サクラコ・アトミカ

第十九回

犬村小六 Illustration/片山若子

「最前線」のフィクションズ。サクラコの美しさが世界を滅ぼすーー。 畸形都市・丁都に囚われた美貌の姫君、サクラコ。七つの都市国家を焼き払う原子の矢は、彼女の“ありえない美しさ”から創られる......。 期待の新星・犬村小六が放つ、ボーイ・ミーツ・ガールの新たな金字塔、ここに誕生!

六.

午前四時

雲間を切り裂いて先陣を切ったのは丁都飛行駆逐艦十六隻だった。

単縦陣を組み上げたまま超蒸気機関の排煙を噴き上げつつ増速し、地を歩行する幻妖を目がけて高度を落としてゆく。

目標との水平距離が一千メートルを切った。単縦陣十六隻は三十度ほどの取り舵を切り、幻妖に対して右舷を晒すかたちで接近してゆく。

幻妖は頓着とんちゃくなく、丁都を目指して悠然と歩みつづける。全身にまとった紫の炎が夜の中に煌々と浮き立っている。この炎のおかげで夜間であれど艦隊攻撃が可能となっている。

全十六隻が幻妖に対して右舷をむけて、水平距離五百メートルを切ったところで駆逐艦の上部甲板に設置された対地魚雷発射管から一斉にシュッと発射音が爆ぜた。

三十二本の涙滴型撃発弾が尾部プロペラを唸らせながら幻妖へと迫っていく。幻妖は避ける気配もない。駆逐艦戦隊に目をむけることすらせず、百二十メートル以上の巨体を揺るがせてただ一心に丁都のみへ目を据える。

対地魚雷の航跡が夜の中に一筋の白い糸を伸ばしていき、次の瞬間、夜の底が轟いた。

閃光が世界を白く染め上げ、一瞬の真空が生まれた直後に爆煙が噴き上がる。青白い炎がなにもない荒野に延びる。星空の裾がまばゆく輝き、灼熱しゃくねつはらんだ爆風が広く長く爆ぜてゆく。

幻妖の炎が爆発のただなかに吞まれて色を失った。炎が炎を食いつぶしている。凄絶な炎熱のベールが幻妖のすがたを覆い隠す。

しかし

炎のベールが引き下ろされたとき、そのむこうから現れたのはさらなる炎熱を鎧うた幻妖の巨体だった。

全身を覆った紫の炎が、あろうことか、雷撃を食らう前よりも成長していた。あたかも対地魚雷に装塡された爆薬を全て喰らい尽くしてしまったかのよう。急所を守る外殻にも損傷は見受けられず、悠然とした足取りは攻撃を受ける前となにも変わらない。

旗艦「不知火」前方甲板底部、艦隊指揮所から一部始終を観察していたユキノ・ヴィルヘルム・シュナイダーはすぐさま麾下の艦隊へ命令を下した。

「撃発ではあの外殻を突き破れない。奴に栄養を与えてしまっている。戦艦の砲弾を徹甲榴弾に切り替えろ。やつの装甲を穿ち、肉体の内側から食い破るのだ」

命令は無線電信で全艦に伝えられる。不知火でも砲手たちが慌ただしく動きはじめる。

眼下では雷撃を終えた飛行駆逐艦戦隊が高度百メートルほどのところを航行しつつ、十二センチ連装砲の砲口を幻妖へとむけていた。こちらは徹甲榴弾が口径の都合で使用できないため、通常の徹甲弾を装塡している。

十六隻が舷側を揃えて、水平距離わずか五百メートルを歩行している幻妖に対し直接照準にて砲撃を開始した。

超至近距離からの一方的な砲撃である。耳を聾する音響と共に十二センチ連装砲が間断なく徹甲弾を吐き出し、夜を切り裂く弾道が扇形となり、全て幻妖を中心とした一点へ集約してゆく。

着弾の瞬間、ぶわっ、と幻妖の炎がめくれあがった。

ぎいええ、という幻妖の叫びが全艦船の舷側を震わせる。

徹甲弾は外殻に突きたち、その表面にひび割れを発生させた。だが貫通はできない。装甲に守られていない箇所はいずれも貫通している。そのたびに炎の鎧が隆起して、あたかも夏の日の積乱雲のごとくもくもくとした外表面を成し、幻妖のすがたそのものを視界から覆い隠す。

紫の炎が成長していく。どのくらいの損傷を与えているのか目視で確認できない。ただ肉を食い破り、貫いて、荒野の彼方へ消えていく徹甲弾の航跡だけがユキノのところから視認できる。炎のむこうから、幻妖の叫びじみたものが時折空間を震わせる。

「痛みをおぼえている」

ユキノは自分自身に確認するようにそう呟く。幻妖には痛覚があることは先の威力偵察でもわかっている。このまま痛めつければ、あるいはきびすを返してくれるのではないか。そう期待した次の瞬間、希望の光は無慈悲に踏みにじられた。

