訪ねて来ると、流石に真波は服を着た。
俺の部屋にいる真波が誰なのか、雅は思い出せずにいた。何なんだ? ぐらいの戸惑った顔をしている。そして俺に、部屋に上がれと言われて、そそくさと従って、言われもしないのに正座していた。
粗大ゴミ置き場から拾ってきたテーブルに、雅は持って来いと言われたモノを並べていた。それは、雅という人間を証明し、担保する書類の全てだった。
「……金を貸す前に、謝れ」
「えっ……その、眼を狙ったんじゃなくて……」
「俺じゃねえよ、真波にだ」
ベッドに座ってこちらを見ている真波の眼は冷徹だった。何の感情もなく、ぼんやりした景色を焦点も定めず、ただ視界に入れているような、眼。
「虐めてただろ、真波を」
「俺は、何も……」
「幾らでやらせんの? 五〇〇円? って言われた、そう言えば」
「そんな事、俺、言って……!」
「言った。胸も揉まれて、顔面にヤキソバパン、叩き付けられた。代金だとか言って」
「それは、俺じゃ……!」
「いつ、なし崩しに犯されるか分かったもんじゃなかった」
雅は言葉もなく、しどろもどろになっている。
多分、雅じゃない。違う誰かだ。あのクラスにいた、誰か。そういう環境だった。そして俺は、そういう真波を、額面通りの値段で買った。
一番真波を傷付けたのは俺だと言ってもいい。
だが俺は、その傷の分の代価を支払ったのだ。
勝手な値段で勝手な事をした訳じゃない。
「真波。お前を虐めてた女子で一番憎たらしいの、誰だ?」
「……強いて言えば、聡美」
「光輝の女か」
「強いて言えば、ね。みんながみんな均等に私に接してたけど、聡美、センス良くてさ。嫌がる事、すぐ見抜いて思いつくから、あいつが一番嫌いだった」
「じゃあ、女子はあいつから殺そう」
「そうして」
雅は俺と真波の会話を、交互に顔を見比べながら聞いて、頭の中いっぱいにクエスチョンマークを浮かべているような、間の抜けた顔になっていた。何の会話なのか理解できていない。そんな事より早く金を、という顔。
漫画喫茶のPCを遣って造った書類を用意していた。
それを読ませる。
恐ろしく読みにくい、読んでいるうちに何が言いたいのか分からなくなってくる文章。法律用語を鏤めた難解な文章。俺は、そういうモノをちゃんと読み、分からない事は親父に訊いた。親父もちゃんと説明してくれた。
書いてある事は極めて単純な事なのだ。
誰だって、使用許諾書なんて読み飛ばす。そんな事は改めて確認されるまでもない、そういう内容なのだ。ただそれにサインをさせる事が大切なのだ。いずれ破綻するのなんて分かっている。破綻を前提に契約を求めている。固められるモノは全て固めておく。
面白半分にそれを造った。
中に適当な文字も混ぜておいたし、行を入れ替えたりしたから、全然、日本語としてすら意味の通じない書類になっている。それを俺は、じっくりと雅に読ませた。読めなくなっているのが分かる。眺めているだけだ。
「……ところで真波に早く謝れ」
読んでいる矢先に、そんな事を言う。
読むより楽だと思ったのか、訳も分からないままに雅は真波に平伏した。
真波はそれをめんどくさそうに眺めている。
「……許すか、真波?」
「許せないかな」
「どうしたら、許す?」
「とりあえず全裸」
「だとよ。脱げ」
雅が頭を上げた。不合理だ、という顔。俺は真波を虐めてなんかいない、という顔。
「真波が許さなきゃ金は貸せない」
「そんな、だって……」
「いいから全裸。早く」
慌てて、雅は服を脱ぎ始めた。パンツに手をかける時に躊躇い、一気に降ろす。全裸で、雅は所在なげに立ち尽くしていた。真波が微かに笑った。
「……何でこんな事、出来んの、こいつ?」
「変態だからじゃねえかな」
「冗談で言ったのに」
じゃあ、と言う感じで服をまた着ようとしていた雅を止める。そのままでいろ、と命令する。雅は、従うしかない。真波がじっと見て、微かに笑っている。雅は俯いたまま、じっとしていた。
「……おっ、勃ってきた。何で?」
「変態だからじゃねえかな。……おい、隠すな、ちゃんと直立してろ」
「うーむ。こうしてみると大して違いないな」
