サクラコ・アトミカ
第八回
犬村小六 Illustration/片山若子
「最前線」のフィクションズ。サクラコの美しさが世界を滅ぼすーー。 畸形都市・丁都に囚われた美貌の姫君、サクラコ。七つの都市国家を焼き払う原子の矢は、彼女の“ありえない美しさ”から創られる......。 期待の新星・犬村小六が放つ、ボーイ・ミーツ・ガールの新たな金字塔、ここに誕生!
その日、いつものようにぼくは檻の中でバカみたいに殺し合いを演じてた。これまでと違って、相手は全然ぼくに似てなくて、ぼくの三倍くらい身長があって皮膚も分厚くて筋骨隆々で前歯が二十本くらい生えてて下顎がカジキのように尖ってて息が臭かった。観衆もいつもより多くて、どっちが勝つか賭けてるらしく、とても興奮していた。
でかいくせに俊敏なやつで、ぼくは二、三発殴られただけで気を失いそうになった。ぼくの予想だけど、ここの他にも似たような決闘場があって、こいつはそこのチャンピオンなんじゃないかと思った。ぼくが他の子どもの能力を奪いとって強くなったように、こいつもたくさんの子どもを殺して能力を奪いとってきてるんじゃないかって。そのくらい、いろいろな力を持ったやつだった。
こいつを殺せば、こいつがこれまで育んできた力が全部ぼくのものになる。
それは魅力的な考えだった。こいつに勝つのは簡単ではないけれど、自分の能力の全てを振り絞って戦う価値があると思った。ぼくはバケモノだから、予めそういう方向に考えるよう仕込まれているのかもしれないけど、とにかくぼくはそいつが持っている力がほしいと思った。
傷だらけになり、腕をへしおられ、身体の一部を食いちぎられたけれど、最後にぼくは右腕をサーベル化することに成功し、そのサーベルで相手の顔面を貫いて勝った。賭けに勝った観客から盛大な歓声が送られて、負けた観客からのたくさんの罵声を背中に受け、ぼくは部屋に戻ってシチューを食べた。いつもより肉が多いのは勝ったご褒美だろうか、と思っていると、ひとり、知らない女性士官が部屋に入ってきた。
ユキノ・ヴィルヘルム・シュナイダー、と彼女は名乗った。大佐だった。上下ともすらっとした真っ白な軍服を着ていてスタイルが良くて金髪で碧眼だった。うわああ。痛い痛い、いきなりなにするのサクラコ。え? あ、あぁ……いや、それは……比べるものじゃないっていうか。うわあ。痛い痛い、やめてサクラコ、目が取れる、目が取れる。う、うん、ほら、ぼくはバケモノだからどっちが美人とかわかんないよ。いや、うん、たぶんおそらくきみの方がきれいだよ? いや、うそ言ってない、言ってないから。ほんとほんと。絶対絶対。というわけで話をつづけるよ?
ユキノも人間ではなくて、知事が無機物をこね合わせて造った有機体だった。知事の命令で、彼女がこれからぼくの上官ということになった。ぼくは軍服を着せられて、ユキノに連れられて部屋を出た。廊下にはいつのまにか彼女の部下が整列していて、ぼくに敬礼を送っていた。
それから大きな飛行艇に乗せられた。飛行艇の窓から、ぼくははじめて世界というものを眺めた。とても素敵な眺めで、興奮してしまって、ぼくは目に映るいろいろなものについてユキノに質問した。
あれは雲、あれは川、あれが山、そして上いっぱいの青いところが空……ユキノはすごく丁寧にぼくに教えてくれた。彼女はとても親切で優しかった。ぼくはすぐに彼女になついた……って、いたたた、痛い痛い。やめてサクラコ、耳が取れる、耳が取れる。う、うん、きみも親切、優しいよ、親切親切、優しい優しい。
それで、えぇっと、なんだっけ。そうそう、飛行艇の中でユキノと一緒に食事を摂った。おいしいハンバーグだった。それまでシチューしか食べたことがなかったぼくは、そのあまりのおいしさに驚いて、もうひとつ食べたい、と思わず言ってしまった。ユキノは好きなだけ食べろと言ってくれて、ぼくは本当に好きなだけハンバーグを食べた。夢みたいな気分だった。幸せというものをあのときはじめて知った。
おなかいっぱいになったところで、ユキノがこれからのぼくの仕事について説明してくれた。
彼女はぼくのことを「ナギ」と呼んだ。それがぼくの名前なんだそうだ。どういう意味かと尋ねたら、嵐のあとの静かな海の名前だと教えてくれた。ぼくは自分の名前が気に入って、ユキノにお礼を言った。軍令部がつけた名前だよ、と彼女は微笑みを浮かべて教えてくれた。