いきなり

紫の炎が一直線に噴き上がった。炎熱の円柱が轟然と空を指し示す。その底にいるのは背筋を反らして天を仰ぎ、怒りの咆吼をあげる幻妖であった。

ぐるん、とようやく幻妖はその双眸を駆逐艦戦隊へむけた。

口元が耳にむかって裂ける。切れ上がる。炎の鎧のむこうに揺れる、憎悪ぞうおを孕んだ妖獣の笑み。

百二十メートルを越える巨体がわずかにかがんだ。

転瞬

幻妖の踵の下の大地が粉塵を巻きあげ爆砕する。

炎の鎧が夜の荒野のただなかに紫の直線を曳く。

飛行駆逐艦戦隊との水平距離五百メートルは、幻妖の一跳躍によってゼロとなった。

燃えさかる巨大な右手が、先頭を航行していた飛行駆逐艦の舳先を摑んだ。

百メートル近い船体が軋む。船尾が天を指し示す。幻妖は玩具をもてあそぶ子どものごとく、不幸な駆逐艦を片手で高々と掲げ持つと、後方を航行していた別の駆逐艦の胴体目がけて振り下ろした。

閃光がほとばしる。鋼鉄の軋みのさなかに両艦船員の断末魔が混ざり込む。ちぎれ飛ぶ鉄鋼装甲が爆煙の中で粉雪のよう。幻妖が摑んでいた駆逐艦の船体が真ん中から「く」の字に折れる。

ぐああ、と咆吼をあげてから、幻妖は折れ曲がったその船体を僚艦へ投げつけた。投げられた方は逃げようがない。なすすべなく舳先と舳先が空中で衝突し、凄惨な炎を荒野に焚きあげる。

後方に待機していた巡空艦が慌てて主砲塔を旋回させる。しかし幻妖の俊敏さに照準が追いつかない。つまるところ、遠距離射撃では幻妖を撃滅できない。当てるには高度を落とし、敵に肉薄して直接照準にて射撃するしかない。だがそれは幻妖にとっても攻撃可能範囲である。いま駆逐艦戦隊が遭遇している悲劇の再来となりかねない。

駆逐艦戦隊は逃げ惑うヒマも与えられなかった。幻妖はその燃えさかる両腕を差し伸べて、文字通り手当たり次第に舳先や船尾を鷲づかみにすると、あるものはへし折り、あるものは振り回し、周囲へ投げつけて破壊する。

真ん中から真っ二つに折れた船体から、何十人、何百人という乗組員たちが吐き出され、叫び声をあげながら百メートル下方の荒野へと落下してゆく。ほとんどのものが背中に火を負って、じたばたと手足を振り、苦悶の表情を幻妖の炎に照らし出されて、闇の中へ吞まれる。あまりに理不尽すぎる死に様だ。しかし幻妖は一切容赦なく、幼児じみた破壊活動をやめない。同士討ちも辞さず、懸命に十二センチ連装砲を超至近距離から放ち出す勇敢な艦もあるが、幻妖に損傷を与えてはいても致命傷には至らない。ますます怒りをかき立てて、不幸な結果を招き寄せてしまう。

「ダメだ。巡空艦、高度を取れ」

一旦、仕切り直すことを決意してユキノはそう下達した。命令は速やかに巡空艦戦隊へ届けられる。対応を決めかねていた計十四隻の巡空艦たちはゆっくりと上昇していき、高度一千メートルほどで水平飛行に移った。この高さであればとりあえずは安全と思われた。

厄介やっかいだな。飛行艦隊でも撃滅が難しい」

ユキノは歯がみした。空から攻撃しさえすれば安全だとわかってはいたが、艦砲射撃の的にするには幻妖は俊敏すぎる。同位高度まで降りて直接照準で狙えば当たる確率は高くなるがこちらも攻撃を受けるリスクを負わねばならない。

「急降下爆撃機編隊であれば目標を捉えきれるのでは」

猿渡が進言したが、ユキノは首を左右に振る。

「丁都の急降下爆撃機では徹甲榴弾を懸吊けんちょうできない。撃発の二百キロ爆弾をいくら当てても幻妖に栄養を与えるだけだ」

猿渡の表情がさらに曇った。

「それでは打つ手がありません」

「幻妖は常に俊敏に動いているわけではない。ヤツも生き物だ、そのうち通常の歩行に戻る。行く先は丁都だから進路の先読みも可能だ。全艦一斉射撃の区域を予め決めておき、ヤツがそこに入った瞬間に砲撃を加えれば必ず当たる」

ユキノは指揮所に詰めた砲撃主任に、幻妖の進路の先読みと、最適な砲撃目標区域を算定するよう命じた。

「仕切り直しだ。加藤大隊と駆逐艦戦隊のかたきを取るぞ」

遙か眼下、勝ち誇る幻妖を見下ろしながら、ユキノはそう命じた。