「あんなもん大きさは大事じゃねえってよ。むしろ変わった形してた方がいいらしい」
「誰に教わったの?」
「風俗嬢」
「なるほど、道理で手慣れている」
真波は携帯を取りだして雅の姿を撮影した。
「……雪路が撮影したがった理由、少し分かる」
「あとから見返してオナニーとかじゃねえって分かったか?」
「うん。記念撮影というか何というか。……もうちょい変わったポーズさせよう」
「おい、ご命令だ、雅。変なポーズしろ」
雅の顔は恥辱と、そして怒りとで真っ赤に茹だっていた。こちらを睨むような顔まで覗かせている。それでも、怒りを抑え込むしかない。そこまでして、という疑いすら自分でかき消してしまう。
「変なったって……」
「んな事まで俺が指定すんのかよ」
「まあ指定すんの雪路、好きじゃん、あれやれこうしろって」
「うっせえな。……まあいいや、じゃあ雅、お前そのまま寝転がって、両膝をアタマの左右に分けてつけろ」
「おっ、さすが雪路、そのポーズ大好きだな」
「そんな何度もやらせたか、俺?」
「回数まで覚えてる」
「忘れろよ」
そのポーズでまた撮影した。シャッター音に雅がキレかかる。
その瞬間を俺は見逃さない。
「……俺は、やれって言った事やる人間には、金をちゃんと払う。知ってるよな?」
イジメさせた。金を払って。
そしてイジメられる奴にも俺は金を支払った。期限付きの苦痛。それは例えば、肉体労働がどんなに厳しくても、ここからこの時間まで、と決められているのにも似ている。この期間だけ耐えれば、という目標があれば、その上、金までくれるというなら、大抵の事に人間は耐える。
耐えきれなくなったらいつでも言え、とも言った。
もう我慢ならないのなら、言えば止めてやるが、金は払わないと言った。
耐えられない、という奴は、一人もいなかった。
「……つかさ、前から思ってたんだけど、雪路ってそういうの男子にしかやってなかったでしょ」
「やったよ、お前にも」
「アレはまた別。そうやってイジメで遊ぶから女子が刺激されて私に矛先向いたんじゃないのって気分になってきたんだけど」
「ま、結果としてお前は金を得た」
「それはそれでいいんだけど。……よし、その体勢でオナニーさせよう。顔射させよう、自分に。それは私、動画で録っちゃいますよ?」
「ふざっ……!」
俺もふざけるなと思った。
こんな所でやられては敵わない。
「せっかく風呂、ついてんだからそっち移動しろよ」
「冗談じゃねえよ、持って来いって言ってたモノ、全部持ってきたじゃねえかよ、これ以上イジメねえでくれよ、許してくれよ、悪かったよ」
俺を許さないと言っていた雅がそう泣きついている。
お前のやってきた事は悪い事で、だから俺たちが加える暴力は正義だという顔をしていた雅が、俺に許しを請うている。金が欲しくて、仕方がない。金さえあれば、俺から何とかして借りられれば、元の高さに戻れる。
それがほんの一時でも。
嵩上げされた、身の丈に合わない高さであったとしても。
もう一度。もう一度だけ。最後にもう一度。
もう一度、を雅は忘れる事が出来ない。忘れさせる時間も、俺は与えない。逃がし屋の夫婦が息子にやったように、袋叩きにして入院させたのは、息子に時間を与えたのだ。雅に時間を与える気はない。親父だって客に時間など与えなかった。
人間の壊れている時間は、それほど長くない。
ぽつんと一人きりになると、人間は立ち直り始める。一人きりにはさせない。常に格差や高さ、広さ、そういうモノを錯誤させ、させ続ける。
「やれ」
そう言われれば、雅はやる。
疑いもしない。
俺がそういう行為に金をきちんと出す人間だと雅は知っている。その知識を信用する。風呂場に移動し、狭い風呂桶の中で雅は同じポーズをする。狭い箱の中だと、却ってやりやすそうではあった。自分で下半身を持ち上げる必要がない。
ただ、流石に、萎えていた。
そりゃ萎えるだろう、と思っていたら、真波がコンドームを人差し指に被せて、いきなり雅の肛門に指をねじ入れて、抉った。雅が変な声を出す。そして復活する。
「……お前、凄い技持ってんな」
「雪路が教えたんですけど」
