サクラコ・アトミカ

第十七回

犬村小六 Illustration/片山若子

「最前線」のフィクションズ。サクラコの美しさが世界を滅ぼすーー。 畸形都市・丁都に囚われた美貌の姫君、サクラコ。七つの都市国家を焼き払う原子の矢は、彼女の“ありえない美しさ”から創られる......。 期待の新星・犬村小六が放つ、ボーイ・ミーツ・ガールの新たな金字塔、ここに誕生!

サクラコの柔らかさを片腕で受け止めながら、ナギは懸命に平静を装っていた。胸のどきどきをサクラコに聞かれたくなかった。これまで何千回となく繰り返した戦闘でも、こんなに気持ちがざわめいたことはない。自分自身をうまく操縦できない。サクラコはナギの気持ちなど全く推し量ることなく、無垢な笑顔を間近から寄せて、

「ナギ、お話しよう。くだらんことでもなんでもいい、ロマンティックでなくてよいから、なんかお話しよう」

「う、うん」

「ほれ、話せ。わらわはなんでも聞いてやるぞ、オールオッケーじゃ、ほれ、くだらん話を聞かせてたもれ」

「あ、あのねえ、なんでいっつもぼくばっかり。人に要求するだけじゃなくて、たまには自分からなにかしてみなよ」

「おう? なんじゃ、わらわに命令するつもりかえ?」

「命令じゃなくて。たとえばほら、このあいだぼくがさせられたみたいに、自分の昔のことを話すとか」

「ほう。わらわの生い立ちに興味があるのか」

「いや、そんな、そこまで関心高いわけじゃないけど、でも、ぼく別にもう話すことないし」

「ふむう。まあでもそれも良いかのう。このまま何周でも回れるし。おんしも遂にわらわのことが気になって気になって仕方なくなったようじゃし」

「な、なってない! なってないよ

焦って首を左右に振るナギを尻目にサクラコは両手をほどくと、中空を見やりながら考えはじめた。

「というてものう。高貴な身分に生まれついた稀代きたいの美少女というだけで、取り立ててなにやら変わったことがあったわけでもない。阿岐ヶ原王の娘としてぬくぬくと十七まで生きたところであの変質者にさらわれてしまっておかしな街に連れてこられてここでこうして処刑の日を待っておるだけじゃ。うわあ、話しておったら改めてムカついてきたわい。あの変質者さえ現れなければわらわはいまごろぬくぬくとお花畑で遊び暮らしておったというのにムキー」

「暴れないでここ狭いから。腕振り回すのやめて痛い痛い。そうそう、阿岐ヶ原ってどんなところ?遠くてぼく行ったことないんだ」

「そうさのう。野を越え山を越え川や湖を越えて三万五千キロ以上の彼方、この腐った街とは大違いの、水と風と光でいっぱいの街じゃ。王は民を慈しみ、民は王の繁栄を称えておる。三方を険しい山に囲まれ、一方が海に面しておる。自然の要害が城壁を成し、たくさんの街が交易路で繫がって複合都市国家を成しておる。市場は海や川で捕れた新鮮な魚や貝類であふれ、野菜も果物も鳥や獣の肉も貴石宝石のたぐいもおよそ手に入らぬものはない。丁都を除く他六都市との交流も盛んに行われ、互いの知識を交換もしておる」

「いいなあ。丁都以外の七都市って、みんな仲良いんだよね」

「嫌われ者が真ん中にひとりおると、周りはとりあえず仲良しになれるのじゃ」

「人はいっぱいいる?」

「丁都の三十倍はおるぞう。みんな穏やかで道徳をわきまえ無駄ないさかいを好まぬ。丁都の人間とは真逆じゃぞう」

「見てみたいな。ぼく、丁都と戦場しか見たことないから」

「晴天の日が多くてのう。こんな馬鹿げた天井が蓋した街とは過ごしやすさも雲泥うんでいの差じゃ。空はどこまでも広く見渡せて、街路樹や花に飾られた舗装路を華やかな装いの市民たちが行き交い、意匠を凝らした店が軒を連ね、広場では大道芸人や露天商が人だかりを造っておる。子どもの笑い声の絶えぬ、明るくて元気な街じゃ」

「いいなあ。楽しそうだなあ」

「いろんな文化が発達しておる。それに工業技術も科学技術も七都市の中では優秀な部類に入るであろう。超蒸気機関を搭載した機械化軍隊、電波照射器を使った探索装置、遠隔地無線通信などなど、七都市きっての先端技術を保有しておる。なかでも自慢は分子生物科学での。他都市は生命倫理にしばられて技術開発が遅れたのじゃが、阿岐ヶ原王は科学の発達のために生命の設計図を自在に書き換えて新たな生物を産み落とすことを全くいとわなかった。そのため世界中の生物学者が阿岐ヶ原にやってきて、おのれの気分のおもむくままに命をメスで切り刻んで遺伝子を組み換え、これまで地上にいなかったおもしろおかしい動物をたくさん生産したのじゃ」