あてがわれた仕事は、敵をたくさんやっつけることだった。
ユキノと一緒に飛行艇に乗って敵の近くまで接近し、ぼくだけが飛行艇から飛び降りて地上に降り立ち、敵を全員やっつける。ユキノと他の軍人たちはそれを空から眺めて、いろいろデータをとって知事に報告する。それだけ。簡単な仕事だった。
はじめのうちは、砂漠の盗賊団とか、はぐれヒドラの群れとか、軍隊コボルトとか、そういうしょぼいのを相手に戦ってた。だいたいいつも高度五十メートルくらいのところで飛行艇から飛び降りて、格好よく片膝をついて地面に降り立ち、わあわあ言いながら指定された敵に襲いかかってやっつけた。そのつど、槍とか刀とか機関銃とか様々な武器を携帯させられて、使わされて、あとで使い勝手を報告したりした。
でもだいたい、ぼくに武器は不必要だった。ぼくの場合は手に持つよりも、細胞を増殖させて皮膚や筋肉や骨格を武器化する方が戦いやすいんだ。機関銃は確かに便利だけど、重いし弾数に制限があるし手入れしないと撃てなくなるからあまり好きじゃなかった。
人間が寄り集まった盗賊団とか、低級なバケモノの群れとかは、ほとんどぼくの相手にはならなかった。百人くらいの群れならかすり傷ひとつ負うことなく殲滅できた。五百人以上の大きい群れだと、ちょっと疲れるけどまあ最後には勝てた。短い時間で任務をこなすと周りの軍人たちから尊敬の眼差しが送られていい気分がした。ぼくが良い成績を出すと、ユキノは悲しそうな顔で頭を撫でてくれた。なぜ悲しそうな顔なのかはわからなかった。
三年くらい、そんな生活をつづけたある日。ぼくはユキノとふたりきりで艦橋にいて、星空を眺めていた。
星はどこまでも連なっていて、さまざまな色をしていた。不意に不思議な気分がして、いままで疑問に思わなかったことが疑問に思えて、ユキノの横顔を眺めた。
ぼくはいったいなんのために戦っているのか、と彼女に尋ねた。
無敵の個体を創造するためだ、とユキノは即答した。
地上で最も戦闘能力の高い生物を造る。それがそのときの知事の目標だったらしくて、ぼくはそのために産み落とされたんだって。
「無敵の個体」
呟いてみた。へえ、という感じだった。知事はそういうわかりやすいのが好きそうだ。
「じゃあ、ユキノはなんのために造られたの?」
尋ねてみた。彼女はまた即答した。
「観賞用だそうだ。性格、知性、体格、顔立ち……わたしの全てが知事の理想の女性を体現している」
ぼくはユキノを片目で眺めた。身体にぴったり吸い付くような白い軍服。すらっとした細身から不自然なほど突き出た胸部を眺め、少し考えてから、感想を口にした。
「知事、やりたい放題だね」
彼女は口をへの字に曲げて、肩をすくめた。
「神に比肩する能力をお持ちだ」
「インスピレーションを得られれば、でしょう?」
「発想がそのまま現実化するのだ。それだけで十二分にすさまじすぎる」
「ぼくが無敵になったら、知事を倒せるかな」
ユキノは静かな眼差しをぼくへ寄越した。
「いまの言葉を知事がお聞きになったら、おそらく大笑いなさるだろう。そしてきみは消される」
「知事って、そんなに強い?」
「強い、弱い、という次元に存在していない。きみが知事に立ち向かったとして、知事がやることはきみが死ぬところをイメージする。それだけだ。それできみは死ぬ」
「ぼくが死ぬところをイメージさせなければいい」
「どうやって?」
「わかんない。他のもので気をひくとか。ものすごく強そうな外見を手に入れて、ぼくに勝てるイメージそのものが湧かないようにするとか」
「命がけでやってみる価値があると思うならやってみればいい。知事は常に退屈しておられる。なにしろ願ったその場で叶ってしまうお方だからな。きみが立ち向かっていったなら、きっと大喜びで相手してくださる。知事が飽きたとき、きみは死ぬ」
「へえ」
「全ては知事の退屈しのぎだ。きみも、わたしも、丁都も、この退屈な世界の時間を知事がやり過ごすための玩具に過ぎない」
「気に入らないな。ぼくはいいけど。ユキノが観賞用だなんて」
「はは。哀れんでくれるのか。優しいな」
「だって。気に入らないよ」
ユキノは穏やかに微笑むだけでなにも言わなかった。