「いや、俺そんな事教えたっけ?」
「教えました。やらされました。そこそこ、って指示もされました」
「お前絶対よそでやってんだろ」
「やってません。雪路しか知りません。勃起してるの間近で見るのもこれが二本目です」
「本数で言うな」
「……まあいいじゃん。とにかく、やってみよう、セルフ顔射」
「そうだな。せっかく復帰したんだしな。やれ」
「萎えたらまた突っ込むぞ」
「それ期待したらどうすんだよ」
「変態だからなー」
「変態だよ。見ろ、自分の顔に向けてしごいてる」
雅は完全に泣いていた。ヤケクソになっていた。とにかくここを、目を瞑り、全力で駆け抜ける。そう目標を定めて、何も考えずに突っ走っていた。柱が一つあれば、人間は耐えられるのを俺は知っている。寄って立つ柱だ。
だけどその柱が偽りだという事だって、ある。
雅がおっ始めている間に、俺はベッドに戻った。真波は真剣に、雅の行為を見下ろしている。もう一度指を突っ込んでみたいのかも知れなかった。あれほど簡単に、俺は反応したりしない。
そう言えば教えたな、と思い出した。
浮気を疑って悪かった、と思ってから、浮気って何だよ、と自分に突っ込んだりもしながら、俺は風呂場に戻る。一部始終を、真波は携帯の動画撮影機能で記録していた。炸裂する瞬間までを収めて、満足したように撮影を終わらせた。
自分の体液を顔中に浴び性器と肛門を真上に突き上げた、哀れな姿で雅が風呂桶の中に転がっている。
「満足したか、真波?」
「した。凄い映像が手に入った」
「じゃあ、出てろ」
「分かった」
真波が、風呂場を出て行く。放心したような雅が、俺を見て、哀れな自分の姿を確認して、慌てて立ち上がろうとした。後悔が顔に滲み出ている。冷静になっている。射精を終えた男は、みんなこうやって後悔する。
「おい、もういいだろ、金……!」
炭酸ジュースのプルトップを開けるような音が響いて雅の言葉を中断させた。今度は、ちゃんとサプレッサーを付けている。銃声は僅かなモノでしかない。小さな銃痕の裏側で、雅の太股が破裂した。風呂桶が真っ赤に染まる。突き抜けた弾丸は腹に当たっていた。
雅は意識が残っていた。
死んでいない。
撃つ場所を間違えた。ただ痛いというだけかも知れない。悪い事をした。
改めて脳天を狙って撃った。きょとんとした顔の真ん中に黒い穴が空いて爆ぜた。弾が貫通しないで頭部の内側をはね回っている。光輝と似たような姿になった。多少、無駄遣いは出来る。弾数に余裕はある。びくびくと痙攣を続ける、雅の死体を見下ろしていても、別に吐き気も襲ってこなかった。
失禁している。括約筋が緩んでいる。もりもりと力なく、ただ仕方なしに溢れてくる、という排泄。クソと小便と精液と、言うまでもなく血液と、脳漿が風呂桶の中に排出されていく。風呂場に移動させて、本当に良かった。
蛇口を捻る。
雅の死体に、水が放出され、栓を閉めていない風呂桶から色んなモノが混ざり合って出て行き、排水口に吸い込まれていく。一晩くらいこのまま水を出し続けようと思った。
「終わったー?」
外から真波の声がする。
「終わった」
「見てもいい?」
「見るな。吐くぞ」
「お風呂どうすんの、これから?」
「銭湯にでも通うか」
「不便だなー」
「じゃあ、使え。先客がいるけど」
「どうすんの、それ」
「とりあえず一晩、流水に浸す」
「料理みたい」
暢気な声だった。これを見ないでいれば、暢気でもいられる。俺がこんななのは、一度見たからだろう。二度目からは、知っている事の再確認に過ぎなかった。そしてこれから、まだまだこんな代物を造るつもりでいる。馴れなきゃ、仕方がない。
一度、銃を外に置いて、風呂場に戻る。
服を脱いで、雅の死体に流す水道を止め、シャワーを浴びた。それからまた切り替えて、雅の死体に流し込む。裸のまま、外に出た。真波が待っていたように、もう裸になっている。欲情している、とはっきり、感じ取れた。
セックスをした。
死体を洗う水の音を聞きながら、すぐ傍に砕けた同級生の死体があるこの六畳間で、俺は真波と力尽きるまで交わり続けていた。避妊する事さえ忘れていた。