「なんだかうちの知事とやってること変わらないなあ」

「うむ、確かに、ここの変質者にも負けんくらい悪趣味な技術も開発しておる。難しゅうて細かいところはようわからんが、母親の子宮内にいる豚の胎児たいじに人間の幹細胞を組み入れての、豚の体内で人間の臓器を培養するのじゃ。産まれてきた豚の赤ん坊は家畜小屋で育てられ、しかるべきときに人間へ自らの臓器を提供する。阿岐ヶ原では臓器移植を希望する人間へすみやかにしかるべき臓器が供給されるのじゃ、すごいじゃろう」

「でもそれ豚の内臓でしょう? もらった人、うれしくなさそうだけど」

「豚の内臓ではない。豚の皮の中で培養された人間の臓器じゃよ。ちなみにわらわの臓器は三分の一が豚で、あとの三分の一が羊で、残りが母親にもらったもので、この脳はわらわがまだ奇形腫だったときに科学者が造ってくれたものじゃあ」

「へえって、え? えぇ?」

「すごいじゃろう? この身体のどこからどこまで自分なのか、わらわにもさっぱりわからんのじゃ、わははは」

そう言って、サクラコはいつものように誇らしげに笑った。

ナギはしばらく呆れたようにサクラコを眺めてから、短く質問した。

「奇形腫がなんとかってなに?」

「むずかしくてようわからんのじゃが、わらわはもともと腫瘍しゅようだったのだそうじゃ。産まれてすぐに死んだ皇女の肩口にできていた腫瘍。それがわらわなのじゃ」

あのごめん。よくわかんないんだけど。もう少し順を追って話してもらえると助かるかもしれない」

「めんどくさいのう」

「いや、ほら、だって、観覧車何周でもできるし。ぼくも興味あるし」

「なんといえばいいかのう。つまりじゃなあ。いまから十七年前、阿岐ヶ原王妃が産み落としたひとり娘本物、というかわらわの本体、というか腫瘍ではない方のサクラコ内親王は産まれて二日目に死んだのじゃよ。しかしいろんな内部事情により、でも内親王を蘇生させる必要があったのじゃ。蘇生が無理でも複製はできるじゃろう、ということで死んだ赤子の体内を切り刻んで調べてみたところ、肩口に奇形腫があったのだそうじゃ。むずかしくてようわからんが、本体は死んでもその腫瘍は死肉に寄生して生きておったらしく、科学者たちは拍手喝采かっさいしたのだとさ」

「腫瘍は切り離され、遺伝子操作をされた。頭部の発生を司る遺伝子、腕の発生を司る遺伝子、足の発生を司る遺伝子、さまざまの臓器を発生させる遺伝子が組み換えられ、腫瘍から手足が生えて臓器が生まれ、頭部には脳が発生した。操作がうまくいかず、未発達となった臓器は代わりに豚や羊の体内で培養された人間の臓器が移植された。さまざまのつぎはぎを為した結果、奇形腫は無事にサクラコ内親王として復活を果たすことができたのじゃ」

「発生学の見地からすると、人間というものも、どこからが人間でどこからが腫瘍なのか判然としないそうじゃ。人間そのものを胚から発生した腫瘍、と捉える奇特な学者もおるらしい。ま、なにはともあれそうして元奇形腫は常軌を逸するほど美しく成長し、変態に目をつけられて拉致されていまここでこうしてその美しさを核分裂物質に置換されて世界を滅ぼそうとしておるわけじゃ、とほほほほ」

サクラコは終始おどけた調子で長い説明を終えると、傍らのナギを見上げた。

ナギは両目を見ひらき、口をぽかんとあけてサクラコを眺めつづけるのみ。

「なんじゃ、そのアホ面は。なんとか言えい」

しばらくして、ナギはようやく言葉の断片を切れ切れにこぼしはじめた。

あのつまりそれって

「うむ?」

「そのきみも人間じゃないってこと?」

「生物としてはどうなのかのう。さっきも言ったが、どこからどこまでがわらわなのか、ようわからん。生物学者どもに操作された部分と、豚や羊から移植された部分と、奇形腫であったころの部分が混ざり合っとるらしいから、考えるのもめんどくさくてのう。この身体のどこからが人間で、どこからは人間でないのか、判断はつかんよ」

「でもそんな自分のことだよ? 自分がなんなのか、悩んだりしない?」

「せんなあ。くだらんよ、そんなもん」

「だって自分がなにものなのか、わからないなんて

「そんなもん、普通の人間だってわかっとりゃせん」

「わらわにはこころがある。れものがどう造られようが関係ないわい」

「こころがあればいいよ。だからおんしもバケモノではない。こころを持たぬものがバケモノじゃ」

へらあ、とサクラコは笑んだ。いつもと変わらない、自然なゆるんだ笑顔だ。

ナギは黙って、しばらくサクラコの笑顔を見ていた。

意識の奥から、なにかがこみあげてくる。熱くて、切なくて、制御できないなにか。雪解けの清流のような、勢いの良い透明なものが横隔膜から噴き上がり、喉元を越え、脳髄を突き上げ、身体全体の細胞へ充ちていく。

それから、気がつくと自然に腕が伸びて、ナギはサクラコの身体を抱き寄せていた。