大坂将星伝
第二章 猿伯と狸王
仁木英之 Illustration/山田章博
戦国の世に“本意(ほい)”を貫いた男ーーその名は、毛利豊前守勝永(もうりぶぜんのかみかつなが)。家康(いえやす)の前に最後まで立ちはだかった漢(おとこ)の生涯を描く“不屈の戦国絵巻”、ここに堂々開帳!
第二章 猿伯と狸王
一
信長の仇をとる、ということは天下一統の大志を受け継ぐことに他ならなかった。その役割を果たすはずである嫡男の信忠は、本能寺の変の際に二条御所で壮絶な討ち死にを遂げている。残る信雄や信孝には、癖の強い諸将を率いるだけの力はない。
そうなると、世間の注目は信長の将領で誰が織田家中を導く立場につくか、ということになる。織田家の四巨頭といえば、柴田勝家、丹羽長秀、明智光秀、そして羽柴秀吉であった。光秀は秀吉に滅ぼされ、丹羽長秀は本能寺以降大きく評価を下げた。
北陸にいて弔い合戦に間に合わなかった柴田勝家だが、彼には北陸の上杉という強敵と対峙していたという言い訳があった。何より、秀吉を嫌う者たちの衆望が勝家に集まるのは自然な流れであった。
「殿は天下さまになりなさる」
山崎の合戦の後、太郎兵衛の頭に強烈極まりない拳骨を食らわせた後、吉成はそう言った。それからというもの、吉成は少しずつ勤めの話を太郎兵衛にするようになっていた。
「殿は天下さまになる。だが、道はまだ遠い」
「どれくらい?」
「山を越えて、さらにもうひと山越えるくらいに遠いのだ。だが殿は、いかに険しくとも山を乗り越えていかれるだろう。俺らも殿に置いていかれぬよう、懸命に走らねばならん」
吉成の言う通り、黄母衣衆も信長の生前よりも多忙となっていた。
「一緒に行きたい」
そう太郎兵衛がせがんでも、
「戦える力もない者が戦場に行くことは許さん。留守居には、九左衛門を置いていく。彼を師として己を鍛え上げるのだ」
吉成には権兵衛吉雄、次郎九郎吉隆という弟がいて、兄の側に影のようにつき従っている。兄と共に若い頃から秀吉に仕え、吉雄は槍の、吉隆は弓の名手である。特に吉雄は喧嘩も強く、太郎兵衛に印地打ちを教え込んだのも彼である。妻の露は、太郎兵衛の弟、権兵衛を産んで間もなく、病を得て世を去っていた。
犬飼九左衛門は吉成が伊勢長島の一向一揆攻めをしている最中に陣借りを申し出てきて知り合った男で、武芸にも兵法にも詳しい男であるが、太郎兵衛は彼が苦手である。無口で、いつも三白眼を光らせて吉成の傍らにじっと座っている、というのがこの男の印象だった。
「鍛えてもらうなら甚之丞か助左衛門がいい」
二人なら石合戦の時から配下として使っているから、接しやすかった。太郎兵衛は遠慮がちに願ったが、吉成が耳を貸すことはなかった。
「甚之丞たちには仕事がある」
「じゃあ九左衛門さんにはないの?」
「お前を鍛えるのが仕事だ。九左衛門がいいと言うまで、先日のような勝手は許されぬ」
吉成は怖い顔でそう言い渡した。父に厳命されては、太郎兵衛も逆らえない。九左衛門は、
「幼き日々にこのように鍛えることが許されるのは、豊かな者だけだ。甘ったれてはいけませぬ」
と釘を刺した。
「百姓どもは貢租を絞り取られ、働き盛りを兵に取られて日々懸命に生きるのみ。侍も明日にはどうなるかわからぬのが戦の世だ。こうして己を磨く時を与えられたことを神仏に感謝するのですな」
太郎兵衛は何も言い返すことができず、うなだれるのみであった。
結局、秀吉が柴田勝家を賎ヶ岳で破り、織田の家臣団の中で最も大きな力を得たことは、父が数カ月ぶりに家に帰るまで知らなかった。
天正十一(一五八三)年四月に勝家を破った秀吉は、本拠を大坂へと移した。中国攻めの足がかりとなっていた姫路は天下に号令するには西に過ぎ、かつていた近江長浜は手狭である。
「大坂は天下の礎とするにいい場所だ」
秀吉は吉成にそう語っていた。
かつて石山本願寺を攻めた際に、秀吉は大坂の持つ地の利を痛感させられた。北には淀川、東には生駒の山地、南に四天王寺あたりまで続く上町台地と、一段低くなったあたりから巨大な低湿地帯が広がり、そして西には大坂湾がある。信長ですら、ついに正面からの攻略を行わなかったほどである。
吉成は秀吉の命を受け、大坂城の普請を監督する一人として働いた。もちろん、秀吉も多忙の合間を縫って現場に顔を出し、たまたま来ていた太郎兵衛に、
「おい小三次とこの童よ、この城大きかろう!」
とはしゃいだ声をかけたこともある。
石山本願寺を土台とした新しい大坂城は、南に四天王寺や一心寺といった大伽藍があり、それらが出城のようになっている。堺や平野といった豊かな商人町も近く、各地との往来にも便がいい。まさに天下を指呼の中に入れた秀吉にふさわしい地といえた。
だが、もちろん大坂に本拠を構えただけで秀吉を天下人というわけにはいかない。名目だけと皆が理解しているとはいえ、織田家は信長の孫の三法師秀信が継いだ形となっているし、子である信雄も健在だ。
柴田勝家の後援を受けていた信孝は、勝家の滅亡の直後に自害させられた。信雄が危機感を抱いたのは当然のことである。秀吉は信雄を懐柔すると見せかけて、その実追い詰めていた。追い詰められた織田の御曹司がどこを頼るか、秀吉にはお見通しであった。
「忙しくなるぞ」
翌年までひたすら犬飼九左衛門に矢、槍、刀、組打ちの鍛錬をさせられていた太郎兵衛は、天正十二(一五八四)年の三月になって、久しぶりに父に言葉をかけられた。
「ついて来るか」
と父が言ったものだから太郎兵衛は声をあげて喜んだ。
「だが見るだけだ」
吉成は釘を刺す。素直に太郎兵衛は頷いたが、それには理由があった。鍛錬では、毎日九左衛門には気を失うまでしごかれるのだ。どのような天候であろうと、庭が泥沼になろうと雪が積もろうと、九左衛門は厳しい鍛錬を太郎兵衛に課す。
「戦は人を選ばぬ。だが死に時は選べる」
これが九左衛門の口癖であった。
「死に時を選ぶには相応の腕と時を見極める目がいる。あなたはまず腕を身につけなさい。目のつけどころはそのうち小三次さまが教えて下さる」
そんなわけで、戦う力を身につけるべくまだ七歳の太郎兵衛は鍛え抜かれているのであった。いつも半死半生まで追い込まれ、石合戦で頭に礫を食らってもべそ一つかかない太郎兵衛が何度も号泣するほどだ。
「戦場で死ぬのが嫌なら鍛錬で泣け」
九左衛門は主の子の涙を見ても一切手を抜かなかった。そのうちに太郎兵衛も、戦で命の遣り取りをする者たちは生半可ではないと理解するようになった。父も、
「腕を試そうなどと思うな。その代わり、俺がいいと言うまでは逃げてはならん。戦に行けば俺がお前の将だ。従わねば斬る」
と怖い顔で繰り返した。
これには逆らう気はなかった。戦では将と軍規が絶対であると叩きこまれている。何故命に従わなければならないか、と太郎兵衛が父に訊ねると、
「死ぬからだ。良き将の命は軍を勝たせ、悪き将の命は人を死なせる。我らは良き将についているのだから、従えばよい」
と言下に返ってきたものだ。
二
秀吉が天下の覇者と認められるためには、どうしても屈服させておかなければならない男がいた。
「三河の狸を何とかせねばならぬな」
吉成の屋敷を訪れていた秀吉は、ぼりぼりと膝を掻きながら言った。天下に手が届く立場となっても、秀吉はこっそりと吉成のもとを訪れることがあった。上等な衣も脱ぎ捨て、野良着のような格好で、褌もあらわに寝転がっているのだ。
太郎兵衛はそんな老いた小猿のような姿を見ても、侮るようなことはなかった。何より怖い父が誠を尽くして仕えている相手なのである。
「どう思うか」
そう秀吉が呟いている時、吉成が何か言うことはまずなかった。疾風の速さで無数の策が主君の頭の中を往来しているのだ。
