サクラコ・アトミカ

第十二回

犬村小六 Illustration/片山若子

「最前線」のフィクションズ。サクラコの美しさが世界を滅ぼすーー。 畸形都市・丁都に囚われた美貌の姫君、サクラコ。七つの都市国家を焼き払う原子の矢は、彼女の“ありえない美しさ”から創られる......。 期待の新星・犬村小六が放つ、ボーイ・ミーツ・ガールの新たな金字塔、ここに誕生!

四.

藍色の夜空に銀灰色の月がえていた。

千々とした断雲の群れが空の低いところにきたっていた。表面の隆起を銀光りさせ、青銅色に縁取られた輪郭は風に吹き流れていた。

雲はだいたい低層と中層の二層に折り重なっていた。低いところの雲は絨毯じゅうたんに似た層雲、中層の雲は綿菓子じみたちぎれ雲である。断雲は幾重にも折り重なって立ちこめ、時と共にかたちを変えながら星くずの色を映していた。

星と雲の織りなす幽玄のさなか

南東方面へむけて飛行艇艦隊が飛翔していた。

飛行戦艦二隻、重巡空艦六隻、軽巡空艦八隻、軽空母一隻、駆逐艦十六隻の大艦隊だった。超蒸気機関からの噴煙が不吉そうな暗い色を自然の色合いの底へ溶かしていた。

行く先の雲が蹴散らされる。霧散した水蒸気が星明かりを弾く。木製の舷側を露に濡らしながら、二列縦陣の飛行艇艦隊は整然とゆく。

丁都近衛第一艦隊旗艦「不知火しらぬい

その前方甲板底部に据えられた指揮所にユキノ・ヴィルヘルム・シュナイダーは詰めていた。

加藤大隊による威力偵察の結果を受け、丁都軍令部は近衛艦隊の派遣を決めた。

地上部隊単独での幻妖撃滅は極めて困難、速やかに飛行艦隊による爆撃を以て撃退すべしユキノの献策がそのまま実行に移されたかたちだ。迅速機動を本領とする近衛艦隊は軍令部発令を受け取った二日後に丁都を出立、いまこうして舳先を連ねて幻妖を目指している。

ユキノの傍らには作戦参謀、猿渡ミチオ少佐も付き従う。彼は朴念仁ぼくねんじんのごとき表情で、通信兵から入った電文へ目を送ってから顔を上げた。

「幻妖は依然として就寝中とのことです」

「これで五日目か。生物学者の見立てによれば今日中に起きるとのことだが」

「このまま寝ていてもらえると助かるのですが」

「バケモノ相手は勝手がわからん。前代未聞の戦いだ」

哨戒艇しょうかいていから報告が入りました。幻妖が起きたようです」

不意に指揮所へ通信兵の声が響いた。ユキノは手渡された電文に目を通し、頷く。

「三時間後に接敵する。本番だ。夜明け前には終わらせるぞ」

「加藤大隊のとむらい合戦ですな」

「ああ。必ず勝つ」

凜と胸を張り、決意を込めてユキノはひとつ頷いた。

午前三時半

近衛第一艦隊は二列縦陣を保ったまま降下をはじめた。

全三十三隻の大小飛行艦艇が雲の海のただなかへ艦首を突っ込み、水蒸気を引き裂き、超蒸気機関の駆動音も猛々しく雲の下へ出る。

月と星の灯りはもうどこにも見えない。

ただひたすらの暗黒のさなか、三十三隻全ての艦隊灯が一斉に灯され、つづけて艦艇の下腹から探照灯が地上を目がけて打ち下ろされる。

荒野をまさぐる漏斗状の光域もまた二列縦陣を為す。

旗艦不知火は縦陣よりもやや上方、列の真ん中ほどのところに占位して、艦隊全体を眼下に睥睨へいげいしながらの航行である。だからユキノからは、第一艦隊が打ち下ろす探照灯が光の回廊に見える。

じっと光を見下ろしていると、上下の感覚が失われ、距離感がなくなり、万華鏡を覗き込んでいるような、なにか不思議な絵物語の中にいるような、地に足の着かない浮遊感に襲われる。

ユキノは首を振って、顔を前へ戻した。

これから先にあるのは厳然とした現実だ。

全身を燃え立たせながら丁都へ迫り来る怪獣を、艦隊の爆撃で撃滅する。それが丁都住民を守るための自分の責務だ。

同じ決意を胸に刻むのはこれで何度目だろうか。

幻妖が出現してからこれまで、ずっと胸の奥底になにかがわだかまっている。

瞑目めいもくし、静かに深く呼吸してから、ユキノはもう一度、目の前の情景を注視した。

彼方忌まわしい紫紺の火焰が夜の底に燃え立っていた。

揺らめきながら丁都方面を目指して移動している。

幻妖の周囲だけ明るい。傍らを流れゆく雲の束が見える。ひび割れた大地の起伏がわかる。

ゆっくりと、一歩ずつ、百二十メートルもの巨体を揺るがせながら、人間と同じ二足歩行で悠然と丁都にむかい進んでいる。

ユキノは不知火を高度四百メートルで水平飛行に移した。

後続する第一艦隊が不知火に準じる。その下腹から探照灯たちが一斉に幻妖を照らし出す。幻妖は頓着することなく、歩みを変えない。

探照灯の黄色と幻妖の紫紺の炎とで、夜が染めあげられていた。

「この高さであれば、飛び上がろうが届くまい」

自分に確認するようにそう呟いて、ユキノは前下方の幻妖を見下ろした。

徐々に目標との距離が縮まってくる。

怪獣と近代兵器その戦いの火ぶたが間もなく切られようとしている。

だがこちらの敗北はありえない。勝つための条件は整っている。ユキノはもう一度、自分へそう言い聞かせていた。