次の日からぼくは、知事の思惑通り、無敵の個体になることを目標にした。その力を得てから、なにに使うのかは決めてなかった。ぼくが強くなるにつれて、敵もだんだん大規模な集団になっていった。戦闘単位ごとに組織化され、日常的に訓練している重武装の兵士たち。戦車を相手に戦ったこともある。一度も負けなかったけど、苦労したし怪我をした。軍隊を相手にひとりで戦うには、地べたを這いずってはいけないことにぼくは気づいた。
翼が欲しい、と思った。
空を飛べたら誰にも負けないのに。
ぼくは背中に翼が生えるイメージを日々蓄えていくことにした。あの白い部屋にいた、難しい言葉を使って説明してくれるそっくりさんの表現を使えば、強烈な変性意識を引き起こしてぼくの内部表現を『ぼくは翼で空を飛ぶ』と書き換え、現実の肉体へホメオスタシス・フィードバックを発生させれば翼を生やせるはずだった。
しかしこれはとても難しかった。ぼくの変性意識のどこかの部分が「空を飛ぶなんて不可能だ」と思っているうちは、翼は生えてこない。ぼくの意識を隅から隅まで「ぼくは飛べる」という思い一色に染めあげることができなければ、空を飛べない。
簡単に聞こえるかも知れないけれど、意外と難しいんだ。意識というやつは、なかなかぼくの「意志」が指向する方へ従ってくれない。煙草をやめたくてもやめられないのと同じように、ぼくの意識は「ぼくは空を飛べない」と思い込むことをやめられない。
来る日も来る日もぼくは空を飛ぶイメージを抱きつづけた。諦めることなく、昼も夜も、食事中も訓練中も実戦中も、自分へむかって「飛べる」と言い聞かせつづけた。肩胛骨が背中の皮膚を突き破って外肢となり、柔らかな羽毛をたたえて、一対の翼になるさまを一抹の疑いも差し挟むことなく想像しつづけた。
ぼくが翼を手に入れたのはそれから五年後のことだった。肩胛骨が変形した、全長がぼくの身長の三倍を越える、立派な翼だった。神話に出てくる天使みたいだった。飛行艇の兵士たちは拍手喝采を送り、ぼく専用の軍服が仕立てられ、ぼくは軍服を着たまま剣を片手に格好よく空を飛ぶことができた。
空を飛べるようになって怪我をしなくなったかというと、そうでもなかった。翼を生やすのはぼくの細胞にもとても大きなエネルギーを要求するので、飛ぶたびにとても疲れた。格好よく飛んで敵に接近しても、攻撃を仕掛けるときにはへとへとに疲れていたんじゃ意味がないよね。だから結局、翼は逃げるときくらいしか使えなかった。もちろんぼくは強いから敵から逃げたことなんてないけど。あとは飛行機とか飛行艇を相手に戦うなら翼は必要だろうね。幸い、ぼくが相手する敵はみんな地上にいたから翼の出番はなかった。というわけでせっかく空を飛べるようになったっていうのに使い道がなかった。結局、ぼくの翼は閲兵式での見せ物としてしか使われなくなっちゃった。
そうしてぼくは何年も何年も丁都を取り巻く七つの都市勢力と世界中で戦いつづけた。ユキノと一緒に、飛行艇に乗って、たくさんの将校や兵士に見守られながら、たったひとりで大勢を相手に戦った。戦うたびにぼくはイメージを短い時間で現実へ励起できるようになり、日一日と強くなっていった。知事の目指す無敵の個体という状態に限りなく近づいていたと思う。
けれど転機はいきなりやってきた。
ある日、知事は、ぼくに飽きた。
「無敵の個体」に代わる、新しい興味の対象が現れてしまったんだ。
サクラコの美しさが世界を滅ぼす――
知事はその一文に取り憑かれてしまい、その美しさが七都市に鳴り響いていた阿岐ヶ原王家のサクラコ内親王を拉致すると、原子塔の完成に全精力を傾けるようになった。阿岐ヶ原をはじめとする七都市も知事の計画を知るや、結託してこれまで以上に激しい攻撃を丁都に対して加えはじめた。きみも知っているように、既に十を越えるサクラコ奪還作戦が発動して、そのうちの幾つかは頓挫して残りの幾つかは現在も進行中。知事はなによりも大切なサクラコを守るために、丁都最強の個体を彼女の直衛兵として配した。高空庭園と呼ばれる高い塔のてっぺんにサクラコを押し込め、塔の途中に出っ張りを作って哀れな直衛兵をそこに住まわせた。そののち、サクラコは思いつきのように投身自殺を図るようになり、哀れな直衛兵はそのたびに彼女を空中で拾い上げるはめになり、出っ張りで彼女が飛び降りるのを待つのが面倒臭くなって、高空庭園に出向いていってサクラコと一緒にお茶をしながら、毎日毎日彼女のわがままに付き合わされて、無茶な要求をされ、ときには昔の思い出話をしなきゃいけないはめになってしまったのであった。とほほほほ。おしまい。