徳川家康は信長の同盟者として遇され、その死後も別格の扱いを受けてきた。織田家の今後を話しあう清洲会議に参加しなかったのは、彼が家臣ではなく信長と同格の大名であり、家臣団の会議に出席するのが適当でなかったからである。
秀吉が家康をどのように見ていたか。
「大博打を打てる者」
と吉成には漏らしていた。賭けが始まるごとに金を張るのが博打の達者とは限らない。場の流れを見て、ここぞという時に大きく賭ける。
「三河どのが持つ賭け金はわしに比べれば随分と少ない。だがあの男が張ってくる時は、何か勝算あってのことだ。用心せねばならん」
一刻あまりも唸っていた秀吉は、
「なしくずしに家康を賭けに引きずり出し、万全の態勢を整える前に完膚なきまでに叩いてしまえばよい。光秀や勝家を倒して北陸、近江を手に入れてから、わしが動員できる兵力と財力は家康を大きく上回った。こちらの賭け金が潤沢なうちに、相手の持ち金を根こそぎ奪ってしまえればよいのだが……」
掻きすぎた膝は真っ赤になり、血が滲んでいる。だが秀吉は気にせず、吉成もじっと聞いているのみだ。
「信雄さまが三河どのと結ぶ方が好都合なのだが、それはそれで難が大きくなるのう」
膝の傷に気付いたのか、ひゃっと腰を浮かせた姿は、天下人とは思えぬ。庭から覗き見ていた太郎兵衛に剽げた顔をして見せた秀吉は、睾丸を下帯からはみ出させて寝てしまった。
吉成はそっと立ち上がって部屋から出ると、屋敷の外で自ら番を始めた。そんな父の姿を見て、この秀吉という男は大したものなのだな、と太郎兵衛は感心するのであった。
信雄は、信孝が腹を切らされて恐怖を感じているところに、父の居城があった安土を追われたものだから慌ててしまった。
庇護を求められた家康は、実に穏やかに同盟相手の子を迎えた。それによって、賭けに引きずり出されるという様子はなく、整然と押し出してきたことに、かえって秀吉が驚かされたほどだ。
しかも家康は、瞬く間に秀吉包囲陣を組み上げた。
「狸め、機をうかがっておったな」
「紀州の根来衆、雑賀衆はもともと我らと険悪です。かつて本願寺のあった場所に殿が巨大な城を築かれることで、圧力をかけられていると感じていたのでしょう」
秀吉の舌打ちに、黒田官兵衛が答えた。
「銃卒の数が厄介だ」
「それだけではございません。四国の長宗我部は、殿が四国征伐を考えていると説かれて家康と手を組むことを決めたようです」
「長宗我部元親は総見院(信長)さまと誼を通じるために光秀を仲介役とし、三好や十河を討ち果たすことを望んでいたな。わしは元親が四国を支配するのは織田家のためにならぬと、逆に長宗我部征伐を進言していたから、さぞや憎んでいることだろう」
元親からすれば、秀吉が天下を取るなど絶対に避けねばならぬ事態であるし、他方家康にとっては、元親が淡路に渡り、雑賀衆らと共に大坂をうかがう姿勢を見せるだけで十分な圧力をかけることができるのだ。
北陸の佐々成政は柴田勝家側についていたものの降伏し、越中一国を安堵されていた。だが心情的には秀吉を嫌っていたし、このまま座していてはいずれ秀吉が軍を向けて来るという恐怖と常に戦っていたから家康の誘いは好都合であった。
関東の北条は、もし家康が滅ぼされれば次は自分だという恐れを持っていたから、これも誘いに乗った。見事な手際である。両者の対決は、先手を取らせると見せかけて秀吉の意表を衝いた家康の優勢から始まった、といってよい。
「小三次には紀伊守を任せる」
「適任と存じます」
ということで、吉成は池田恒興との連絡に忙殺されることになった。
信長の乳兄弟である恒興はかつて大坂を任されていたが、秀吉に請われて城を譲り渡して美濃にいる。
もちろん、彼にも家康からの誘いが行っている。同僚であった柴田勝家が死に、丹羽長秀が逼塞しているのは、秀吉が主家を簒奪し、信長の遺したものを乗っ取ろうとしているのだと家康側の使者は説いた。
恒興の従兄は滝川一益であり、一益は秀吉をよく思っていない。彼からもしきりに家康につくよう、使者が来ていることを吉成は掴んでいた。
吉成の任務は、それを打ち消して恒興を秀吉の側につけておくことである。
「ただひたすらに、誠で押せ」
秀吉は吉成にそう命じていた。もとより、吉成もそのつもりである。他家との交渉は、誠だけで通るものではない。時に偽り、恫喝し、かと思えば下手に出ることも必要である。だが秀吉は吉成にそのようなことをさせなかった。
「公明正大の先に道がある。もちろん、他にも道があることは知っている。だが殿がその道を行けと命じるなら、行く」
太郎兵衛を伴った吉成は、山伏姿である。当時の山伏はただ諸国を放浪して修行したり勧進、祈祷をするだけでなく、諜報にあたる場合もあった。街道ではない山間の道を知っているからであって、街道が封鎖されても往来が可能であった。
美濃の稲葉山城は、吉成にとって懐かしい場所である。
「このあたりで俺は生まれた」
太郎兵衛は物心の付いた頃には長浜にいたから、美濃を知らない。長浜から見える東の山なみを越えれば美濃だと知ってはいたが、身近な場所ではなかった。
「いいところだ。山も川も美しくてな」
昔語りなど珍しい、と太郎兵衛は父を見上げた。
「しがない野伏せりくずれだった俺が、殿と出会った場所だ。もっとも、初めてあの容貌を見た時は、小鼠が衣を来て里に出てきたと大笑いしたものだがな」
森家は尾張大江氏の流れを汲むと自称しているが、本人もその真贋など気にしていない。猿面の若武者として名を揚げつつあった秀吉と出会い、その人柄と能力に全てを賭けようと決意した。脛も丸出しで秀吉と共に駆け回った山谷が広がる、美濃の天地である。恒興の政は行きとどいているようで、城下は賑わっていた。だが、東西の緊迫した情勢を映しているのか、人々の様子はどこか浮足立っている。
山伏も一人で歩いていると怪しまれるが、幼子を連れているだけで随分と人の見る目は優しくなった。何度か誰何されたものの、城門まですんなりとたどり着いた。
「門付けはいらんぞ」
と怖い顔をする番兵に名乗ると、番兵は表情を強張らせて門内へと消えた。
「門付けに間違われるくらいなら、上出来だ」
「中へどうぞ」
番兵の代わりに出てきた恒興の家老、片桐半右衛門が丁重に出迎えた。太郎兵衛は客間に留め置かれ、吉成は一人山伏姿もそのままに恒興の前に出た。特に相手をしてくれる者もおらず、太郎兵衛は退屈して座り、やがて畳の上に寝そべった。
こうした怠惰な姿も、実に久しぶりのことである。犬飼九左衛門は昼夜問わず太郎兵衛の傍におり、鍛錬だけでなく普段の挙措にまで目を光らせていた。細かく叱りつける、というのでもなかったのだが、緊張を常に強いられて心の休まる暇もない。
たまにはこうやって連れ出してもらえたらいいな、と太郎兵衛は大の字を楽しむ。首を横に向けて畳に耳をつけると、部屋を一つ隔てて向こうの広間の声が微かながら聞こえてきた。
堂々とした声は、はじめ恒興のものかと太郎兵衛は思っていた。だが、その声は紀伊守さまと恒興に呼びかけている。家で聞く重く暗い父の声とあまりに違うことが面白く思えて、太郎兵衛は畳に耳をつけながら一心に聴き始めた。
「筑前にもはや理はない」
苦々しげに恒興は言っていた。
「明智を攻め滅ぼしたのは正しい。右府さまに刃を向けた大罪がある。その仇を討つ先兵になることは、我が誉れでもあった。筑前なら右府さまの無念を晴らし、天下布武の想いを三法師と共に成し遂げてくれると信じていた」
それがどうだ、と扇子で脇息を叩く音がする。
「権六を攻め滅ぼした上に、三七に腹を切らせたではないか。それは誰の、何に対する咎か」
溜めていた怒りを爆発させるような恒興の口調である。
「筑前さまの想いに一寸の狂いもございません」
吉成は静かに、しかしよく通る声で言い返した。
「織田家を盛り立て、天下に安寧をもたらすという清洲での議に従って、殿は動いております」
「では何故、主筋の若者に腹を切らせたのか。三七は将として至らぬ点は多々あったろうが、それは我らが支えていけばいいだけの話だ。権六は三七を盛り立てていただけで、誰かに反逆を企てていたわけではない。あれほど激しく攻め立てて殺すのは、やり過ぎだったのではないか。筑前は苦楽を共にした僚友を皆殺しにするつもりか!」
太郎兵衛が思わず畳から耳を離すほどの声量である。
戦国の武人は喧騒激しい戦場で四方に命を下すため、声が大きい。恒興も例外ではなかった。太郎兵衛のいる部屋の梁が微かに震えている。
「主筋とは」
空気の震えが収まるのを待つかのように間を置いて、吉成が話し始めた。
「どなたを指すのでしょうか。清洲において、筑前さま、紀伊守さまをはじめ、将領の皆さまは三法師さまを右府さまの後嗣として定められました。これには、権六さまも同意されたはず」
そこで一旦言葉を切る。激しい反論がないことを確かめたのか、吉成は言葉を継いだ。
「諸将によって後嗣と定められた三法師さまに軍を向けることは、即ち織田家への反逆であります」
恒興が苛立たしげに扇を開き、そして閉じる音がした。
「三法師さまの後見として差配することは、筑前さまの務めであります。殿は三七さまが清洲の議を軽んじていることに目を瞑り、家老たちに諮ってことを穏便に済ませようと心を砕かれました。ですが、家老たちに罪を着せて殺し、出奔するとは三七さま不覚悟の極みとしか言いようがありません」
「だが三河は筑前の横暴を天下に喧伝し、四方に味方を募っているぞ。筑前の専横を憎む者たちが誘いに応じつつある」
それこそ不義の兵である、と吉成は初めて声を大きくした。
「右府さま亡き後、筑前さまが恐れられたのは、不義が横行して戦乱が激しさを増すことでした。そのために、三法師さまの下に同心して四方を安らげ、権六さまが望む通りに長浜も南近江もお贈りし、お市の方さまが障りなく嫁げるよう心を砕かれました。これもひとえに、諸将が順逆を違えないための気配りではありませんか」
確かに、信長麾下の諸将が最終的に三法師を戴くことに同意したのは間違いない。だが幼い三法師に頭を下げることは、その後見である秀吉を拝礼するのと変わりなく、反発を強める者がいても不思議ではなかった。
恒興はつい、諭すような口調になっていた。
「筑前は将としての力量、人にすぐれている。だが、三法師の後見というだけで天下を動かそうというのは、あまりに乱暴だ。三介(信雄)が家康と手を組み、西に兵を向けたら、どのような口実をつけてこれを迎え撃つのだ」
「大義あるのみです」
吉成は静かに答えた。
「総見院さまの跡を継ぐのは誰なのか。議によって決した三法師さまなのか、ほしいままに国を捨て、東国に助けを求める三介さまなのか、紀伊守さまの正しき断を願います」
しばらく、恒興は黙っていた。
「わしは、総見院さまと深い縁を持ち、栄えるも滅ぶもその力一つと信じてついてきた。誰が刃向かおうと背こうと、常に総見院さまの側に立っていた。だから此度のことも、その心のままに働きたい」
長い沈黙の後、小さな声で恒興は言った。
「三河さまを最後まで盟友とし、禄を与える臣下としなかった。それは家中に入れるべき者にあらず、とお考えだったからだ。決して低く見ているわけではない。むしろ高く評しているからこそ、家中に入れてはならぬお人だった」
その家康のもとに、信雄は走った。
「三介は、右府さまが望まなかったことをなそうとしている。となれば、わしはそれを止めるのみだ」
恒興は立ち上がる。
「筑前には、与力いたすゆえ心配はいらぬと伝えよ」
吉成はその言葉を聞くなり、さっと平伏して礼を述べる。
「三河は戦うとなるとこれ以上ない難敵だぞ。かつて己を従えていた今川を滅ぼし、甲斐武田の圧力を退け続け、ついには勝った男だ」
「承ってございます」
平静を装っていたが、父の声に安堵の気配が漂っていることに太郎兵衛は気付いていた。話が雑談に移るのに合わせて、太郎兵衛はそっと畳から耳を離した。
三
無事に務めを果たした吉成であったが、秀吉のもとには戻らなかった。そのまま恒興の与力として働くように、という命が下っていたからだ。黄母衣衆は単騎で使者の任に当たることもあれば、数百の郎党を率いて秀吉の左右を守る務めも果たす。
「殿は我らにも行けと命じられました」
吉成の弟、権兵衛吉雄、次郎九郎吉隆に率いられた手勢も到着した。
「身命を堵して紀伊守さまをお守りせよと」
律義者として通る森兄弟の口上を聞き、恒興も表情を和らげた。
「質も誓紙もいらぬから、小三次たちを陣に置いてくれ、とは筑前も随分とお人よしになったものだ」
恒興は秀吉からの書状を見せた。
「殿は紀伊守さまに裏をかかれるなら、それで本望だと仰っていました」
秀吉につく、と言い渡した恒興に対する反応は様々であった。安堵した者もいれば、不安や不満を表す者もいた。だが恒興は吉成の説いた大義を前面に押し出し、三刻以上かけて家臣たちを説得しきった。
日は暮れ、太郎兵衛は昼寝から起こされてここにいる。
「それにしても筑前の人たらしめ」
恒興は扇をぱちりぱちりと開いては閉じた。
「この癖は総見院さまにもあった。考え事をしているとこうするのだ。声をかける者をその場で斬り捨てるような凄味を放ちつつ、一人広間で四方への策を練っていたものだ。長く近くにいたわしは、いつしかその癖を真似るようになったものだ」
だが、上っ面だけだ、と苦笑する。
「わしは仕草を真似るのではなく、その果断さを真似るべきであった。そうすれば、天下が以前にも増して騒がしくなることもなかっただろうに」
「人の資質は真似ることはできません。己が作り上げていくのみです」
「これは異なことを言うものだ。筑前の傍にいながらその言い草は得心がいかん。真似て強くなったではないか」
恒興は杯を傾けながら、首を振る。
「筑前は柴田権六の豪も総見院さまの果断も、真似て身につけているぞ」
「それは……」
「まあ、真似をして使いこなすだけの力がなければ、わしの扇のようになってしまう。おい太郎兵衛、人を見る時は筑前のようでなければならんぞ」
笑みを含みながら、恒興は言った。
天正十二年三月十三日、恒興は吉成を東美濃の森長可のもとに走らせた。
恒興の女婿であり、長く信長に仕えてきた彼にも、秀吉は黄母衣衆の尾藤知宣を派していた。長可は十五の年から最前線で戦い続け「鬼武蔵」と異名をとる豪の者である。
しかも東美濃を領し、信雄と家康の連絡を断つために必ず味方につけておかねばならなかった。尾藤は恒興の動向次第だと考え、吉成の説得の行方を固唾をのんで見守っていたが、説得が成ったと吉成から告げられて安堵していた。
長可は恒興の去就を見て、はっきりと秀吉に味方すると言明し、そのように準備を進めていた。これによって、美濃は秀吉方となったのである。
「おい、小三次。子連れで来たのかよ」
知宣は小柄な馬にまたがっている太郎兵衛の姿を見て驚愕した。
「何事も鍛錬だ」
「鍛錬ってお前……」
呆れ果てた知宣は我に返ると、家康が既に清洲城に入っていることを告げた。
「早いな……」
秀吉の言っていた通り、最初からこの戦が行われることを予想していたかのような動きである。尾張の中央である清洲に本陣を置けば、伊勢、伊賀を領国とする信雄との連絡が断たれる心配がなくなる。
「恐ろしいのは、東海と畿内で一斉に攻勢に出られることだ。武蔵守さまは犬山城を攻め取られるおつもりだ」
「それはまずい」
恒興も同じことを考え、犬山城へと軍を率いて向かっている。二人の黄母衣衆から報告を受けた長可は、すぐさま小牧山城を攻め取ることを提案した。
「小牧山と犬山を結ぶ線を押さえられれば、家康の背後をとることができる」
「ですが、三河守は恐らく何らかの手を打っているはず」
「だが動かねば美濃は孤立する。何もせず恥をさらすわけにはいかない」
森長可は二十七にして歴戦の勇者である。その断に迷いはなかった。
「この戦、よほど気合いを入れてかからんと勝てぬ。三河の鼻を明かすのは相当なことだぞ」
長可はすぐさま出陣を命じ、知宣も軍監とし督戦の任につくことになっていた。吉成と太郎兵衛は恒興が陣を出している犬山に向かおうとしたが、知宣は、
「太郎兵衛は大坂に帰しておけよ。激しい戦になるぞ」
と諌めた。
「激しい戦だから見せるのだ」
「人の子育てに口を出す気はないが、生きていればこそ子も育つというものだ」
知宣は子を早くに病で亡くしている。
「生死は神仏のみがご存知だ」
と吉成は取り合わず、太郎兵衛は大坂に帰れと言われなくてほっとしていた。
四
長可の決断も軍の動きも、決して遅いものではない。だが家康はそのさらに上を行く。金山を出た長可の軍がどこを目指すかを知るや、すぐさま小牧山城の兵を増強したため、長可は小牧山城手前の羽黒に布陣するほかなかった。
恒興は両軍の動きを見て顔をしかめた。
「三河は天から我らの動きを見ているのか」
と勘繰りたくなるほどの用意の良さである。
「伊賀衆を押さえているのは大きいのでしょう」
「こちらの動きを読まれているとしたら」
十七日の早朝になって気付いた恒興は、扇をぱちりと鳴らして閉じた。
「勝三は危ういぞ」
青ざめた恒興はすぐさま全軍を動かして長可の後詰めに回ろうと試みた。だが、物見の兵が急を告げる。
「徳川勢は羽黒に至り、武蔵守さまの側面を衝いています」
「遅かったか!」
恒興は犬山から軍を動かそうとしたが、諸将が止めた。
「ここで勝三を失って戦に勝てるとは思わぬ。それに婿も助けぬ舅という評判は立てられたくないのでな」
恒興は小牧山から家康を引っ張り出すことができれば、逆に勝機があると考えていた。だが、立て続けに戻ってきた物見の報告からは、家康が行う盤石の指揮しか聞こえてこない。
「勝三は無事か」
しきりに気にしていた恒興だが、何とか脱出して金山城に逃れたと知って胸を撫で下ろした。
「これは筑前が出て来るほかないだろうな」
吉成は恒興の言葉に頷いた。既に秀吉は二万の軍を編制し、東へ向かう準備を進めていた。家康が恒興の想像をはるかに上回る速さで尾張に兵を集中させている以上、五分に戦えるのは秀吉本人しかいない。
「また天下分け目か。筑前も忙しくて気の毒だ」
冗談めかすが、恒興の目は笑っていない。
「ここで敗れると、前途は厳しくなるぞ」
そして吉成に対し、
「これ以上の与力は必要ない。わしと勝三の戦いぶりを見て、もはや監視など必要ないことがわかったであろう。筑前が来れば、わしと勝三で先鋒に立てるよう願い出るつもりだ。おそらく勝三もそう考えているであろう」
と告げる。吉成は、太郎兵衛を伴って恒興の本陣から退出した。その足で、金山城へと吉成たちは向かったのである。
家康は小牧山城の周囲に土塁を築き、濠を巡らせて要害とするため工事を急いでいるという。だがそのおかげで、長可は命拾いをしていた。
金山城での長可はむしろ不自然なほどに明るかった。吉成たちを歓迎し、酒宴まで開いて見せたのである。敗戦で落ち込みがちな城内の雰囲気を変えようとしているようであった。
「三河はさすがの采配であったよ」
長可が小牧山を望む羽黒に陣を敷いたと見るや、家康は酒井忠次と榊原康政に兵を授け、その背後を襲わせた。
「気をつけてはいたのだが、三河方の動きが一切見えなかったのだ」
その隣では、軍監の尾藤知宣が悄然とうなだれている。
「俺がもう少し気をつけていれば、このような苦労を武蔵守さまにさせることもなかったのに。軍監として派されている意味がない」
と嘆く。
「なに、勝敗は兵家の常だ。総大将の俺がしくじったというだけの話だ」
長可は豪快に笑い飛ばした。
「三河守は小牧山を拠点に筑前さまを待ち受けるつもりだ。そうなれば先鋒はかなりきつい務めとなる。それを俺がやる」
恒興の予想通り、長可もそう考えていた。
「同じ恥は二度とかかぬ。二度目は死ぬ時よ」
さらりとそう言う。太郎兵衛は何故か、その言葉を聞いてぞくりとした。幼いとはいえ、人の死様はいくらでも目にする。戦場の真っただ中に立ってはいないが、路傍には戦で倒れ、飢えに力尽きた無残な死体がいくらでも転がっている世の中だ。
だが、太郎兵衛にはあまりにも遠い話である。自分も父も、言葉を交わしている誰かであっても、次の瞬間命を飛ばしているなど想像もつかない。
まして、これほどさらりと死を口にする人間を前にしたことがなかったので、驚いたのである。
「武人とはあんなものだ」
吉成は呆然としている息子に、そう言った。
二人は金山城を辞して、大坂へ帰った。街道筋は新たな戦を前に隊商の列が行きかっている。秀吉が主力を率いて東に向かうとの報は得ていたので、吉成は途中で合流するつもりでいたのだが、結局大坂に戻って復命することとなった。
「小三次、息子の初陣には早いだろやい」
忙しいにもかかわらず、秀吉は吉成をわざわざ書院に呼んで様子を聞いた。
「馬子です」
「馬子にも早いわ」
いつも吉成が感心するのは、数多いる家臣の家族にどのような者がいるかすら、秀吉は記憶していることであった。これも信長が秘かに持っていた技能である。秀吉は妻のねねと夫婦喧嘩をした際に、主君が仲立ちをしてくれたことにいたく感激していた。その時の様子を、吉成も近くで見ている。
秀吉が吉成たち側近の家庭にまでやたらと興味を持つようになったのは、その直後からである。それにしても、多忙を極めているのによくそんな暇があるな、と驚くほどに、誰にどんな子が生まれたなどということまでよく知っていた。
「おい太郎兵衛、石合戦では中々の働きぶりらしいな」
といきなり言ったので、吉成は驚愕した。
「そうなのか?」
息子に思わず訊ねていたほどである。太郎兵衛の方はというと、驚いて瞬きを繰り返すばかりであった。
「戦も政も見た目ではないぞ」
秀吉はそう言うと、ききき、と笑った。
「お前も幼子という見た目で敵陣に近付き、黒田の吉兵衛を討ち取ったそうだな。石合戦でのこととはいえ、大したものだぞ」
吉成は拳を振り上げかけたが、秀吉は手を振って止めさせた。
「息子の武勲を叱る道理はあるまい。しかも、吉兵衛についてきた後藤のせがれの馬に便乗して山崎にまで出張っていたそうではないか。その時いくつだ」
問われた太郎兵衛は手のひらを開いて突き出す。
「勇ましや、勇ましや」
秀吉は立ち上がると太郎兵衛に近づき、その手を掴んで大きく振った。太郎兵衛はその手の感触にはっとなる。槍を握ることで出来るたこが、手のあちこちにできていた。小さいが分厚く硬い手は、父にそっくりである。
「小三次がよしと言えば、すぐにでも使ってやる。なあ、お前の息子は何ができる」
「ですから、馬子です」
「馬子として働けるなら、父の傍にいて馬の世話をしているがよい」
再びききき、と笑った秀吉はまさに猿の素早さで立ち上がる。
「次の戦は尾張じゃ。懐かしいのう、小三次」
吉成が返事をしかけた時には、もう秀吉の姿はなかった。
五
秀吉の動きは、吉成が予想していたよりもやや遅かった。
犬山城に入ったのが三月二十七日。そして、森長可が徳川方の奇襲に遭って壊滅した羽黒からさらに南、小牧山に近い楽田という場所に本陣を張ったのが、四月五日であった。
吉成と太郎兵衛は秀吉の本陣に従っている。黄母衣衆は四方の武将と連絡を密にするため、蜂のごとく忙しく陣を出入りしていた。
池田恒興との連絡を任されている吉成と森の手勢は、命を受けることなく本陣にいたが、ただじっとしていたわけではない。頻繁に秀吉に呼び出されては何やら策を聞かされていた。その間、太郎兵衛は吉成の馬の世話を続けている。犬飼九左衛門には馬の扱いも当然やらされているので、馬子になれと言われても驚きはしなかった。
「殿は中入りを行うそうだ」
吉成は出立の準備を太郎兵衛にさせながら言った。
「中入り?」
「三河国の中へ秘かに軍勢を入れるのだ」
家康が森長可の攻勢を蹴散らして小牧山城に持久戦の構えを敷いたのは、当然理由がある。大坂に対する包囲陣が効果を発揮するのを待つためである。
四国の長宗我部、北陸の佐々成政、紀州の根来、雑賀、伊賀の織田信雄は、それぞれでは秀吉に勝つことはかなわない。
「三河守どのも、独力で勝てるとは思っていない」
「勝てないのに戦に出るんだ」
馬の世話をする手を止めて、太郎兵衛は顔を上げた。主の気配に、馬は嬉しげに鼻を鳴らしている。
「あの方のしたたかさはそこにある」
吉成は愛馬の鼻を撫でてやりながら、険しい表情となった。
「独力どころか、実は関東の全力を挙げたとしても殿には勝てぬし、まして大坂を落とすことなどできぬ。殿は全ての力を注げば小牧山の守りを破るし、そのまま岡崎の城まで攻めいることも無理ではない」
「じゃあそうすればいいのに」
「それが中入りだ」
秀吉は家康が持久戦の構えをとれば急戦を仕掛ける、という相手の裏をかいたものになるはずであった。羽黒の戦いで敗戦を喫した森長可はもちろん第一陣の先鋒を願い出た。
だがこれを退け、自分を先鋒とするように秀吉を動かしたのは、池田恒興であった。
「勝三は気が逸り過ぎている。家康の本拠となればどのような備えがあるかわからん。ここはわしに任せて欲しい」
と求められれば秀吉も異論はない。ただ、一つだけ条件をつけた。
「万事、これある小三次と相談して兵を進めていただきたい」
そう指示したのである。恒興はもちろん、嫌な顔をした。
「疑っているのか」
「とんでもない」
床几から跳びあがらんばかりの勢いで秀吉は手を振った。このような動きをすると、随分と道化めいて見える。そこが人に愛され、また苛立たせた部分ではある。恒興は戦場においてこのように剽げた気配を出せる秀吉を、大したものだと認めていた。
「紀伊守どの、この戦は天下の今後を占う大切な一挙となり申す。戦乱が長く続くか、天下泰平が成るか、全てはこの中入りにかかっておるのです」
顔を真っ赤にして訴える。
「小三次はわが黄母衣衆の中でも特に古くからわしにつき従い、その心はわが心を映すが如くであります。勝三どのにも、同じく黄母衣の尾藤知宣をつけて万全を期しております。どうかここは、わしの言葉に従っていただきたい」
膝をついて懇願するがごとくされては、恒興は逆らえない。
「……わかった。何も小三次を嫌って言っているわけではない。この挙がならねば、天下は三河と筑前で分かれ、将来に大きな禍根を残すであろう。わしには右府さまや筑前のように、天下を見据えて戦うことはできぬ。言葉に従おう」
感動を面にあらわして、恒興は自陣へと戻って行った。
立ち上がってその背中を見送った秀吉の表情は、既に平静なものへと戻っている。恒興と従者たちが陣から出たと報告を受けると、そこでようやく床几に腰を下ろした。
「随分と気負っておられる……」
秀吉はため息をつく。
「触れれば破れそうなほどに張り詰めているな」
主君が独言する時は、黙っている。吉成はそのように心得ていた。付き合いはもう三十年近くになるが、秀吉の口が勝手に動いている時は、策が猛烈な勢いで生みだされ、頭の中を駆け巡っている時である。
斥候がひっきりなしに本陣に駆け込み、情勢を告げていく。
羽黒で森長可の部隊を壊滅させた家康は再び小牧山の城塞の中へと引き返し、楽田に布陣する秀吉の大軍を見ても微動だにしない。
「家康の旗本どもはどうしている」
秀吉が斥候に訊くと、やはり動きはないとの答えである。
「このまま終わるとは思ってはおるまい。小三次、お前は紀伊守さまの動きに用心し、事あれば久太郎とよくよく相談するのだぞ」
そう言い含めた。久太郎は秀吉の薦めで信長の小姓となり、何事もそつなくこなすことから「名人久太郎」と異名をとった堀秀政のことである。この時齢三十一にして、その将才は天下に轟いていた。信長に仕えていた際には一向一揆などと激戦を繰り広げ、その後は秀吉につき、山崎、賎ヶ岳どちらの戦場でも大きな功を立てている。
家康の本拠、岡崎城への奇襲は、四段構えで行われることになった。第一陣は池田恒興をはじめとする総勢六千。第二陣は森長可を筆頭に三千、第三陣は堀秀政ら三千、そして第四陣に中入りの総大将、羽柴秀次、田中吉政ら六千。計一万八千の大軍を秘かに東進させて小牧山を迂回し、三河へと至るつもりである。
四月七日払暁、秀吉は楽田から銃隊を出してさかんに小牧山へと撃ち掛けた。猛烈な銃火と煙を見て、家康方も撃ち返してくる。その喧騒に紛れて北へと向かった中入り部隊は、まずは無事に春日井へとたどりついた。
だが、家康は秀次軍の中に間諜を送りこみ、その動きを掴んでいた。小幡城は小牧山から見て南東にあり、岡崎へ至る街道筋を掌握できる位置にある。家康がひそかに小幡城に入ったことを、秀吉も恒興ら中入り部隊も知らなかった。本軍は小牧山から動いていないと考えて攻勢を見せつつ、恒興たちは岩崎城の攻略に取り掛かっていたのである
岩崎城は小牧山の西南にあり、岡崎への途上にある。無視して進むのが常道であったが、何故か恒興ら第一陣は足を止め、猛然と城に攻めかかった。
六
戦闘は既に始まっていた。岩崎城を守るのは、丹羽氏重である。まだ十六歳の彼は、小牧山で家康に従っている兄の氏次の留守を守っていた。城に残る兵はわずか二百で、恒興ら第一陣六千とは敵するべくもない。
だが彼には、戦わねばならない理由があった。
氏重の父、氏勝はかつて、信長に仕えていたが、謀反の疑いをかけられて追放された。家は没落して故地である尾張の丹羽荘に逼塞していたところを家康に引き立てられたのである。
「三河守さまのために功を立てるべし」
というのが父子の合言葉となっていた。だが、六千の兵を相手に無謀な戦いに出ることに、家臣たちは反対した。
「三河守さまの本陣で氏次さまが存分に戦われ、氏重さまはこの城を守りきれば十分ではありませんか」
そう言って止める。彼らは氏重が血気に逸っているように見えたのである。だが、氏重は兄からの使いで恒興たちが何を狙って南下しているのか知っていた。そして、兄たちが秀吉方の奇襲部隊を追っていることを、掴んでいたのだ。
「ここで一戦を挑み、奴らの目をこちらに引きつければ兄上の功もさらに大きくなる」
初めて心中を明らかにすると、兵たちは勇躍した。二百の兵しかいないので、銃の数も二十ほどしかない。だが彼らは果敢に恒興の陣営に近づいて、撃ちまくったのである。
小さな城に少ない兵を相手にする気は、恒興の方にはなかった。だが、一弾が恒興の愛馬に当たり、彼は落馬してしまったのである。
「小童め、命を無駄にするか!」
恒興は城にいる丹羽氏重をもちろん知っている。その父とは信長の臣下として轡を並べて戦ったこともある。それだけに、怒りは大きかった。
当然、吉成は岩崎城を落とすという恒興を強く諌めた。
「我らが落とさねばならないのはこの城ではありません。岡崎城です」
「わかっている。だが馬を撃たれて落ちたままでは幸先が悪いではないか」
そう恒興は言い張った。
「無駄に一日を過ごしては、家康に気付かれます」
吉成も、よもやその家康が小幡城に入っているとは思っていない。だが、羽黒に布陣した森長可に襲いかかった手腕を見れば、周囲の気配を油断なく探っているに違いないとふんでいた。
だが、どれほど諌めても、
「時間はかけぬ」
の一点張りで押し通されてしまった。秀吉の意向を受けている軍監扱いだといっても、恒興はあくまでも秀吉の同盟者である。まして、織田家での序列は長らく恒興の方が上だった。吉成としても、あまりに強くは言えない。それでも、
「この城にこだわるのであれば、先陣を勝三さまか久太郎さまに譲るべきです」
と迫った。
「小三次はわしを侮るのか!」
そう一喝されればそれ以上は吉成も引き下がるしかない。ただ、急ぎ秀吉と堀秀政に使いを送るしかなかった。
太郎兵衛は吉成の馬子という名目で、この陣にも従っている。吉成は馬の手入れをする息子の姿をじっと見つめていた。何か叱られるのでは、と太郎兵衛は内心ひやひやしていたが、父は何も言わずただ背後に立っている。
戦闘は始まっていた。
激しい銃声と喊声が陣の外から聞こえているが、本陣は静まり返って音もない。恒興は陣頭に近いところまで出て、城攻めの下知を行っている。
「俺も死なねばならんか……」
父が物騒なことを言ったので太郎兵衛は驚いて振り返った。
「負けているのですか」
「まだ勝敗などついておらん」
苦々しげな表情である。
「叔父上、どうなんですか」
と太郎兵衛が吉雄に訊くと、
「勝とうが負けようが、死のうが生きようが存分に戦うだけだ」
と重い声で答えるのみであった。
九日に入って攻城戦が開始された。すぐさま落ちると思われた岩崎城はなかなか落ちない。氏重は二百の兵を一団とし、銃兵で一斉に撃ち放っては突撃し、すぐさま城の中へと引き返すという戦法を繰り返した。
攻める側は、相手は小勢であることから意気が揚がらない。
「勝ちが見え過ぎても、人は戦わぬ」
太郎兵衛は何とも答えようがなく、馬の手入れを続けている。
「お前は大坂に戻れ」
ふいにそう命じた。
「嫌です」
太郎兵衛は手を止めず、即座に拒んだ。
「馬丁としてつき従った以上、主と馬から離れないのが務めです」
「心憎いことを言う」
吉成もそれ以上帰れとは言わなかった。
「これから真の戦場を見ることになる。心しておけよ」
その言葉は、間もなく真実となった。
七
岩崎城は間もなく落城し、丹羽氏重は城を枕に討ち死にした。だが、恒興は岩崎城を落とすのに半日をかけ、最後は森長可の助勢を受けたほどに手間取った。第三陣の堀秀政と第四陣の羽柴秀次は恒興を待つために、守山で戦況を見守っていた。その注意が岩崎城に向いていたところに、家康方が襲いかかったのである。
秀次軍に襲いかかったのは、榊原康政、丹羽氏次ら四千五百。中でも氏次は、弟の見事な最期を耳にして戦意に燃えていた。
すっかり戦見物の気分となっていた秀次軍の混乱はひどかった。瞬く間に本陣を切り崩され、秀次は近習たちの多くが討ち死にする中をようやく単騎で脱出できたのみである。
城を落としてほっとしていた恒興は、背後から家康軍が襲いかかったと聞いてようやく己の過ちに気付いた。
「久太郎はどうしている」
恒興は自軍をまとめて北へと反転しつつ、森長可と共に秀次軍を救おうと考えた。第三陣の堀秀政は戦上手であるが、不意を衝かれては危うい。だが、伝令の兵は秀政の見事な指揮ぶりを伝えてきた。
「三河の奇襲を退けただと」
さすがの名人ぶりを発揮した秀政は、秀次の残兵を収容すると、勝ちに乗じて押し寄せてきた三河方を引き付け、一斉に発砲して怯ませると槍衾を敷いてその鋭鋒を挫いた。
「これで一息つけるか」
と恒興は胸を撫で下ろしたが、家康はその次の手を打っていた。
榊原勢が敗走を始めるや、小幡城を出て長湫(長久手)へと出陣した。四千ほどの兵を率いたのみであったが、凄まじい勢いで恒興と長可の軍を両断した。堀秀政は奇襲部隊を破ったところで家康自身が出てきたと見るや、楽田へと引き返す。
もはや戦機は去ったと判断したのである。
だが、恒興と長可は退路を家康に押さえられた形となって、陣を敷かざるを得なくなった。彼らが布陣した長久手は、長湫と表された。湫は湿地を意味し、軍を動かすには不利な地である。
「東海一の弓取りは大したものだな」
恒興も歴戦の将だけに、その陣構えの見事さには感嘆するほかなかった。
野戦においては、どこに陣取るかが何よりも重要である。相手の動きを封じ、攻守に優位となるには地勢の見極めと敵の機先を制することが何より肝要だ。
「我らの虚をついて後詰めをかく乱し、奇襲が完全なものとならなくても二の手、三の手を用意している。しかも陣を構えれば鉄壁の構えだ。あれを見ろ。右府さまが長篠で武田と相対した際を思い出させるではないか」
瞬く間に組み上がった陣は強固な柵をめぐらし、その間からは無数の銃口がのぞいている。こちらから攻め寄せれば無数の死者が出ることは明らかであった。しかも、「湫」に陣を敷いた恒興と長可は、迅速に軍を動かせない。
だが恒興も長可も、ただ先手を取られているだけではなかった。恒興の子の池田元助を右翼、森長可を左翼に置き、恒興は後詰めとして徳川方に対する。そして恒興は、吉成に秀吉への使いを依頼した。
「三河守が城を出ている今こそが好機だと伝えてくれ」
家康がおり、しかも要塞と化した小牧山城を落とすのは至難の業であった。だが、今家康が率いているのはわずか数千。楽田には二万の秀吉直属の精鋭が揃っている。
「こちらに自ら出てきたということは、筑前とは直に遣り合う気はないということだ」
恒興はそう見ていた。
「我らの奇襲はもはや失敗した。だが治兵衛の軍を壊滅させてさらに我らの前に鉄壁の陣を敷くということは、天下に何かを知らしめようとしているのだ」
吉成は恒興の言葉が理解できず、首を傾げた。
「何か、と言いますと」
「触れるな、と言っておるのだ」
「触れるな?」
「我らに触れると痛い目にあう、と示すつもりだ。筑前はそれを許してはならぬし、許せば将来に禍根を残す。その根を絶つのは今しかない。我ら九千の兵の命が生きる術は、そこしかあるまい」
「殿に後詰めに入るようお願いして参ればよろしいのですね」
「違う」
恒興は頭を振った。
「三河方が山から下りて攻めかかってきた機を捉え、全力で攻めるように言うのだ。後詰めではなく、側面から衝いて三河の首を挙げるのだ」
「しかし……」
もし楽田から南下して長湫に急行すれば、小牧山から三河方の主力がその背後を襲う恐れがあった。そうなっては、前後から挟撃されて大損害を蒙る。
「そうならぬように我らが三河の裾を捉えて放さぬわ。ここで奴の首を挙げておけば、十万の兵の価値がある」
吉成は頷くほかない。
「では、弟たちを置いていきます」
「心強いな。粗末にはせぬぞ」
恒興は、さあ行け、と吉成たちを送り出した。
太郎兵衛に馬をひかせて後鞍に乗せると、吉成は馬を走らせた。長湫の湿地帯を抜けて北上しようとしても、周囲は徳川方の部隊が布陣して道が容易に見つからない。
すると不意に、数人の兵が茂みから出てきた。
「どこのお方か」
言葉に三河訛がある。吉成は躊躇いなく馬腹を蹴ると、兵の間を走り抜けようとした。吉成は巧みに手綱をさばくが、長湫の田は湿って馬の足がとられる。
「太郎兵衛、走れ」
この日の吉成は槍を持っていなかった。後ろから追いすがる兵たちに向かって抜刀し、太郎兵衛にそう命じる。
「い、いやだ!」
「もはや馬もない。馬丁のお前に仕事はない。あるとすれば、俺に代わって殿に紀伊守さまの言葉を伝えることだ」
太郎兵衛は男たちの中に躍り込む父の姿に背を向けようとしてどうしてもできない。逃げ出すかわりに、太郎兵衛は礫を握っていた。石合戦のように、手にあった石を見つける暇はない。泥をかぶった石は小さな手に余る。
だが腕をしならせて太郎兵衛は礫を放った。
父に槍をつけようとしていた足軽の頭に当たると、首が歪んで田の中に倒れ伏した。太郎兵衛は続けざまに礫を投げると、数人の兵がたて続けに倒れた。だが、一人が太郎兵衛に気付き、茂みに向かって何かを喚く。
耳朶を貫く轟音が響き、鉄棒で殴られた衝撃が全身に走る。泥の中に顔を突っ込んだことに気付い時には何者かに体を押さえつけられていた。必死で顔を上げると、父がやはり組み伏せられている。首をかかれそうになったところで、何者かが制止していた。
「殺すな!」
と叫びつつ、今にも吉成を刺し殺そうとしていた足軽の槍を叩き落とす。
「へ、平八郎さまだ」
足軽たちは怖れをなして吉成から離れる。
黒い肥馬に乗っている大柄な男は漆黒の甲冑を身につけ、穂先が三尺近くありそうな大槍を提げている。鹿角の兜から覗く目は大きく炯々と光り、泥まみれの吉成と太郎兵衛を見下ろしていた。
「筑前さまの黄母衣衆とお見受けする」
そして男は馬を下り、丁寧な口調で本多平八郎忠勝と名乗った。武人の名乗りであるから、もちろん吉成も名乗る。もはや手向かうことも叶わぬことを見てとった吉成は、泥だらけでありながらも、威儀を正して忠勝に対していた。
「そちらの馬丁の印地打ちはなかなかのものでした。あれほど的確に急所に当てることができれば、戦の役に立つでしょう」
と太郎兵衛を誉めた。吉成は頷いたのみで応えない。忠勝は長湫一帯を見下ろせる色金山へと二人を連れて行った。捕虜を追いたてる、というのではなく、あくまでも客人を遇するような忠勝の態度である。
そして彼が吉成を案内したのは、金扇の旗印の真下であった。弔いの場みたいだ、と太郎兵衛は何故かそう思った。皆が重苦しく押し黙り、うるさいはずの足軽ですら、ここでは静まり返って控えている。
陣の中央に行くほど、息苦しくなっていく。男たちが具足の間から放つ臭気と、篭手の合間から見える所々欠けた指先が恐ろしいのではない。彼らが見つめる陣の中央から、ずっしりと頭にのしかかるような重い気配が流れ出しているのだ。
「殿がうかがいたきことがあると申しております」
そう言って忠勝は幔幕の外へと出てきた。中には数人の男がいる。太郎兵衛はさすがにその中には入れてもらえず、忠勝と共に外で待つように命じられた。
幕の間から、陣の中央に座る男の姿が見えた。丸い体つきをした初老の男である。だが頬は少年のように赤く、目はぎょろりと大きくて、柔和な笑みを浮かべているようにも見える。
思わずじっと見つめてしまった太郎兵衛に、その男は気付いた。
「弥八郎、その童は誰か」
と傍らにいた目付きの鋭い男にゆったりとした口調で訊ねる。弥八郎と呼ばれた男は、
「これある黄母衣衆の馬丁との由でございます」
と軋んだ声で答えた。弥八郎とは家康の参謀の一人、本多正信のことである。
「馬丁か。戦はあらゆることを教えてくれるから、悪くない考えだとは思うが、あれほど幼き子を連れてくるのはどうかな。物事には時宜というものがある」
家康は吉成に向かってやんわりとたしなめるように言った。だが吉成はやはり何も答えない。
「まあよい。そこで平八郎と遊んでおれ」
細められた眼から放たれた温かな光に、これが秀吉と五分以上に戦った男なのかと信じられない。
「いつしか天下に泰平が訪れ、お前のような幼子が何の憂いもなく遊べる日が来ればよいな」
家康はつと立ち上がり、太郎兵衛と忠勝の肩を抱いた。堅肥りの体は頑丈そうで、肩に置かれた手のひらは硬く厚かった。
「お前たちが槍を合わせることのないよう、わしらの代で何とかできればよいのだがな。戦の世も長く続いて、これからもまだまだ労が多そうだ」
そう言うとまた床几に腰を据えた。秣の匂いのする男だ、と太郎兵衛は思った。だが、幔幕が閉じられた瞬間に、全身が震えだした。あれがこの陣を覆う重みの正体だ、と気付く。
「どうした?」
忠勝が心配そうに太郎兵衛を覗きこんだ。
「わ、わからない」
ただ、あの家康という男が恐ろしかった。父が足軽たちの槍に囲まれた時も確かに怖かったが、それとは全く異質な、父が幔幕から二度と出てこなくなるような得体の知れなさが、あの柔らかな表情にはあった。
「怖い……」
と歯の根が合わずただ震える少年の肩を抱き、心配ない、と忠勝はあやした。
「危ういところであったが、よく戦ったぞ」
いかつい顔に似合わぬ、優しい声である。甲冑に使われる皮革の匂いが、震える太郎兵衛を少し安心させた。だが、太郎兵衛は幔幕から目を離せないでいる。恐ろしいのに、気になる。だがもう、決して見たくない怪物がそこにいる。
「そうじゃない」
やっとのことで声を絞り出した太郎兵衛の肩を抱いたまま、忠勝は陣の外に出た。
「よしよし、腹が減っているのだな」
空腹と恐怖のせいで気が動転しているとでも思ったのか、忠勝は自陣に太郎兵衛を連れて行った。父から引き離されるのは嫌だったが、家康の幔幕の近くにいるのはもっと恐ろしかった。
「ここにいれば怖くない。殿のおわすここが、浄土なのだ」
忠勝の声はあくまでも温かく、その手は力強かった。
「浄土?」
「そう。いくら筑前さまが強かろうと、殿の目が届くところで我らを打ち負かすことなどかなわぬこと。殿がある限り、三河から東は安泰であるし、俺がいる限り、殿は無事なのだ」
不思議な感覚だった。太郎兵衛にはあれほど恐ろしい家康という男が、忠勝には限りない安心を与えている。
「さ、ここが我が陣だ」
忠勝が連れているのは、わずか五百ほどの本多の郎党であった。家康の本陣の盾になるように、すぐ前に布陣している。ちょうど飯時であったのか、兵たちは立ったまま湯漬けなどを掻きこんでいる。忠勝の姿に気付くと、みな椀を持ったまま頭を下げた。
「そのまま食え。平八郎、一杯この子にやってくれ」
すると、忠勝の子、平八郎忠政が粥をなみなみと注いで太郎兵衛に渡してくれた。太郎兵衛より少し年かさの少年だが、忠勝とよく似た顔をしている。他の男も無表情で、太郎兵衛には一瞥をくれただけで何も言わない。
「父というのは、同じことを考えるものだ。俺にはすぐわかったよ。馬丁という名目で、息子に戦場を見せたかったのだろう」
と忠勝は目を細める。
「親子を見間違えることはない」
忠勝に食えと促されて太郎兵衛はさらさらと腹に流し込む。戦場の飯はもう慣れたもので、味は自陣で口にするものと何も変わらない。
「うまいか」
湯漬けに美味いも不味いもない。
「同じ」
と答えると忠勝は苦笑した。
「敵味方に分かれても、湯漬けの味は変わらんか」
腹が満ちると、恐ろしさは随分と減った。父は気になるが、いきなり殺されたりすることはなさそうだった。家康方の陣は静かだった。太郎兵衛が父とともにいる秀吉の本陣周辺はいつも、どこか賑やかな印象があった。
「筑前さまはお祭りで、殿は浄土だからな。静かなのは当たり前だ」
太郎兵衛の感想に、忠勝はそう経を唱えるように言った。
八
やがて、太郎兵衛は呼び戻されて、父と共に家康の本陣に留め置かれることになった。
「わしの手並みでも見ているがいい」
と家康は何を誇るでもない口調で言った。家康の本陣からは、池田恒興と森長可の陣が一望の下に見渡せた。山の下にいる時には、家康方の様子が何もわからなかったのと対照的である。
家康が下した命は、兵糧をとらせよ、攻めかけよ、という二つだけだった。後は何も言わず、床几に座って黙っている。周囲の幕僚たちも何も言わない。物見が時折、周囲の様子を報告していくが、家康は軽く頷くこともしないで静かに前を見ている。だが、家康が視線を動かしたり、手を軽く動かすだけで人が動き、軍が動き、そして人が死んでいった。太郎兵衛は何度となく、悪寒に似た震えを感じていた。
いつしか、太郎兵衛の相手をしてくれていた本多忠勝の部隊が姿を消している。
「平八郎さんたちがいない」
太郎兵衛が空になった陣を指差すと、吉成は口惜しげにくちびるを噛んだ。
「平八郎は大した男だぞ。ここから見えないところで働くのが惜しいな。筑前さまがどれほどの兵を率いていようと、平八郎の率いる五百を破るのは難しかろうて」
家康の傍らに立っていた神経質そうな男が言った。
「弥八郎、聞き苦しい」
主君にたしなめられて、本多弥八郎正信は慌てて口を噤んだ。
攻めかけよ、と命じられた家康方の諸軍は静かに、しかし凄まじい速度で長可軍に襲いかかっている。その先鋒の旗印は、白地に「無」と大書してあった。
「小平太は気負い過ぎておらぬな」
激しく双方から銃弾が飛び交い、情勢は互角に見えたが、左右から回り込んだ部隊が側面から森隊に攻めかかる。すると「無」の旗が再び前進を始め、長可の本陣へと突きこんだ。
喊声が風に乗って聞こえてくる。銃声が響くたびに、誰かが血しぶきを上げて倒れた。騎馬武者が二人組み打って地面に落ち、その背中を大槍が貫いていく。
武者たちは敵の首を掻き切るために悪鬼の表情となり、郎党は傷ついた主の首級を守ろうと束になって敵を押さえ込む。思わず目を逸らしかけたが、陣にいる誰一人として、戦場から顔を背けている者はいない。当然、吉成もそうであった。
これが武者の務めだ。
その横顔が言っていた。これが真の戦場なのだ。男が功を立て、名を揚げる場なのだ。太郎兵衛は吐き気を抑えて、再び戦場を見た。
半刻の間激しく揉み合っていた両軍であったが、急に森隊が潰走した。何が起こったのかと太郎兵衛が固唾を飲んで見ていると、
「森武蔵守長可どの、討ち取りました!」
との報がもたらされた。太郎兵衛が横目で父を見ると、あくまでも平静を守っているが、微かに奥歯を噛みしめているのが見えた。戦場の様相は一変した。あれほどの豪勇を感じさせた森長可の軍勢は今や逃げ場を求めて右往左往しているのみであった。
長可が討ち死にし、森隊が壊滅したことで、後詰めの恒興が軍を前に進めてきた。だが、勝ちに乗じた徳川方は余裕をもって迎え撃つ。
「紀伊守に攻めかかっているのは伝八郎か」
「はい。助勢はどうされますか」
家康の問いに頷いた本多正信は、次の下知を求めた。
「助勢は不要だ」
永井伝八郎直勝は、かつて家康の長子である信康に仕えていた。信康が信長から嫌疑をうけて命を絶つと一度は隠棲したが、その武勇を惜しまれて再び出仕している。率いている部隊は忠勝と同じく千に満たないが、錐のように池田隊に突撃して存分に蹴散らしている。
「紀伊守さまの動きが悪いな」
吉成はぽつりと呟いた。
「当然のことだ」
耳ざとく聞きつけた正信が意地悪く声をかけてきた。
「殿の陣構えは天下に比類なし。いかに筑前さまが戦に巧みだとはいえ、決して破ることはできぬ。今頃は小牧山を血眼になって攻めておられようが、城の守りと平八郎の槍先に翻弄されているであろうよ」
父は正信と目も合わさず、黙殺している。
「止めぬか」
家康が厳しい声で叱った。
陣内に緊迫した空気がみなぎり、太郎兵衛は失禁しそうになった。堅肥りの体が何倍にもなったように思え、戦の采配をふるう時の方がまだ優しげに見える。正信は身を縮めて俯いた。
「勝敗は共に我が傍らに常にある。百戦百勝の策を立てても、最後の勝利は神仏しかご存じない。己が全て差配できると思えば必ずや罰が当たる。だからこそ、心をこめて神仏に祈り、謙譲を忘れず必勝の策を講じるのだ」
声は静かだったが、誰もが逆らえない圧力がそこには秘められているように思えた。
「筑前どのは、いささか背伸びが過ぎるのではないかな。明智日向守の天下が良かった、と言われぬようにしてもらいたいものだ」
「背伸びとは、どういうことですかな」
太郎兵衛は、不気味な程の圧力を放つ家康に堂々と対している父の姿が頼もしかった。
「総見院さまのように、この国唯一人の神となり王となり、南蛮と張り合おうなど、できようはずもない」
吉成が言い返そうとした時、また一騎の伝令の兵が駆けこんでくると池田恒興を討ち取ったことを報告した。
家康は初めて大きく頷くと、吉成に対し、
「既にここ尾張での勝敗は決した。もう戻ってよいぞ。わしは清洲に戻る。あとは筑前どのによしなに計らって下さるよう、頼んでおいてくれ」
と告げた。吉成は一礼すると、太郎兵衛を伴って家康の陣を後にした。放した馬はいつの間にか本陣に繋がれており、飼葉もたっぷり与えられたのか上機嫌である。
「万事ぬかりのないことだ」
淡々と言う吉成の後鞍にまたがりながら、太郎兵衛は父の属する軍が大敗を喫してしまったことに落胆していた。
「負けたらどうなるの」
「負け? 誰が負けたのだ」
「だって、紀伊守さまや勝三さまは討ち死にしたって」
「そうだな……」
吉成は無念そうにため息をついた。
「だが、それが負け戦とは限らん。ここからが殿の戦だ」
父の言葉はやはり理解できなかった。
だが、半年ほどして家康が秀吉に屈服し、子の一人を人質に差し出したと聞いて、太郎兵衛はますますわからなくなった。秀吉が小牧長湫で戦っていたのはごく僅かな間だけである。家康が清洲に下がると見るや、秀吉も五月にはさっさと大坂へと引き返した。春から夏にかけて、尾張蟹江や北陸能登で戦闘は続いていたが、秀吉の興味は既に包囲網の解体に移っていたのである。
一戦で全ての形勢が決まる、と思っていた太郎兵衛からすると、秀吉の動きは驚くべきものだった。大坂にいて使者を送るだけで、戦場での劣勢をひっくり返してしまったからだ。
そもそも、家康が秀吉と戦った理由は織田信雄が頼ってきたことにある。同盟相手であった信長への義理だて、というのが建前としての開戦理由であった。秀吉も家康も、小牧長湫で矛を交えた結果、互いに死力を尽くしても何も得ることはないと考えるに至っている。
「紀伊守どのはそのようなことを仰っていたか」
家康のもとから帰ってきた吉成の言葉を聞いて、秀吉はしばし瞑目した。
「いや、確かに道理ではあるが、三河どのが寡兵を率いて山の上に陣取ったとして、何も備えがないとは思えぬ。紀伊守どのも勝三どのも、長湫に陣を敷いた時点で三河どのに全てを制せられていた。あちらの裾を捉えることは難しかったであろうよ」
吉成も、恒興の言葉を聞いた時は確かにそうだと思ったが、家康の布陣と采配を目の当たりにすると、ことはそう簡単でもないと考えるほかなかった。
「小牧で一度叩いておきたかったが、これも戦なれば致し方なし。他にやりようはいくらでもある」
戦いを避けたいのであれば、その理由をなくせばよい。秀吉は織田信雄の懐柔に乗り出した。激しい憎悪がある、と周囲が思ってもすっぱり捨てたように見せることが、秀吉の美点でもあった。
もちろん、ただ憎しみを捨てるということはしない。信雄が秀吉の申し入れを受け入れるよう、圧力をかけることも忘れなかった。信雄の領国である伊勢と伊賀に蒲生氏郷をはじめとする諸軍を入れ、そのほとんどを制圧してしまったのである。
家康は蟹江と竹ヶ鼻の攻防を通じて、尾張より西には兵を出さないと態度で示している。こうなると信雄も行き場がなくなる。そこを狙って秀吉は講和の誘いをかけたのであった。
信雄が屈服し、家康が兵を引いたとなれば秀吉に恐れるものはない。かえって紀州や四国を平定する口実を得て、大軍を差し向けて制圧してしまった。
「残るは九州だけですね」
気楽に言う太郎兵衛を、吉成はじろりと睨んだ。何か悪いことを言ったかと身を縮める。
「知らぬことは幸せだな」
父の口調に、ただならぬ気配を感じる太郎兵衛であった。